吸血鬼と聞いて人々は何を連想するだろうか。
恐らく多くの人がドラキュラ伯爵を連想し、次いで蝙蝠や霧といった特徴、そして十字架やにんにく、銀の弾丸といった弱点を思いつくだろうか。
ちなみに銀の弾丸については後世の創作だとする説もあるが、地域の民間伝承(噂程度のものだが)では、吸血鬼らしき不死身の女に襲われた男が、銀の弾丸を撃ち込んで女を殺したという逸話がある。逆に吸血鬼と対峙者の信仰によっては十字架が効果を及ぼさ無い場合もあり、思わぬ不意をつかれることもある
ともあれ、その特徴や行動には諸説あるものの、共通するのは彼らが人間を越えたバケモノだという事だろう。
だがそのバケモノを、人は幾度となく打ち倒してきた。
「……湊町の空き家が制圧されたか。あそこは城に近いから、いざってときに重要な拠点だったのによ」
『近いなら相手も警戒することくらい分かっていたでしょう。敵の懐に伏兵を長期間放置しておくなんて、頭に血が巡っていないの貴方?』
昼間だというのに薄暗い倉庫の中で、吸血鬼は太陽の光を避けるようにダンボールの山の中に埋もれながら呟いた。それ対して女の声が内から蔑みの色を含んだ言葉を投げかけてきたが、吸血鬼は「ありえる」と思い反論もせずに一人頷く。
吸血鬼と聞けば、人によっては老獪なイメージを抱くかもしれないが、この場にいる吸血は三十年も生きていない若造だ。それに吸血鬼としての力を手に入れてからは、大抵の事をごり押しで解決してしまい、頭を使う事の方が少なかったと断言できる。
『それに紙の山に埋もれて寝ている場合なの? 先ほどから外が騒がしいのだけど』
「ああ。大方雑魚が群れで来てんだろ。昼間は動きたくねーんだけど、てきとーにやりあって、やばかったら逃げ……」
その言葉を吸血鬼は最後まで続けることができなかった。
広さ五十平方メートルほどの、本来は収穫した蜜柑がつまっているはずの、見た目はそう頑丈そうではない古い倉庫。その倉庫全体が共振するように軋むような音が漏れたかと思うと、バキリという豪快な音を立てて巨大な屋根に隙間が出来る。
「……」
そしてそのまま宙に浮いた屋根は、ゆっくりと倉庫の上から移動していく。屋根が移動していく中で、その後ろに屋根を吊っているのであろうケーブルのようなものが見えたが、それを魔法で切断するなどという対処も思いつかず、吸血鬼は突然の理不尽な光景を呆然と眺めていた。
「気分はどうだ吸血鬼?」
一連の出来事に呆然としている内に入ってきたのか、いつのまにか倉庫内に居たスーツ姿の男に問いかけられ、吸血鬼はダンボールの山の中から身を起こしながら答える。
「……最悪だよ。俺が日光浴びたら一発で灰になるタイプだったらどうするつもりだ」
「灰は川に流すのが筋やろな。今の時期は暴れ川は干上がっとるし、御坂川にでも流そか」
九峨の代わりに答えたのは、袴姿のゲンタだった。そして九峨のそばに立つゲンタのさらに背後には、九峨の仲魔であろう悪魔達が無言で吸血鬼を見据えている。
「なるほど。ここで俺を仕留める気か」
「過剰かもしれんが。それに例え灰にならずとも、日の光を浴びて無事では無いだろう」
「……」
あごに手をあてながら言う九峨に、吸血鬼は顔をしかめながらも無言を貫く。確かに日の光を浴びた全身は、熱した鉄板を押し付けられたように熱と痛みを訴えているが、それを馬鹿正直に肯定する意味はない。
「さすがダークサマナーってとこか。手段を選ばない上に無駄に大規模だなオイ」
「最初は倉庫ごと爆破しようとしたが、二神に止められた」
「……ダメだ。嫌味のさらに上を行きやがった」
白昼堂々倉庫一つを爆破。どう考えても一応は正義側に立つ人間がすることでは無い。そういう意味で吸血鬼の嫌味は正当なものだと言えるのだが、九峨自身はそれがあまり気に入らなかったらしい。
「何をしても俺の過去は変わらん。だがそう何度もダークサマナーと呼ばれると、不思議と腹が立ってくる」
「ハン、そんなの図星だからに決まってんだろ。いくら人のためだと言いわけしたって、おまえの根っこは悪人なんだよ」
「そろそろ黙ろか。ワシも腹が立ってきたわ」
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「……はい。ええ、その場合は別料金となりますが、よろしいでしょうか?」
パソコンの前に座り鬱陶しそうに前髪を片手で押さえながら、アキラが電話を片手に任された仕事の確認をしている。シャツの袖は捲り上げられ、ネクタイもゆるめられており、その姿はアキラにしては珍しくだらしないと言われそうな状態だ。
