「予想通りいうか、えらい短い内に騒動に巻き込まれたねぇ」
「……おかげで二日連続であまり眠れませんでしたよ」
感心しているのか呆れているのか分からない口調で言うヒメに、アキラは疲れた様子で間をおいて答える。
太陽が山に隠れ始めた夕暮れ時。一昨日に見た自殺の幻覚が実際に起こったとヒメに相談したアキラは、仕事が終わるなりヒメに言われて現場の川へと来ていた。
ヒメの服装はいつものようなラフな格好ではなく、あの夜に見た黒いスーツ姿。何故なのかアキラは聞いていないが、デビルサマナーとして動く時の制服みたいなものなのだろうと勝手に思っている。
「んで、ここが現場やね。えらい派手やねェ……よく生きとったなぁ」
むき出しの川に転がる石に飛び散った血痕を見て、ヒメは顔をしかめながら呟く。
そう。アキラの前で身を投げた少女は生きていた。もっとも、ヒメの言うように生きているのが不思議な状態だったのだが。
「ピクシーに頼んで、命に関りそうな怪我は治してもらったんですけど……やっぱり不味いんですかそういうの?」
「あー……まあ怪しまれるやろうけど、ばれんかったらいいよ。別に悪魔やら魔法やらばらしたらいかんていう明確な決まりも無いし、普通の人は信じんしねぇ。まあ、あからさまにばらして回ったら、流石に同業者に殺されても文句言えんけど」
「……そうですか」
安心して息を吐くアキラに合わせて、肩に座っていたピクシーも安堵した様子を見せる。
アキラもあの場では慌ててピクシーに頼んだものの、後になって軽率だったのではと思い不安になっていた。仮に駄目だと事前に言われていたとしても、アキラなら同じように指示していたかもしれないが、それはそれということだろう。
「それで……結局何がどうなってるんですか?」
「んー、今のとこ推測やけど、アキラくんが事前に見たんは生霊か残留思念かなぁ?」
確信は得られないのか疑問系で答えるヒメ。それを聞いたアキラは半分は納得したものの、半分が理解できず問いを重ねる。
「生霊は何となく分かりますけど、残留思念が事前に残るものなんですか?」
「その子が事前に自殺未遂をしとったならありえるやろね。実際に飛び降りて無くても、飛び降りようていう決意みたいなんを感じ取った可能性もあるし」
「そんな曖昧なものがはっきり見えるものなんですか?」
「普通は見えんね。でもアキラくん色々と異常やし」
「……そうですか」
笑顔で異常だと言われて、苦虫を噛み潰したような表情でそう返すアキラ。実際に異常なものを見ている以上、反論は出来ない。
「他に可能性は……予知能力の類かなぁ。まあそんなレア能力は流石に無いと思うけど」
「俺もそんな厄介そうな能力いりません。……じゃあ赤ん坊の泣き声みたいなのは?」
「それこそ分からんて。不自然やし悪魔の類かも知れんけど、自殺と関係あるかは断言出来んし。とりあえずベリス、何か感じたりする?」
『微弱だが感じられるな』
ヒメの言葉に合わせて、今まで姿を消していたベリスが現れる。
一瞬アキラはベリスの視線が合ったが、何故かベリスが兜の下で笑ったような気がした。
実際面白がっているのだろうが、ベリスの性格を知らないアキラは気のせいだろうとすぐに視線をそらす。
『我々を警戒しているのだろう。先ほどから地面の下を何かが動き回っている』
「地面の下? モグラ?」
『否。気配は水妖のそれに近い』
「地面の下……伏流水?」
ベリスの言葉を聞いてアキラはもしかしたらと思い呟く。それを聞いてヒメも分かったのか苦い顔をする。
「地下水の中におるんか。話聞こうにも出てきてくれんし、関係あっても潰せんねぇ」
「あの、こういうのって気付いたデビルサマナーが対処するものなんですか? この手の問題を解決する……警察に似た機構は無いんですか?」
「あー……そういえばその辺の事説明してなかったねぇ」
アキラの疑問に、ヒメは本気で説明を忘れていたのか「あっちゃー」という顔をしながらしばらく沈黙する。そして数十秒ほど経った所で説明することが纏まったのか、人差し指を立てつつアキラに向かって話し始める。
「陰陽師くらいはアキラくんでも知っとるやろ? 平安時代の国お抱えの占い師」
「ええ。一時期女性中心に流行ってましたね」
「陰陽師は基本的に公務員でね、平安時代の後は居らんなったことになっとるけど、その流れを汲む退魔機関はいつの時代も存在した……というより、妖怪やらの魑魅魍魎が跋扈する日本では居らんと困る。
