深海アキラは出社するなり悩んでいた。
悩んでいたというならデザインスタジオに出てくる前、昨日寝る前から悩んでいたのだが、その悩みはアキラにはあまりにも異質なものであるために、いつまでたっても解決されることが無かった。
昨日見舞いに行った少女――ミコトから、それとなく異常が無いか聞きだすつもりだったのだが、予想以上に警戒されていなかったのか、ミコトのかなり個人的な事情まで聞きだしてしまった。
――私……三ヶ月前に堕胎手術をしたんです。
堕胎手術。正確には人工妊娠中絶だが、まさか自分より五つほど年下の少女がそのような事を話してくるとは、アキラには予想外すぎた。
――相手は妊娠したって言ったら連絡が取れなくなって……父さんにも内緒で……。
アキラ自身は中絶の是非については否定も肯定もする気は無い。
――相談しても中絶はしたと思います。だけど……小さな子供を見かける度に、私はあったかもしれない子供の未来を奪っちゃったんだなぁ……って。
ただ自分の子供を殺してしまったと認識しているミコトの罪の意識は、表面的に見える以上に深いのではないだろうかと接していて思った。
元々赤の他人。何とかしてあげたいと思うのは傲慢だとアキラも思っているが、ミコトが会って間もない自分の事を信頼してくれたのだとしたら、それに応えたいと思う気持ちもある。
感情移入しすぎている。人付き合いの少なかったアキラの、今まで目立たなかった特性が強く発露してしまっていた。
「やけんて、アキラくんが悩んでも解決せんやろ。気休めに水子供養でも紹介したげよか?」
「いや、気休めって……」
最近恒例となりつつあるヒメの相談所。今までは主にオカルト関係の相談だったのだが、ここに来て女性関連の悩み相談も追加されたようだ。
もっともヒメも妊娠などしたことが無いので、そんな相談を持ってこられても困るのだが。
「大体水子供養が出来たんが近代に入ってからやしねぇ。昔は中絶にそれほど罪悪感とか無かったんよ」
「そうなんですか? 昔の方がそういうのには気を使いそうなんですけど」
「そりゃ昔の人は、胎児がお腹の中でどうなっとるかなんて知らんかったしねぇ。人工中絶するにしても、「今は育てられないから神様にお返しします」みたいな感覚やったらしいよ。
そのせいか知らんけど、早くに亡くなった子供は同じ両親の子供として生まれ変わるっていう言い伝えもあるね。まあ現代人からしたらごまかしみたいに感じるかもしれんけど」
「へえ……科学が発達したからこその宗教というのもあるんですね」
多少話がずれているものの、話自体は興味深かったので素直に納得するアキラ。
ヒメの方も話がずれているのに気付いたのか、肩をすくめながら自分なりの応えを示す。
「まあそういうわけで、結局は本人の気の持ち方やないかなぁ。それにしても十六歳で妊娠て、最近の若い子は……」
「…………」
「ヒメさん、おばさんくさいですよ~」
「……チェストッ!」
「ひゃうッ!?」
反射的につっこみそうになったものの踏み止まったアキラだったが、アヤがわざわざアキラの避けた地雷へと突っ込んでいって、ヒメからボールペンで頭を小突かれている。
もしかしてわざとやっているのだろうか。
「あー、でも“お母さんになりたい子”が、“赤ん坊の声”につられるみたいに落ちたんは関係ありそうやね。罪悪感につけこまれて操られた可能性もあるし」
「じゃあやっぱりあの川の悪魔が?」
「やろうけどね……相変わらず地面の下から出てこんし、どうにも出来んなぁ」
文字通りお手上げとばかりに両手を上げて肩をすくめるヒメ。
実は実際にいぶり出そうとしたのだが、地下を動き回るため目標が定まらず失敗に終わっていたりする。
「本気で叩くなら、呼ばれた子を囮にするのが一番確実やね。でも私しばらく出張するけん、しばらくこの件は様子見でいくよ」
「出張?」
地元の中小企業が主な商売相手であるにも関らず出張。その事に疑問の声を上げるアキラを見て、ヒメは気まずそうな顔をしながら説明する。
「裏のお仕事やけん、詳しいことは内緒やでー。アキラくんが一人前になったら教えてあげらい」
「はあ……大丈夫ですか?」
「ん? 危険な事はせんけん大丈夫。それより心配なんは私のフォローが無い状態のアキラくんやし、念のためこれ渡しとこか」
「? これってGUM……」