それにも関らず、応対する声にその色を微塵も見せないのは、流石はカズトの同類とヒメに評されただけはある。
「……えーと、全体的にピンク系のふわっとした感じで、上の方はキラッとした感じですね。分かりました」
相手の言っている事を確認しているのか、らしくない擬音混じりの表現を返した後、アキラは耳に当てていた携帯電話を離すと通話を切る。
「って、分かるかああああぁっ!?」
「……きとるなーアキラくん」
ちゃぶ台があったらひっくり返しそうな勢いで、アキラは携帯電話を握り締めたまま絶叫する。いつもならありえないアキラの雄叫びにヒメは少し驚いたが、その内容がつっこみである事に気付くと違和感が消える所か納得した。
自分の仕事をこなすヒメの足元では、白色の一般的な扇風機が唸り声のような音を上げながら風を送り出している。
服装も膝上何センチという表現をするのが馬鹿らしいくらい短いスカートに、肩がほとんど露出した上着と軽装だ。しかしそれでも汗ばむ体が気持ち悪いらしく、時折肌を拭うように手を動かしている。
「さすがのアキラくんも、電話越しに相手の考えとる事は読めんのやね」
「読めてもどうにもなりませんよ。どうも説明でするための語彙が少ないとかではなくて、単に自分でもイメージがはっきりしてないだけみたいですから」
ヒメの言葉にうんざりといった感じに答えるアキラ。喉を潤そうと既に温くなってしまったアイスコーヒーに手を伸ばすが、二つあるコップの中のうちの一つに入っているものを見てさらに疲れたように溜息をつく。
水の中に氷と一緒に浮かんでいるのは、白い肌をさらしたピクシー。さすが妖精というべきか、ガラスのコップの中で水と戯れる姿は、見るものが見れば幻想的な美しさだと讃えるだろう。
しかしそれを見てアキラが真っ先に連想したのは、妖精の瓶詰め。ヒメの言う通り、どうやら暑さと疲労でギアがおかしな方向に入っているらしい。
「ヒメさ~ん。電気屋さん他に用事があって~、後一時間は来られないそうです~」
「えー、この暑さを一時間も耐えろって言うん」
冷房の効いている応接室から出てきたアヤの言葉を聞き、ヒメは絶望したように頭を抱え、椅子の背にもたれるように体を反らす。
その姿は、もし彼女が中身まで完全な英語圏の人間であったなら、「オーマイガッ!」と叫んでいるだろうと思わせるほどの絶望っぷりだ。
ヒメとアキラを苛立たせているこの事務所内の異常な暑さは、今の季節が夏であるという当然の状況以外に、エアコンから突然水が漏れて壊れたという原因が存在する。
水が漏れるという事は、恐らくコンプレッサーの故障だろうとアキラは診断したが、原因が分かったからと言って直せるわけがない。工大出とは言え畑違いであるし、何より本当にコンプレッサーの故障であるなら変えの部品が無いと直しようがない。
「そうや! ヒーホーや!」
「「ヒーホー?」」
突然立ち上がりながら叫ぶヒメに、アキラとアヤは首をそれぞれ左右に傾げながら聞き返す。
「ジャックフロストに冷やしてもらえばいいやん。わざわざ魔法使わんでも、居るだけで涼しそうやし」
「あー、なるほど」
ヒメの言葉に納得し、懐からGUMPを取り出すアキラ。いつもならば「そんな事に仲魔を使うのはどうなのか」と苦言の一つも漏らしていただろうが、それをしない辺り相当暑さに参っているらしい。
「――SUMMON OK? GO!」
そしてあっさりと悪魔召喚プログラムが起動され、アキラの足元に魔法陣が浮かび上がる。そして魔法陣の中から白い塊が現れ……。
「……」
『ヒ……ヒホ……』
溶けていた。
実体化したジャックフロストは顔こそ原型を留めているものの、腰から下は完全に崩れており、両の手も力なく地面に横たえられている。
『こ……今年の冬は寒いよー……』
「アヤちゃーん。これ冷凍庫に放り込んどいてー」
「え~? 全部入りますかね~」
「……」
自爆フラグを立てるジャックフロストに、冷静に間違った対処をする女性二人。
疲れ果ててつっこむ気力も無くなったアキラは、無言でGUMPのリターンキーを押した。
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「あーやっと落ち着いたなあ」
「ですね~」
時刻は変わり午後三時。ようやく電気屋によってエアコンが修理され、室内には冷たい冷気が循環している。
