「ほりゃあ!」
十文字槍が呻りを上げ、ワードッグが三体まとめて切り裂かれる。
それを見届けることなく、十文字槍を持った僧侶――小埜リショウはワードッグの群のど真ん中に踏み込み、槍を振り回して敵を蹴散らしていく。
「……どこの無双武将だ」
その様子を、息子であるリカイは呆れながら見つめていた。
両手に拳銃を握ってはいるが、リショウが敵中のど真ん中に居るため迂闊に撃てない。もっとも、あの親父なら銃弾程度槍で弾きそうだが。
「ほんに、小埜はいつ見ても豪快な戦い方やねぇ。リカイちゃんはやらんの?」
「あんな真似できるか……」
不意に声が聞こえて振り返れば、巫女服をまとった老女――金凪ハヅキが居た。そしてその後ろから追従してくるのは孫の金凪ヤヨイ。しかしそのヤヨイに、リカイは胡乱な瞳を向ける。
「……何で頭に狸が乗ってんだ?」
「え……? まだ乗ってないの?」
何がだよ。てか乗るのかよ。
そんなつっこみは口にせず、リカイはハヅキへと視線を向ける。
このヤヨイという少女は、口数が少ないので話が通じない事が多い。頑張って会話を成立させようとしても、リカイの気の短さとヤヨイの弱気っぷりが見事にマッチして、傍から見ると苛めているようにしか見えないのだ。
そのためリカイはヤヨイとあまり長く話さないようにしている。
「お袖さんの眷属みたいやねえ。堀の内が敵に襲われとるってしらせてくれたんよ」
「お袖さん?」
「……八股榎大明神」
相変わらず説明不足なヤヨイは置いておいて、とりあえずどっかの神様らしいとリカイは納得する。
そこへリショウがワードッグの殲滅を終えて戻ってきたのだが、その姿を見てリショウは再び胡乱な目を向ける。
「……何で頭に狸が乗ってんだ?」
「お袖さんの眷族やな。ヤヨイちゃんにも乗っとるやろ」
「だから何でわざわざ頭に乗るんだよ!?」
剃髪されたリショウの頭に必死にしがみついている狸。
頭に乗らないと伝言ができないのか、それともやはり意味は無いのか。
「そろそろ犬面も打ち止めみたいやし、本丸に敵が来とるなら戻った方が良さそうですなぁ」
「結界が乗っ取られとるなら、小埜の出番やね。結界は坊主の専門でしょう」
「難しいですなあ。アレは二百年ものの結界やし、敵さんもよう乗っ取れたもんです」
「壊すだけならどうとでもなるだろ。早く行こうぜ」
リカイがそう言って歩き出そうとしたが、何かが近付く気配を感じ取って足を止める。
「……囲まれてる」
ヤヨイが呟くと、計ったように犬面たちが現れた。
知性を感じさせない、ただ殺戮本能に支配された目が四人を凝視している。
「こっちも放っておけんしなあ。堀の内は赤猪さんに任せますか」
「また犬の相手かよ。勘弁してくれよ」
リショウが槍を構え、理解が愚痴を漏らしながら銃口をワードッグたちへと向ける。
深山長い夜は未だ明けそうに無かった。
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「おまえは……何だ?」
目の前の少女に、知れず九峨は疑問の声を漏らしていた。
悪魔にしても異様。アッシャー界への定着に贄が必要だったとしても、人の体をそのまま己の体に作り変えるなど、無駄が多いし趣味も悪い。
「私はミラーカ。いえ、カーミラの方が貴方たちには通りがいいかしら」
「……吸血鬼か」
敵を認めた九峨が構え、アキラたちも各々の武器をカーミラへと向ける。しかし一方のカーミラは、さもおかしそうに笑っている。
「私は貴方たちと戦うつもりはないのよ。私と貴方、戦う理由があって?」
「ふざけるなよ吸血鬼。おまえを野放しにする理由がどこにある」
戦わないと言うカーミラに、九峨は戦いが不可避である事を告げる。
実際にこれまで多くの少女を餌食にしてきた吸血鬼を、見逃す道理は存在しない。
「まあ恐い。だけど私は何も悪い事はしてないわ」
「人を殺した」
「だから? 人を殺す私が悪なら、人間だって人を殺すわ。それとも貴方は、悪魔を殺して平気なの?」
