ようやく召喚の儀式の準備を終え、ツバキはゆっくりと体から力を抜いた。
何せ百年に一度行うか否かという大儀式だ。ツバキ自身、自分の代でこのようなものをやる羽目になるとは思ってもみなかった。
それでも、万全を期したと断言できる。後はしかるべき手順を踏みさえすれば、神と呼ばれる存在の召喚すら可能だろう。
「準備は終わりましたか?」
「……いきなり現れないでください」
突如目前に出現した青年に、ツバキは内心の動揺を隠しながら言った。
まったく性質が悪い。意識の間隙をついているというのは本当らしく、それまでそこに居たのに気付けなかった。そんな現れ方をするのだ。
こんなことを続けられたら、常時無意味に身構えてしまう。
「すいません。急いでいたので配慮が足りませんでした」
「急いで……八塚!?」
アキラが肩に担いでいる女性に気付き、ツバキは取り繕うのをやめて声を上げていた。
八塚はぐったりとアキラに身を任せており、意識が無いのは一目瞭然だった。
「例の吸血鬼から逃げていたので、保護しておきました」
「そんな……八塚が」
八塚は犬神使いという、デビルサマナーに比べれば限定した力の持ち主ではあるが、その犬神の力は並の悪魔では太刀打ちできないほどだ。
吸血鬼如きに負けるはずが無いのに何故。
「吸血鬼が何やら大層な悪魔を呼び出していました。一体だけでしたが、下手をしなくても妖精王より高位の悪魔ですね」
「妖精王以上……」
何故アキラが妖精王を比較に出したのかツバキには分からなかったが、その脅威の程は伝わった。
多神教の神か、あるいは魔王か。それこそ伝説級の高位悪魔である事は間違いないだろう。
「吸血鬼がこの屋敷に向かってきてます」
「どうやって。お堀の結界は?」
「破られていました。恐らく堀に犬頭たちの血が……穢れが流れ込んだせいでは」
「……犬頭の陽動には、そういう意図もあったわけですか」
今更敵の動きの意味に気付き、ツバキは吐息を漏らした。
敵が組織だって動いているのに対し、こちらはあくまで同業者の組合でしかない。後手に回るのはある程度仕方が無いと思っていたが、実際に戦況が悪くなってくると、その考えが甘えであったと嫌でも理解せざるをえない。
「相手はまだ奥の手を使っていない。だからこちらが使うわけにもいかない。そしてここは死守しなければならない。だけど援軍がすぐ来るような状況でも無い。
仕方が無い。俺が行きますか」
「……それで貴方がやられたら本末転倒です。私が行きます」
「それこそ本末転倒でしょう。準備は終わってるみたいですけど、俺にこんな儀式召喚ができると思いますか?」
それは無理だろう。そんなにあっさりと召喚できるのならば、悪魔召喚プログラムがこれほど重宝されるはずがない。
「……貴方が行方不明になる前に、監禁して修行させておくべきでした」
「無茶言わないでください。『深海』はあくまで異能者であって、術師じゃないですよ」
「ですが現に貴方には素質がある。どこかで拝み屋の血でも混ざったのでしょう」
「父は『深海』でしか無かったみたいですし、母方の血かな? 台湾で商売をしていたと聞いてますが、怪しくなってきたかな」
自身の血についてあっさりと受け入れるアキラ。その様子にツバキは先ほどとは違う意味で溜息が漏れた。
「大物ですね貴方は。数ヶ月前まで一般人だったというのに、周囲の異常も己の異状も受け入れてしまう」
「どうも生まれつきそういった特性だったみたいで。状況に抗うより受け入れるタイプみたいです」
その言葉がツバキの意識に引っかかった。
その二つの言葉は、ある状況下では重要な意味を持つ。今後アキラが悪魔とどう関っていくか、端的に表しているといっても良い。
「……LAW……ではあるけれど“彼ら”とは違う。まあ極論すれば天津神もそうですし、世紀末でも無い今は大丈夫でしょうか」
「LOW?」
「こちらの話です。しかし八塚が敗れるような相手に、やはり貴方を行かせるわけには……」
『心配性ね。大丈夫だって』
不意に、アキラでもツバキでも無い第三者の声が響いた。
『なんたってアキラにはあのクー・フーリンがついてるのよ。それに私だってそれなりにやるし』
背中に透明の羽を生やし白いドレスを纏った、金髪の少女がアキラのそばに浮かんでいた。
