まず、人質らしく、孫権には目隠しと耳栓で五感を封じさせてもらったあとで、話し相手として真桜と沙和と凪をつけて、隣の馬車に放りこんでおいた。 とりあえず孫権の拉致が、すんなりいったので、あとは目の前の問題を片付けなければならない。 具体的に言うと、馬車に同乗しているちびっこふたり組。「まあ、それはそれとして、ふたりとも、本気でついてくるつもりか」「当然じゃろ。おぬしたちだけで、こんな面白そうなことを独り占めしようなどと強欲もいいところじゃ」「……美羽姉さま。一刀さまは遊びにいくわけじゃ、ないとおもうけど。──でも行きたいな。だめかな?」「ほれ、水仙(少帝ちゃんの真名)もそう言っておるぞ。はやく連れてゆくのじゃ」「──ああもう。このちびっこどもは」 七乃さんの目をくぐり抜けて、逃げてきていたらしい。俺の前にいるのは袁術と少帝ちゃんだった。 袁術は長い髪の毛をくるくるにまとめている。 多分、変装しているつもりなんだろう。 着ている服はそれなりに年期が入っていて、おそらくは公家の子のようないつもの衣装より、こちらを身に纏う機会が多いのではないかと思うぐらいだった。 多分、これがはじめてではない。たまに、好き勝手に城を抜け出しているんだろう。 そして、隣にいるのは少帝ちゃんだった。 華琳が董卓ちゃんの元から救い出したのを、今は、袁術預かりになっている。 11歳ということで、袁術と姉と慕っているようだった。 人を収める才能とか、人の上に立つ才能とは微塵も見えないが、それでも元来、人なつっこい少女らしい。 さっきからずっと俺の腕をつかんでいる。 あの色気ムンムンな何進大将軍(故人)の妹の娘、ということで、あと三、四年もすればスタイル抜群の美人になるだろう。「失礼なことを考えておるな。わらわは名門の出じゃぞ」「ふーん(棒読み)」「むぅ、信じておらぬな。宦官の子(曹操)とめかけの子(袁紹)などとは、素材からして違うのじゃぞ」「……で、おねしょは直ったのか?」「いえ、週に一度は──」「こらぁーっ、水仙。わらわの秘密をばらすでないわっ!!」「っていってもなぁ」 俺が少帝ちゃんと顔を見合わせた。「──あんたたち、なに遊んでるわけ?」 馬車の仕切りを開いて、詠が目を細めていた。「む、誰かと思えば、董卓軍の軍師ではないか。ちょうどよい。おぬし、そういうわけで、このわからず屋を説得するがよい」 ああ、詠がうちにいるのがバレた。 バレるのは、かまわないが、口止めは必要だった。 袁術も、董卓軍から華雄を引き抜いているので、彼女を売られる心配はおそらくないだろうが、詠が自分の陣営にいることが、曹操に知られると随分と面倒なことになる。「いったい、なんなの?」「うむ、おぬしでもよい。わらわたちも連れてゆけ」「あのね。こっちには孫権がいるのよ。ボクたちが袁術と繋がっていることがバレたら、引き抜き工作が意味をなさないじゃないの」「問題ないじゃろ。孫権めはわらわの顔を知らぬし、わらわも孫権の顔は知らぬ。下手なことを言わねばバレる心配はあるまい。おぬしらも、わらわを、そうじゃな、孫権の前では、鳳仙と呼ぶがよい」 ちなみに、鳳仙というのは、少帝ちゃんの妹の、今の皇帝である献帝の真名らしい。ややこしいなぁ。「──いや、これがあるから、バレるだろ」 俺が手に持っているのは、お馴染み美羽さまフィギュアだった。 街中でも職人の手によって大量生産されており、キティちゃんのごとく、予州、揚州、荊州の三州の各街で、服装やバージョンを変えた、ご当地美羽さま人形が流通していた。孫権の前で、袁術の真名を呼べない理由もこれだった。「そんな精度の高いもの、十指にも満たぬわ。寿春に流通している人形は、こんなのじゃ」 袁術が懐から出したのは、美羽さまフィギュア? だった。 ええと──出来がひどい、というかこの時代の技術だと、これでもマシなほうなのか。 っていうか、忘れがちだけど、俺がいるのは中国だった。 中国製フィギュア、ときくとひどさが理解できるかもしれない。 美羽さま人形の、生気のないふたつの目が、こちらを見上げていた。明らかに造形が狂っており、どこの部族が祈祷する邪神像だ、という有様だった。その存在感は、見ているだけで呪われそうだった。 うわっ、目が、目が汚れる。 ──俺は、俺の美羽さまフィギュアで目を休めよう。