「ヤァッ!」
「反応遅い! 隙見逃すで!」
アヤの実家である二神剣術道場の中で、アキラはヒメを相手に木刀を振るっていた。しかし絶好の機会と思って放った胴への一撃をあっさりと止められ、アキラは木刀を青眼に構えなおしながら後退する。
二人の身を包むのはジャージやTシャツでは無く黒い袴。その後ろにはアヤとその父親であるゲンタも、同じ袴姿で木刀を持ったまま佇んでいる。
「大げさに飛び退きすぎや! 地面から足離さんつもりで動きて言よるやろ!」
「痛ぇ!?」
飛び退いたというのに、即座に間合を詰めたヒメに太ももを叩かれ、アキラは思わず声を上げてしまう。
痛いとは言っても、以前にも言及した通り普通木刀で殴ったらただではすまないので、ヒメも手加減はしているのだろう。
しかし痛いものは痛いので思わずさらに後退してしまうアキラだったが、突然背後に居た二人から殺気が出るのをその能力で感じ取り、ヒメが追撃してこないことを確認すると体を反転させる。
「ハアァッ!」
「隙ありじゃァッ!!」
アヤは普段からは想像できない鋭い動きで逆胴を、ゲンタは裂帛の気合と共に面を放ってくる。
両方を捌く事が出来ないと判断したアキラは、頭へ降って来るゲンタの一撃を木刀で受け止める。そしてそれと同時に、鈍い音とともにアキラのわき腹へアヤの木刀がめり込んだ。
「あッ、すいませんアキラさ~ん、つい。大丈夫ですか~?」
「……何か口から色んなものが出かけた気がします」
意外に手加減を知らないらしいアヤが我に帰って聞くと、アキラは二人の攻撃を受け止めた体勢のまま、青白い顔で静かに言葉を吐き出す。恐らく口から出かけた色々なものの中には、内臓等以外に魂等も含まれていたのだろう。
「まあいきなり全部回避出来るとは思ってないし、今は一番危険な攻撃を止められただけで上出来やね。……お疲れさん」
「……お疲れ様でした」
ヒメから好感触の評価と労いの言葉を貰うと、アキラはそのまま崩れるように床に倒れこんだ。
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ヒメが戻ってきてから約一ヵ月後。六月に入り世間では過ごしやすい季節になってきたが、アキラ達の住む深山市は朝夕になると付近の山から冷たい空気が吹き降ろされてくるため、見かける人々も長袖を着ている人が多い。
そんな街の様子を眺めながら土手沿いを自転車で出勤していたアキラだったが、ふと視界に最近見慣れたものが目に入ったのでブレーキをかける。
『おや? おはようさんじゃアキちゃんや』
「ええ、おはようございますゲンさん」
アキラに挨拶をしながら寄って来たのは、蕗の葉を傘のように掲げた白髪白髭の老人。しかしその身長はアキラの膝くらいまでしかなく、着ている衣装も見慣れないものだ。
その老人はコロポックル――アイヌに伝わる小人であり、名をゲンさんというらしい。二週間ほど前に偶然見かけて以来、アキラは何となく世間話に付き合っている。
因みに北海道の小人が何故ここにと聞くと、「今は国際化の時代なんぢゃ」と少しズレた答えが返ってきた。
『ピクシーちゃんもおはようさんぢゃ。今日もお仕事ぢゃな?』
「ええ。ゲンさんは今日も散歩ですか?」
『それもあるんぢゃがな。向こうの公園のさくらんぼが赤くなってきたから、ちょいと味見に行くんぢゃ』
「あーもうそんな時期なんだ。木から落ちないように気をつけてくださいね」
『アキちゃんは優しいのぉ。しかしワシぢゃってまだまだ現役ぢゃ! 木から落ちてもピンピンぢゃよ!』
「いや、まず落ちないようにしましょう」
そんなやり取りを終えると、ゲンさんは手を振りながら去っていく。そして自転車をこぎ始めようとした所で、アキラは何か白いものが視界に入ってきて動きを止める。
「……なんだアレ?」
思わず呟いたアキラにつられて視線を向けたピクシーも、そこに居たものが予想外すぎたのか耳をピンと立てて目を丸くする。
短い手足を揺らしながら歩く雪だるまが居た。
