「ぐっ、無念だ。この私が、こんなところで息絶えることになろうとは──」「はぁ、美しいです。華琳さま──」 春蘭と桂花が、死にかけていた。 目の前にある現実になすすべもなく、その命を掻き消されそうになっている。当然のように、俺も似たようなものだった。眩しすぎて、直視すらできない。この世界には、触れてはならないものがあるのだと、改めてそう思う。これはやばい。放送事故だ。ありえない。「おかえりなさいませ。ご主人様。──こちらへどうぞ」 メイド服に身を包んだ華琳が、今入ってきた客を先導していく。 メイド喫茶だった。昼間の混雑する時間帯を終えたということもあって、空席がぽつぽつとある。 それでも、店の中は花が咲き誇るような喧噪に満ちている。華琳と同じく、メイド服に着替えた黒騎兵の少女たちが、中にいるお客達に給仕をしていた。そのさまは驚くほどに華やかで、リピーターがつくのもわかる気がした。 外見は、普通の中華料理店となんら代わりはない。華琳が店の内装からのデザインまですべてを総括したらしく、やや少女趣味が過ぎるような気がするが、それもまあ我慢できる範囲だった。「蓮ちゃん、11番のお客さま、お会計です。波奈ちゃん、14番のお客様にお水持っていってー」 華琳が注文をとりに、ぱたぱたと動き回っている。 かわいい。 メイド服姿の華琳は、殺人的にかわいかった。容姿的に相当にレベルの高い黒騎兵の少女たちの中にあって、彼女の輝きは群を抜いている。断言しよう。かわいさは人を殺せる。「はい。ご注文を繰り返します。水晶飽(蒸し団子)、ふたつ。皮蛋豆腐(ピータン豆腐)ひとつ、福建炒飯(あんかけチャーハン)ひとつですね。しばらくお待ちください」 華琳は、こっちのテーブルに一瞬目を向けると、顔をしかめた。 かつかつと靴音を立てて、俺と春蘭と桂花のいるテーブルの上に乗ったバケツプリンの上に、ソースで文字を書く。そういうサービスである。書かれた文字は、こうだった。 『──さっさと帰れ』 最初の一時間は、華琳も喜んでいた。メイド服スカートの端をつまんで、「おかえりなさいませ、ご主人様」とかやってくれていた。至福の瞬間だった。なに仕事をさぼってこんなことやってるんだ、と問い詰めにきたはずだったのだが、もうそんなことどうでもよくなっていた。 三時間たったあたりで、華琳の態度がつめたくなりはじめた。視線を外して、空気と同じような扱いになっている。 ちょうどお昼時で、随分と忙しそうだった。俺たちの席も、一番いい席から、一番見通しの悪い席に移された。 そして、五時間粘った現在、帰れ──となっている。 喜んでいるのは変態(桂花)ひとりだった。背筋を快感に灼きつかせて、放置プレイされている自分に酔っている。「ああっ、華琳さま、桂花は華琳さまの肉奴隷ですぅ」と、呟きながら、ものすごく幸せそうだった。(ちなみに、華琳自体は、自分にそういうケはない、とことあるごとに言っている)「何度も言ってるでしょう。ここにいるメイドたちは全部、黒騎兵から選抜したんだから、ごろつきとかが暴れても、全部叩き出してくれるわよ」「うう、でもぉ」 春蘭がぐずっている。 華琳は、俺と春蘭と桂花に目を向けると、「一刀」「な、なんだ?」「春蘭」「はっ、何でもお申し付けください」「桂花」「は、はい。華琳さま」「──豆腐切れたから、買ってきなさい」「この夏侯元譲、一命を賭して、主の所望する豆腐を買い求めてこようではないか」「筋肉馬鹿はこれだから。体のいいやっかい払いじゃないの」「なにを言う。きさまの役に立たない脳味噌で考えられることというのは所詮その程度のようだな」 春蘭が、桂花を見下したような恰好をとる。「……なんですって?」「ふ、ならば貴様はただの豆腐を持って行くつもりか? なんの期待もされていないところに、誠心誠意の真心と一手間をかけるからこそ、日々の生活に潤いが生まれるのではないか」「ぐっ──脳筋が、知ったようなことを」 桂花には、抜け落ちていた考えなのだろう。