ヒメから手渡されたものを見て「GUMP」と言おうとしたアキラだったが、やけに重みのあるそれを見て言葉が途中で止まる。
曲線を描くグリップ。背中についた撃鉄。そして銃身から伸びる長い筒。
それはどう見てもGUMPでは無くてリボルバー式の拳銃だった。
「銃刀法違反!?」
「アキラくん。そのツッコミは、私がツインランス振り回しとる時にやっておくべきツッコミや」
「つっこみじゃなくて事実をありのままに言ってるんですけど!?」
ある意味GUMPより物騒なものをいきなり渡されて、珍しく声を荒げるアキラ。そのアキラをヒメはポケットから無造作に弾丸を取り出しながら、面白そうに眺めている。
「大丈夫。許可はもらっとるけん、お巡りさんに見つかったら全力で逃げるんや」
「前半と後半で矛盾してるし!?」
「ヒメさ~ん。ここ外から丸見えですから、やるなら奥でやってくださ~い」
「あーごめんね。アキラくん、冗談やけん応接室行くよー」
「……どこまでが冗談なんですか?」
流石に堂々と銃刀法に挑戦する気は無いのか、アヤに言われて素直に移動するヒメ。
その後ろをアキラは出社した時よりさらに疲れた様子でついて行った。
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「そういえば、何で銃なんですか?」
ヒメから銃の扱いについてとことん説明された後、アキラはヒメから貰った銃――俗にピースメーカーと呼ばれるリボルバー銃を手で弄びながら聞く。
当然撃てる状態にはなっておらず、弾はテーブルの上でピクシーが転がして遊んでいる。
「何でて……何で?」
「えーと……、素人が撃っても当たらないって聞きますけど」
「うん。まあ五メートルで当たったら良い方やろね」
「……俺にどうしろと?」
予想以上に心もとない有効射程に思わず問うアキラ。その距離ならば、外せば即座に接近戦になることくらいアキラにも分かる。
「どうにも出来んね。まず一番問題なんは、アキラくんの身体能力が一般人と同じなこと。……まあ自転車乗り回しとるけん脚力は高めやけど。とにかく腕力が人並みな以上、剣やら槍やら持たせても最下位クラスの悪魔しか殺しきれん」
「あーなるほど」
ヒメの説明を聞いて素直に納得するアキラ。
実際剣を持たされて悪魔を殺せと言われても、ピクシーやこの間の犬面までは何とかなるかもしれないが、ベリスのように固そうな悪魔を何とか出来るとは思えない。
あの重厚な鎧を拳銃でどうにか出来るかどうかも疑問だが、とにかくヒメの言いたいのは悪魔を倒すための攻撃力が無いという事だろう。
「とは言っても、別に殺す必要無い場合は確かに剣とかの方が防御しやすい。でもぶっちゃけすぐ手に入る長物が無いんよ。そっちはナイフで我慢して」
「……まあ仮に刀とか渡されても、いきなり振り回したら自分の足斬りそうですけど」
「銃も練習ならともかく、実戦でいきなり使うならオートマチックの方が良いんやろうけどね。それしか無いけん我慢してやぁ。まあどうせやけん革命的なリロードを目指して。あ、これホルスターね。こっちはベルトに着けれるナイフの鞘みたいなん」
何が面白いのか笑いながら皮製のホルスターを差し出してくるヒメ。それをアキラは常識を捨てつつ受け取った。
「そういえば、川の悪魔の正体は分からないんですか?」
「んー……「カワアカゴ」かも?」
「……すっごい自信無さそうですね」
正体が分かれば何かしらの対策が取れるのではないかと、アキラは思い出したように聞いてみたのだが、しばらく唸った後に言ったヒメの言葉には疑問符がついていた。
アキラの言う通り確証が得られず悩んでいるらしい。
「川で赤ん坊の声ならカワアカゴやとは思うんやけどね、カワアカゴって目撃談とかが少なくて、どんな妖怪かよく分かってないんよ。まあ赤ん坊の泣き声で人を引き寄せて、そのまま引きずりこむらしいけん、河童の類やとは言われとるけど」
「あー河童ですか。俺が一人で近付いたら間違いなく引きずり込まれますね」
「ん。自覚があるのはええことや。この間みたいに違和感あっても、迂闊に近付いたらいかんよ」
君子危うきに近寄らず。
切迫した状況に無い今のアキラに必要なのは、戦闘能力以上に危険へと誘われないための先見性や警戒心だとヒメは判断している。もっとも、本人がその手のものを察知するのが異様に早いので、あまり心配はしていなかったりするのだが。
