※STAGE14は前後編に分かれていますが、これは初出の際一記事で投稿したところ、
長すぎて携帯から見られないとのご指摘をいただいたため、分割したものです。
書いた人間としては一つの話として通してお読みいただけることを想定しています。
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神聖ブリタニア帝国は近年、強大な国力に任せた強引な侵略行為を繰り返している。
一つ国を併呑したかと思えば、占領地の情勢が不安定なうちに、そこを足場にしてさらに別の地域へと戦線を拡大させる。一歩しくじれば足元を掬われかねない性急過ぎる国策だ。
それは単に皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの苛烈な性質を反映しただけのものであるとも、裏に何か急がねばならぬ理由があるのだとも言われている。どちらが真実であるのかは、皇帝その人のみの知るところである。
いずれにせよ、この戦略が現在まで破綻を見せていないのには、ブリタニアに優秀な人材が多数存在していたことが大きな要因として挙げられる。
その筆頭が帝国宰相――第二皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアであった。
軍略にも政略にも無類の才能を発揮する、次期皇帝に最も近いと目されている人物である。
その彼は今、ブリタニア領内のとある船廠にいた。船廠と言っても単なる造船所ではない。第二皇子の私財によって建造されたものであり、研究所にとしての色合いが強い。兵器開発の最先端を行く機関――特別派遣嚮導技術部の管理下にある工場だ。
満足そうに細められたブルーの瞳が眺めるのは、一隻の戦艦である。名をアヴァロンといった。ランスロットの開発者でもあるロイド博士の発案した『フロートシステム』により、飛行能力と空中静止能力を獲得した、世界初の浮遊航空艦である。
「ついに完成か」
「あとは最終テストと調整を終えれば全工程の終了と聞きました。一両日中には完工となる見込みです」
感慨深げなシュナイゼルの呟きに、直属の士官カノン・マルディーニが返す。職員はそばにおらず、今は二人きりでの視察となっていた。
「EU戦線に持っていくおつもりで?」
「いずれはそうなるだろうね。アヴァロンを投入すれば戦況は劇的に変化するはずだ。私自身がある程度前線に近い位置で指揮を取れるようになるのだから。それでなくとも、空を飛び銃弾を受け付けない船というのは、存在しているだけで脅威に映るだろう」
浮遊航空艦アヴァロンにはランスロットにも搭載されているシールド発生装置――ブレイズルミナスが装備されており、下方からの攻撃は一切艦体に届かない。加えて砲撃も可能なのだから、相手としては堪ったものではあるまい。理論上ではあるが、航空戦力を排除したあとでなら単艦で戦場を制圧し得る。
「ただ、まずは試運転も兼ねてエリア11に行こうと思っているよ。もちろんEUの情勢がもう少し落ち着いてからだけどね。――神根島、だったかな、例の遺跡は」
「バトレー将軍の報告ですか?」
「ああ。クロヴィスがやろうとしていた研究だ。成果が出るまで支援してやりたい」
シュナイゼルはあごに手をやり、小さく笑む。
今は第二皇子の部下となっているバトレーという男は、以前は殺害されたクロヴィス皇子のもとで将軍をしていた。文官出の彼はどちらかと言えば学者肌の人間で、当時は幾つかの研究を主導する立場にあった。その功績を目に留めたシュナイゼルが、クロヴィス暗殺事件の責を問われて監獄送りにされそうになっていたところを拾い上げたのだ。
バトレーが特に力を入れていた研究は二つあり、人体実験を必須としていたそのうちの片方は、適合する素体がないとの理由から現在頓挫している。もう一方が件の『遺跡』の研究だった。
眺めるようにアヴァロンを見遣る皇子の瞳が、かすかな鋭さを帯びる。
「それに、実に興味深いじゃないか。皇帝陛下が各地に点在する遺跡に沿って侵略を進めているという彼の考察は。もしかしたらあのお方の真意が掴めるかもしれない。一度実地を見ておきたくてね」
帝国宰相として世界制覇の戦略を練り、実行しているシュナイゼルではあるが、皇帝より下されたその命に完全に納得している訳ではなかった。
同じ外交手段をとるにしても時期というものがある。たしかにブリタニアの圧倒的な国力はまだまだ世界第一位の座から落ちそうにない。とは言え、立て続けの侵略行為による疲弊は確実に積もっているのだ。
