深山市には五つの警察署がある。それぞれ東、西、南、北警察署に中央警察署という単純な名であり、当然ながら中央警察署が一番大きな規模を誇っている。
その中央警察署の前の交差点に架かっている歩道橋。その歩道橋へと登ったヒメは、その先に目的の人物を見つけて手を振りながら呼びかける。
「こんにちわー鬼塚さん」
「ん? やっと来たか姫さん」
ヒメの呼びかけに応えたのは、殆ど白髪となった髪をオールバックにし、くたびれた背広を着た初老の男。体格はがっしりとしているが身長はヒメよりも低く、もう少し若さと覇気があればゴリラとでも渾名されていそうな外見だ。
鬼塚と呼ばれたその男は、くわえていた煙草を無造作に折ると、左手に持っていた携帯用の灰皿に吸殻を入れる。
「どしたんその灰皿?」
「娘のプレゼントだよ。良いだろ?」
「はあ、気がきく娘さんやねぇ」
そう言って得意げに黒い線の入った銀色の筒を見せびらかしてくる鬼塚に、ヒメは呆れながらも言葉を返す。
ヒメは鬼塚の娘と会ったことは無いが、鬼塚の年齢が五十過ぎである事を考えればヒメと同い年くらいだろう。そんな歳の娘を未だに溺愛している様子なのは、ヒメには理解不能だ。
「だろ? それにアレだ。公務員は国民の皆さんの手本にならんとな。刑事がお巡りさんに注意されたら流石に情けないだろ」
「確かに情けないなぁ。けどそれは置いといて、今夜の準備は出来とるん?」
「ああ、事後処理の手配くらいすぐ済む」
呆れながら本命の用件を聞いたヒメに、鬼塚はだるそうに背伸びをしながら答えると歩道橋の欄干にもたれかかる。
「けどまあアレだな。ドンパチするなら後始末もやって欲しいもんなんだがな」
「そこは民間の弱い部分やねぇ。でも普通の悪魔退治ならまだ何とかなるんよ。でもあいつらは死体が残るけんね……」
「……だな」
少し沈んだ声で言うヒメに、鬼塚も眉をしかめながら搾り出すように声を出す。
やりきれない。立場は違えど二人の思いは同じだった。
「そういや弟子とったらしいじゃねえか。どういう風の吹き回しだ?」
「弟子いうより、保護ついでに鍛えとるだけやで。まあそうなるように仕向けたんは否定せんけど」
「わざわざ保護するように仕向けたってのか。余計に分からんな、どうしてそこまで入れ込んでんだ?」
訝しげな視線を向ける鬼塚に、ヒメは何も答えず何か考える素振りを見せる。
そしてそのまま数十秒ほど何かを考えていたが、不意に顔を上げると重い口を開く。
「……他人の気がせんけん……それだけかもしれん」
「惚れたか? そろそろ姫さんも行き遅れ――」
「死んで来い不良中年ッ!」
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「……(何だ今の気配?)」
鬼塚にヒメによる制裁が加えられているのとほぼ同時刻。
映画が終わり映画館の外へと移動していたアキラは、数キロ離れた所で自分のよく知る人間の感情(殺気)が高ぶりまくっているのを感じ取り、一瞬動きを止めていた。
最近分かったことだが、アキラの精神感応の範囲は最大で百メートル近くに達し、特定人物のみを対象にした場合はさらに範囲を拡大させることが出来るらしい。
もっともその場合は対象人物の心の色のようなものを覚えておかなければならず、知り合いを探すのが楽になる以外に今のところ使い道は無いのだが。
「どうかしたんですか?」
「いや、ちょっと目眩が」
唐突に意識を他へ反らしたアキラの様子に気づいたのか、隣を歩いていたミコトが不安そうな様子でアキラを見上げてくる。
その服装はチェック柄のワンピースに白いボレロと、ミコトの性格を表すような落ち着いた印象を受ける。
一方のアキラは、白いシャツの上に黒のジャケットと特徴の無い組み合わせだが、着こなし方と本人の性格のためか、誠実さと清潔感が出ている。