アキラとしては冷えすぎでは無いかと言いたくなる程だが、所長であるヒメがエアコンのリモコンを握っているためどうしようもない。
「いや、やっぱり冷やしすぎでしょうこれ」
「ええやん。私アイスランド人やけん暑いのダメなんよ。寒いのは大得意なんやけどねえ」
「アイスランドはメキシコ暖流の影響で、最低でも氷点下5℃くらいまでしか下がりません」
都合の良いときだけアイスランド人を主張するヒメに、室温と同じくらいクールに指摘するアキラ。
何故アキラがそんな事を知っているかというと、暇なときにヒメの祖父がアイスランド人だという事を思い出し、何となく調べてみたからだったりする。
普通ならばそんな暇つぶしついでの調べものなど、数日どころか数時間後には頭から抜け落ちそうなものだが、そこはしっかり覚えて忘れないのが、アキラを知識の奴隷とも言える変人たらしめている要因の一つだろう。
「そういえば吸血鬼狩りに進展はあったんですか?」
「何回か見つけたけど、ことごとく逃げられたと。まあチクチクとダメージは与えとるみたいやし、相手が一人しか居らんならその内決着がつかい」
「一人しか居ないなら……ですか?」
ヒメの言葉に何か引っかかりを覚えたのか、眉をひそめながら聞き返すアキラ。それにヒメはお茶を口に含みながら頷くと、たしなめるように話し始める。
「他の地域でも似たような事件が起きとる以上、仲間が居るんは確実やし、何よりこの手の事件は大小はあっても何度でも起きるもんやけんね。人間が何か企んでなくても、悪魔自体が何かやらかす事は度々あるし、私らは戦い続けるしかないんよ。アキラくんは特にね」
「……はい」
最後に付け加えられた言葉を聞いて、アキラは重々しく頷き返した。
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「――マハジオダイン!」
吸血鬼が呪文を唱えた瞬間、晴天にも関らず巨大な柱のような雷が地面に突き立ち、うねるように周囲の空間を飲み込んでいく。
『マルカジリ!』
『いまぢゃあ!』
しかしそんな嵐の中を、雷が獣の姿をとったような悪魔と巨大なサソリの姿をした悪魔――妖獣ライジュウと聖獣パピルザクが突き進み、吸血鬼に食らいつこうとする。
「うぜえッ!」
しかしその二体を、吸血鬼は無造作に殴り飛ばし踏み潰す。殴られたライジュウは倉庫の壁に叩きつけられると動かなくなり、地面へと叩きつけられたパピルザクは玩具のように足がもげ落ち消え去っていく。
『――マハザンマ!』
『――マハラギオン!』
しかし二体の悪魔を倒した吸血鬼に休む間を与えず、センリと炎を纏った小鬼――夜魔チュルルックが広範囲の衝撃波と炎によって吸血鬼に追撃を加える。
「もろた!!」
そして魔法の効果が消えるのとほぼ同時に、ゲンタが飛び出し陽光を反射する刀を振るう。それを防ぎようが無いと判断した吸血鬼は、下手に受けようとせず回避行動をとったが、太陽の光の影響か体は思うように動かず、咄嗟にかばった右腕は切り飛ばされ、左腕にも深い裂傷を負う。
「まだ……やらねえ!!」
「いや、貰い受ける」
辛うじて残った左腕を力任せに振り回し、ゲンタを弾き飛ばした吸血鬼だったが、その背後から腹が立つほど冷静な男の声が聞こえてくる。
「またてめえか!?」
「フンッ!」
「ぐおっ!?」
吸血鬼は背後の男を撃退するために振り向こうとしたが、その体は振り向く事すら許されず宙を舞っていた。
何が起こったかは、背中から這い上がるような痛みが教えてくれた。しかしそれが人の拳によって引き起こされた損傷だとは、吸血鬼の間違った常識をもってしても納得がいかなかった。
「てめえも……人間やめてんだろ……ダークサマナー」
「やめた覚えはない。しかしこの体が人の範疇に収まらないというならば、なるほど俺は人間ではないのかもしれん」
無様に床にはいつくばりながら吸血鬼が放った負け惜しみに、九峨はそれが大したことでもないかのように、あっさりと認める。
「ならばそれで良い。それで人を救えるのならば、俺は人間であることを速やかにあきらめよう。だが俺を未だにダークサマナーと定義する事は、甚だ遺憾ではある」
「……ここにも居たか、狂人が」
残った左腕で体を支えながら、吸血鬼は吐き捨てるように声を漏らした。
理解できない。理解できるはずがない。
吸血鬼は自らのために殺し、自らのためにバケモノとなった。既に取り返しのつかない所まで来てしまった吸血鬼には、自身と相容れぬものを許容するゆとりは無い。