そんな当たり前のことが理解できない皇帝ではない。しかし宰相として理由を問うても解答は得られないのである。曰く『お前が知る必要はない』と。
一方的に打ち切られた皇帝との対話を思い出し、シュナイゼルは眼差しを険しくする。そしてすぐに表情を和らげ、カノンに「戻ろう」と告げた。今考えても詮無きことである。
ドックを出ると、そこは研究所の中だ。清潔に保たれた廊下に二人分の足音が響く。
ゲストルームに帰る道すがら、思いついたようにカノンが言った。
「エリア11といえば、コーネリア殿下は苦戦しているようですね」
「黒の騎士団かい?」
「ええ。だいぶ勢いに乗ってきている様子。よもや押しきられることは無いでしょうが、平定には時間が掛かりそうですね」
軽い口調で話すカノンに、シュナイゼルは面白そうに返した。
「それはどうかな」
「すぐに、片が付くと?」
「いや、その逆だよ。場合によってはコーネリアは負けるかもしれない」
「まさか……それほど買っておられるのですか? あのゼロという者を」
カノンは若干の驚きと共に主の横顔を見る。冗談を言っている気配は無い。
シュナイゼルは真顔になって頷いた。
「読みどおりなら、という注釈つきだけどね。私には一人、ああいう行動を取りかねない人間に心当たりがあるんだ」
カノンは再度の驚きに見舞われた。
エリア11に現れた仮面のテロリストの名はブリタニア本国でも次第に広まりつつある。しかしその素顔について知る者はおらず、飛び交っているのは流言飛語の類だけだ。
「殿下には、ゼロの正体の目星がついていると?」
「あくまで状況からの推測だよ。確信じゃあない」
そう前置きをして、シュナイゼルは語った。
「単純な事実を述べれば、その人物は丁度ゼロが現れた時期にエリア11に入った。能力を考えても、決して不可能とは言えない資質を秘めている。加えて動機も十分だ。だけど、何を考えてそんなことをしているのか。そこまではわからない」
カノンの眉根がわずかに寄る。
「どういう意味です? 動機があるならそれが理由になるのでは?」
「普通の人間ならね。単純にそうとは行かないのが彼女だよ」
「彼女……? ゼロは女性なのですか?」
疑問を口にしたところで目的地に到着した。自動で開くドアをくぐった先は快適に空調の整えられた広い客室である。
ゆったりと作られた大きめのソファに腰を下ろしたシュナイゼルは、質問に答えないままブランデーを所望した。カノンはグラスを用意して棚から酒瓶を取り出す。琥珀色の液体が注がれると、シュナイゼルはグラスを手にして口を開いた。
「カノン。きみはクラリス・ヴィ・ブリタニアという名前を覚えているかい?」
「ええ。第三皇女殿下ですね。マリアンヌ様のご息女の。成長すればシュナイゼル殿下の対抗も可能なのではないかと、兄君のルルーシュ殿下ともどもよく話題に上っておりました」
とは言っても、それも今となっては八年の昔、あの忌まわしき皇妃暗殺事件の前までの話である。
事件の後、クラリス皇女は一度だけ皇帝に拝謁し、以降どこともわからぬ場所での謹慎を命じられているのだと聞く。そうやって宮廷から姿を消し、いつの頃からか噂をされることも無くなった。
ルルーシュ皇子とナナリー皇女の訃報が届いた一時期に憐れみを込めて話題に上らせる者がいたが、それが最後だ。
しかし、カノンは前に主から『クラリスの居所を知っている』と打ち明けられたことがある。どういう意図をもってのことか、皇帝が伝えたらしい。
以来、シュナイゼルは影ながら彼女の動向を見守っているとのことである。細部までは調べられなくとも、大まかな状況程度は把握していると聞いた。
「……まさか、クラリス殿下が?」
カノンはおそるおそる訊いた。いくら皇位継承争いから脱落した姫君とはいえ、テロリストとして見なすのには抵抗がある。
「有力候補と思っている。ただ、さっきも言ったとおり、何を考えてそんなことをしているのかはわからない。だから状況からの推測の域は絶対に出ないと言っておこう。決め付けて掛かるのは論外だよ」
シュナイゼルはそこで一旦言葉を切り、ブランデーの香りに目を細める。そのまま一度瞑目すると、まぶたを上げて宙を見た。
「私は、自分では人の思考や感情の機微には聡い方だと思っているんだがね、彼女に関してだけは、一度も見抜けたためしがない」
「シュナイゼル殿下が……ですか?」
そばに控えるカノンは確かめるように口にする。