もっとも本人は正午近くになり気温が上がってきたため、ジャケットを脱ぎたくて仕方が無いのだが、ヒメに厳命されて持ち歩いている凶器のせいでそれが出来ずにいたりする。
「大丈夫ですか? どこかで休んだ方が……」
「そこまでじゃないよ。でもそろそろお昼だし、どこかに入ろうか」
言い訳を本気で受け取って心配してくるミコトに若干罪悪感を覚えながらも、アキラは付近にある店を見渡す。
だがアキラ達が出てきた映画館は天橋街――中央商店街の中でも一番洗練された、ぶっちゃけ高い店が多い地域にある。未だ研修中で時給八百円のアキラが、学生さん同伴で突撃するのはあまりにも無謀だ。
「あの……だったら向こうの交差点にファミリーレストランがありますよ」
「……そこにしよう」
アキラが困っているのに気付いたのかは定かでは無いが、ミコトが遠慮がちに言ったことを素直に聞いて、そのファミレスへ向かうことにした。
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「いらっしゃいませー。二名様ですね。禁煙席と喫煙席がございますが、どちらになさいますか?」
「禁煙席で」
営業スマイルを浮かべる女性店員に案内されると、アキラとミコトは窓際の席に対面に座る。
半引きこもりのアキラはファミレスに来るのは年単位で久しぶりなため、実は無意味に緊張していたりする。もし一緒に来たのが年下のミコトでなく年上のヒメだったなら、落ち着き無く周囲を見渡していたことだろう。
自分より弱い立場の人間……特に女性に対してかっこつけたがるのは、男の悲しい習性だ。
「深海さん煙草は吸わないんですか?」
気を使われたと思ったのか、それとも単に気になったのか、ミコトがメニューを両手で持ちながらそんな事を聞いてくる。
「……吸わないよ。昔一度吸ってみたけど、むせまくった上に肺が痛くなって。慣れれば大丈夫なんだろうけど、有害物質そこまでして吸おうとは思わないし」
ミコトの問いに、何故か間を空けてから答えるアキラ。しかしタバコを吸わないのは事実だ。
ついでにアキラは酒も自発的には飲まないのだが、そう言った所をヒメに「つまらん男やねェ」とばっさり斬られていたりする。何気に一緒に飲みに行きたかったらしい。
それを察して飲めないわけでは無いので付き合うと言ったら、今度は「無理せんでええよ」と優しく微笑まれた。その反応にアキラが混乱したのは言うまでも無い。
「何頼む? おごるから好きなもの頼んでいいよ」
「え……、でも今日は私が……」
「まあそれとは別ってことで。一応社会人何だから、一食おごるくらい大したことないし」
自分が誘ったのだからと遠まわしに拒否しようとするミコトに、アキラは先ほど高い店に入るのを躊躇したのを棚上げして言う。それに対するミコトの反応はどこか困ったような表情だったが、少なくとも内心はほっとしているようなのを感じ取ってアキラも安堵する。
精神感応能力をプライベートで使うのは、あまり良い事では無いとアキラは自覚している。だがアキラは自発的に動かないタイプである上に、ミコトも控えめでかつ大人しい性格のため、彼女の扱いに困りどうしても頼ってしまうのだ。
そういう意味では、ヒメはアキラの方から動かなくともあちらが動くため、アキラにとっては相手のしやすい女性だろう。例えそのマイペースな性格のせいで、別の意味でストレスが溜っても。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「カツカレーで」
「……ミートソースパスタを」
結局ミコトが頼んだのは、サラダとドリンクを除いた中で一番安いものだった。
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昼食を終えた後、アキラはミコトと映画の話や、お互いの職場や学校で最近起きたことなどを話していたが、一時間ほどするとファミレスを出た。
