「ハァ……ああ、胸糞悪い」
深山城のお堀の近く、炎上する車を背に、ヒメは吐き捨てるように言った。
その足元には喉を裂かれ、息絶えた白装束の女の体。誘導催眠により何度も殺しそこね、ようやく殺してしまった敵の姿があった。
「……で、アンタは何人殺せば死ぬん? ファントムさんとやら」
既に死んでいる女に向かってヒメは問う。
これで終わるはずが無い。この程度で素直に死んでくれるならば、この女はここに現れてはいない。
そう確信し、ヒメは問うたのだが、返ってきたのは嫌になるほど聞いた女の声ではなかった。
「安心しなさいヒメくん。もう彼女はここには居ない。とりあえずは君の勝ちだ」
「……は?」
聞き慣れた男の声に、ヒメは間の抜けた声をあげた。
いつの間にか、まるで「彼女たち」と同じように、灰色の髪の男が――探偵にして情報屋である黒木が立っていた。
知らずヒメは体を強張らせていた。
いつもと変わらぬ笑みが、どうしてこれほど嫌らしく不気味に見えるのか。
どうしてこの男が、自分たちの敵だと確信してしまったのか。
「黒木さん……何でアンタが一人でここに居るん? 自分は腰抜けやけん、危ないとしっとる橋は渡らん言うとったやん」
黒木という男に戦闘能力は皆無に等しい。
ただ異常を察知し、知るべき事を知り、求めるものを手に入れることに異常な才を発揮する男。それが黒木という男のはずだ。
そんな男が、何故今悪魔が溢れている町の中を無防備に歩いているのか。
「そうだね。だけど今のところは危なくないから大丈夫だよ。だって『今この街に僕の敵は居ない』から」
その言葉でヒメは理解した。
この男は蝙蝠だ。自分たちの味方であり、敵の味方でもある。
「……なるほど。黒木さんにしては情報が早すぎたり、逆にあからさまな罠にかかったりと不自然やとは思っとったけど、スパイとは恐れ入ったわ」
「ありがとう。まあテレパスなんて情報戦の反則があったから、君が予想しているよりは楽な仕事だったよ。深海くんの覚醒がもっと早ければ、僕の存在にも気付いたんだろうけど、本当にギリギリの帰還だったね」
「何でや。葛葉の連絡員であるアンタが何で……」
「順序が逆だよ。僕は彼女たちのために葛葉に接触した。彼らは敵だと知らずに僕を受け入れたんだ」
「……深山の霊地を乗っ取るために?」
「いや、復讐のためだよ」
ヒメの背に寒気が走った。ヒメを見つめたまま微笑む黒木。それを見てようやくヒメは理解した。
あの笑みだ。先ほどから不気味で、恐くて仕方が無いのは。
所謂目の笑ってない笑み。その瞳に宿るのは底知れぬ闇であり、そんな目をした人間が笑っている事が気味が悪くて仕方が無い。
今の黒木を見れば誰もが思うだろう。この男は狂っていると。
「復讐って……宮間に?」
「いや、彼女たちの復讐の相手はたった一人。シンプルだろう」
黒木はそう言うが、ヒメは納得いかなかった。
一人に復讐するために、何故これほど大掛かりなことをする必要があったのか。
あるいはこの地を荒らすことで、この地を守護する宮間へ復讐するのかと思ったが、それは黒木自身が否定した。
ならば誰に? 何のために復讐をするというのか。
「僕たちの復讐の相手の名はスティーブン。十七年前に世界を救った、諸悪の根源だよ」
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「……とりあえず当面は大丈夫かな」
カーミラが去り、周囲に敵が居ない事を確認すると、アキラは懐から六発の弾丸を取り出し銃にこめなおす。
『良かったのアキラ? それ高かったんでしょ?』
「背に腹は変えられないだろ。金で命が買えるなら安いもんだし」
暴威弾。そう名づけられた弾丸は、マスターに頼んで用意してもらった特殊な弾丸であり、今のアキラにとっての切り札だった。
小型の大砲クラスの威力を持ち、にもかかわらず反動は普通の弾丸と変わらないという理不尽の塊。
当然値は張ったし、早々使うつもりは無かったのだが、ロキという魔王相手に出し惜しみはできなかった。
「まあとにかくツバキさんのとこに戻って……ピクシー!」
『え!?』
突然アキラに抱きかかえられピクシーは呆気にとられる。しかし刹那の後、ピクシーはその理由に気付く。
ピクシーが居た場所に大きなクレーターが出来ていた。それをやったのはトロールであり、そのトロール自身も何が起こったのか分からない様子でうろたえている。
『あ、ち、違うぞアキラ! オイラがやったんじゃ……やったけど……やってないぞ!』
「……まさか」
『アキラ殿!』
アキラが事態を把握した瞬間、今度はクー・フーリンが焦燥にかられた声をあげながら、ゲイボルグをアキラ目がけて突き出していた。
アキラはピクシーを突き飛ばし刀を抜こうとしたが、相手はケルトの大英雄。そんな暇などあるはずが無く、咄嗟にN686を振りかぶり、銃底で弾いて何とかやり過ごす。
「クッ、リターン!」
『!? アキ……』
操られている。そう確信したアキラはクー・フーリンから転がるように距離をとりつつ、GUMPを取り出し仲魔を帰還させる。
運が良かった。トロール自身が意識していない攻撃に反応できた事も、銃底でクー・フーリンの槍を弾けた事も、全て偶然だった。
何かが一つ上手くいかなければ、アキラはこの場に立っていなかっただろう。
「……」
トロール。クー・フーリン。そしてピクシーが消え、その場が静寂に包まれる。
しかしアキラは確信していた。この場にもう一人、とんでもなく気に食わない奴がいると。
「へぇ、良い判断ね。精神感応以外は並だと思ってたんだけど、反射神経と判断力も中々じゃない」
「……やっぱり来たか」
アキラにしては珍しく、嫌悪の色を隠さない声だった。それを聞いた相手――白装束の女は、顔を覆う白い布の下でクスリと笑う。
「私が生きてるって知ってたんだ。さすが、疑り深いんだ」
「下らない演技はやめろ。藤棚なら確かに死んだ。似たような能力を持ってる俺が、おまえの正体に気付かないはずがないだろ」
「私の正体? おかしいんだ。『そんなものあるはずがない』じゃない」
「……なるほど。だから『ファントム』か」
「正解に辿り着いたみたいだけど、答え合わせはまた今度。仲魔を戻して安心してるみたいだけど、この場にはもう一人居るのを忘れてないかしら?」
「もちろん。覚えてるよ!」
叫ぶように言いながら、アキラは突然顔面目がけて飛んできた拳を回避した。
予想以上の速度に肝が冷える。精神感応で攻撃のタイミングは分かっていたというのに、避けるのがギリギリになるとはどういうことか。
「……やっぱりこうなるか」
視線を向けた先に、ボクサーのように構える九峨が居た。アキラを睨めつけるその目には、明らかな敵意。
「……やはり生きていたか吸血鬼」
「……そういうやり方か」
その言葉からして、九峨にはアキラが死んだアヤメに見えているのだろう。
五感を騙すような能力相手に、説得や抗弁が役に立つはずが無い。いっそ見事なほどの同士討ちのシチュエーションに笑いすら漏れない。
「さあ、お楽しみはこれからよ」
「やってる事が小悪党にも程がある。ろくな死に方しないぞおまえ」
愉しそうに言う女に、アキラは悪態をつきつつも刀を抜いた。