「む、それは七乃の最高級品ではないか。わらわの代わりに大事にするがよい。とある好事家が、それと同じ大きさの金と引き替えようとした逸品じゃからな」「……すごいな」「まあ、話がまとまったなら、ボクはそれでいいけど。それでそろそろ孫権の扱いについて話し合いたいんだけど」「孫権か。むぅ、下民は七乃からなにか聞いておるか?」「いや、そういえばなにもなかったな。なにかあるのか?」「うむ。七乃が、孫権について気になることを言っておっての。わらわとしては、心配のしすぎだと思うのじゃが」 袁術が、言葉を選び始めた。「不穏だな。聞かせてくれ」「ならば、話してやろう。孫権のことを、七乃はこう評価しておった。──孫策とは、器が違う、と」 ──器が違う。 どちらの意味とでもとれる言葉だった。 孫策より上なのか、それとも下なのか。 ──俺には、孫権という将が、孫策よりはるかに上だと、そういうニュアンスに思える。 詠も、困惑しきっている。 孫権仲謀とは、言葉を交わしたし、実際にこの目でみた。孫策伯符もだ。そして、その上で、100人中99人がおそらく、孫権よりも孫策の方が器が上と答える、と──俺はそう思う。それは、俺と詠も含めての話だ。 ──が。 それでも。 100人中、99人が孫策の器量が上だと答えたとしても、 孫権のほうが器量が上だと答えた、その最後のひとりが、七乃さんだったら、どうなる?「──七乃は、こう言っておった。孫権は、孫策とは違い自軍につける、という方策すらとれない。できるだけ刺激せず、爆発物を扱うように慎重に、ただ、飼い殺すしかないと。厳重な監視のうえで、軟禁した末に、老いていくのを待つのが最上の策だと。──殺せという命令すら、寝た虎を起こす引き金になるような気がして、こわくてできないと、そんなことを言っておった」 なんだそれは。 七乃さんの見立てだ。 そこまでの評価を下すからには、おそらくは間違いないだろうが、俺には孫権のどこに、そこまで彼女を恐れさせるものがあるのかがわからない。 そんななかで、ただひとつだけわかること。 俺は、七乃さんが恐れた、その、トリガーを引いてしまっている。 たとえ、孫権の器が、曹操に比肩するものだったとしても。俺はどうやら、これから虎穴に入り込んで、虎子を引き出さなければならないらしい。「恋(呂布の真名)を捕まえたときのことを思い出すわね」 詠がぼやいていた。 俺たちは長江のほとりに腰を落ち着けて、1000の手勢とともに放浪しているらしい曹仁をあぶり出す準備にかかっていた。第一段階はすでに仕込み終えて、今は第二段階に移る途中だった。「呂布か。どうしたんだ?」「元はね。恋は、人里離れた森の奥に、動物たちといっしょに暮らしてたんだけどね。こうやって料理の匂いをかがせて、おびきだしたところを網で捕獲したのよ」「ふぅん」 まんまケモノだなぁ。 それはそれとして、今回もその呂布捕獲作戦の、焼き直しみたいな感じになるだろう。 大軍を動かすのに、一番気をつけなければいけないのが、食料の調達である。1000もの盗賊たちを養うだけの食料が、どこからともなくポコポコと沸いてくるわけもなく、近くからの街からとか、貴族の馬車を襲ったりとかの、略奪が基本となる。 まあ、あっちにはあっちの事情はあるのだろうが、曹仁の軍勢も、甘寧の錦帆賊も、とにかく迷惑きわまりないという意味で一致している。 というわけで、基本的に、曹仁と甘寧が争っている理由は、基本的には縄張り争いだった。まったく生産性のカケラもない軍隊とか盗賊とかが戦い争う理由は、だいたいそれだった。 詠の策略は、ほぼ想定どおりに機能していた。 囮の馬車を出して、ふたつの勢力に同時に情報を掴ませる。馬車で運ぶ物は、塩と米でいい。 あとは、曹仁と甘寧が、その馬車の所有権を巡って、勝手に縄張り争いをしてくれる。 すでに、衝突したという報告は入っていた。 たかが食物で、殺し合いにまでは発展しないだろうが、小競り合いぐらいにはなるだろう。 わりと芸のない二虎競食だったが、詠の話によると、こういう大ざっぱな策ほど、細やかな配慮がいるらしい。以下、陳留での元盗賊をやっていた、うちの頭領(一話参照)と、詠の会話をここに置いておく。「こんな感じにしたいんですけど」「だめだな。小手先の迷彩は、見破られるだろう。