そしてしばらくは本屋や小物店などを巡り、五時を過ぎる頃には帰宅の途についていた。
まだ日が暮れるには時間があるのに帰るというのは、ミコトには少し不満だったらしいが、半引きこもりのアキラが女子高生を気の効いた場所へ連れて行ったり出来るわけが無い。
それでもミコトの自宅へと送り届ける辺り、まったくミコトの事を気にしていないわけでも無いのだろうが。
「……曇ってきたな。帰るまでは降らないでくれるとありがたいんだけど」
何気なく空を見上げてアキラが呟くと、ミコトもそれに倣うように天を覆う分厚い雲を眺める。
雲は途切れ途切れで、既に山に隠れる寸前にまで傾いている太陽は顔を見せたり隠したりしている。だが太陽の通り過ぎた空は完全に灰色の雲に支配されており、今すぐに雨が降り出してもおかしくない
「でも今年って水不足なんですよね。降った方が良いと思いますけど」
「まあそうだけど、ダムの貯水率を気にするのは、この地域の恒例行事みたいなもんだしね。十年以上前の大渇水は凄かったけど、ミコトさんくらいの歳では覚えてないかな」
「私が生まれた年だったと思います」
「……そんな昔だったっけ?」
何気なく話した話題によって人生初のジェネレーションギャップを体験し、アキラは軽く落ち込みながらも記憶を遡る。
小学一年生の頃に家に帰ると、水を溜めるための大きなポリタンクが鎮座していたのを覚えている。そしてミコトはアキラの六歳年下。確かにミコトが生まれたばかりの時期なのは間違いない。
まだ社会人の自覚が薄く、学生気分が抜けていないアキラには大ダメージな事実だ。
「……そういえば学校の方は大丈夫? いや、大丈夫だった?」
「え……と、ちょっと噂が流れてて大変でしたけど、直接的に何かあったわけじゃないから大丈夫です。最初は気になったんですけど、友達が「下らない話してんじゃねー」って暴走しちゃって、何だかどうでもよくなっちゃって」
「それはまた良い友達……なのか?」
あからさまに話題を変えるアキラに少し沈んだ声で答えるミコトだったが、友人の声を真似た辺りからは花が咲くように笑顔になり、嬉しそうに言葉を続ける。
それにアキラは友人とやらの行動に半ば呆れながらも、ミコトの言葉に羨望と軽い嫉妬を覚えて自己嫌悪する。
アキラは病院でミコトに電話番号を教えるときに、自分を最後の逃げ場だと思えばいいなどと言ったが、ミコトには他にも逃げる場所――頼れる人が居る。無論ミコトもあのような異常な出会いをし、悩みを正面から受け止めてくれたアキラに依存している部分もあるのだが。
ヒメにはまるでミコトがアキラに執心であるかのようにからかわれたが、アキラはアキラでその関係に執着していているのだろう。
対等な立場では無く、一方的に助ける存在。一人に慣れてしまい他人との距離感が上手く掴めないアキラには、ヒメもミコトも立場は逆だが一方的な関係であるために、求められる事が分かりやすく居心地が良いのだ。
もっとも「一方的な関係」というのはアキラが思っているだけであり、実際にはあり得ない事なのだが。
「……どうしたの?」
自宅のある天橋街付近へと近付くにつれて、落ち着きの無くなるミコト。それに気付いたアキラが問いかけると、ミコトは軽く驚いた様子を見せると苦笑いを浮かべながら口を開く。
「いえ……その。深海さんと出かけるって言ったら、父さんが挙動不審になってたので、見つかったら何か言われるかなって」
「……それは俺としては勘弁して欲しいかな」
何せ会う度の第一声が「すいません」という腰の低い父親である。以前の“事故”のせいで娘への心配性に拍車がかかっているようだし、あちらの複雑な心境を目の当たりにするのは、精神感応能力と相まって相当疲れるだろう。
「家はもうすぐだし、ここで退散してもいいかな? あまりお父さんに気を使われるのも使うのもアレだし」