「桂花、本と向かい合うばかりで、実戦が足りないのではないか? 華琳さまになでなでしてもらいながら、満面の笑顔で、『よくやったわ、春蘭』と褒めてもらえるような考えのひとつやふたつ、貴様には思いつかんのだろうな」「で、具体的には?」 俺は口を挟んだ。「………………」「………………」「………………」「……さあ、豆腐を買いにいくぞ」「結局それかよっ!!」「あははっ。にぎやかですねー」 それを横から見ているのは、流琉(るる)だった。 三國志に詳しい人間になら、典韋と呼んだほうが覚えがいいかもしれない。そういえば、陳留の出身だった。史実だと陳留の太守である張莫の配下だったはずである。(この世界では、張莫はとっくに部下をつれて陳留から逃げ出している) 料理人として、華琳がその味に惚れ込んだところを、武将としてスカウトされた、という経緯だった。 今の彼女の役職は、将校だった。俺が曹操軍の大将ぐらいだとすると、彼女は少佐ぐらいいったところか。相当に偉いはずだった。戦場には不釣り合いとしか思えないような背の低い少女だったが、この世界では15歳にもなれば、自分の人生に責任を持たないといけない。それに、子供の重さほどもあるヨーヨーのような円盤と、目方八十斤の鉄戟を使わせれば、その武勇は曹操軍でも五指に入るぐらいだった。 ──なお、華琳が流琉をスカウトしたときの様子だが、「ねえ一刀。どうしよう」 と、華琳が血相をかえてやってきた。 心なしか着ている服が、土にまみれたりとボロボロになっていた。「この前作ったアレなんだけど」「あ、この前作ったアレか」 この間、どこの軍勢よりも目立つようにと特注したアレである。「我が軍では、扱えないということが発覚したのよ。どうしよう。この間盗賊から没収した戦利品、全部これに使っちゃったのに。頑張ったのに、我が軍で扱えないんじゃあどうしようもないじゃない」「ええと、そういうの確認しろよ。できただろ?」「だって、かっこよかったのよ。今までの三倍は大きかったのよ。目立つじゃない」 どうしてこう、この娘は後先考えないんだろう。「で、いくら遣ったんだ?」「………………ぐらいだけど」 耳打ちされた金額に、いいかげん堪忍袋の緒が切れた。「お前に学習能力はないのか。おいっ!! 絶影の時といい、酒を造った時といい、メイド喫茶の時といい、何回目だとおもってるんだこらっ!!」「らってらって、ひぁっこほかったんらものー」 俺は華琳の口の端を掴んで、そのまま引っ張った。「あの、華琳さま。兄さま、お取り込み中ですか?」「あ、あら流琉じゃない。そんなことないわよ。どうしたの?」「いえ、メイド喫茶に出したい品目がが決まりましたので、味見をお願いしようかと」「それより流琉。聞いてくれ。じつはかくかくじかじかというわけでな」「ええと、これが持ち上がらないわけですか?」「ああ──」 種明かしをしてしまおう。 華琳が注文したのは、特注の牙門旗だった。 その重さ、なんと500斤(100キロ)。持ち上げられるものなどいるわけもなく、兵士数人がかりで持ち上げないといけない、という有様だった。「だめよ。数人がかりでなんて、かっこわるいじゃない」「………………」「ああっ。だめっ。ごめんなさいっ一刀。腕を、腕をひねるのはやめてっ!! いたいいたいいたいっ。ひぃんっ」「えいっ」「──はい?」「あれ?」 流琉が、我門旗を片手で持ち上げていた。 彼女の身体の数十倍はある曹の字が縫い込まれた旗が、風になびいてぱたぱたと翻っている。 「ねぇ、流琉。黒騎兵に入る気とか、ない?」 まあ、つまりはそういうことだった。 春蘭が自らのキャラに似合わないことをいったせいなのか、ただのおつかいは、最初から暗雲が立ちこめていた。陳留の市は、税が安いこともあって、いつも盛況だった。豆腐のような生活必需品は、どこにいっても手に入る──そのはずだったのだが。