居るはずの無い、居てはいけないはずの女の顔に、アキラは僅かに動揺した。
名持シオン。かつてのクラスメイト。藤棚を初めとした女たちの攻撃から、唯一アキラを庇おうとした、気を許せる友人。
幻術では無い。その類の力はアキラには効かない。目の前に居るのは、敵の正体は間違いなく己の友人であると知り、アキラは驚き、躊躇する。
そんなアキラの姿を藤棚――ファントム――シオンは笑って見つめていた。
ああ、その顔が見たかったのだと。歪んだ親愛を込めて笑った。
シオンが敵であると知りアキラは驚くだろう。しかし躊躇うかどうかはシオンにとっても未知数だった。
アキラは既に童貞では無い。己が手で、自らの意思をもって、愛する少女の首を落とした男だ。
躊躇うかどうかは五分五分。だが躊躇っても、悩んでも、苦しんでも、確実に最後には引鉄を引くだろう。大義のために己を、友を、愛する人を捨てる。そんな覚悟ができる、できてしまうのが深海アキラという青年なのだから。
「……ッ」
そしてシオンの予想通り、アキラは目を見開きながらも僅かな間を置いて引鉄を絞り込んだ。
しかしそれは致命的な隙。予定よりも長く晒されたアキラの姿は、シオンに彼の狙いと発砲のタイミングを教えてしまう。
「アハハッ、残念ね深海くん」
だからシオンは余裕を持って自らを殺すはずだった弾丸をかわした。
六発目の弾を避けられたアキラは、刀を捨て右手を左手に握った拳銃へと伸ばす。リロードをするつもりかと、シオンは予想し笑った。
アキラは忘れてしまったのか、それとも見えていないのか。九峨の蹴りは、アキラの首を刈る死神の鎌は、もうそこまで迫っている。
リロードなど間に合うはずが無い。そんな事は後回しにして、さっさと回避行動を取るのが正解だった。
ああ終わりかと、シオンは半ば落胆しながら溜息をついた。
だから動けなかった。
突如爆発音が鳴り響き、九峨の体が吹き飛ばされても、動く事ができなかったのだ。
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「ハハッ、楽しいねヒメくん」
「楽しくないわ!? 素人が馬賊撃ちすんな!?」
いい歳をした男が、笑顔で拳銃を水平掃射するのから逃れるため、ヒメはビル街の中を走り回っていた。
グロック18。一見すれば普通のオートマチック拳銃にしか見えないそれには、連射機能という拳銃の定義を覆しかねない機構が備わっている。
しかし形は拳銃。連射などすれば狙いは定まらないし、弾だって一秒足らずで撃ちつくしてしまう。短期決戦ならともかく、長期戦にはまったくもって向かない銃だ。
そんな銃を、先ほどから黒木は笑いながら乱射している。
腕がもつのかとか銃身が焼け付かないのかとか、つっこみどころは満載なのだが、一番のつっこみどころは別にあった。
マガジンの弾を撃ちつくし銃撃が途絶える。しかしヒメはその隙を付いて近付こうとすらしない。
何故なら黒木がポケットに手を入れると、当たり前のように弾丸が装填された新しいマガジンが出てくるからだ。
「アンタのポケットは四次元か!?」
「ハハ、何を言ってるんだいヒメくん。そんな非科学的なものが存在するわけがないじゃないか」
悪魔よりはよっぽど科学的だ。そう思いながらも、ヒメは回りこんで来た黒木から逃げるようにビルの影から飛び出す。
破裂音。コンクリートの削れる音が夜の街に響き渡る。
「……ハァ。ジリ貧やなぁ」
道端に停めてあった大型トラックの後ろに逃げ込むと、ヒメは夜空を仰ぎながら溜息をついた。
こちらの攻撃は通じず、あちらは弾を撃ち放題。
どう考えてもおかしな状況だ。攻撃が通じないのも弾が無制限なのも、普通に考えればあり得ない。
「やっぱり藤棚……ファントムの催眠からは私でも逃げれんてことかな」
あり得ないならば、実際には起こっていない出来事なのだろう。しかしもしそうならば、どこまでが幻影なのか。
黒木は本当に敵だったのか。話した内容は、今までの記憶は。
ここまで来ると、全てを疑ってかかりたくなってくる。本当に、嫌な能力を嫌な人間がもっているものだと、ヒメは内心で愚痴を漏らす。
「……そういえば黒木さん。少し聞きたい事があるんやけど」
「ん、何だいヒメくん」
苦し紛れに話をふってみれば、意外にも黒木は銃撃を止めて乗って来た。
これはいよいよ現実ではなくて幻影ではないかと、ヒメは疑いを濃くする。
「ファントムと吸血鬼は何でこの街を狙ったん? スティーブンに復讐するためにこの街を狙う意味が分からんし、ハッキリ言って傍迷惑なんやけど」
「んー……ん? もしかしてヒメくん。君たちは狙われていたのがこの街だけだと思って居たのかい?」