でもそこは少数精鋭でな、よっぽど大きな事件や無いと動かんけん、基本的には民間の退魔師やら拝み屋さんが依頼を受けて対処することが多いんよ。特に四国はその手の人らの修練の場として使われてきたけん、地域に根ざしとる民間の陰陽師やら退魔師やらが多いね。アヤちゃんのとこも、デビルサマナーでは無いけど修験道系の退魔師の家系やし」
「……もしかしてデビルサマナーって数が少ないんですか?」
先ほどから「デビルサマナー」では無く「退魔師」という単語が多いことに気付いたアキラが問う。
以前ヒメが言ったとおり、デビルサマナーというのは悪魔の強さ以上に、数を揃えられるという点で強力な力となる。そのデビルサマナーの数が少ないというのは、自分の事を棚に上げてもアキラには不思議に思える。
「まあねぇ……前も言ったけど才能がないと自爆するし。悪魔召喚プログラムで敷居が下がった言うても、結局悪魔を制御するんは召喚主なんよ。むしろ手軽に召喚出来るようになったけん、にわかサマナーが召喚したけど制御出来んていう迷惑な事件が増えたし」
「……それ無い方が平和だったんじゃないですか?」
アキラの言葉にヒメが表情もそのままに一時停止する。
自分も恩恵に授かっている以上無くて良いとは言えないが、そのせいで事件が増えたことは事実であるため答えが出し辛いのだろう。
「まあそれは置いといて……」
「ごまかしましたね」
「置いといて! アキラくんはどうしたいん!?」
「俺ですか?」
明らかにごまかすために勢いよく聞いてくるヒメに、アキラは若干引きながら考える。
「別にどうも。もう一度同じことが起こるわけじゃないなら、放っておきますけど」
「……意外にドライやねアキラくん」
ここで「必ず真実を暴く!」などと断言されてもヒメとしては困るのだが、どうも目の前の青年は冷静と言うべきか冷めていると言うべきか、とにかく勢いが無い。
若いのだから、もう少し行動的でも良いのではないかと言いたくなるほどで、保護役としてはありがたいが、感情的にはもどかしい。
「ああ、分かった。アキラくんには若さが足りんのや」
「何がどうなってそんな結論が出てきたのかは知りませんけど、これからどうするんですか?」
腕組みをしながらしみじみと失礼な事を言うヒメに、アキラはつっこむべきか迷ったがスルーすることにした。
実際にはスルー出来ていないが、脊髄反射の領域に達しているつっこみスキルを持つアキラにはそれが精一杯だろう。
「んー、私もあんまお節介焼く気は無いんやけどねぇ。女の子に話聞いてみるしかないかな。聞いてみたら、悪魔関係ない普通の自殺未遂かもしれんし。アキラくんが助けたんやし、会うくらいは出来るやろ?」
「ええ、親御さんから凄い感謝されましたし」
「じゃ、女の子が目ぇ覚ますまでは保留やね」
そう結論付けると「てっしゅー」とやる気の無い声で言いながらその場を離れるヒメ。
アキラもそれに続こうとしたが、一瞬足元に何かが絡みつくような違和感を覚えて立ち止まる。
「……?」
違和感は微かなもので、視線を向けてみても何も無かったが、アキラはここ最近鋭くなってきている直感で確かに「何か」がここに居ることを確信する。
『――!』
「あ、そうだな。帰るか」
動こうとしないアキラを不審に思ったのか目の前に飛んでくるピクシー。突然視界に現れたピクシーに呪縛から解き放たれたアキラは、半ば逃げるようにヒメの後を追った。
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三日後。
少女が目覚めたと連絡を受けたアキラは、話を聞くために病院を訪れていた。
右手には紫陽花のフラワーアレンジ。ヒメに相談した所、食べ物は好みがあるし花が良い。でも鉢植えは縁起が悪いだの生花は水を替えるのが面倒だのとアヤと二人で盛り上がった挙句に、相談したアキラがもう帰ろうかと思い始めた頃に「紫陽花が良いんじゃない?」という結論に達した。
紫陽花の花言葉は「元気な女性」と、女の子のお見舞いにはもってこいとはヒメの談。アキラ自身は花言葉に詳しくないので、結局ヒメとアヤの提案通り紫陽花を持っていくことにした。
紫陽花には他にも「移り気」や「浮気」といった意味もあるのだが、そこはあまりお見舞いには関係ないので気にする必要は無いだろう。浮気して刺されてた人のお見舞いでもない限りは。
「こんにちは」
目的の病室のドアは開いていたので、アキラはその前に立つと開いたままのドアを叩いて来室を知らせる。