シュナイゼルの言は自惚れでもなんでもない。カノンの知る限り、主以上に他人の内面を見通す能力に秀でた者は存在しなかった。いや、主と同等の者さえ居ないと断言できる。
状況の展開予測に単なる物的環境だけでなく、心理面の要因までをも精確に加味できるのが、シュナイゼルの最も恐るべき部分の一つなのだ。
「彼女がどう行動するのかは読める。だけど、それは彼女の思考を読んでいるわけじゃない。彼女が被っている仮面が彼女をどういった行動に走らせるのか、そこを推測しているだけだ。その本質――つまり、何を思って仮面を被っているのかについては、まったくわからない」
「仮面――ですか」
「そう。クラリスの仮面は私から見ても完璧だったよ。気持ちが悪いほどに。彼女はマリアンヌ様を敬愛していたが、それはおそらく娘の仮面を被っていたからだ。もちろん当時の私はそんなことを疑いもしなかったけどね」
しかし、とシュナイゼルは続ける。
「八年前、クラリスが陛下に面と向かって簒奪を仄めかしたあの謁見。カノンは知っているかい?」
「話には聞きました。当時は有名でしたから。なんでも、御歳九つとは思えない気迫だったとか」
「そう、そのときだ。あの謁見の日、私は違和感を覚えた。『できすぎている』と。なぜなら、彼女は私の想定していた『皇帝陛下の望む皇女』そのものの行動を取ったのだから。私が彼女の立場だったら、きっと似たようなことを申し上げただろう。――それで、ふと思ったのだよ。もしや、彼女は私と同じく役割を演じる類の人間なのではないか、とね」
「役割……」
カノンには思い当たることがある。
シュナイゼルは民衆から親しまれる皇子であり、敵国からは恐れられる皇子であり、また兄弟姉妹には優しい皇子である。どれもがシュナイゼル・エル・ブリタニアであり、どれが彼の素顔ということもない。全ては使い分けなのだ。相手が欲するものを鋭く察して、的確に演じ分ける才能に長けている。
それこそがシュナイゼルを人とは違う位置に押し上げる、他人には持ちえぬ絶対的な長所であり、同時に主の唯一の短所でもあるとカノンは感じていた。
何にでもなれる反面――いや、その卓越しすぎた技能と実力が備わっていたからこそ、そういった育ち方をしてしまったのかもしれないが――何かになりたいという欲がない。本人が望みさえすれば、確実にブリタニア皇帝の玉座にでもつけるだろうに、だ。
それと似た能力をクラリス皇女は持っていたという。
「母親を殺された怒りを力へと変えて反旗を翻す皇女。それでいて激情に支配されるわけでもなく、冷静な思考は保ったまま。いかにもあの方が喜びそうな人物像じゃないか。九歳であれだ。強者へと成長しそうな資質を十分に感じさせる。事実、彼女だけが兄妹の中で別の扱いを受け、今も一人生き延びている」
クラリス・ヴィ・ブリタニアは分を弁えぬ発言をしたために存在を消されたのだ――多くの者がそう考えている中で、シュナイゼルは違う見方をしているようだった。そのまったく逆、見込みがあるがゆえに生かされているのだ、と。
「ただ、私の知る限り、アリエスの離宮で幸せそうに過ごしているクラリスは、あれほど苛烈な人間には見えなかった。九歳児としてはありえないほど聡明だったのは間違いないがね」
シュナイゼルは何かを思い出すように遠くを見つめ、眼光を鋭くする。
「そう、以前から違和感はあった。彼女には熱が無い。頭が良いがゆえの冷静さなのかと思っていたけど、きっとそうじゃなかったんだろう」
「……熱、とは?」
カノンが尋ねると、シュナイゼルは「そうだね」と一瞬だけ考えた。
「例えば、彼女とは何度かチェスをしたことがある。けどね、これが面白くないんだ。弱いという意味じゃない。クラリスは年齢の割に恐ろしく強かった。制限時間に幾らかハンデをつければ私と互角になるレベルだ。なのに、面白くない。勝とうという意志が感じられないんだ」
「手を抜いて?」
「いや、全力を尽くしてはいたんだろう。でなければ私の自信は粉微塵だよ。そうじゃなくてね、親が子供に遊んでくれとせがまれたら、まっとうな人間なら拒まないだろう? 内容がチェスで、相手が強かったら、真面目に対局もするだろう。でも、何が何でも勝ちたいという欲求は生まれるかな? 彼女の打ち筋はそういう印象だよ」
今にして思えば、クラリスは何に対しても冷めた子供だった気がする。そしてその場でそうと気付かせない。
それこそが、『彼女の仮面が完璧』と言う所以だ――。
シュナイゼルはそのように締め括った。