砂とかじゃあなく、本物を詰め。財宝じゃなくていい。米でかまわない」「え、どうして」「お嬢ちゃん。きちんと『誰を』騙すか頭に入っているか? その規模の盗賊団になると、街道を待ち伏せるわけだが、まず斥候を出す。それに轍を見れば、食料を積んでいるかどうかぐらいわかる。そういった目利きがいるかどうかで、生存確率がまったく違ってくるからな。連中は毎日毎日馬車ばっかり見ているんだ。そういう連中の勘っていうのも、バカにしたものじゃあないぞ」「勘、ですか」「ああ、勘だ。この時勢に、名の売れていて、いまだに潰されずに残っているというのは、その錦帆賊とやらに、きちんと鼻がきくやつがいるということだ」「経験者の話は、違いますね。やっぱり」「よしてくれ。俺はただの厩の頭領だ。一刀。わかったらさっさと曹仁を連れ戻してこい。せっかくの良馬が、乗り手もなしに遊んでいるのは悲しいからな」 こんな感じだった。 あんな顔とナリで、ただの厩の頭領なんてやっているのはおかしいと思ったのだが、やっぱり若いころは相当に名の売れた盗賊団を率いていたらしい。 で──第一段階の、曹仁と甘寧を噛み合わせる、というところまではうまくいったので、あとは仕上げをやればいい。 まず、豚を熱湯につけおく。 皮も食べることになるために、俺たちは二十匹ほどいる子豚たちの毛を剃っていく。俺は、他人の血を吸うよりも料理に使うことの方が多い青釭の剣でさくっと首を刎ねていく。 っていうか、便利すぎる。 華琳を叱れないなぁ、これ。 そのあとで、特製の酒と五香塩と、凪特製のジャンを塗り込んで、刺又で吊った豚を、丸ごとトロ火で炙っていく。熟練の技が必要だった。外の皮をぱりぱりに、それでいて中まで火を通すために、内臓からなにまで、綺麗に取り除く必要があった。 土でかまどを作って、使い終わった米を炊いていく。 袁術は馬車の荷台に腰掛けて、薄めたハチミツをストローで啜っていた。少帝ちゃんは、さっきから俺の助手のようなことをしている。 詠ですら、なんでボクがこんなことを、と、ぶつぶつ言いながら、火加減を調節している中、特大の飯ごうに米を入れて、水を注いだ時点で、固まっている少女がいた。困ったように眉を寄せて、おろおろしている。「蓮華ちゃん(孫権の真名)、もしかして、お料理したことないとか?」「か、かき混ぜればいいのだろう。水の量はこれでいいのだな」「肩の力入りすぎなのー。うん、そうしたら一度水を捨てて」「うむ、こう、か?」「えええっ!! いきなり垂直にしちゃだめー」「え?」 沙和の言葉も、後の祭りだった。 孫権が20kgぐらいはあるだろう飯ごうをそのまま垂直にした。水と一緒に、半分ぐらい米が地面に流れていく。「あ、あああああああああああっっ」「す、すまん。加減がわからなくて」「う、ううん。半分残っただけでも、いいの」「あーもう。蓮華も沙和も、なにやってるんや」 炭を集めている真桜が、ふたりの周りの惨状に、顔をしかめた。「──つ、次は失敗しないようにする。頼む、もう一度やらせてくれ」 孫権は、ガチガチと、肩に力が入りまくっているのがわかる。 心配だ。 七乃さんの警戒も、取り越し苦労なんじゃないのかと錯覚しそうになる。なにか、猫を被っているんじゃないかと思ったが、そんなこともないようだった。俺の見る限りでは、生きることそのものに不器用そうな、かわいらしい少女のように見えた。もっと、肩の力を抜けば、もっと魅力的なのにと思わないでもない。 だが── 必ず、あるはずだ。 七乃さんが、孫策伯符を顎で使って、 孫権仲謀を軟禁するしかなかった理由が。 俺はこの世界にきて、いろいろな人に出会った。 凄い連中ばかりで、尊敬できる人も数多くいた。俺が彼女たちに勝てるものなど、なにもないだろう。 だから、 ──俺は、他人への侮りで、人の器を見誤ったりは絶対にしない。そんなもので、自らの瞳を曇らせることなんて、あってたまるものか。 そう──『──たいしたことないですよ。優秀な人材を飼い殺しにする。策略としては下の下ですし、北郷さんにだって、これぐらいはできるでしょう』 七乃さんの、俺への評価を思いだす。 ──俺にだって、それぐらいはできるはずだ。「で、蓮華だっけ? 三人には真名を許しているようだけども……」 ヒュッ──と、俺の目の前をなにかが通り過ぎていった。 