頭には二本のとんがりのついた青色の帽子を被り、両手には同色の手袋。顔は丸い目が二つに半月のような口と子供が描いたような単純なものだが、その単純さ故かどこか愛らしさすら感じる。
『ホ?』
「……!?」
目が合った。
何処を見ているのか分かり辛いのだが目が合ったと確信したアキラは、そっと静かに忍ばせた銃へと右手をそえる。
だがそんなアキラの警戒とは裏腹に、その雪だるまは「ヒーホー」と謎の言葉を発しながら無防備に近付いてくる。
『おはようだホ!』
「……ああ、おはよう」
突然の事にアキラはしばし唖然としたが、挨拶されたのだと気付くと殆ど反射的に挨拶を返す。
そしてゲンさんのような友好的な悪魔だろうと判断すると、右手を銃から離して雪だるまへ話しかける。
「それで、何か用かな?」
『ヒホ! 用があるのはお兄さんじゃ無くて、そっちのピクシーちゃんだホ!』
そう言いながら雪だるまが指を指して来た瞬間、アキラの胸ポケットの中でビクリと何かが動く。
どうやらアキラの気付かない間に、ピクシーは胸ポケットの中に完全に姿を隠していたらしい。すぐに気付かれたあたり、あまり意味は無かったようだが。
「…………」
状況がイマイチ掴めないので、アキラはピクシーと雪だるまの感情を読み取ってみる。
やはり何を考えているかまでは読み取れないが、少なくとも雪だるまは敵意を持っていないし、ピクシーも怯えているというよりは何かを面倒くさがっているようだ。
どうやら雪だるまの用事は大事では無いらしい。
「……ピクシー。とりあえずばれてるから出て来ないか?」
待ってはみたが出てこないピクシーにアキラは呼びかけるが、当のピクシーが出てくる気配は無い。
どうやらこのまま篭城を決め込むつもりらしい。場所は城でも要塞でも無くアキラのポケットだが。
「あー……ごめん。出てきてくれないね」
『困るホー。オイラおつかいで来たんだホー』
「おつかい?」
雪だるまの言葉にアキラは聞き返すが、その雪だるまは何やら考え込んでいて答えは返ってこない。
そしてこのままでは遅刻すると気付いたアキラが動こうとするが、それを見計らったかのように雪だるまが大声を出す。
『そうだホ! ピクシーちゃんがお話してくれるまで、オイラもお兄さんに付いていくホ!』
「えー……あー……まあ好きにするといいよ」
いきなりストーカー宣言をされて唸るアキラだったが、別に仲魔になるつもりでは無いらしいので悩んだ後に了承する。ポケットの中のピクシーから抗議の意思が伝わってくるが、やはり切羽詰った感じはしないので放って置く。
『それじゃあしばらくヨロシクお願いするホ! オイラ妖精のジャックフロスト、みんなからはヒーホーくんとか呼ばれてるホ!』
「俺は深海アキラ。普通にアキラと呼んでくれ。よろしくなヒーホー」
アキラはジャックフロストのヒンヤリとした手を取って握手すると、そのままジャックフロストを自転車のかごに乗せて走り出す。
ピクシーは諦めたのかポケットの中でじっとしていた。諦めたのなら出てきたらいいのにとアキラは思いつつ、そのままスタジオへと向かった。
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「ピクシー? いい加減出てこないか?」
そして無事に仕事は終わって夕暮れ時。未だにピクシーはアキラのポケットにこもって出てきていなかった。
普段なら昼食時や休憩時に一緒に何かを食べたりするのだが、今日はそれもせずにずっと出てきていない。一瞬体調でも悪くて出てこられないのかと心配したが、無理矢理摘み出そうとしたら手がえらい事になったので、元気いっぱいなのは間違い無い。
「もう諦めて帰ったら? 急ぐ用事や無いんやろ?」
『めっちゃ急ぐホ! このままピクシーちゃんを置いて帰ったら、オイラが怒られるホー!』
「連れて帰るのか?」
ヒメの言葉に慌てた様子で抗議するジャックフロスト。そしてそのジャックフロストの言葉から用件を察して、アキラは若干驚いた様子で問う。
するとジャックフロストは体全体を傾けるようにして頷くと、アキラに向かって説明を始める。