カノンは黙って聞きながら、考えていた。
それは主にも言えることだと。
並ぶ者が無いほど有能でありながら、目指すものが無い。欲が無い。熱が無い。
側近として一番多くの時間を共に過ごしているにもかかわらず、素顔が窺えない。
シュナイゼルとはそういう人物なのだ。真実の自分を絶対に表に出さず、何らかの仮面を被った『シュナイゼル・エル・ブリタニア』という人間を、チェスの駒か何かのように寸分の狂いもなく操る。
不意に、ゼロの仮面の下にシュナイゼルの顔があるという想像が頭をよぎった。
――もしそうなら、たしかにコーネリア皇女でも勝てないだろう。
表情を厳しくするカノンのそばで、第二皇子は静かにグラスを口に運ぶ。
「そうでなければいいと思っているんだけどね。悲しいじゃないか、きょうだいで殺しあうというのは」
悲しいと話すシュナイゼルの口調は、言葉とは裏腹にひどく淡々としていた。
◆◇◆◇◆
エリア11のトウキョウ租界に、その屋敷はあった。
再開発時の区画整理によって大きく確保された敷地面積は、一般住宅のそれを遥かに上回る。外周を囲う塀の内側には綺麗に整えられた庭が広がり、その中心にブリタニアの建築様式で立てられた瀟洒な洋館が佇んでいる。
近年名を上げ始めた富豪アーベントロート子爵の、エリア11における別邸である。
月の出た静かな夜だった。
塀の内部で警備任務に当たっていた男は、耳に届く小さな物音を聞きつけた。発生源へと歩いていくと、その先には門がある。
警備の男は、そこで暗がりにうずくまる人影のようなものを発見した。手にした懐中電灯の光を当て、息を呑む。
門柱に寄りかかっているのは少女だった。それだけならば問題は無いが、衣服にこびりつく赤い色が目を引いた。
血であった。
「――おい、きみ、大丈夫か!?」
慌てて駆け寄り顔を覗く。
血色は悪くないように思えた。しかし所詮は懐中電灯の明かりである。当てになるものではない。
救急車を呼ぶのが先か、医術の心得のある仲間を呼ぶのが先か――。
いずれにせよ、と通信機を取り出した男の手首を、少女の手が掴んだ。肌には血の跡が残っている。
驚いて顔を見る男に、少女はしっかりとした口調で言った。
「大丈夫だ。医者は必要ない。道具さえあれば自分で手当てできる。それよりもクラリスに伝えてくれ。――C.C.が来たと」
数分後、クラリスの居室には湯と布で血のりを洗い流すC.C.の姿があった。不滅の呪いに縛られた魔女の肉体には既に傷一つ残っていない。
ゆったりとしたシルクのガウンに袖を通す少女を眺め、クラリスが口を開いた。
「自分で撃ったの?」
「夜だからな。確実に取り次いでもらえる方法を取らせてもらった。野宿など性に合わん」
話しながらウエストにサッシュを巻き、襟元を整える。
「『野宿』? ルルーシュの所って門限とかあったの?」
「いや、そうじゃない。さっきの怪我をやったのはたしかに私だが、数時間前にはルルーシュに撃たれたよ。当たりはしなかったが。拘束されそうになって逃げてきた。もうクラブハウスには住めん。今日から厄介になる」
「……は?」
「マオが来たらしい。お前にゼロをやらせているのがあいつにばれた。契約のことも」
立て続けに並べられる言葉に、クラリス呆けたような顔になった。さすがにすぐには理解が追いつかなかったようだ。
「それ……本当に?」
「証明する方法は無い。好きに判断しろ。ただ、今日から私はここに住む。それは確定事項だ。部屋を用意してくれ。どうせ余っているのだろう?」
「それは、そうだけど……」
「なんだ? まさか同室がいいのか? ベッドは一つしかないように見えるが」
「そういう意味じゃなくて――はぁ、わかったわ。いいでしょう。隣の部屋を使って頂戴。私の私室だから好きにして」
疲れたように溜め息をつき、クラリスは机の引き出しから鍵を取り出した。アンダースローで軽く放ると、C.C.の手のひらにぴたりと収まる。
「随分と簡単に了承したな」
「まぁ、展開としては別に不自然じゃないから。あるかもしれないとは思っていたのよ。貴女があんまり一方的に話を進めるものだから、どうしてやったものかと少し考えちゃっただけで」
棘の混じったクラリスの口調に、C.C.は悪戯っぽい笑みで応えた。
「早く慣れることだ。何百年もこれで来たんだ、今更改めたりはできん」
「……そうね、それが良さそう。とりあえず明日の朝はピザを焼かせるわ。面倒な催促をされないうちに」
