この曹操軍に、将軍は五人いる。 第一の将である、幾多の匪賊の首を刎ねてきた黒刀を操る猛将、夏侯惇(春蘭)。 第二の将である、百歩先の敵の命を奪うとされた神箭手、夏侯淵(秋蘭)。 第三の将である、九鈎刀を振るい、部下と共に戦野を駆け回る巨人、曹仁。(現在勝手気ままに俺よりも強い奴に会いにいく、とかいって出奔中) 第四の将である、戦場での武勲よりも女性との噂による武勲の方ばかり喧伝されるオモシロ兄ちゃん、曹洪。(現在勝手気ままに運命の人を探しに行く、とかいって出奔中) そして、第五の将であり、自ら絶影を駆り、大陸最強の黒騎兵を自分の手足のように操り、旗下、12000(州牧として、華琳が自分の領土から集められる兵隊数の限界値)を従える、神将、北郷一刀。 今現在、ふたりほど姿が見えないが、四海の隅々までに響き渡る呂布奉先の駆る騎馬隊5000──『黒きけもの』や、袁紹のところの、顔良、文醜、張郊の『三枚看板』、袁術の『八大神将』に一歩も劣らないラインナップである。 ──これは、いったい誰の話だ。 俺の知らないところで、いつの間にかこんなことになっていた。どおりで最近、道ばたで知らないおばあさんに拝まれたり、兵卒として仕えさせてください、という若い連中が押しかけてくるわけだ。 中庭にいた春蘭と秋蘭に詰め寄ると、案の定、華琳がいろいろと在ることないことを、細作(シノビ)に命じて民衆の間に噂をばらまいたらしい。行動力のある馬鹿って、どうしてこう始末におえないんだろう。「おい、ちょっと待て。ふざけんな」「なにを言う。聞いただろう。今の曹操軍には、将軍がいない。兵を率いるのは貴様の役目だ。曹仁と曹洪が帰ってくるまでの間、貴様が指揮をとれ」 明日の天気を語るような気軽さで、春蘭が言った。 いや、無理だろ。ただの山賊討伐とはいえ、数千の軍隊とかを動かすのと、盗賊を捕まえたりするのはどう考えても違う。「北郷。基本的にはおまえがいつもやっていることと同じだ。こちらが連れて行く兵力は1500程度。盗賊は、入った情報では100いるかどうか。いつも警備隊を使って、街で盗賊を捕まえたりしているだろう。それと同じに考えればいい」 秋蘭が目をつぶった。 おそらく、まともに戦闘にもなるまい。降伏の勧告をして、縛り上げるだけだ。やるのは新兵の調練なのだから、最初はそれぐらいで丁度いい。 やることは、ただのお使いかなにかだ、と考えろ──それが、秋蘭の俺への返答だった。「う、ううん。春蘭と秋蘭はどうする気だ?」「決まっているだろう。本陣で華琳さまの守護を承る。華琳さまの護衛を、他の者に任せておけるものか」「今回はそもそも新兵の訓練がてらの匪賊討伐だ。姉者と私も、いなくてもいいぐらいだからな。普段ならば、おまえにすべて任せて、私はここで茶を啜っている」 言って、テーブルでお茶を飲む春蘭と秋蘭。「それ、なにやら今回の匪賊討伐は、その普通じゃないように思えるんだが」「そうだ。今回は華琳さまが総指揮をとる」「う──」 不安要素がひとつ増えた。 なにをしでかすかわからない。戦にとって、これほど恐ろしいものはない、と思う。「ちなみに、華琳って、軍を指揮したことは?」「ないぞ」「ない」 異口同音。 いや、まあ、想像してたけどさ。「今まで、軍権は私たちに任せっきりだった。今さらながら、どうして軍の指揮をとりたいなどと言い出したのか。まあ、この変化はいいこと、なのだろうな、やはり」「なに、安心しろ。お前がやられても、たかが盗賊の100人程度、この夏侯元譲が一息で撫で斬りにしてくれる」 フォローか。それはフォローなのか。 まあ、うん。いつかはやらなければいけないことだ。華琳が州牧に封じられたとはいえ、曹操軍は新興勢力だ。華琳の赴任前にも、今までも雑役はあったらしく兵はそれなりの質を維持しているようだった。俺に文官の才能はないので、詳しいことはよくわからない。けど──これぐらいはわかる。曹操軍は、あまりに急に大きくなりすぎて、軍の統制がとれていない。 