『ピクシーちゃんが妖精王国から抜け出したから、オイラが様子を見に来たホー。 抜け出すのは珍しくないけど、ピクシーちゃんはフライングで延滞料加算中ホ!』
「最後の意味がよく分からないけど、もうピクシーはこっちに戻ってこられないのか?」
『そんな事無いホ。勝手に抜け出したから、落とし前をつけにいったん戻って欲しいだけだホー』
どうやら大したことは無さそうでほっとするアキラ。そして改めてポケットへと目を向けると、ようやく観念したのか頬を膨らませているピクシーと視線があう。
「…………」
そしてそのままアキラとピクシーは見つめ合っていたが、アキラの言いたい事を察したのか、ピクシーはポケットから出ると、ジャックフロストの帽子の上へと腰掛ける。
『ピクシーちゃん久しぶりだホー』
自分の頭の上に向かって挨拶するジャックフロストと、そのジャックフロストの頭をペチッと叩くピクシー。どうやらまだご機嫌斜めらしい。
『お兄さんもありがとうだホー。お礼に困ったことがあったら助けてやるホー』
「えー……と、俺はサマナーじゃ――」
「はいGUMP」
仲魔契約の流れになりそうだったので断わろうとしたアキラだったが、そこへヒメが凄く良い笑顔でGUMPを手渡してくる。
何処かから引っ張り出してくる様子が無かった辺り、朝にジャックフロストを見た時点でこうなることを予想し、ずっと出すタイミングを計っていたらしい。
「……何故に?」
「そろそろ観念したらと思ってなぁ。どう足掻いたってアキラくん悪魔に付きまとわれるんやけん、妖精とか地霊みたいな友好的なんはどんどん仲魔に引き込んだ方がええよ」
「でもここ一ヶ月は特に何もありませんでしたよ?」
「コロポックルと世間話をしとった男が何を言うんや」
ヒメの言ったとおり、アキラはコロポックルやノッカーといった地霊と、頻繁にすれ違って話をしている。最初は警戒していたのだが、すぐに慣れている辺り順応性は高いらしい。
しかしあくまでも出会った悪魔が友好的だったから大事に至らなかったのであって、最初から全力でマグネタイト狙いの悪魔と出会ったら、アキラは真っ先に狙われる事実は変わらない。
「それに何だかんだ言って、アキラくんピクシーのお世話になっとるやろ。これがあったらいざと言う時に召喚できるけん持っとき」
「……そうですね。分かりました」
ピクシーの事を言われて、アキラは少し考える様子を見せた後にGUMPをヒメの手から受け取った。
カワアカゴとの戦いでアキラがまず思ったのは、魔法という力が思った以上に戦闘で大きな役割を果たすという事だ。
ピクシーの小さな体から放たれた衝撃波はカワアカゴにかなりのダメージを与えていたし、回復魔法が無ければアキラは右手を切り裂かれた時に銃を撃てなくなっていたかもしれない。
魔法を使えないアキラは、他のデビルサマナー以上に仲魔に依存しなければならない部分が多いのだ。生き残りたいと思って武器を取ったのならば、いつまでもGUMPを使うのを躊躇ってはいられない。
それにアキラ自身気付いてはいないが、ピクシーが一緒に居るのが自然になってしまい、居なくなられると寂しいという感情もある。
本人が気付いたとしても、決して口には出さないだろうが。
「それじゃあ、よろしくヒーホー」
『ヒーホー。あらためて自己紹介だホ! オイラは妖精ジャックフロスト。コンゴトモヨロシクホー!』
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「ほんじゃ、大体使い方は分かった?」
「一通りは。後で色々いじってみます」
GUMPを片手にアキラはヒメにそう返すと、さっそくGUMPのキーボードを叩く。
左手に握られたGUMPは、平べったい銃身が今は二つに割れており、それぞれにディスプレイとキーボードの役割を果たしている。
「しかしこれ実戦で使うには起動に時間がかかりませんか?」
「普通のパソコンよりは割れるだけやけん時間短いやろ。それに最初に悪魔召喚プログラム開発した人なんか、分厚いノートPC持ち歩きよったんやで」