その辺りから、アキラは潜在的に見鬼――先天的に見えざるものを見ることの出来る力を持っているのではないかとヒメは推測している。
「あれ? でもピクシーにはアキラくん反応遅かったなぁ?」
「? そういえばこの子するりと俺の内側に入ってきますけど」
「……内側?」
本人にも自覚があったようだが、言っている意味がよく分からないのでヒメは聞き返す。
「内側というか、間合の中というか、絶対領域の中というか……とにかくセンサー的な何かの内側です……多分」
「あー……何となく分かった……多分」
手で壁のようなものを示しながら何とか説明しようとするアキラに、ヒメも何とか理解して頷く。両者首を傾げている上に語尾に「多分」とついているので、相互理解が出来ているかは怪しいが。
ついでにテーブルの上のピクシーも一緒になって首を傾げている。アキラの「内側」とやらに侵入しているほうも理解していないらしい。
結局疑問符が室内を乱舞したまま、話を終えて仕事に取り掛かることになった。
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「……それで人が慣れない仕事で緊張してたのに、いきなり「腹減った」とか言い出して。本当フリーダムにも程があるよあの人」
「緊張をほぐそうとしたんじゃないんですか?」
「それもあるだろうけど、八割がた本気だと思う。よく食べるしな……毎日何かしら近所からお菓子貰ってくるし」
定時に仕事を終え、ヒメが出かけるために稽古も無しとなったアキラは、見舞いを兼ねてミコト様子を見に来ていた。
そして暇そうなミコトと雑談を始めたのだが、出てくる話題が仕事場に関することばかりな辺り、アキラの趣味の少なさや行動範囲の狭さが実に表れている。聞いているミコトは特に気にしていないようだが。
「そういえばいつ退院するんだ? 骨折ってそんなに長くは入院しないよな」
「えっと、明日頭の検査をして、何も無ければ明後日に退院です。しばらくは松葉杖使わなきゃ駄目ですけど」
「ああ、俺はお世話になったこと無いけど、大変そうだな」
ミコトが退院すると聞いて、アキラは言葉を返しながらもしばらく悩む。
ヒメがいない以上……いや居たとしても、ミコトに何かあれば真っ先に自分が動くべきだとアキラは思っている。そのためなるべくミコトの様子を見ていたいのだが、流石に自宅療養に切り替わっても押しかけるのはどうかとアキラは考える。
「……ちょっと失礼」
「はい?」
アキラは一言断わりを入れると、手帳を取り出して何やら書き始める。そして書き終わったのかボールペンを胸ポケットへ戻すと、今何かを書き込んだページを切り取ってミコトに差し出す。
「これ俺の携帯の番号。何かあったら電話して」
「え……と? 何かって?」
「……何だろう?」
「……ふふ」
自分で渡しといて疑問形で返すアキラに、ミコトは呆れた様子ながらも微笑む。
それを見たアキラも、少し照れたように笑うと改めて番号の書かれた紙を手渡す。
「まあ何も無ければどっかに放置すれば良いし、助けて欲しいことやら相談したいことやら、何かあった時のためにでも受け取っといて」
「え……その……そう何度もご迷惑は……」
申し訳なさそうにそう言うミコトに、アキラは黙って首を横に振る。
「俺飛び降り自殺しようとしたことがあるんだ」
「……え?」
「まあ恐くなってすぐ止めたけど」
突然告げられたことにミコトは頭がついていかず呆気にとられるが、アキラは大した事で無いかのように続きを話す。
「今思うと、いじめられたくらいで自殺っていうのも阿呆かと思うんだけど、当事者は結構いっぱいいっぱいなんだよ。情けないことに親にも相談できなくて」
「私も……父さんには相談できませんでした。……すぐにばれましたけど」
「でしょ? まあ遠回りしてた人間としては、長い人生たまには逃げても良いと思うんだけど、どうやっても取り返しのつかないことっていうのは存在する。だから人生の袋小路にでも入ったら、こっちにも逃げ道があるってのは頭の隅にでも入れといて」
「……はい」
アキラの言葉に何か思う所があったのか、どこか困ったような様子で答えるミコト。
そしてその電話番号がミコトによって使われることが無いまま、三日の時が過ぎる事になる。