「わかってるじゃないか――と言いたいところだが、残念ながらそれではサービス不足だ。夕食を取れていなくてな、今すぐに食べさせてもらえるとありがたい」
「……ルルーシュって思った以上に苦労してたのね」
クラリスは天井を仰いで盛大に嘆息すると、壁に設置された内線電話の受話器をとった。
「夜遅くにごめんなさい。お客様が空腹を訴えていらっしゃるから、ちょっとお料理をしてくれないかしら。メニューはピザ以外認めないそうよ。恨み言があったら直接お姫様に言って差しあげて。私が許すわ」
しばらくして、シックな木製のテーブルの上に湯気の立つピザが乗せられた。
時刻はもう真夜中だった。広い庭を備えているせいもあるとはいえ、外は非常に静かで、廊下を歩く使用人もいない。
ミネラルウォーターの入ったグラスを手にするクラリスの対面で、C.C.は八つに切られたピザの一カットを口に運ぶ。
「ふむ、悪くない」
人の家の料理に勝手な評価を下す少女に向けて『何様のつもりだ』という視線を送りながら、クラリスが言った。
「不老不死って体型も維持されるの? 夜食にピザ一枚って正気の沙汰じゃない気がするんだけど」
「それくらいの役得が無くてどうする。羨ましいなら代わってくれ」
気のない素振りで返しつつ、C.C.はさらにピザを頬張る。クラリスは小さく肩をすくめた。
「言う相手を間違えているんじゃない? ルルーシュにやらせるつもりなんでしょうに」
「案外お前の方が近いのかもしれん。追い出されたと言っただろう?」
「ええ、言ったわね。でも私には貴女の言葉を真実と断定するだけの材料が無い。嘘とも断じ切れないけどね」
淡々と返される言葉に、C.C.は面白そうに口元を緩める。
クラリスは他人からもたらされた情報を無条件に鵜呑みにはしない。ルルーシュと同じ性質だ。
「たしかにそうだろうな。それで、お前はどうするんだ?」
「今すぐに何かをするということはないわ。貴女がここに置いて欲しいと言うなら、居たいだけ居させてあげる。もしかしたらルルーシュにギアスを使った方がいいのかもしれないけれど、それも焦る必要はない。状況を見極めてからで十分」
「いいのかそれで? マオが来ているのだぞ?」
「いいのよそれで。私はルルーシュという人間を信じているから。彼の考え方と能力をね」
「む?」
C.C.はピザを食べる手を止め、どういうことかと視線で問いかける。クラリスはグラスを横に退け、テーブルの上で指を組んだ。
「貴女が本当にルルーシュに見限られたのだとしても、そうでないにしても、それとマオの件は話が別よ。でしょう? マオがどう認識しているのかは知らないけれど、私にはナナリーを危険に晒す可能性のある存在を、ルルーシュが放置しておくとは思えない」
つまり、クラリスの見立てでは、ルルーシュがマオの抹殺、もしくは封殺のために動く――そういうことになっているのだろう。
何かを考えるように、C.C.の琥珀の瞳が若干の鋭さを帯びた。
クラリスは構わずに話を続ける。
「そして、マオがわざわざ私と貴女の関係をルルーシュに話したということは、イコール彼が一番簡単な決着の方法を望んでいないことを示している。単純なルルーシュの殺害、もしくは排除という方法を」
「だろうな。ルルーシュを除くだけならあいつがゼロだと軍か警察に言ってしまえばそれでお終いだ」
「でもマオはその手を使わなかった。遠回りの手段――策略でルルーシュを陥れようとしている。だったらもう、負ける理由なんて存在しないわ。マオのギアスが最も力を発揮するのは、一対一での真正面からの戦い。それを放棄した時点で、彼に勝ち目は無い。相手がルルーシュである以上はね」
だからクラリスが手を出す必要はない。そういうことであるらしい。
「随分あいつを買っているんだな」
「だって私の兄さんよ? 思考が読めるだけの子供なんかに負けるはずないじゃない。出し抜く策は必ず考え付いているわ」
「ルルーシュの採った作戦がわかるのか?」
C.C.の質問に、クラリスは首を横に振って答えた。
「まさか。けど、これもそれでいいのよ。わかってしまったら負けだもの。マオに読まれてしまう。貴女が『撃たれた』と言ったのはいい材料だわ。もしかしたらあの発言自体がルルーシュの指示だったのかしら? その可能性も含めて、真偽の判別できない情報が加わったおかげで、私の中にあるルルーシュの行動予測に幅が出た。今の段階で――そうね、マオに対しては七通りは思い付く」
一瞬考える素振りを見せ、クラリスは続けた。
