全諸侯たちを集めての会議は、二度目になる。 もっとも、一度目とはかなり出席する諸侯の数も減ったし、その様相も目的もかなり様変わりしているが。ただ大ざっぱな方針と、ひとまずの盟主を決めるだけだった一度目の会議と違い、今回の出席者たちは真剣そのものだった。あの袁紹が、うかつな口を開けないぐらいに、事態は切迫している。「それで、これからの方針ですが──」 袁紹軍の陣地の中で、全員分の椅子が用意されて、輪を囲むようにして、これからのことを話し合っている。 出席している人々には、強い緊張感が漂っていた。 出席者は、その諸侯と、配下を三人まで。 そういうわけで、前回と違い、曹操軍の将軍の代表として、俺が会議に出席することが許されていた。曹操軍からは、曹操本人と、俺と、郭嘉と、秋蘭が参加していた。曹操から事前に言いつけられたことによると、できれば麗羽(袁紹)の相手をしてなさい、とのことだった。 目立った参加者を見ていくと、まず、盟主である袁紹は当然いるとして、司会進行のちびっこ軍師、こと田豊。あとは袁紹軍の『三枚看板』のうちのふたり。文醜将軍と顔良将軍もいる。 あとは孫策のところ。 孫策本人と、周瑜は当然いるとして、あとは、蓮華から教えられた外見の特徴に照らし合わせて、黄蓋。それに程普か。どちらも、孫堅のころから仕えている古参の武将だった。 ──戦力になるのは、ここまでである。 鮑信ちゃんが討ち取られたせいで、兗州軍は頭のもがれた獣同然だったし、公孫賛軍は、公孫賛本人が首を刎ねられたせいで、主力の白馬陣が丸々使えない。袁術軍は、軍師の役を兼任していた七乃さんが戦死したせいで、士気が壊滅的なレベルまで落ち込んでいる。その他の諸侯たちは、それに怖じ気づいて、会議には一応参加しているが、消極的な発言を繰り返すばかりだった。主に、韓馥と孔由のことである。 一応、公孫賛軍からは、劉備、張飛、孔明が参加している。 そして、袁術軍からは華雄、趙雲、紀霊が席に座っていた。「撤退すべきだ。事実上の兵力の三分の一を失って、戦い続ける意味などなかろう」「馬鹿な。一方的にやられたままでおめおめと逃げ帰るというのか。いいだろう、戦闘の意志なきものは去れ。我々だけでも戦うぞ」 先ほどから、意見はふたつに割れていた。 つまり、進むべきか引くべきか、である。 先ほどからまったくもって平行線であり、意見は纏まる気配を見せない。袁紹など、明らかにあくびを噛み殺しているような有様だった。それでいいのか盟主。いや、いいわけがないのだが。いいかげん、爆発しそうである。「では、そろそろ結論を決めましょうか」 さらりと、そんなことを言い切ったのは、田豊だった。 幼さが多分に残る顔に、闇夜に光る猫のそれのように、見る者の背筋を凍らせるほどに、瞳に酷薄な光が浮かんでいる。 さて──どうしたものか。 軍議において、双方の妥協点をさがす、なんて選択肢は最初からない。軍議においては、多数決こそが最も愚かしい選択である。民主主義の最大の弱点のひとつは、戦争時にまともに機能しないということだからだ。 戦争においては、ある意味での単純さこそが重要になる。だから、この時代においても、軍閥のトップとなっている州牧たちに、ここまでの権限が与えられているし、現代においてもそれは変わらない。 中庸な意見など、なんの意味もない。常識的な意見は、敵に読まれてそれで終わる。歳若いとはいえ、『俺の』詠と同じレベルにある最高クラスの軍師が、そんなことも考慮していないとは思えないが、さて。「各陣営から、決死隊を募ります。そこの決死隊は、この場所に配置。ここまで呂布を誘い込み、決死隊で呂布を討ち取ります」 田豊が地図を示した。 虎牢関から少し離れた平地に、埋伏に最適な場所がある。そこに呂布を討ち取れるだけの少数の精鋭を潜ませる、というのが田豊の策だった。怖じ気づいている諸侯たちも、部下を決死隊に参加させることで、面目を保つことができる。そういうことだろう。なにせ、この戦いの最大の手柄は、董卓ちゃんの首でも何でもなく、呂布の首ひとつ。つまり、それが田豊の出した妥協案だった。 