その姿にツバキは見覚えがあり、一体どこで見たのかと記憶を手繰り寄せ、正解に行き当たるとまた溜息が漏れた。
「……何故ピクシーが人間サイズになっているのですか」
『私ハイピクシーだから』
「答えになっていません」
ハイピクシーはピクシーたちを統括する高位妖精だが、だからといって人間サイズだったりはしないし、突然巨大化したりもしない。
この妖精はピクシーなどでは無い。もっと別の何かだ。
「……どうも九峨さんが待ち伏せしてるみたいですね。このままだと九峨さん一人で吸血鬼と戦うことになりますよ」
「そういう報告はもっと早くしてください」
精神感応で九峨の存在を捉えたらしいアキラに、ツバキから苦情が漏れる。
九峨が居るのなら話しは早い。彼は深山でも五指に入る実力者だ。彼に前線を任せ、アキラには援護でもさせれば良い。
「じゃあ行っても良いですよね」
「行く前に、現在の街の状況を分かる限り報告してください」
先ほどから電話が一切来なくなっている。何かあったかもしれないと、ツバキはある意味便利すぎる情報収集人に答えを求める。
「……ああ、これまずいかも」
「……何がですか?」
少し意識を集中し、何かに気付いたアキラが声を漏らす。
もう何があっても驚かないと覚悟を決めるツバキだったが、次のアキラの言葉は予想外すぎた。
「一度破られたお堀の結界が乗っ取られてますね。外と隔離されてます」
「……」
何も言わず崩れ落ちるツバキ。
状況が悪いのもあるが、アキラに言われるまでお堀の結界を破られた事にも、乗っ取られた事にも気付けなかったのだ。術者として自信を喪失しても仕方が無い。
「……援軍が来ないと分かった以上、戦力を出し惜しみできません。行ってください深海さん」
「ツバキさんも結構タフですね。他に敵は感知してませんけど、一応気をつけてください。行くよピクシー」
『はーい』
ピクシーの手を取ると、現れたときと同じようにいつの間にかツバキの認識外へと離れるアキラ。
手馴れているにも程がある。歴代の「深海」の中でも、アキラほど戦闘向きな力の使い方を覚えた者は恐らく稀だろう。
その才能に、ツバキは少しだけ嫉妬した。
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「ああーッ、うっとい!?」
襲いかかって来たワードッグを切り伏せながら、ヒメは内心の苛立ちを吐き出すように叫んだ。
暗闇の中爛々と光る犬たちの瞳。その数がどれほどのものか、数えるのも面倒になってきた。
「あんたら合わせ! ――マハジオンガ!」
『――デスバウンド!』
『――マハザンマ!』
ヒメが雷撃を放つのに続いて、ジークフリートが剣撃による衝撃波を、スカアハが衝撃魔法を放つ。
路地裏の道路を横切ったそれは、空中でタペストリーのように重なり合い、ワードックたちを蹂躙していく。
「……何ともまあ、これで本気じゃねえんだから、恐ろしいね姫さんは」
ヒメの背後で、煙草をふかしながら鬼塚は呟いた。
対オカルト捜査官という特殊な立ち居地にある鬼塚は、その立場上様々な異能者と協力関係を結んできた。しかしヒメほどの力を持った者は本当に稀で、恐らく全国を探しても数えるほどしか居ないだろう。
何ともまあ羨ましいと、口には出さず思う。
鬼塚自身先ほどから右手に拳銃をぶら下げてはいるが、使う機会には恵まれていない。
仮に使う機会があったとしても、こんな小さな口径の銃弾が悪魔に効果があるかは怪しいし、何より弾は五発で打ち止めだ。
悪魔相手に捜査させるなら、機関銃とは言わないがせめて小銃くらいは持たせても構わんだろうに。
そう愚痴り続けてきた鬼塚だったが、未だに自分たちの基本装備は支給された拳銃一丁。
頭は固いが有能な後輩も来た事だし、この事件が終わったら転属願いを出そうと決意する。
「……ん? 何だありゃ?」
ふと妙なものが視界に入り、鬼塚は目を凝らす。
女性が居た。電柱の影に隠れて、こちらを窺うようにしている女性が。
しかしこの女性、ただの女性では無いのは明白だった。
まず服装がおかしい。着物……と言えばまだ珍しくあってもおかしくは無いのだが、一体どこのお城の姫だと聞きたくなるほど華美だった。