「ここを出発点に先を読めば、私なら一つに付きさらに十通りの未来を予測できる。もちろんそんなにきっちりと数えられるものじゃないけれど。便宜上合計で七十とするわ。このうちのどれが当たるかはわからない。もしかしたらどれも当たらないのかもしれない。私に判断できないからには、マオがこれを読んでも意味はない」
そこまで言って、頭の中を示すように指先でトントンと側頭部を叩く。
「手持ちの情報と絡めてココを読み解く力を彼が持っているのなら話は別だけど、ありえないでしょう?」
「なるほどな」
C.C.は頷く。
七十もある可能性から一本を割り出す作業など、あの少年にできるはずがない。ギアスによって得られる情報で判断材料が十分に揃っていたとしても、きっと分析作業などやろうとすらしないだろう。
「少なくともお前がルルーシュの足を引っ張ることはないということか。だから何もせずに待つと」
「ええ。どんな展開になるにせよ、私の予想が正しければマオは近いうちに退場するはず。何かをする必要なんてないのよ。状況を見て、なんならルルーシュにギアスを掛けて、この一件はそれで終わり。貴女もクラブハウスに戻れるでしょう」
それに、とクラリスは続ける。
「何にしても、自分から積極的に行動するのは私のやり方じゃないわ。動かずに済む限りは流れに任せたい」
「『傍観者でいたい』、というやつか?」
「ええ」
説明は終わったということか、クラリスは脇にやっていたグラスを手に取り、数口水を飲んだ。
持っていたピザを皿に置き、C.C.は一度ナプキンで手を拭く。手触りのいい布を指で弄びながら、対面の少女を見遣った。
C.C.の側からすれば話はまだ終わっていない。むしろ聞いておきたい事柄ができていた。
「――言うまでもないことと思うが」
「なに?」
クラリスが目を上げる。
「現在の状況は、例の未来知識と完全に乖離しているはずだ。『知識』の中にクラリス・アーベントロートは存在しないのだから。マオの狙いが私であり、その私が今ここに居る以上、事態は確実にお前を巻き込んで行く。今回ばかりはどうやっても裏方にはなれない」
「わかってるわよ。そんなこと」
「それでも動かないのか?」
C.C.の問いかけにクラリスは長いまつげを伏せ、億劫そうに、しかしはっきりとした口調で答えた。
「『ずれて』しまっている部分については、何が起きても『詰まない』ようにしておく。それが最低限であり、それで十分でもある。誰に勝とうとしているわけでもないんだから、危険を冒してまで先手を取る必要なんてない」
「それがお前の生き方か」
「……まぁね」
淡白に返された短い回答。
端正な相貌に走った一瞬の苦い表情を、C.C.は見逃さなかった。マオでなくてもその心の声は伝わってくる。
――こんなの、生きてるって言わないんでしょうけれど。
そう聞こえた気がした。
胸へと響いてきた幻聴を反芻し、C.C.は手拭きを置いて席を立った。どこへ行こうという目的はなかった。ただ単に、真正面から向かい合って話し続けるべき事柄だと思わなかったのだ。クラリスはきっとそれを望まない。
珍しく他人に気遣いを見せたC.C.は、体を窓へと向け、椅子に座る少女を横目で見下ろした。
「クラリス、何を恐れている?」
クラリスはわずかに眼差しをきつくして、テーブルを挟んで立つ少女を見上げた。
「……唐突過ぎるわね。質問の意図を測りかねるわ」
「若さから来る勢いを無謀と等号で結べないのと同じように、老成した慎重さと臆病は別のものだ。私にはどうも、お前のそれは後者に思えてならない」
「私はまだ十七歳よ。老成しているなんて――」
「『クラリス・ヴィ・ブリタニア』はな」
反論を封じ込めるように、C.C.は重ねて言う。
「たしかにその肉体は十七年しか生きていない。それは事実だろう。だが、そこに宿る精神はどうだ?」
C.C.は以前からクラリスの『知識』にある疑問を抱いていた。
それは『なぜ変化しないのか』という点である。
未来は決して一個人の主観で確定できるものではない。
過去に現れた先読みのギアス能力者は、おのれの能力について、確率の高い可能性の一つを見ているのだと言っていた。ゆえに状況の推移に応じて見える未来の形が変わってくるのだと。
それは当然のことだ。でなければ未来予知には何の意味も無くなる。変化させられるからこそ、予備知識として有用になるのだ。
しかしクラリスの知識にそれは当てはまらない。状況が変わってもその分だけ『ずれていく』だけなのだ。
まるで、既に起こってしまった後ででもあるかのように。
そこでC.C.は一つの結論に至った。