「……何やって?」
純粋に疑問に思って聞いたらしい黒木に、ヒメは訝しく思いながらも聞き返す。
「君だって葛葉から聞いただろう。ワードッグを使う正体不明の集団が、各地で騒ぎを起こしているって」
「だから、それはファントムの仕業じゃないん?」
「……ああ、そういうことか。君は致命的な勘違いをしているね」
朗らかに笑って言う黒木に、ヒメは何故か背筋がゾッとするのを感じた。
勘違いしている。その意味にヒメはすぐに気付き、確かに致命的だと自覚し血の気が引いた。
「……黒木さん。ファントムと吸血鬼の仲間……デジタルデビルチルドレンは全部で何人居るん?」
「さて、百人はいってないはずだけどね。……ファントムを一人と数えた場合だけど」
つまりデジタルデビルチルドレンというかつて子供だった異端者たちは、確実に百人以上は生き残っていて、しかも同一の目的の元に動いているという事。
しかしこの街にはファントムと思われる女数人と吸血鬼しか襲撃に来ていない。ならば残りのデジタルデビルチルドレンは……。
「……日本各地の霊地に同時侵攻」
「その通り。まあ厳密には霊地なんて関係無し。みんな各々の地元に帰って好き勝手に暴れてるだけなんだがね」
軽く言う黒木だが、それは日本各地の退魔機関や警察を初めとした治安維持機関には悪夢に等しい。
一見すれば無謀。しかし彼らは悪魔と共に育ちながら生き残った、魔の申し子たちだ。その境遇からして召喚師としての適正があるのは確実。さらに吸血鬼やファントムのような異能や、それに匹敵する戦闘能力を有しているなら、一人が暴れまわっただけでも鎮圧には手間がかかる。
この手の騒動の時に動くのは葛葉だが、彼らは少数精鋭。全国各地でデジタルデビルチルドレンが暴れているなら、対応は後手に回らざるを得ない。
「……で、何でそいつらは地元で暴れとん? スティーブンに復讐するなら、当人にすればいいやん」
「ふふ。そうだね。僕も最初はそう思っていたよ。だけどねヒメくん。この世界には『スティーブンなんて人間は存在しない』んだよ」
「……は?」
黒木の発言の意味が分からず、ヒメは間の抜けた声を漏らす。それに笑いを返しながら、黒木は教師が生徒に話すみたいにゆっくりと説明を始めた。
「少なくとも、僕がどんなに調べても、スティーブンという科学者が存在した証拠を見つける事ができなかった。ターミナルシステムの開発者である事を考えれば、その情報が秘匿されているのも納得なんだけどね、それでも欠片も情報が手に入らないのは異常だ」
「……スティーブンなんて科学者は最初から居なかった?」
「いや、当時の関係者に話を聞いたが、スティーブンは確かに居た。だけど彼の情報はまったく手に入らない。……もしかしたら彼は人間では無かったのかもしれないね」
ある種の確信があるように黒木は言った。しかし当時は(今も)オーバーテクノロジーであるターミナルシステムや、一部の人間にしか理解できない悪魔召喚プログラムという代物を生み出した科学者。人間で無いかもしれないというのは、どこか納得してしまう結論だ。
「それで、当人に復讐できないなら、関係者にやつあたりをしたくなるのが人の性だ」
「ぜんぜん関係ないとこにやつあたりがきとんやけど」
「ヒメくん。悪魔召喚プログラムをばら撒いたスティーブンの目的は何だい?」
抗議には耳を貸さず、新たな問いを投げかけてくる黒木に、ヒメは眉をしかめながらも考える。
「……当時跋扈していた悪魔、そしてその大元のクーデター首謀者とアメリカ大使の排除」
「その通り。ゴトウ陸佐とトールマン大使。背後では政治家やらガイア教徒やらメシア教徒が暗躍していたみたいだが、彼らの動きが封じられたらそいつらも黙るしかない。そしてそんな二人を打ち倒したのがヒーロー。スティーブンが悪魔召喚プログラムと共に蒔いた希望は、彼という一人の英雄(ヒーロー)に集約された」
政治家が暗躍していた。故に葛葉も動きを大きく制限されていた。
そんな中で世界を救ったのが、ヒーローという一人の少年。
「スティーブンは英雄を生み出した。なら、英雄になれなかった人たちは何だったんだろうね」
その問いに、ヒメは以前ファントムが言っていた言葉を思い出す。
――英雄の影である私たちの存在を知らしめよう。
「英雄になれなかった、英雄の生贄になった彼ら。平和の礎ですらなく、ただ無為に死んでいった彼ら。そんな彼らの復讐は、スティーブンが授けた力を使って、スティーブンの願いを否定する事によって果たされる」
「……つまり」
デジタルデビルチルドレンの目的は。
「世界を滅ぼす。それが彼女たちの復讐(やつあたり)だ」