しかし── 当然ながら、これ、 クリアしなければいけない前提条件がいくつかある。「田豊、といったかしら。まず、この策は敵が虎牢関から出てこないと使えないけれど、それについて、策はあるの?」 曹操から、当然のつっこみが入った。「当然ありますよ。呂布側は前回、あまりにも上手く勝ちすぎた。どの道、防衛戦では呂布の騎馬隊がまったく役に立たない以上、近いうちに動きがあるでしょう。もちろん出てこなかったら、捕まえた捕虜を、虎牢関の前に並べて目の前で殺すなり、『煙で燻す』──とか、いろいろ方法もありますし」 田豊は笑った。 さらっと──とんでもないことを言うな、このちびっこは。 捕虜を処刑する、はわかるが、煙で燻すとはどういうことだろうか。 まず、前提として── 虎牢関は、要塞ではない。 高さ二十メートルほどの、狭道を塞ぐ、横にだだっ広い(二キロぐらいか?)一枚の分厚い壁である。まあ、要塞ではなく関所なんだから当然なのだが。 煙で燻しても、大した効果が見込めるとは思えないのだが、その口調からして、俺の想像を絶するぐらいのえげつない策であることぐらいはわかった。「ふむ、敵はあくまで、虎牢関を守っているのだ。その利を捨てて出てくる以上、このあたりの地形は我々より遙かに周到に調べ尽くしているであろう。みすみす、こんなところに誘い込まれるとは思えぬな」 次、周瑜である。 さすが、呉最強軍師、現状認識に誤りがない。 「ええ、だから、袁紹軍と曹操軍と孫策軍で、包囲をかけた上で、ここまで押し込みます。つまり、こういうことになりますね──」 田豊は碁石を取り出すと、白を味方、黒を敵と見立てて、説明をはじめた。俺は、懐疑的だった面々が、あっという間に説得されていく一部始終をみていた。 説明自体は単純にすぎた。あまりのわかりやすさに、感嘆のため息が出たほどだった。おそらく、主の袁紹に策を理解してもらうために、磨きぬかれた説明スキルなのだろう。袁紹軍の軍師としての苦労が忍ばれるところである。「しかし、この策は、一度は呂布の正面突破を受け止める必要性があるわ。そこが勝敗の分かれ目かしら。その役は我々でなくともいいんじゃないの?」 孫策が言った。 持ち前の勘が、最初の激突で、多大な死者が出ると告げているのだろう。「いいえ、同数で同数の兵力を拘束できることが、この策の前提です。一番兵力のある袁紹軍が、その役にまわるわけにはいかないでしょう。作戦の都合上──」「私と、曹操軍のどちらかが捨て石になれ、と?」「そこまでは言っていませんが、普通に全兵力で殴りかかるよりは遙かに少ない犠牲で勝敗が決するはずです」「そこは、袁紹軍が押さえに回って、曹操軍と孫策軍が共同で代わりをやれば解決できる問題なんじゃないかしら」「待て、孫策どの。随分と勝手な言いぐさではないか。立場を弁えて欲しいものだな。呂布の正面突破を受けたとはいえ、袁術軍はまだ壊滅したわけではない。私たちにも参加する権利はあろうっ!!」 これまで、一度も発言のなかった、袁術軍から華雄が口を挟んできていた。「あら、そうなの? 主君である袁術ちゃんがいないし、もう逃げ帰りたいのかと思っていたわ。それで、袁術ちゃんと七乃ちゃんは、どうしたの。姿ぐらい見せてくれてもいいんじゃない?」「いま、全力で立て直している最中だ。なにも心配することはない」「──ふぅん。立て直せるとも思えないけれど。もう一度呂布の正面突破を受けきれるのかしら」「それは──」「ああ、うるさいですわね。田豊なんとかなさいな」 あ、袁紹が投げっぱなした。退屈かつ、まったく進まない話の流れに、限界がきたらしい。これを平然な顔で捌いている田豊も、なにげにすごい。袁紹軍においては、日常の風景なのだろうが。 「意見はまとまりそうにないですね。では、神占に頼る、というのはどうでしょう。少なくとも公平ではありますし。『これ』の勝者に、参加する軍を決めてもらいましょう」「神占とは? まさか、占いで決めるなどと言い出さぬだろうな?」「そのまさかですよ。ただし、決めるのは人ではなく、賽子で、です。一番大きい目を出したものの意見に従う、それでいいでしょう」「ふん、望むところだ」 華雄が、一番に参加を表明した。