『終わり……かしら? このままでは放置されただけでも死ぬわよ、あなた』
「まだだ。まだ俺は……!」
内から聞こえて来た女の声を否定するように、吸血鬼は他人の体であるかのように上手く動かせない体を持ち上げる。
逃げ出すのは無理だろう。生身では勿論、霧になっても魔法で殲滅される。それに弱った今の状態で霧になれば、形を保てずそのまま霧散する可能性すらある。対抗しようと思えば魔法ならばまだ使える。だが吸血鬼自身が弱体化している上に、相手は嫌がらせのように補助魔法を重ねがけしている。
今この場に相対しているのがアキラのような新米だったとしても、吸血鬼を殺しつくせるだろう程に状況はつんでいた。
だがそれを見計らったかのように、恐らくは見計らっていたからこそ、彼女はその場に姿を現した。
「ふふ。命長らえましょうか?「仲魔」の誼として」
「誰だ?」
その女はいつの間にか、まるで最初からそこに佇んでいたかのように、九峨たちと吸血鬼の間に立っていた。
「修験者……か?」
白装束に傘を被ったその姿はセンリに似ている。しかしその顔は白い布によって覆面のように隠されており、その表情を窺うことは出来ない。
ただ布の奥から漏れる声が、女が笑っていることを知らせていた。
「おまえは……誰だ」
吸血鬼の問いに、九峨とゲンタは訝しげに視線を向けあった。だがそんな二人の疑念を気にする様子も見せず、女は再びクスリと笑い声を漏らすと楽しそうな声色で話し始める。
「私が何者か、重要な事かしら? あなたは一度でも、私たちに名前を教えようとしたかしら?」
「……「ファントム」の残りか。今まで何してやがった」
「ふふ。あなたが派手に逃げ回ってる内に、仕込みを済ませておいたの」
「仕込みやと?」
責めるような吸血鬼の言葉に、女は悪びれる様子も見せずに自身の行動を明かす。それを聞いたゲンタが訝しげに声を上げる。
「ええ、準備万端。後は大雨の日を待つだけ。もしかしたら降らないかもしれないけど、その時はその時ね」
「何でわざわざ教えてんだおまえは!?」
「あら? 教えて何か困ることがあるの?」
計画をにおわせるどころか暴露した事に吸血鬼は声を荒げたが、女は純粋に心から疑問に思っているように、驚きすら見せながら聞き返す。
確かに暴露しても止めようなど無い。しかしだからと言って敵に情報を与えてやる必要も無い。吸血鬼はそう反論しようとしたが、目の前の女には言っても無駄だと気付き口をつぐんだ。
「それより逃げないの? どこかに引きこもるなら、大手通近くの廃屋はまだ手つかずのはずよ」
「おまえは俺をどうしたいんだ」
敵の目の前で堂々と潜伏場所を話す女に、吸血鬼はいよいよこいつは頭の螺子が飛んでいるのでは無いかと危惧し始める。そして吸血鬼の様々な危惧に今更気付いたのか、女は思い出したように手を打ち合わせると、九峨とゲンタのほうへと向き直った。
「ああ、そうね。この人たちが生きてると安心できないなら、私が殺してあげましょうか」
「ほほう。お嬢ちゃん一人でワシらを殺せるんかいな」
「ふふ。私一人じゃ無理かしら。でも私は一人じゃないの」
軽い口調とは裏腹に値踏みするように視線を向けるゲンタに対し、女は覆面の下で笑うと静かに右手を掲げた。
するとその隣に、同じ白装束姿の女が突然現れる。そしてそれに連動するように、倉庫の入り口から、柱の影から、何もない空間からさえも、白装束姿の女たちが擬態をやめたカメレオンのようにその姿を浮かび上がらせる。
「ほら、逃げなさい。それともそろそろ死にたいのかしら?」
「……ごめんだ。じゃあお言葉に甘えて俺は退散させてもらうわ」
得体の知れない女の言う通りにするのは癪だったが、吸血鬼はこの場は素直に逃げることにした。女は余程自信があるようだし、万が一この女が捕まるなり殺されるなりしたとしても、仕込みが終わっているなら問題はない
「ふふ。やはり吸血鬼と言ったところかしら。生にしがみつく貴方の姿、最高に無様で美しかったわ」
背後から語りかけられた言葉を聞いて、吸血鬼はこの女がやはり異常者であることを悟る。
この女は藤棚と同じなのだろう。敵の死、自分の死、人々の死。それらを前にして足掻く人間の様を、喜んで眺める狂人だ。
「……狂わなければ生きていけない」
女の在り方、そして自らの在り方を思いこぼれ出た吸血鬼の言葉は、まるで自身に言い聞かせるような色を持っていた。