『売り切れ』『次回入荷未定』『SOLD OUT』『のヮの さんの次回作にご期待ください』 おい、なんで豆腐が売り切れるんだ? 四つから五つほどの店を廻ったところで、まだ日が高いというのに、豆腐屋はすでに閉まっていた。「春蘭、一応聞いておくけど、豆腐ってこの大陸で貴重品だったりしないよな」「北郷。私を馬鹿にしているのか。安くて便利でおいしい、最高の大衆食品ではないか」「だよなぁ」「兄さま。いつもは、この店。日が落ちるまでやっていますよ」「ここまで売り切れが続くと、なにか他の原因がある、と考えるべきね」「他の原因って言われても──」 街中を歩く俺たちの前に、ひとだかりが立ちふさがっていた。「むぅ、無辜の民衆までが、私たちが豆腐を買おうとするのを邪魔するのかっ!!」「いや、それはどんな陰謀だよ」「………………」「ん?」 桂花が無言で指を指した先にあったものは、『月一、大食い大会開催、今回のメニューは特盛り四川麻婆豆腐。是非、君の胃袋を試してみないか。参加者求む』、だった。「豆腐が、全部売り切れてたのは、このせいか」「ふ、ふふふふふ、ならば、これに優勝すればいいのだな。余った豆腐ぐらいなら、廻してもらえるだろう」「そうね。食べるだけ、か。春蘭。あなたにこれほど相応しい任務もないわね」「ふ、桂花。おぬしと珍しく意見が合ったな」「──いや、意見なんて合ってないうえに、馬鹿にされてるから」「なんだとっ!!」 気づいてなかったのか、もしかして。「………………」「ん? どうしたんだ、流琉」 見ると、流琉が顎のあたりに手をあてて、考え込んでいた。「いえ、兄さま。こういう大食い大会を見ると、わたしの探している子を思い出すなぁと」「ああ、友達なんだっけ? たしかに心配だよな。この情勢だと、食べ物もロクに手に入らないし」 俺も、頭領に拾われてなかったら、とっくに餓えて死んでいる。「あははっ。餓えていることはないですよ。あの子なら、山の中の山菜を見つけて、一月でも二月でも生き延びられますから」「それはすごいなー」 はて。 典韋の友達って、史実にそんなのいたっけ?「それでは、月一恒例、大熊猫(ジャイアントパンダ)飯店による(飛び入り歓迎)大食い対決を取り行いたいと思います」 司会進行は、陳留一武道会でアナウンスをしていた眼鏡の少女だった。 いや、いいかげん何回目だ、という気もしてくる。参加する人間の半分以上は、すでにもう見たことがある人たちだった。春蘭に瞬殺された鉄竜とかもいる。いいかげん、こんな馬鹿な催しに参加する人間は、数が限られているということだろう。 俺もいいかげんこれで、三回目だし。 陳留一武道会のみならず、こないだは聞き酒大会とかやっていた。いつも以上にへにゃへにゃになった華琳と、虫を恐がるぐらいの泣き上戸になった春蘭、壁に向かってひたすら姉の愚痴を言い続ける秋蘭、俺を色仕掛けで落とそうとする桂花、と実に恐ろしいものが見られたのだが、まあ今はそれはいい。「参加者なんと67名。ここから、前回優勝者の許緒選手と戦える、10人の戦士達が選ばれますっ!! では、第一回戦は灼熱地獄。さあ、二回戦、三回戦とレベルがあがっていくごとにより過酷になっていくこの地獄の中、はい上がってくるのはいったい誰だっ!! ではフードファーィトッ!! レディーゴーッ!!」 始まる前から、すでに汗が噴き出していた。 周りの熱気のさることながら、熱を閉じこめる羽織を着せられて、目の前には煮えたぎった溶岩焼きが置かれている。 なんというか、食べる前から吐きそうだった。 麻婆豆腐を口に入れていく。辛いっていうか、痛い。あまりの熱さと辛さに全身の毛穴から汗が噴き出している。実にひどい。味なんてわからない。 はじまって10分で、実に40人近くがギブアップしていた。 桂花は、俺の横で口から泡を吐きながら、そのまま骸(むくろ)を晒している。