「賽子(サイコロ)の出目で決めるというわけね。いいんじゃない? それで──麗羽も参加するのかしら」「……おーっほっほっほっ。華琳さん、わたくしに勝負を挑むなど、いつからそんな身の程知らずになりましたの? コテンパンのギッタギッタにしてあげますわ」「私の道は天命が知るのみ、私に全部、札を張りましょうか」「──そうね。賛成よ。ただし、ひとつだけ、条件をつけさせてもらえる?」 目を瞑っていた孫策が、口を開いた。 すでに、勝負ははじまっているということだろう。この、事前の仕込みで、勝負がひっくりかえることも、充分にありうる。「そちらの人たちにも、参加願えないかしら。もちろん、賭けは抜きで。私たちの勝敗には関係しないけれど。ある程度の人数がいたほうが、私としても場の流れが読みやすいわ」 指定したのは、文醜将軍と顔良将軍と、郭嘉と俺だった。まいった。無関係でいたかったのだが。孫策としては、サンプルが多いほうが、勘の精度も上がるということだろう。とりたてて断る理由などないが、さて。「あたいはやるぜ。なにせ頼まれなくても参加するつもりだったからなぁ」「文ちゃん。そこ威張るところじゃないよ」「私はかまいませんが。もちろん、華琳さまのお許しがあってのことですが」「……ああ、わかった。いいだろ」 他の三人が乗り気のようだったし、断るのも場を乱すだけのようだった。俺たちは勝敗に無関係だというが、仮に俺がトップをとれたなら、ある一定までの発言力はもてるはずだ。 ──やるしかない。「で、種目は?」「これできめましょう」 田豊は、賽子を四つ掌に載せていた。 ああ、そういえば中国のサイコロは、一ではなく、四の点が赤く塗られているのだ。そこから続けた田豊の話を鵜呑みにするのなら、この時代、賽子とは賭博の道具ではない。『偶然』という神の降りる現象を、支配するための宝具そのものである、とのことだった。「チンチロリンなら、賽子が三つのはずね。四つ出したということは、牌九かしら」「そうです」「──どんなルールなんだ?」「簡単ですよ。賽子を四つ転がして、出た目の数が一番多い者が勝ちです。ただし、出た目の十の位は切り捨てられます。出目の合計の一の位だけで争う以上、牌九の名の通り、九と十九が最強となり、一〇と二〇が最低の役となります。数の合計が十を超えたらそこから十を引き、二十を越えたら、二十を引くと考えるとわかりやすいでしょう」「──役は?」「いくつかあります。すべての賽子がゾロ目なら、それで役ができます。あとは例外として、ゼロ点の場合でも、例外としてどんな数よりも強くなる組み合わせ。それに最強の役がひとつです」「わかった」 ──よかった。 勝敗は、出目の合計数で争われる。 聞く限り、麻雀のように、技術と経験を競うような複雑なものではないらしい。 技術と、イレギュラー性を完全に排した、その通り、賽子を振るうものの運だけを証明するもの、ということか。 勝つか負けるかで、天国か地獄かが決まる。なにせ、負けたものが呂布の正面突撃を受け止めなければならない。勝ったものがおいしいところを総取りできるが、それ以上に、負けた陣営が、第二の袁術軍のような被害を被りかねない。「はじめに、行かせていただくわ」 曹操が、四つの賽子を握りこんだ。 回転して、用意されたテーブルに落ちた賽子の目が、すべて真上を向いた。五、六、三、三 合計で十七点。いや、十の位を計上しないから、『七』点。「まあ、こんなものね」「すげえなあ。おい」 九点が最高だから、七点は三番目にいい目だ。 敵は、孫策と華雄と袁紹だけだ。引き分けも加味するなら、もう、七割以上負けない。安心はできないが、このまま勝ち逃げも、充分に考えられる。後で振る人間に、充分にプレッシャーをかけられる得点である。「もちろん、次はあたいが行くぜー。おりゃああああああっっっ」 文醜将軍が、無駄な叫び声をあげながら、賽子を四つ投げた。それぞれの賽子は、ひとしきりテーブルを跳ね回った後で、ピタリと動きを止めた。上の面が晒される。四、二、三、一だった。合わせて、十になる。