「え……あ、はい。……それじゃあ、ここで」
「うん、じゃあまた今度」
「はい、また」
アキラの言葉に一瞬気落ちした様子を見せたミコトだったが、すぐに笑顔になって応えると自宅へ向けて歩き出す。
アキラはそれを見送っていたが、ミコトの姿が曲がり角に消えた所で一つ溜息をつく。
(悪魔への対処法は教わったけど、尾行された時の対処はどうすればいいのやら)
アキラから背後に二十メートルほど離れた地点。
背中に目があるわけでは無いアキラには、当然そこがどうなっているかなど見えないが、精神感応によってそこに人が居ることだけは感知することが出来る。そしてその人間は、アキラとミコトがファミレスの中に居た時から、ずっとこちらへ興味のような意識を向けてきていた。
最初はミコトのストーカーかと思ったのだが、ミコトと分かれてもアキラに意識を向けている事から、その推測は外れである可能性が高まった。だがそれが分かった所でどうすればいいのかアキラには分からない。
(無視するのが一番か? 自転車に乗ればさすがに尾行は出来ないだろうし)
心の中でそう結論付けると、アキラは自転車を置いている近くの駐輪場へと移動を始める。しかしその途中で、背後をついてきていた者が速度を上げ迫ってくることに気付く。
それに焦り思わず振り向いたアキラの目に飛び込んできたのは、同じく驚いた様子を見せる女性。だが夕日を背負う立ち位置のためか、その表情はよく見えない。
歳はアキラと同じくらいだろうか。慌てて走ってきたのか、胸の辺りまである長い黒髪が跳ねる様に揺れ、前髪を後ろへ流して露出した額には薄っすらと汗が浮かんでいる。
服装は濃い紺色のスキニーデニムに黒いノースリーブのシャツと、スタイルに自信が無いと出来ないであろうぴったりとしたものだ。
「あの、深海アキラさん……ですよね?」
「ええ、そうですけど」
自分の名前を確認してくる女性に、アキラは内心首を傾げながら答える。
相手はアキラの事を知っているようだが、アキラは女性に見覚えがない。そして知り合い自体が少ないので、知り合いで無いのはほぼ確定だ。
だが女性の方は「やはり」と言った風に頷くと、しばらく迷う様子を見せると意を決したように、しかしどこか不安を抱えたように言葉をつむぐ。
「覚えてない? 中学の時同じクラスだった……
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「静かやねぇ。このまま気付かんふりして帰りたいくらいやわ」
暴れ川の土手沿いに広がる倉庫地帯。一キロメートル近く立ち並ぶ倉庫の中の一つと前にして、黒いスーツを纏ったヒメはやる気のなさそうな口調で呟いた。
「帰っちゃ駄目ですよ~。それに静かだけど殺気は凄いです~」
「やね。それでも出てこんのは、ワンちゃん達の躾が行き届いとるってことかなぁ」
同じく黒いスーツ姿のアヤが指摘したのに同意しながら、ヒメは周囲へ視線を巡らせる。
先ほどまでは重そうな荷物を運ぶフォークリフトやトラックが行きかっていたのだが、今は人っ子一人通る気配は無い。
そのために周囲は静寂に包まれ、眼前の倉庫の中に充満している殺気がより濃厚に感じられる。
「人払いは済んだみたいやし、後は逃げられんように結界張って人数集まったらミッションスタートやね」
「そうですね~。あ、何人か来ましたよ~」
「んー」
気の無い返事をしながらヒメが視線を向けた先には、山に隠れ始めた太陽と、スーツ姿や袴姿の人間が何人か歩いてきているのが見えた。
暗くなり始めたためか、こちらへ来る人たちの顔はよく見えない。
――昼と夜の交じり合う黄昏時
彼方より来たるは
人か
妖か
◇◆◇◆◇◆◇◆
あとがきみたいなもの
日常を謳歌しているアキラと、非日常まっしぐらなヒメ。
アキラの知り合いは女性ばかりなのに、ヒメの知り合いがオヤジ(オカマ含む)ばかりなのは何でだろう?