長い黒髪の隙間から白い包帯を覗かせている痛々しい姿の少女と、その少女の父親らしい男性が居た。二人はこちらに気付くと、少女はベッドに座ったまま頭を下げ、父親は慌てた様子で椅子から立ち上がるとこちらが萎縮してしまう勢いで頭を下げてくる。
「ああーお待ちしとりました深海さん。この度は娘がえらい世話になりまして、本当にありがとうございます」
「いえ。命に別状が無くて何よりです」
自分にとっても父親くらい歳の離れた男性に頭を下げられ、アキラは居心地の悪さを感じながらも愛想笑いを返す。
アキラの家は母子家庭であり、父親の事は幼い頃にほとんど遊んでもらえ無かった事くらいしか記憶していない。アキラにとって「父親」とはある意味未知の存在であり、少女の父親の事も無意識に警戒してしまっている。
それでもそれを表に出さない程度には、気を使っているが。
「ほんで来てもらったばっかで申し訳ないんですが、わしは店の方があるんで、もう戻らないかんのですよ」
「ああ、お気遣い無く。少し話をしたら、私もお暇しますので」
娘とよく知らない男が二人っきりとなるといい気分はしないだろうと思いアキラはそう言ったのだが、少女の父親は相変わらず慌てた様に首を横に降る。もしかしたら元からそういう仕種なのだろうか。
「いやーですね、娘も退屈しとるみたいなんで、色々話たって下さい。ほな、よろしゅうお願いします」
「ええと……お仕事頑張ってください」
そのままぺこぺこと頭を下げながら病室を出て行く父親を見送ると、アキラは改めて少女の方へと向き直る。
「初めましてかな。俺は深海アキラっていってデザインの仕事してるんだけど……あ、これお見舞い」
「あ……どうも。私は……白山ミコトです」
どこか気まずい雰囲気が流れていたのをあえて無視するように、アキラは一気に喋ると紫陽花を少女――ミコトのそばにある机に置く。
それにミコトはどこか緊張した様子のまま頭を下げると、思い出したようにもう一度頭を下げて謝罪してくる。
「あの……すいませんでした。ご迷惑をおかけして……」
「いや、当然の事をしただけだから。まあかなり驚いたけど」
「本当にすいません。自分でも何であんなことしたか覚えてなくて……」
警戒されないように慣れない微笑を浮かべながら話すアキラに、ミコトは謝りながらやたらと頭を下げてくる。先ほどの父親といい遺伝だろうか。
そして話しぶりからして、どうも自殺しようとして飛び降りたわけでは無いらしい。嫌な予想が当たっているのかとアキラは内心辟易しつつも、普段はあまり使っていない気を使って何とか探りを入れる。
「学生さんだし、ストレスたまってたんじゃないかな。俺も大学はさっさと卒業したくて仕方なかったし」
「……? 高校生の時は思わなかったんですか?」
「思わなかったというか、高校は行ってないから」
何でも無いような風にアキラは言ったが、ミコトは言われた意味がすぐに理解できなかったのか目を丸くしている。
まあ高校行かずに大学行く人は珍しいと自分で思いつつ、アキラは苦笑しながら話を続ける。
「中学の時にクラスの女子にいじめられててね、そのまま社会からドロップアウトしかけたけど、何とか立ち直って大検受けて社会復帰ってとこ。それでも友達は出来なかったから、本当に勉強だけしに行ってる感じだったけど」
「いじめ……ですか? 深海さん大人っぽいし、そういうの流しそうですけど」
「いや、今は大人だから。何年も経てば人は変わるよ。良くも悪くも」
大人っぽいと評されたことにむず痒さを感じながら、アキラは肩をすくめてみせる。
若者の常というわけでも無いだろうが、アキラ自身は自分が大人になったという自覚が薄い。二十歳を過ぎた瞬間に突然大人の自覚が湧いて来るわけも無いのだが、働いて給料を貰う立場になってもそれは変わらなかった。
やることなすことに責任が付きまとうようになったが、それを背負ったから大人になったというのは何か違う気がする。結婚して子供が生まれて、他人の人生も背負うようになれば流石に自覚が出てくるのかもしれないが、それはアキラにとってはまだ先の話。
社会人一年生のアキラは、しばらくは「大人」について悩むことになるのだろう。
「まあ成りたい自分に成ればいい。目的があれば自然と人は努力するものだと思うけど……白山さんは何か成りたいものとかある?」
「私……ですか?」
突然アキラに問いかけられて、ミコトは首を傾げた後しばらく考える素振りを見せる。
「お母さん……かな?」
「……それはまた予想外の答えが来たな」
何らかの職業を答えられると思っていたのに「お母さん」と言われ、アキラは内心戸惑う。