一の位はゼロだから、ゼロ点。「──昞十(へいじゅう)ね。はじめて見たわ。こんなの」 ──最低点だった。 一の位がゼロになる最低の出目を、昞十と呼ぶそうだった。ぎゃあああああああああああっっと頭をかかえて悲鳴を上げる文醜将軍を、他人ごとのように見ながら思う。「次は誰だ? まさか、最低点は二度続けては出ないだろうけど」 これはこれで、厄落としとしては最適なのかもしれない。まさか、この人数でふたりも最低点が被るようなことはないだろう。すると、場の流れからして、ここで──孫策が出るか、と思ったが、彼女にはまだなんの動きもなかった。「ちきしょーっ!! こうなったら、斗詩ぃ。かたきを取ってくれよう。麗羽さまから書物を貰って、知力が2上がったんだろ? さあ、行けっ、あたいの嫁っ。知力36っ!!」「う、うんっ。文ちゃん。そうやって、しがみつかれたらサイコロが振れないよぅ。えいっ」 顔良将軍が、てのひらからただ落とすように、ころころと賽子を転がしていた。出目は、五、一、三、五、出目の合計は十四。すると点数は、『四』点ということになる。普通より少し悪いぐらいだった。「じゃあ、次は俺で」 汗ばむ手で、サイコロを握りしめた。 柄にもなく緊張する。出た出目の数で、なにかが変わるというわけではない。最高の役を出せば、少しばかり発言権が上がるというだけのことだ。それでも、これだけの諸侯の耳目を、一身に集めるというのは心臓に悪い。 サイコロをテーブルの上に放り込むと、四つのサイコロが気まぐれによく跳ねた。出目の合計数が明らかになる。二、五、三、三、すると合計は十三点。よって、点数は『三』点だった。 あたりから、ため息が漏れる。田豊が、得点ボードに点数を書いていた。「アニキー。信じてたのに、あたいのかたきを取ってくれるんじゃなかったのかよー」 文醜将軍が、なにか言っているが、無視だ。 あー、しかし、微妙すぎる。うむ、俺に博打の才能はないな。運に頼らない方法で、勝てる手段を考えよう。──後で、真桜に六しか出ないサイコロとか作れないか聞いてみようか。「では、次は私だ」 華雄将軍だった。 今までのは、所詮前座にすぎない。このギャンブルは、ここからが本番だった。 曹操は、出目の『七』を出している。つまり、彼女は自分の意見を通すためには、必ずそれ以上の役を出さなければならない。 運命の一投。 ──小さな賽子の出目で、運命は決まる。 投げられた賽が動かなくなって、上を向いた賽子の出目を数える。そこにいる誰も彼もが、口を開かず、瞬きを多くして、数え間違いがないかを何度も確かめていた。肌に刺さるほどの沈黙だった。四、五、五、四、合計、十八点。 ──得点は、『八』点。 まず、はじめに、『七』点の曹操が脱落した。「さあ──孫策どの。賽子を振ってもらおうか。それで、この会議は終わる」 華雄は、使い終わった賽子を、孫策の目の前に滑らせた。ピリピリとした雰囲気が、華雄と孫策の間を通り抜けている。すでに、九割がた勝負はついてしまっている。孫策は、『九』を出す以外、勝つ手段はない。ここで、十分の一の確率を引き当てられるのか、英雄としての資質を試されるところだった。 しかし── ここで、最後に孫策が逆転する、なんて──本当にそんなことができるのか? ここまで積み上げたものを、一度で崩すだけの強運などありえない。この場での奇蹟は、曹操と華雄が使い果たしたような気さえする。 ──だったら、できることは、イカサマか。 俺たちを引き込んだのも、注意を分散させて、賽子あたりをすり替えるための時間稼ぎとすれば、納得もいく。このゲームはシンプルである。ポーカーやバカラのように、読み合いや舞台装置のようなものを必要としない。だから、イカサマを仕掛ける方法は限られると思う。そのはずだ。衆目を欺ける方法は、考えるまでもなく、ひとつしかない。 どこかで、賽子をすり替える。 それだけ──だった。 ──これだけ単純なギャンブルに対し、他にイカサマを仕込む余地はないだろう。カイジで出てきた四五六賽か、もしくは──「いいえ、まだ──遠慮するわ。そこの曹操軍の軍師さんが残っているわよ。