「それはまた……使い辛そうな」
最初の悪魔召喚プログラムがいつ作られたかアキラは知らないが、今の薄いノートPCでも使いづらそうだと思いそう呟く。
余談だが、その最初の悪魔召喚プログラムはBASICで組まれており、オカルトの知識は無くてもプログラムの知識はあるアキラが知ったら「そんな馬鹿な!?」と叫ぶであろう程に常識を逸脱していたりする。
「あと短縮登録しといたら、引鉄を引いただけで召喚出来るけん。一度に召喚するんは四体くらいまで絞った方が良いんやけど、今は二体だけやしピクシーもジャックフロストも登録しとき」
「登録は……ここですね」
ヒメに言われてGUMPを操作していたアキラだったが、仲魔として表示されている悪魔が三体居ることに気付き手を止める。
ピクシーとジャックフロストの上に表示されている空白。そこにはただ悪魔の召喚の際の負担だけが表示されており、名前や能力といったものは一切表示されていない。
「これは……?」
「気付いた? その空白欄は私からの餞別やね。封印しとるけん、普通にやっても召喚できんけど」
「……召喚するための条件は?」
「アキラくんが死にかけたらやね。一撃死するような軟弱な子には召喚できんよー」
「一撃死とかするレベルの攻撃は、受ける方が軟弱だとか言う問題じゃないと思うんですけど」
アキラの至極真っ当な指摘に、ヒメは悪びれた様子も無く笑ってみせる。
「まあベリスがひっついとるけん、そんな事態にはまずならんやろ。もしなったらベリスは私が始末するけん、安心して眠りや」
「…………」
笑顔で言い放つヒメの言葉が冗談に聞こえず、何も答えずに視線を反らすアキラ。そして姿を隠しているベリスが恐怖を抱いているのを感じ取り、ヒメが本気だと確信する。
「そういえば今度の休みどうするん? また射撃訓練する?」
「いえ、土曜日は約束があるので」
「約束?」
アキラにしては珍しいと思いながらヒメは聞き返す。
アキラには友人らしい友人も居らず、趣味と言えるようなものも無い。放っておいたらずっとパソコンに向かっているであろう、引きこもりの見本のような青年だ。
だからこそ今までのスケジュールの管理が楽だったのだが、ここに来て突然休日に約束事。ヒメが思わず首を傾げるのも当然だろう。
「ミコトさんの足が完治したらしいので、礼も兼ねて映画でも見に行かないかと誘われて――」
「アヤちゃーん! アキラくんがデートに行ってしまう!?」
「……なんでやねん」
突然立ち上がったと思ったら、まだパソコンで何やら作業をしていたアヤへ向けて叫ぶヒメ。
その様子にアキラは近所のおばさんみたいな反応だなと思ったが、言ったらただではすまないので、とりあえず無難なつっこみを入れておく。
「デートじゃ無くて、礼だって言ってるでしょう」
「そんなの口実にきまっとるやん」
「そうですね~。お礼だったら一緒に行かなくても良いですもんね~」
「…………」
無駄だと思いつつ訂正するアキラだったが、予想通りに即座に反撃を受けて何も返せず沈黙する。
そしてアキラが黙ったとみるや、本人を置いて盛り上がる女二人。
「やっぱり覚えて無くても、助けられたら気になりますもんね~」
「アキラくん顔はそれなりやしな。でもお母さんになりたい子に惚れられたら大変やん。もうロックオン完了でFOX2(赤外線誘導ミサイル発射)寸前やん」
「ヒメさ~ん。FOX2するのはどちらかというとアキラさんですよ~」
年上の女性二人のあんまりな会話に頭を抱えるアキラ。
中学時代の経験で女性が苦手な節のあるアキラに、さらなるトラウマを刻みながら、ヒメとアヤはアキラをいじり続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
おまけの落書き
このピクシーは間違いなくポケットには入らない。
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