「最近確信するようになったんだが、お前は未来を知っているんじゃない。一度未来を見てきたのだろう? それが別の人間としてなのか、あるいはいつかお前が言ったように、アニメとしてなのかは知らないが」
「もしかして貴女、未来からの逆行なんてものがあり得ると思っているの?」
「死なない体がここにある。常識など思考の枠を狭める枷の役にしか立たん。そんなものよりも目に映る現実を優先する」
毛足の長い絨毯を踏み、C.C.は前方へと歩き出す。
ガラスの向こうには星の輝く夜空があった。どれだけの時を経てもほとんど変わることのない、永久にあり続ける光景だ。
「私の中には数え切れない年月分の経験がある。統計データには事欠かない。そこから判断して、お前が十七年しか生きていない人間だとはどうしても思えない。アーベントロートで飼い殺しにされていた経歴を加味すればさらにそうだ」
生まれたときから皇室という特殊な環境で育てられ、その後は落ち目の貴族の娘となり、そこでは深層の令嬢として扱われた。
そんな人間が突然戦後の混乱も収まっていないエリアに来て、何の動揺も違和感もなく、一般学生として完全に溶け込めている。
そんなことが可能だろうか。
断じて否である。
ならばどこかで足りない経験を補っているとしか考えられない。
たとえそれが現実的でない発想だとしても、超常のものとしてコードとギアスが既に存在しているのだから、考慮に入れないのは単なる思考の停止だ。
窓辺に辿りついたC.C.は、桟に手を着き、外の景色に目を遣った。
「お前なら承知のことと思うが、私は一時期、ギアス嚮団というところにいた。ギアスについての研究を行っている秘密機関だ」
C.C.はそこで嚮主と崇められて名目上のトップに収まり、気が向いたときに協力要請に応じる程度の相手をしていた。今となっては過去の話だ。
「その頃に一つ面白い研究報告を聞かされたことがある。かれらが言うには、ギアスの力には本人が潜在的に願っている望みがいくらか反映される――そういう傾向があるらしい」
振り返り、クラリスを窺う。契約者の少女は睨むような目でC.C.を見つめていた。
「お前のギアス、詳しくは知らないが、『記憶を巻き戻す』効果がメインだろう。もし自分自身にも使えるとしたら――どうなんだろうな?」
問うように言って言葉を切り、独り言のように淡々と続ける。
「もっとも、私の知る限り、本当の意味での時の壁を越えることは、ギアスの力をもってしても不可能だが」
「……結局、何が言いたいの」
呟くように口にしたクラリスの表情は固い。怒りでも、苛立ちでも、悔悟でもない。どれとも違い、それでいてそれらの全てでもあるかのような、ひどく複雑な顔をしていた。
ただ一つ間違いないのは、アメジストの瞳が抑えようともしていない剣呑な色を帯びていたことである。相手が魔女でなければ今にもギアスが発動しそうなほどの。
向けられる鋭い眼光を歯牙にもかけぬ様子で受け流し、C.C.ははっきりと告げた。
「――クラリス、お前はいったい『いつ』を生きたいんだ?」
問われた少女に返事はない。
互いの視線が交わったまま、無言の時間が流れた。
夜の屋敷は限りなく静かで、窓の外からは何の音も響いてこない。かすかに鳴る時計の音だけが、室内の空気を揺らしていた。
「……知ったような口を叩かれるのは、不愉快だわ」
やがてクラリスが目を外し、話は終わったとばかりに水の入ったグラスを唇につけた。
その様をしばらく眺め、C.C.は小さく息を吐いて窓から離れた。
「……すまなかった。お前の問題だな。口を挟むことではなかった」
軽く謝り、部屋の出口へと向かう。
「今日はもう寝るとしよう。明日から世話になる」
緊迫した空気は既に霧散していた。とはいえ、これ以上話すのはお互いにとって良いことではなさそうだった。
ドアノブに手を掛け、C.C.は最後に一度振り向いた。
「ピザ、おいしかったよ。料理人に礼を言っておいてくれ。次からは残さないとも」
バタンと小さな音を立て、広い廊下に出る。
上を見ると、天井には煌々と光るシャンデリアがあった。
自分の体を照らす輝きが、C.C.には妙に鬱陶しく感じられる。
「……まったく、何をやっている。ルルーシュだけを見ていればいいはずなのに」
溜息混じりにこぼれた言葉は、誰に聞かれることもなく、廊下の奥へと消えていった。
◆◇◆◇◆
時刻は昼。
マオはとある建物の屋上からクラリスの屋敷を窺っていた。