私は、最後の最後で構わないわ」「は、はぁ──それでは私が次に振らせていただきます」 こんな重い空気の中で、話を振られて、郭嘉は狼狽しているようだった。出目にも、その彼女の感情を写し取ったようだった。一、三、一、六、合計が十一。得点は『一』。その注目が机上に集まる中で、俺はただ──孫策の挙動を見ていた。 だめだ。 ──なんの、異常も見つけられない。 田豊が出目を記録したのを見届けてから、孫策の日焼けした、たおやかな細い指が、四つの賽子を拾い上げた。「私は勘が鋭くて、ね。場の流れが読めるのよ。『いつ』投げれば、最善の結果を出せるのか。この順番、この時に、私に賽を持たせた時点で、あなたの負けよ──」 孫策の指から、賽子が離れた。 賽子が放物線を描くなか、賽子の軌道が、一瞬だけ、わずかに『ブレ』た──そんな気がした。唾を飲み込む。 ──間違いない。 この自信。 すでに、賽子はすり替えられている。原理はわからないが、賽子が投げられた以上、もう止めることはできない。俺は呆けたように、その結果を受け止めるしかなかった。 跳ねる賽子の目は、二、五、六、六、合計は十九。 得点は、『九』。この牌九での、最高数だった。目の前の結果は、おそらく偶然が介入する余地などなく、神がかった技術によるものなのだろう。四つの賽子の目を、自分の望むように出すということが、どれだけ困難か、俺には想像すらできないが。「あら、じゃあ──最後は私の番ですのね」「袁紹殿。少し待ってくれ。その賽子を、改めさせてもらう」「あら、趙雲さんでしたかしら。なにか気になることでもありますの?」「……その賽子が、途中ですり替えられた可能性がある」 さっき──ほんの一瞬だけ、孫策の投げた賽子の軌道がぶれた。俺が気づくぐらいだから、他に気づいた人間がいてもおかしくはない。趙雲は、その賽子をひとつ持ち上げた。「外見に問題はない。……重心に狂いもない。鉛が入っているわけ、ではない?」「あら、問題ないようね」「いや、しかし──そうだ。袁紹殿。この賽子を──」「まさか──神占の宝具を割って確かめるわけにもいかないでしょう。董卓軍との戦闘中に、天に唾を吐くような真似はできないわ。袁紹さんも、同意見だと思うけど」「たしかにそうですわね。縁起が悪いですわ」「なっ──!?」 袁紹が孫策の意見に、頷く。 なお、この時代の戦争においては、神経質なほどに縁起をかつぐ習慣があった。軍の出立も、吉日を選んでやっていたせいで、この時代までロクに戦法が発達しなかった、らしい。これは、この世界に来てから仕入れた知識なのだが。「貴様、まさかここまで計算して──」「生憎と、なんのことだがわからないわ」「あなたたち、さっきからなんの話をしていますの?」 あー、袁紹はもうこの会話の裏側に、まったく気づいていなかった。 どんどん空気が悪くなっていく。っていうかこれ、俺の詠が好きそうな策だった。卵を割らなければ中身がわからないように、中身がなにかあるとわかっていても、割ることができなければ、イカサマを証明できない。「──もう、めんどくさいですわね」 最後に、袁紹が無造作に、賽子を投げた。 コロコロと転がった賽子が、四つとも机上で止まる。「お二人が、なにを揉めているのかわかりませんけど、私の勝ちなのですから、それで問題ないでしょうに」 自信がありすぎて、確信にまで昇華されている。 賽子の目は、一、二、二、四。 ──出目の合計は、『九』点。「──至尊宝」 呆然とした、曹操の呟きが、いやに耳に残った。 全員の目線が、机上に釘付けになった。「えっと、曹操? ただの九点じゃないのか、これ?」「いいえ。これは牌九における最高の役よ。一、二、二、四の組み合わせの九点はあらゆる宝子(役)のなかで、最強よ。相変わらず、麗羽。常軌を逸した豪運ね」 すげえ。 一撃で決めた。 小細工を擁したわけでもなく、ただ運だけで役を引き寄せた。「──親の総取り。これで、終わりですわ」 そうして、いくつかのわだかまりを粉砕して、結局、最初の田豊の予定通りになった。つまり、曹操軍と孫策軍は、正面から呂布を受け止めなければならない。