「――南斗、北斗、三台、玉女、左青龍避万兵、右白虎避不祥……」
宮間の屋敷の中庭。篝火が焚かれ、微かに揺れる明かりの中、宮間の当主であるツバキは濡れた衣服にも構わず歩き続けていた。
「――前後扶翼、急急如律令」
足を止め、儀式を終えると、ツバキはふと息をついた。
手慣れた、何度も繰り返した術ではあるが、いざ実戦が迫った中でのそれは緊張感が違う。
未だ未熟であると、若き宮間の当主は己を戒める。
既に外敵の侵入を許している以上、この場にまで攻め込まれる可能性も考慮しなければならない。街中でワードッグが暴れている以上、それが陽動だと分かっていても戦力をさかずにはいられない。
いざとなれば自身が戦うしかない。その事実に不安を感じずにいられるほど、ツバキは大成してはいなかった。
「今のは反閇呪ですか?」
突然の問いに、ツバキはピンと背筋を伸ばした。あからさまに不意をつかれたと分かるその姿は、それでもよく動揺を隠せた方だと言えるだろう。
「……お待ちしておりました。深海様」
椿が背後をふり返れば、そこにはアキラが居た。雨に濡れ、長い髪を顔にはりつかせたその姿は、どこか幽鬼じみた不気味さを感じさせる。
「……あなたは」
「……深海は深見。深淵を覗き見るサトリの一族」
アキラの言葉に、今度こそツバキは動揺を隠せなかった。
それはかつて一度だけ口にした言葉。アキラには聞こえるはずの無かった言葉。
「便利な力です。俺みたいな素人でも、意識の隙間という死角を容易に感じ取れる」
薄く笑って言うアキラに、ツバキは違和感を覚える。
会ったのは一度だけだが、この青年はこのような自嘲混じりの笑みをするような人間には見えなかった。加えて明らかに以前より強力になっている精神感応能力。
何かがアキラを変えた。変えてしまった。
「聞きたい……いえ『読みたい』ことがあるのでは? 『深海』である貴方には」
聞こえるはずが無いその言葉を、この青年は「読んだ」のだろう。
ならば語るまでもなく、ツバキの知る全てをアキラは知る事ができるはずだ。
「いいえ」
「……何故?」
「知りたいと思う気持ちもありますが、それはただの好奇心です。だって今の俺たちには、『そんな事関係ない』でしょう」
アキラの言葉に、ツバキは目を丸くして、やがて息をつくとクスリと笑みを漏らした。
「確かに。今の私たちには関係ありませんね」
「そういうことです。だから、『深海家』の末裔は、相変わらず義務を『深山家』に押しつけたまま、己のやるべき事をやってきます」
一方的にそう告げると、アキラは姿を消した。恐らくは意識の隙間とやらを利用して、ツバキに感知されないように移動したのだろう。
この短期間で己の異能をどのように制御したのか。ツバキは疑問に思ったが、それ以上に呆れた。
「結局全て『読んで』いきましたね」
かつて宮間家――深山家には、対となる家が存在した。
その家は人の心を読むサトリの一族であり、その力で深山家を補助し、時に謀略を行った。
戦国の世には、その家の謀りによって幾つかの大名家が滅びたという。
だがそんな事は関係無い。
宮間とその家はとうの昔に縁が切れていたし、ツバキもアキラの存在を聞くまではすっかり忘れていた。
故に、あっさりと去られても、怒りの類は湧いてこなかったのだ。
「ただ、儀式が終わるまでには戻ってきて欲しいのですが」
どうせ切羽詰まれば感知して戻ってくるだろう。
先ほどまでより軽くなった内心でそう思うと、ツバキは召喚儀式の準備に取りかかった。
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犬神とは四国や近畿地方に見られる伝承である。その製作方法に諸説あれど、共通するのは人工的に作られた犬の悪霊だということだ。
犬神は個人では無く家系、血筋に憑く。故に一人が犬神憑きとなれば一族全てに犬神が憑く。
そのため一部地域では、結婚相手が犬神憑きで無いか戸籍を調べる事すらあった。それほどまでに犬神憑きは恐れられ、忌み嫌われていたのだ。
「――アギラオ!」
「ハンッ。火葬には火力が足りねえよ!」
波状攻撃をしかけるイヌガミの隙間を縫うように、八塚の放った炎が吸血鬼を襲う。
しかしその炎は吸血鬼が片手を振るっただけでかき消され、次いで放たれたイヌガミたちのファイアブレスも大したダメージを与えられれず消失する。
「――ジオダイン!」
「――オン・インドラヤ・ソワカ!」
吸血鬼が極雷を叩きつける刹那、八塚は両手で印を組むと結界をはる。
雷が阻まれるのを確認し、吸血鬼は舌打ちをした。予想以上に手強いと。
「今のは真言か? 犬神憑きが坊主の真似事かよ」
「……品が無ければ知識も乏しい。救いがありませんね」
『あら、正論』
「うるせえ」
目の前の女と内の女にまとめて文句を言うと、吸血鬼は再び舌打ちをした。
「雑魚かと思ったらうざいほど粘りやがる。イヌガミも中位悪魔とやり合えそうだし、マジうぜえなオイ」
「去りなさい汚れた吸血鬼。――招来」
おもむろに懐から管を取り出す八塚。その管が淡い緑色の光を放ったかと思うと、八塚を守るように、雄牛ほどの大きさはあろうかという白いイヌガミが現れる。
牙をむき出しに威嚇をするその姿は、犬ではなく狼。否、狼ですら可愛く見える。
その姿に吸血鬼は一瞬呆気に取られ、そして笑った。
「ハンッ。こんな上位悪魔並のイヌガミがいやがんのかよ。どんだけ恨み辛みが溜まってんだ。なあ汚れた血さんよ?」
「去りなさい。三度はありません」
無視して言う八塚に、吸血鬼はくぐもった笑いを漏らす。
「ああ流石に『一人』じゃ荷が重いなこりゃ」
吸血鬼はそう言うと、口元を歪め上着のそでをまくる。
そして露わになったそれに、それまで表情を崩さなかった八塚の目が微かに見開かれた。
「それは……」
「アームターミナル。どっかのバカがばらまきやがった、悪魔召喚プログラムを効率良く運用するために作られた、ハンドヘルドコンピューター」
吸血鬼の右手が踊るようにキーボードを叩き、背後に召喚陣が現れる。
「来な。クソ忌々しい悪魔ども!
――DIGTAL DEVIL SUMMON!」
吸血鬼の言葉に応えるように、召喚陣を突き破るように幾つかの影が顕現した。