その顔立ちもその着物に負けず劣らず美しく、同時に一目で人外だと知れる異様さがある。
着物の女性の悪魔。一体何の妖怪だと鬼塚は身構える。
「あれ? お袖さんやん。どうしたん?」
「……知り合いか」
ワードッグを始末したヒメが、鬼塚のそばに来るなり女性に気付いて言った。
すると電柱に隠れていた女性は、ピンと背筋を伸ばしてこちらへ走ってくる。……着物を着ているとは思えない軽快さで。
『こんばんは赤猪さん。相変わらずお強いですね』
「ありがとう。それで、どしたんお袖さん? アンタ今は堀端にすんどるんやないん?」
「……」
どうやらお袖というらしい女性と普通に会話をするヒメ。その様子を鬼塚は遠い目をしつつ煙草を吸いながら眺める。
必ずしも人に敵対するとは限らないのが悪魔だが、日本古来の妖怪というのは特にその傾向が強い。彼らは悪事をするにしても悪戯程度のことしかせず、懲らしめられた後に人間に利益をもたらすものも多い。
民俗学者の中には、妖怪は堕ちた神だと言う者も居る。このお袖さんとやらも、人間に友好的な妖怪の類なのだろう。
『何だか古巣が騒がしいから、気になって見に来たんです。そしたらどうもお堀の結界に細工がされてるみたいで、入ろうにも入れなくて』
「入れんて、お袖さんが?」
『ええ。どうも霊的な結界を物理的な障壁へと転化したみたいです』
「……乗っ取られた?」
状況を理解し、ヒメは眉をひそめた。
宮間の戦力の殆どは、ワードッグを駆逐するために街を駆け回っている。結界がある堀の内の中には、殆ど誰も残っていないはずだ。
「ヤバイやん。よく知らせてくれたお袖さん! 鬼塚さん他の人らに状況説明任せた!」
「待てコラ!?」
一番面倒臭い事を任せて、さっさと駆けて行くヒメ。恐らくは堀の内に向かうつもりだろう。
「……」
『……』
何となく横を見ると、お袖さんが無言で鬼塚を見つめていた。
すっごい見つめていた。それはもう何かを期待するように。
『……お困りですか?』
「……それなりにな」
『お手伝い必要ですか? 必要ですよね? 今ならおあげを下されば協力しますよ?』
「……後払いでいいならな」
しばし考えた後に鬼塚が言うと、お袖さんはパァッと顔を輝かせる。
その様子に、鬼塚はオソデさんの正体にようやく察しがつく。人間に化け、おあげを欲しがるとくれば、正体は一つしかない。
『では、おいでなさい!』
お袖さんがパンパンと手を打つと同時、周囲の影から待ちかねていたように小さな影が飛び出してくる。
それらはお袖さんの周囲に集まると、お座りをして待機する。
「ッて、狸かよ!?」
『あら? 狸だと何か問題が?』
不思議そうに首を傾げるお袖さん。よくよく見てみれば、その尻の辺りにはまるまるとした狸の尻尾が見えている。
「おあげが好物なのは狐だろ!?」
『いやですね、狸だっておあげは好きですよ。特に松山あげは味噌汁にあうんです。それに四国に狐は居ませんよ。あいつら性格悪いから、オヅヌ様にまとめて追い出されましたし』
「何やってんだオヅヌ!?」
オヅヌというのは、修験道の開祖である役小角の事だろう。動物愛護団体も真っ青な所業に、思わず鬼塚は声を荒げていた。
『まあ狐なんて置いといて。この子たちにも退魔士さんたちへの連絡を手伝わせますね』
「……ああ頼む」
もう一度お袖さんが手を叩くと、狸たちはサッと影に隠れるように散っていく。
後払いにしてもおあげは何処に届ければ良いのか。鬼塚は疲れた頭でそんな事を考えていた。
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吸血鬼は焦っていた。
ワードッグ全てを撹乱、陽動に使い、手薄となった敵の本丸を急襲する。それがあの女から仰せつかった自分の役割だというのに、たった一人の犬神使いに随分と手間を取らされてしまった。
しかも相手を仕留めるには至らず、多数の犬神が盾となり取り逃がしてしまった。後でどんな精神を磨耗するような嫌味を言われる事か、憂鬱であるとすら言っていい。
吸血鬼は焦っていた。
だからだろうか。宮間の屋敷を目の前にして、普段なら真っ先に気付いたであろう男の存在に気付けなかったのは。