もちろん視覚的に覗いているわけではない。視線が通る位置では相手側からもマオの姿が見られてしまう。
目標よりも高いビルの屋上、転落防止の柵よりもよりもだいぶ内側の場所に立って、ギアスで人々の動きを読んでいるのであった。
「どうなってるんだ、クソ!」
苦虫を噛み潰したかのようなしかめ面で地面を蹴る。
C.C.がアーベントロート邸に転がり込んだ翌日である。状況は思ったような展開を見せていなかった。
クラリスはゼロの代役を続ける気でいるし、ルルーシュが怒鳴り込んでくることも無い。
当然マオの許にC.C.はやって来ない。護衛の居る家の中に入ってしまったせいで、直接奪いに行くことすらできなくなった。
現状がどういった思惑の上に出来上がったものなのか、マオには理解できていなかった。
たぶんルルーシュの策の一環なのだろう。そこまでは想像が付く。だがその先がわからない。
なぜなら、ルルーシュの頭の中に作戦に関する情報が存在していないからだ。
マオが留守番電話にメッセージを残したのは一昨日のこと。ルルーシュはその次の日――つまり昨日、マオを撒いた先でその中身を聞いたのだ。そこまではルルーシュの記憶に残っている。そこでどういった反応をしたのかからが、もう無い。
しかし、そこで何かがあってC.C.はクラリスの家に行ったのだ。きっとそうだと思う。
ルルーシュの思考を読んでも空っぽなのは、おそらく彼が自分にギアスを掛けて忘れさせたからだ。
その記憶自体もルルーシュの脳内には残っていないのだが、マオにはクラリスから得た知識がある。だから最低限の想像が付く。
あの『知識』では、ルルーシュはマオのギアスに対抗するために、自分で立てた作戦を自分で頭から消していた。
今回もそうなのだろう。
しかし、そこがわかっても意味が無いのだ。肝心の策がわからないのだから。
「ルルーシュ……! クラリスに知られちゃ駄目だって言ってやったのに……! 記憶を消されてもいいのか!? あの女は絶対に躊躇わないぞ! 何を考えてるんだ……!」
わからない。
わからないが、少なくとも物量で追う作戦は取っていないようだ。
そんな大規模な命令が出ているのなら何らかのそれらしい動きをギアスが発見しているはず。自分でも黒の騎士団のアジトを何箇所か調べてみたけれど、そういった痕跡は一切見つけられなかった。
だからそれはない。そこまではいい。
しかし現状ではそのくらいしかわからない。
クラリスの頭の中に答えはあるのかもしれないが、選択肢が多すぎて全てを確認する気すら起きなかった。やったところでそこから絞り込む方法が無いし、だいいち全部が外れている可能性もある。
そんなあからさまに徒労に終わることが予想できる作業に労力を注げるほど、マオの精神力は強くなかった。
そうするともう、答えはどうやっても出てこない。
始めから自分で考えていれば何らかの推測は立ったのかもしれないが、先にクラリスの思考を覗いて無数の可能性があることを知った後では、おのれの出した解答に自信を持てるはずなどなかった。
ならばどうしたらいいのか。
吐き気を催すほどの苛立ちを感じながら、マオは結論した。
わからないなら、わからないまま、自分の思うように事態を動かす工作をするしかない。
待っていても状況は変わらないのだ。クラリスはルルーシュ任せにしてしまっているし、ルルーシュも昨日確認した限りでは待ちの体勢に入っている。
このまま放置しておくだけではC.C.は手に入らない。
「……ボクにはC.C.がくれたこのギアスがある。あんな奴に負けるわけないんだ……! C.C.、力を貸して……」
ヘッドホンに手を当て、漏れてくる声に意識を凝らす。絶え間なく聞こえていた心の声という雑音が次第に薄れて行き、世界が自分とC.C.だけになっていく。
数分間その作業を続け、マオは平静を取り戻した。
考えるべきはどうやってC.C.をクラリスの家から引きずり出すかだ。
これをクリアしなければどうにもならない。
ルルーシュの策についてはもはや悩むだけ無駄との結論を下している。けれど、C.C.がアーベントロート邸に行ったのがルルーシュの指示によるものだったとすれば、彼女があの屋敷に居られなくなる状況を作るだけで、策の妨害ができるのではないか。そんな気がする。
だからたぶん、そのための作戦を練ればいい。
それが成功したら、あとはもう、ルルーシュなど放ってC.C.をさらっていけばいいのだ。
(そう、それでいい。簡単なコトじゃないか)
方針を固めたマオの顔には、晴れやかな笑みが浮かんでいた。