その言葉が、アキラの心に楔を打った。
まだ決意を固めていなかった頃、アキラは悪魔を殺す事に躊躇いを感じた。
例え敵であっても、生物を殺す事に生理的な嫌悪を覚え、健全に育まれた倫理が悲鳴をあげた。
「ふふふ。フカミアキラ……だったかしら。貴方は優しいのね。私みたいな化物ですら理解して、許容して、受け入れて、そして傷付いてしまう」
カーミラはアキラへ視線を向けると、その胸の内を見透かしたように笑った。
「この子も人を殺したわ。この子にとって大切な人。彼女の体を自分の心と一緒に切り裂いて、涙も流せず哭いていた。そんな彼を、貴方は悪だと罵るの?」
「……仕方が無い事だ」
「そう仕方ない。そう言って人はどうにもならない現実に、抗えない運命に蓋をして逃げるの」
愉しそうにカーミラは言う。謳うように笑って言う。
それを遮るように、九峨が踊りかかり、手刀を振るった。
「何!?」
しかしカーミラは、手刀をすり抜けて影のように消え失せてしまう。
「生きるという事はそういう事なの。犠牲が無ければ人は生きられない。そして犠牲には血がつきものだわ」
姿は無いのに声だけが響く。
影と一体になったカーミラの姿は、この暗闇の中では消えているに等しい。
誰もがカーミラを探し、視線を巡らせる。
「そこに善も悪も無い。みんな誰が作ったかも知れない掟に縛られて、人形みたいに踊ってる」
だがアキラには見えていた。目で見えずとも、心の目でカーミラの姿を捉えていた。
だから突然目の前に現れて、口付けのできそうな距離から顔を覗き込まれても、アキラは驚きもせずカーミラを見返していた。
「友と歩む喜びも、愛する人と共にある安らぎも……身を焦がす怒りも、心を引き裂く嘆きすらも、全て同じものなの。人々の望む秩序と、人々の欲する混沌と、その総和である争いによって世界は輪廻する。意地悪な神様がそう世界を作ったの」
鈴のような声でカーミラはアキラに語りかける。
クー・フーリンが槍を突きつけ、トロールがうなり声を上げ、ピクシーが睨ねつけているというのに、それすらも娯楽であるかのように笑っている。
「もしも私が二度と人を襲わないと誓ったら、貴方は私を見逃す?」
「……それが本当なら、俺は君を見逃す」
「アキラ!?」
ピクシーの抗議を、アキラはそっと手をあげて制した。
カーミラの言葉が真実である確証などない。恐らくは本心で無いとアキラは気付いている。
しかしそれ以上に、カーミラは望んでいる。アキラという青年の内を知りたいと欲している。
「……貴方は優しい人。きっと貴方は救世主(メシア)になるわ」
「メシア?」
「そんなわけ無いでしょう。アキラは普通の人間よ!」
疑問を漏らすアキラを遮って、ピクシーが否定する。
この世界にメシアは居ない。
世紀末は訪れず、メシアプロジェクトと呼ばれるはずだった計画も始まらなかった。
だがそれでも――
「世界を守る事も、世界を変える事も、貴方にはできない」
――救われるものがあるとすれば。
「だけど貴方は許してくれるの。神を憎みながら、神に頭を垂れて懺悔する者たち。永遠の輪廻と矛盾螺旋の中で足掻く者たちすら、きっと貴方は赦してしまう」
そんな事は無いと、アキラは思った。
自分はミコトをあのような目にあわせた藤棚を許せなかった。少女たちを殺したアヤメを許せなかった。
そんな自分から、どんな許しを得れば、彼らは救われるというのか。
「彼らを知って、貴方がどんな赦しを与えるのかは私にも分からない」
そう言いながら、カーミラは再び影となって姿を眩ませる。
「この世界は滅びなかった。貴方は一時の猶予と、甘い理想を語ることを許された」
声は遠ざかっていく。逃げるでもなく、ゆっくりとした速度でカーミラは去っていく。
「だから、また会いましょう。滅びるはずだった世界と一緒に貴方という人が生まれたのは、きっととても幸福なことだから」
そうしてカーミラはその場から姿を消した。