突きつけられた刃と共に、ぱらぱらと髪の毛が落ちていく。「前髪がっ!! 前髪がざっくりといったんですけどっ!!」「……次は、その首が飛ぶと思え」 脅しでもなんでもなく、その瞳は本気だった。「あかんなぁ。隊長、女の子の真名を軽々しく呼ぶもんやないで」「そーなのー。たいちょーには、女の子のいたわり方がわかってないの」「──はっ、ああ。すまない孫権。そういうことか。つまり、もっと感動的な場面で呼んで欲しいという可憐なオトメゴコロがなせる技──いえ、なんでもありません。もう言いませんごめんなさいすみませんちょっと調子にのってたんです出来心だったんですお金とかあまりありませんけど、どうか命だけは助けてーっ!!」 突きつけられている料理用の包丁の刃が、俺の頸動脈に強く当てられていた。無言かつ無表情であるところがすごく恐い。 解体して並べられた豚を見るような目だった。 ひぃっ。「凪ちゃん。たいちょーを助けなくていいの?」「そーだそーだ」「平気です。この距離なら、隊長の頸動脈が、完全に斬り裂かれる前に、止められます」 凪は、味の微調整に余念がないらしい。 まともに料理ができるのが沙和と凪しかいないために、凪の負担は相当なものだった。俺への対応が後回しになっても、仕方ないかな。仕方ないよね?「それ、完全にってことは、半分ぐらいは切られるってことかなあ」 数百人分の食料を作るのは、薪集めや下準備からはじめると、さすがに半日がかりの大仕事だった。 やることがなくなると、疑問も出てくる。凪たちの疑問は、「曹仁たちが、地の利の加わった錦帆賊に勝てるか」 ──ということだった。「そもそも、ウチたち、曹仁将軍ってどんなんかしらへんけど、討ち取られてたりしたらどないするん?」「ああ、それについては考えてない」「お前は、なにを考えているんだ?」 孫権が、さすがに口を挟んできていた。「問題ないって。曹仁はな、頑丈さだけで将軍になったようなやつだから。どんな死地からでも生還できるのが取り柄だ。棒で撃ちかかっても、アザひとつ残らない」 俺は、目で指し示した。 近くで、嘶き声がした。 馬首を巡らせたあとで、絶影が、殺気を放ち始めた。 8人しかいない集まりである。戦えるのは、そのうち半分にも満たない。斥候を出す余裕はなく、索敵は、もっぱら絶影の勘に頼ることになっている。 敗走のルートをここに絞り込んだのも、そのためだった。 さすがの詠といえど、リアルタイムに入ってくる情報なしで策は組み上げられない。相手側の選択肢を削っていき、常にこちら側から相手の動きを操作していかないといけない。一度でも守勢に廻ろう物なら、あっという間に全滅する。 砂塵が舞い上がる。 曹仁が、俺の姿を見とがめていた。率いている配下を見ると、ボロボロに負けたようだった。誰も彼もがしょぼくれている。 曹仁は、全身から血を流していた。 明らかに致命傷だった。 手勢を救うために、最後の力を振り絞っている。前の情報では曹仁が集めた手勢は1000ということだったが、今はもう半分以下になっていた。「義兄。なにやっているんだ。こんなトコで」 二メートルほどの巨躯が、ふらついていた。「お前を待ってたんだ。まずは、座れ。そして、飯を食え」 俺は、肉と野菜をかき混ぜた煮立った鍋と、炙られ、塩を含ませた脂のしたたる肉と、大量に炊かれた米を示した。 後ろの連中が、薫りに喉を鳴らしている。「おいおい。後ろから錦帆賊の連中が追撃をかけてきてるんだぞ」「知ってる。それはなんとかしておく。なに、隊伍を乱しているような連中だ。──凪、ひとりで止められるな」「──どうということはなく」 凪が、敗走してくる曹仁の手勢を掻き分けて、前に出た。 料理に群がる曹仁の手勢は、作物に群がるイナゴの大軍のようだった。皿に盛るなどというまどろっこしいことはせずに、焼いていなかった生肉まで、すぐになくなってしまっている。「ああ、二週間ぶりのまともなメシだった」 曹仁の、首の筋肉が盛り上がったかと思うと、流れる血の勢いが目に見えて減った。刺されたり、突き刺さった矢傷は、もう塞がりかけている。 いいかげん、こいつも化け物だなぁ。血を補うためのメニューだとはいえ、回復の速度が尋常ではない。「先遣隊か」 凪が、二組の騎馬兵のちょうど中心を抜けた。