だがミコトの表情があまりに真剣だったため、動揺は顔に出さずミコトの言葉の続きを黙って聞き続ける。
「私……三ヶ月前に堕胎手術をしたんです」
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『主。中々面白い話になってきているぞ』
「覗きな(覗くな)趣味悪い。報告もせんでいいけん、あんたは黙ってアキラくん守護しとき」
アキラに張り付かせていたベリスが愉快そうに覗きの実況中継をしてくるのを、ヒメはこめかみに青筋を立てつつ斬り捨てる。
思いっきり仲魔の選別を間違えてると思われるのだが、ヒメの仲魔は比較的高レベルのものが多く、待機状態でも燃費が悪い。一番レベルが低いのはユニコーンなのだが、ユニコーンは神話通りに乙女にしか体に触れさせないため、いざというときにアキラを乗せて逃がす事が出来ない。
そのため比較的燃費がよく、馬に乗っていて機動力のあるベリスを行かせたのだが、今更ながらヒメは燃費では無く性格を重視した方が良かったかもしれないと後悔していたりする。
「あーやっと着いた。黒木さんおるー?」
市の中心駅から程近い、太陽光を反射する白い新築のビル。ヒメはそのビルの二階にある一室の前に来ると、「黒木探偵事務所」と書かれたドアをノックして部屋の主へ呼びかける。
「開いてるよ。入ってくれるかい?」
「ほんなら失礼しまーす」
中からの返事が終わらないうちに、ヒメは遠慮無く探偵事務所の中へと足を踏み入れていた。
事務所の中は八畳ほどの広さしかなく、事務机や来客用のソファーが並べられているためか、ヒメのデザインスタジオとは違い閉塞感や圧迫感といってものを覚える。
そう感じる一番の原因は、とっちらかった紙やファイルのせいかもしれないが。
「相変わらず整理整頓出来てないねぇ。バイト雇った方が良いんやないん?」
「それはちょっと難しいね。“裏”はともかく探偵業は赤字続きなんだようちは」
呆れた風に言ったヒメの声に答えたのは、奥の窓から外の様子を眺めていた紺色のスーツを着た中年の男。
その髪は白髪混じりで灰色がかっているが、ヒメへと振り向いた顔は生気が満ちており、整った顔立ちと合わせて魅力すら感じる。ナイスミドルというのは彼のような男性を言うのだろう。
「わざわざ来てもらってすまないね。電話ですませれば良かったんだが、色々と渡すものもあるからね」
「いいって。それで何の用なん? 依頼なら受けんよ、今ちょっと立て込んどるけん」
「それは困るな。烏と狐絡みの用事なんだが」
「立て込んで無くても受けたくないわ、そんな用事」
「烏と狐」という単語を聞いたヒメは、あからさまに嫌そうな顔をすると非難めいた視線を黒木へと向ける。
「仕方ないだろう。ご両親の事もあるし、葛葉の命令はなるべく受けた方がいい」
「私はもうフリーや言うてんのに、まだ付きまとうかあの人らは。私はなるべく普通に生きたいのに」
「それは無理だろうね。僕らにとってこの力は体質みたいなもので、いくら普通を望んでも消せはしない。君もそれを自覚しているから、あの青年の面倒を見ているんだろう?」
「……まあそうやけど」
ヒメは溜息をついて肩にかかっていた髪を手で後ろに流すと、黒木から何枚かの書類を受け取りざっと目を通す。そして大体の事を掴むと、書類を持って事務所を後にする。
「んじゃ、確かに受け取りました。私がおらん間に世界を揺るがす大事件でも起こったら、黒木さんが何とかしてや」
「はは、何とかするともさ。気をつけてね」
探偵事務所を出て一人になると、ヒメは手の中の紙に書かれた内容を改めてみて溜息をつく。
多くのデビルサマナーを有する組織からの呼び出し。それが愉快なものであるはずが無い。
「……アキラくんにも釘刺しとかんとなぁ」
自分が居ない間に騒動に巻き込まれないように、アキラに言い含めるべきだろうとヒメは思い呟く。
あの青年は冷めているようでいて、首をつっこむ時は一気につっこむ。現在も積極的に関りたがる様子は見せなかったのに、件の少女の話を躊躇う様子も無く聞きにいっている。
行動が予測しづらく、保護している立場のヒメとしては心配でしょうがない。
「まあ頭回るし、何かあっても無謀なことはせんやろうけど」
そう楽観的な結論を出して歩き出したヒメ。しかし後にこの街に戻ってきたときには、アキラの無謀っぷりを知り呆れ果てることになる。
だがそれは必要な事。中途半端な状態にある深海アキラという青年が、自らの道を選ぶための最初の一歩は、師とも言えるヒメの居ない場所で踏み出されることとなる。