俺が華琳の口添えがあったとはいえ、あっさりと将軍の地位につけたのも、人手不足が深刻化しているからだ。兵隊が増えすぎて、武官も文官も不足しているのである。 特に、文官など簡単に見つかるものではない。 この時代の識字率は、悪い。異常なほどに悪い。ちなみに、俺の暮らしていた21世紀においてすら、中国人の半分以上は字がほとんど読めないし、書けないからだ。(今も、世界の非識字者の半分以上を中国が占めている) 華琳の元の兵たちは精兵だったが、おそらく新しく吸収合併される兵たちは、そこまでの練度は期待できないだろう、とはまあ、文官筆頭の桂花の言葉だった。 練度の違いは、作戦行動に支障をきたしかねない。 俺にだって、それぐらいはわかる。将軍に取り立てられたとはいえ、戦などそう何度も起こるはずがないので、俺の仕事は街の治安維持だった。そこでは、ひとりの部下のミスで、隊全体が危険に晒されることもあった。 乱世だった。 すべてを救えない。戦で弱いものが死ぬのは、仕方ない。そんな、割り切り方をするようになった。しかし、その弱いもののために、本来死ぬべき者でないものが死ぬ、そんな例だってある。 もちろん、それでいいだなんて思えない。 さて、そこで俺にできることはないだろうか? 「なあ荀彧(桂花と呼ぶと話が進まない)、ちょっと教えてもらいたいことがあるんだが」「ええいいわよ。自殺の名所なら西の門を出て、五十里(20キロ)ほど先にちょっとした崖があるから、そこから飛び降りるといいわ」「………おい」「おねがいだから、私の見えないところで死んで頂戴。あなたって、血の代わりに全身に精液が流れているんでしょう? 全身が破裂して死ぬのは構わないけれど、そんなおぞましいものを私と華琳さまに見せないでね」 桂花は、振り向きもしなかった。 桂花が、庭先に掃晴娘(てるてる坊主)を吊していた。 切り紙で、ホウキを持った少女の姿を切り抜いている。日本のてるてる坊主の原型だった。やはり、雨を鎮める効力を期待されているらしい。「ううん。そういうおまじないに頼るのは、軍師らしくないんじゃないか?」 俺はなんとなく、思いついたことを言ってみる。「あなた、軍師をなんだと思っているわけ?」 桂花の問いに、俺は少し考えてから、「戦に関する計略を絞り出して、仕える王を、補佐する役割、じゃないのか?」「間違いではないけど、軍師の一番の役割はこれよ。気象予報」「え?」 俺は首をかしげた。「出発の日が雨だったら最悪だし、火計で風向きを読み間違えたらこっちが全滅するでしょう。天候を占うのは、軍師の基本よ。そんなこともわからないの?」 いや、わからねえよ。 いや、そうか。七星壇で祈ったら風向きが変わったあげくに100万の軍勢を焼き殺した諸葛孔明なんて例もあるし、桂花の言っていることは真理かもしれない。「俺になにか、できることないか?」「なんのつもり?」「いや、軍師の仕事について、知っておこうと思って」「………………軍師の役割は、気象に加えて、天文、歴史、語学、刑法、地理、測量、工学、破壊工作、間諜、諜報、諜掠、軍学、詭弁、王佐、夏侯惇の操縦、献策、軍略があるけど、どれがいいの?」 多いな。 しかし、なんかひとつへんなの混じっていないか?「別に今のままでいいでしょう。あんたは、私の仕事の半分はやってくれているし」 桂花が、俺の心を見透かすように呟いた。「軍師の役割は、主(あるじ)の不安と疑心暗鬼を取り除くこと。これが、軍師の仕事の五割よ。袁紹さまが、私の献策を取り上げてくださらなかったのは、それが原因」 袁紹。 華琳が心から尊敬する、彼女の(義理の)姉らしい。史実では早いうちに滅ぼされているが、多分この世界では相当に有能なのだろう。(──と、今の時点で俺はそう思っていた)「俺は、華琳の精神安定剤か」「ええ、それ以外一切なにも期待できない可哀想な男なんだから、それぐらいちゃんとやるといいわ」 わらわらわらわらわらわらわらわらわら──と、本拠地から出てくる盗賊達が500を越えた辺りで、俺は数えることをやめた。 