それと同時に、ふたりの兵士が、馬上から天に跳ね上がった。すれ違いざまに、凪が馬のヒ腹に、一撃を叩き込んでいた。防波堤となって、来る連中すべてを塞いでいる。 ──それでも、いずれは突破されるだろう。「さて、メシは食ったな。俺は、北郷一刀という」 用意した食料は、綺麗に空になっていた。鍋の底にも、一片の米粒も残っていない。 俺の名前に、周囲がざわつくのがわかった。さすがに、黄巾党を叩き潰した男の名は、民衆にも知れ渡っているらしい。 それは、華琳が俺の風評をあげるために、相当な軍費をつぎ込んだということで、笑い話にできるようなことではないが。 誇れるものではないと思う。 それでも、こんな虚名でも、無惨に敗走した手勢を、もう一度生き返られる手助けぐらいにはなるらしい。 「今より、この手勢の指揮権を一時、預かることになった」 ここより先は、歴史にも書かれていない。 今までのように、歴史に刻まれた誰かの足跡を辿っていくことはできない。その刹那刹那の選択が、正しいという保障はどこにもない。 ──俺は、 ここで、 この瞬間から、 自らの意思で、 ──この世界に介入する。 自分の意思だった。 俺は、どこにでもいるような女ひとりのために、死ぬと、決めた。曹孟徳をはじめとした、すべてを敵にまわしてもだ。 なら── もう悩むことには、なんの意味もない。否定の言葉を連ねることは簡単だ。言い訳ならいくらでも思い浮かぶ。けれど──今必要なものは、戦う理由のはずだった。「逃げる時間は終わった。なに、心配はいっさいない。撒いたエサによって、すでに分断は終わっている」 今頃、曹洪が自分の手勢100を使って、背後を攪乱しているはずだった。 けっしてまともにぶつかるなといい含めてある。背後に気を取られているうちに、前方を突き破らせてもらう。首魁自らがそっちに釣られてくれれば、あとは烏合の衆と変わらない。「──槍をとれ。襲いかかってくる連中、すべてを、突き殺せッ!!」 鬨の声が上がる。 俺はむしろ、自らの胸に反響するように、その言葉を叫んだ。「名声というのはね、こう使うのよ」 詠の台詞は、凄絶な、事実のみを述べていた。 賈文和の崩しがあったとはいえ、おどろくほどあっさり、俺の手勢は錦帆賊を蹴散らしていた。 ──甘寧は、すでに捕らえ、残った連中には、投降を呼びかけている。「ボクはね。古今東西、あらゆる兵法書を読んだわ。軍略もなにもかも精通しているし、でもね、ボクは王にはなれない」「なにをいきなり」「兵法書にはね。戦争の方法、王を補佐する方法、軍を動かす方法は書いてあっても、王になる方法なんて、一言も書いてないから」「………………」「だから、王様は誰かの真似はできない。ずっと孤独なのよ」「みんな、俺を立ててくれるけれど。本来、俺にそんな力はない。あるのは、華琳が残してくれた、虚名だけだ」「あんた、思い上がってるでしょ。あんた、自分に限界をつくれるほどに偉いの? だったら、あんたを必死に押し立てようとしているボクが、馬鹿みたいじゃない」 詠は真剣だった。 稀代の軍師に、ここまで言わせている以上、ハンパな答えは許されない。「ボクがいる。あんたの苦しみは肩代わりできないけど──」 息を止めた。 深い視線が、こちらを見上げている。「それでも、横にはボクがいる。どれだけの困難が立ちふさがっても、あんたが往く道はすべてボクが拓いてみせる。あんたには、ひとりの男として、そして、北郷一刀として、あんただけにしかできないことがあるわ。虚名でも、これだけのことができた。ううん、虚構なんて言わせない。ボクは、北郷一刀という虚構を、本物にしてみせる──」 だから──「ボクを信じてくれる限り、あんたが、負けるはずはない」「──わかった。もう二度と、お前の傍以外で、弱音は吐かない」 そう、自らの心に誓いを立てた。 剣戟の音と、突かれたものが出す、うめくような悲鳴は続いている。 死体となった者、逃げる者、武器を捨てる者、敵、味方問わず、傷を負った者が怨嗟の声が耳に張りつく中で、 俺は──甘寧の前に立った。 あとがき。 原作ゲームで、一刀くんが慕われる理由としては、今回の話にある、 ──俺は、他人への侮りで、人の器を見誤ったりは絶対にしない。 って台詞がすべてなんじゃないかなぁと思ったり。偽善者っぽくない一刀くんを書けてればなぁと思ってます。