ときおり、ぴくぴくと動くことからして、生きてはいるらしい。 春蘭は、見ると余計暑苦しくなりそうだった。気合いと熱気と愛とかそこらへんで、一番に完食して、今は筵の上で精神統一していた。 俺は俺で、最後の一口を啜り終わると、俺は大の字に倒れ込んだ。 ──すでに限界なんだが、これで一回戦か。 二回戦が始まるまで、しばらく時間があった。「兄さま。大丈夫ですか?」 ぱたぱたと、借りてきた炭火焼き用の団扇(うちわ)で、流琉が俺に風を送ってくれていた。 大休止ということで、昼食が配られたのだが、実行委員は頭が沸いているんじゃないだろうか。周りを見ても、誰一人配られた昼食に手をつけている人間はいなかった。二回戦の前に、さらに人数が半分になっているだろう、おそらく。もう俺も逃げたい。「もぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅもぎゅ」 俺の横で、配られたおにぎりをそのまま食べている少女がいた。流琉ではない。髪の毛を春巻きのようにまとめている、流琉と同じぐらいの年頃の少女か。「ええと、食べると二回戦が辛くなるんじゃないか?」「ボクなら大丈夫だよ。知ってる? 食べ物を消化するのにも、食べ物の力が必要なんだよ。だから、腹二分目ぐらいにはしておいたほうが、たくさん食べられるんだ。あ、兄ちゃん。それ食べないんなら、ボクが食べてもいいよね」「ぜひ食べてくれ」「うんっ!!」 うへぇ。 見ただけで気分が悪くなってくる。 っていうか、とっくに腹二分目とか越えているだろう、どう見ても。「──あれ、どこかで聞いたことのあるような声が、って──季衣っ!!」「って、あれっ!! 流琉っ、どうしたの、こんなところで」「それはこっちの台詞よっ。なんでこんなところにいるのよー!! って、ううんっ。季衣のことだから、動物的な本能でご飯をより多く食べられそうなほうに集まっていったに決まってるけど」「へへへっ、あったりー」「あったりー、じゃないわよっ。散々人に心配かけておいて、どうしてそんな悩みがなさそうなのよーっ!!」「待て待て。流琉、この子が流琉の言ってた友達、だろ? 俺たちに紹介してくれないか?」「流琉、この兄ちゃん誰?」「わたしの仕事場の、上司だよ」「へー、はじめまして。流琉の友達の、許緒っていいます」「ふぅん、許緒っていうのか。っていうと、あの許緒か」「どの許緒かは知らないけど、この許緒だよ?」 許緒が不思議そうに首をかしげた。知的な流琉と違い、雰囲気的には華琳に似ている。 端的に言うと、阿呆っぽくてかわいい。 えーと、許緒というと、史実だと曹操の親衛隊の隊長だっけ? いや、うろ覚えで多分間違ってるだろうけど。 曹操が死んでからも魏という国を支え続けた名将じゃないか。ふと思ったんだが、この子を華琳の傍につければ、春蘭と秋蘭は、夏侯惇、夏侯淵将軍として、独立して軍を率いることができるんじゃないか、とか思った。少なくとも、ああやって無様に軍が壊乱することもないだろう。 笛の音が鳴った。よろよろと、ゾンビのように参加者が動き始める。二回戦が始まる合図だった。俺も、多分生きて帰れない死地に向かう。元気なのは、許緒ひとりだけだった。 そのあと── 許緒が圧倒的な強さを見せたり、俺が心なし半ばで倒れたり、春蘭がマジ吐きしたり、いろいろあったが、思い出したくもない。「豆腐ひとつ買ってこれないなんて、ひどい無能ね。食い扶持を与えているのが、恥ずかしくなってくるほどだわ」 許緒をなでなでしながら、華琳は珍しく尊大な態度だった。「ぐぬぬぬぬぬぬ」 お前の部下だからだよ、という喉まで出かかった言葉を、必死で噛み殺す。「あの、兄さま。元気だしてください」「ああ、流琉は優しいなぁ」 そんな俺を見て、華琳はより機嫌が悪くなったようだった。なんなんだ、いったい。 次回→『霊帝崩御し、袁紹、曹操、袁術、洛陽に集結す、とのこと』