山から降りて、めいめい武器を掲げて、好き勝手わめいている。団結力はなさそうだったが、士気は高い。1500を数える曹操軍を見ても怯む様子はなく、むしろ戦利品を掲げる有様だった。 兵糧もあれば、酒や、衣服などもある。近くの村から掠ってきた少女たちの姿も見えた。鎧に返り血を浴びているものもたくさんいた。歳を問わず、首だけになった人だったものを掲げるのは、おそらく武将の真似事だろう。 略奪の終わったあと、宴会をしている最中だったらしい。「盗賊は、100に満たないんじゃなかったのか」「済みません。華琳さま。情報に不手際があったようです」「姉者、むしろあれは、この数日のうちに膨れあがったのではないか?」「情勢は、常に変化するものよ。この場合は、与えられた情報に甘んじ、斥候を出さなかった北郷将軍の咎ではないかと。『減点10』」 桂花がなにやら採点している。 いいよもう、俺のせいで。「戦ねっ。戦だわっ。ここから私の天下取りがはじまるのよっ!!」 華琳はものすごくテンションが高かった。 予想外である。ものすごくやる気だ。ひとりだと馬を御せないからって、俺のすぐ前で、一緒に絶影に乗っている姿は、とても情けないが。「春蘭。全軍に伝えなさい。我々は八門金鎖の陣で、敵を迎え撃つわ」「え、ええ──はい」 春蘭は、少しだけ躊躇すると、伝令に言づてた。 ほどなく、陣形が再編される。 異論はない。むしろできない。この一戦は、敵を誅滅させることよりは、華琳の指揮官としての才を見ることにある。だから──明らかな間違いを犯すまで、口を挟めない。 そして、勝者というのはどれだけ途中経過がみっともなくとも、最後に立っていればいい。 「荀彧。八門金鎖ってたしか──」「休、生、傷、杜、景、死、驚、開、の八門からなる陣であるために、『八門金鎖の陣』と呼ばれているわ。生、景、開門から入れば吉、傷、休、驚門は痛手を負い、杜・死門は死が待っているといわれているわね」 真実、美しい陣形だった。 九つに割った兵の塊が、戦場にひとつの絵を描いている。 けれど、これ、どうやって攻撃するんだ? 限りなく虚仮おどしっぽいんだけど。「なあ華琳。この陣形、意味あるのか?」「なんとなくかっこよかったから。戦について、取り上げて欲しい陣形とかがあったら申し立てるように、って言ったら、曹仁が送ってきたのよ。いいところで気が利くわね」 あ、思い出した。 曹仁が単幅と趙雲にボロ負けした陣形だ、これ。「さすが、華琳さま。部下に切磋琢磨させることで、まったく新しい次元の陣形を生み出すなんて。それに、各地に埋没している無名の英傑たちにも、等しく飛翔する好機を与えたことになるわ。『加点20』」 ──それ、華琳にだけ採点甘くないか?「じゃあ、次は戦いの前の舌戦ね。一度やってみたかったのよあれ」 馬上で華琳が七星剣をぶんぶんと振り回す。 うわ、あぶねえっ!! 華琳はすー、すー、すー、と深呼吸を三回すると、天を衝くような大声で叫んだ。「我が軍にあり、同じ曹の旗を仰ぐものたちよ!! 我々の覇道は、ここより始まる。 天より叩き売られたこの曹孟徳の才を汚さぬように、しっかりと戦いなさい。各自、親であろうと恩師であろうと、戦いの後に全力で屈服させるべしっ。同胞を助け、敵を挫き、勝利をつかみ取れッ!! 総員──雄々しく、勇ましく、華麗に突撃せよっっっ!!」 華琳の七星剣が振り下ろされる。 ──勝敗は、決した。 華琳率いる曹操軍は、矛の一合も交えぬうち、全軍が壊乱した。「八門金鎖は、完全な待ちの陣形よ。突撃なんて命じたら、それだけで崩壊するに決まっているでしょう」 後の、桂花の言葉である。「ああ、曹仁なんて信じるんじゃなかった。使えないわね。あのハゲッ!!」 ──こうして、 史実に、覇王と称される曹孟徳の戦は、壮大なまでの責任転嫁から始まった。 次回→『春蘭、血路を斬り開き、秋蘭、曹操の戦を見せる、とのこと』