『――マハザンマ!』
「うをっ!?」
突如荒れ狂い始めた空間から、吸血鬼は霧化したまま後退って遠ざかる。
「やはり来たな。吸血鬼」
「……またおまえかよ。ダークサマナー」
暗闇の中、九峨の煙草の火が浮かび上がった。周囲にはセンリ、チュルルック、パピルザクにライジュウの姿。
漏れた舌打ちに、九峨は煙草の煙を吐き出しながら応じる。
「十年前だったな。俺がそう呼ばれ、おまえがまだなり損ないだったのは」
「ハンッ。よーく覚えてんぜ。偉そうな政治家のオッサンの首を、枝みたいにへし折るアンタの後姿をなあ」
挑発するように言う吸血鬼に九峨は何も返さない。
ダークサマナー。悪魔を使役し闇家業に手を染める、悪に堕ちたデビルサマナー。それが九峨の生業だった。
「……あの時俺はおまえを見逃した。一般人でもなければ、組織の障害となるほどの力も無い、哀れなガキのおまえを。それが間違いだったと知る事ができただけでも、この街に根付いた意味はあった」
「ハンッ。俺を見逃したのがアンタの罪だったとでも言うつもりか? 馬鹿ぬかせよ。俺を見逃したのなんて、アンタが犯してきた悪行の数々からしたら、万引きみてえな小さな悪事だよ」
「だが、それは悪だ」
ハッキリと、九峨は断言する。
「間違いを正す。そのためだけに残りの生を使うと、俺は決めている」
「鬱陶しいなアンタ。うぜえよ。てめえの生き方になんぞ興味は無いし、付き合ってやる義理も無い」
吸血鬼が鋭い爪の生えた右手を掲げる。それに呼応するように、九峨と仲魔たちも身構える。
『……何だ。面白そうな因縁じゃねえかアヤメ』
緊迫した場に、やけに陽気な、しかしどこか人を小ばかにしたような若い男の声が響いた。
「……やっときたか。どこほっつき歩いてやがった」
『いや、わりいわりい。あの姉ちゃんが結構良い女だったから追いかけてみたんだが、まんまと逃げ切られた。どうも変なのに邪魔されたっぽくてな』
「変なの?」
青い肌をした金髪の青年がそこにいた。吸血鬼の肩の高さで浮遊しながら、胡坐をかいて頬杖をついている。
その存在が何であるか、九峨は理解し、同時に否定した。
「まさか……そんなはずが」
『いえ、九峨様……アレは、間違いありません』
『おっ、何だ。自己紹介はいらない感じか?』
驚愕に顔を歪める九峨やセンリたちを見て、青年はニヤリと背筋の凍るような笑みを浮かべる。
「さて、ダークサマナーさんよ。悪いが俺はアンタの相手なんてしてるねえんだ。さっさと片付ける」
『良いねえ。女遊びも愉しいが、よえぇ奴を一方的に殺戮するってのも一興だ』
嗤う。嗤う。嗤う。
吸血鬼と青年は壊れた人形みたいにケタケタと嗤う。
『さて、やろうぜ人間。刻めよ。その目、その身、その魂に、魔王ロキの名を!』
◇◆◇◆
悪魔全書
・神獣 オソデタヌキ(お袖狸)
別名を八股榎大明神。透視能力を持ち、人々の様々な悩みを神通力で解決したと言う。人前に現れるときは、美しいお姫さまの姿をしていた。
元は松山城の森に住んでいたが、人を大勢見てみたいと思い、八股の榎へと住処を変える。
しばらくは人を観察していたが、通りがかりのお婆さんを助けて感謝されたのをきっかけに、人助けを自分の仕事にしようと決意する。
その後お袖狸の住む榎は評判となり、線香やお供えをする人が後を絶たなかったという。
昭和に入りその榎は切られてしまい、住処を失くしたお袖狸は御幸山や久万の台等を点々とした後、久万山の奥へと姿を消した。
現在は堀端にて八股榎大明神として祀られている。
・妖精 センリ(仙狸)
山猫が長じて力を得た存在。猫又の親戚みたいなもの。
動物が力を持って妖に転じる例は多く、それらが徳をためるのは自らをより高位の存在に高めるためだという。
要するに皆お袖狸みたいに神様になりたいらしい。
真・女神転生1では傘を被った白装束の女性の姿だったが、3で何故か怪しく蠢くキノコに。
ネコマタからセンリに変異した瞬間、多くのプレイヤーが崩れ落ちた。
・夜魔 チュルルック
よく分からない何か。ランダの手下らしく、バロンに追いかけ回されてたりする。
MPが多いので雑魚相手によく使っていたが、こいつに思い入れがあるのはメガテニストの中でも作者だけだと思われる。