闇と同じ色の制服を纏った少女が居る。もう既に午前の二時も回った不自然な時間に。
丑三つ時と称されるこの時間は、魔物の跋扈するに相応しい時間とされるが、殆どの人が連想するのは「丑の時参り」と呼ばれる呪術の儀式だろう。しかし少女の居る場所は神社の類では無く暴れ川に架かる橋の下であり、橋を支える支柱にはりつけになっているのは藁人形では無く少女自身だった。
「う……うぅ……」
「……」
コンクリートで出来た無骨な支柱に身を預けていた少女が、唸るような声を漏らしながら座り込む。そしてその姿を、無言で見つめる影がある。
「う……うあ……!?」
呻き声がいっそう高くなったように聞こえた瞬間、それまで閉じていた少女の目が大きく見開かれ、跳ね上がるようにその体が起き上がる。
少女の瞳に狂気の色が宿り、目前に佇む影を写す。そしてその影へと少女の手が伸び、ぐしゃりと何かが潰れるような音が橋の下に響き渡った。
「……またかよ」
静寂を取り戻した橋の下に、吸血鬼の落胆したような声が広がる。その吸血鬼の前には、柘榴の実を壁に叩きつけたような光景が広がっていた。
見ているだけで常人なら気分が悪くなるであろうそれを見て、吸血鬼は呆れたように右手で頭をかこうとしたが、その手に柘榴の一部が付着しているのに気付き、さらに気がめいった様子を見せる。
『フフ……いつまでこんな事を続けるつもりかしら?』
「おまえか俺が飽きるまでじゃねえ?」
内側から聞こえて来た女の声に、吸血鬼は右手を舐りながら返す。その顔には笑みが浮かんでいたが、右手を口から離す頃には笑みは消え、代わりにうんざりしたような色を見せる。
「とは言え、本当いつまでここに居るかね。そろそろ獣人の数も足りなくなってきたしな」
『あの子を使わないの? 目的を達するなら、あの子の豊富なマグネタイトは魅力でしょう?』
「ああ……ありゃダメだ。あれは俺の天敵だ」
女の言葉を否定する吸血鬼は、言葉とは裏腹に嬉しそうだった。その様子を、女は怪訝に思い問う。
『天敵? 心を少し読めるだけの、ただの人間が?』
「ああ天敵だな。ありゃ諦めるって事を知らない人種だ。冗談みたいに確率の低い未来を引き寄せて、恐怖の魔王すらぶっ殺しちまう勇者という名のただの人間だ」
『……買いかぶり過ぎでは無いかしら?』
「だよな」
自分で言っている内にありえないと思ったのか、吸血鬼は女の言葉にあっさりと同意すると唇の端を持ち上げて笑った。
「どんなに祈ったって奇跡なんて起きやしねえよ。何でもありの殺し合いの中で生き残るのは、他人すら利用する残酷なまでに冷静な人間だ。だろ、そこのおっさん?」
「……」
世間話をするように、街灯の光の届かない橋の影となった闇へと吸血鬼は呼びかける。それに対する返答は無かったが、不意に何かを擦るような音が聞こえてくると、小さな火が闇の中に現れる。
それはライターの火だった。そしてその火に照らされて闇の中に浮かび上がったのは、煙草をくわえた九峨と、白装束を纏ったセンリの姿。
夜だというのに九峨の双眸はサングラスによって覆われている。しかし視界には何の影響も無いのか、火のついた煙草をくわえたまま吸血鬼へと顔を向けていた。その視線には何の感情もこもっていない。吸血鬼のそばには無残な姿となった少女の死体があるというのに、それを風景の一部のように見流している。
「人の心が信じられないのは、おまえが化け物だからか。それともガキだからか」
「ハン? あんたがそれを言うか。今更友情だの愛にでも目覚めたってのかダークサマナー?」
ライターの火を消しながら放たれた言葉に、吸血鬼は一瞬意表をつかれたように顔をしかめたが、すぐに嘲弄するような笑みを浮かべて九峨へと問いかける。
それに九峨はすぐには答えず、左手でくわえていた煙草を口から離すと、ゆっくりと煙を吐き出した。後ろに控えるセンリも、主の言葉を待っているのか身動き一つしようとしない。
「……そうだ。だから俺はここに居る。ダークサマナーでは無く、一人のデビルサマナーとして」
「ハン。興醒めだぜ、まったくよ!」
言葉とは裏腹に、吸血鬼は目を見開き口元を歪めて笑う。それを見た九峨は煙草を指先で弾き、両手にしていた手袋の調子を確かめるように引っ張ると、拳を握りボクサーのように構えた。
「――らあぁっ!!」
「――フンッ!!」
動いたのは同時。吸血鬼が十メートルほどの距離を一蹴りでつめながら手の指をピンと伸ばして突きを放ったのに対し、九峨は左足で一歩だけ踏み込むと腰を回転させて右ストレートを放つ。
キィンと甲高い音を立てて、吸血鬼の爪と九峨の手袋に付いていた金属板が衝突し、しかし弾かれた両者の手は誘導装置でもついている様にお互いの顔面へと突き進む。
「ハアァッ!」
九峨は流石に吸血鬼と回避無しの消耗戦をするのは分が悪いと判断し、上半身を右へと反らして吸血鬼の爪を避ける。
当然不自然な態勢になったためにその拳は吸血鬼の顔から大きくそれたが、九峨は上半身をゴムのように無理矢理起こすと、そのままの勢いで右フックを吸血鬼目掛けて叩き込んだ。
「!?」
しかしその拳は、突然霧となった吸血鬼の体を抵抗無くすり抜けてしまった。視線を向けた先に吸血鬼は居らず、先ほど弾いた煙草が火の粉を散らしながら地面へと落ちる様子だけが目に入る。
「センリ!」
『――マハザンマ!』
「おおっと」
即座に状況を把握した九峨は、バックステップでその場から離れながらセンリの名を呼ぶ。それだけでセンリは九峨の命令を汲み取り、霧へと衝撃波を放ったが、吸血鬼はそれを予想していたように橋の支柱を盾にして衝撃波から逃れた。
九峨とセンリは迷う事無く吸血鬼を追って支柱の裏へと回りこんだが、そこに既に吸血鬼の姿は無く、その場には九峨とセンリ、そして少女の死体だけが残された。
『……追いますか?』
「いや。俺達では分が悪い」
獣としての習性か、鼻をひくつかせながら周囲の臭いを探るセンリに、九峨は地面に落ちた煙草を拾いながら答えた。考えるのは、最後までやりあって勝算があったかという事。そしてその答えは、先ほどの言葉通り分が悪いという一言に尽きる。
九峨は魔法や超能力といった異能を持っていない。物理的な攻撃を霧となってすり抜ける吸血鬼相手では、例えセンリの魔法があったとしても、連携の要である九峨自身が足手まといとなり、本来の実力は発揮出来ないだろう。気付かれる前に他の仲魔も召喚しておかなかった、九峨のミスだと言える。
だからと言って、九峨が実力不足という事は無い。総合的な戦闘能力では、自惚れ無しでこの街で五指に入ると断言できる。ただ吸血鬼との相性が悪いのだ。
悪魔を使役できる以外は普通の人間と変わらない。そういったサマナーは悪魔召喚プログラムによって悪魔召喚の敷居が下がってからは、ポピュラーなタイプだといって良い。
もっとも重火器や剣といった武器に頼らず、少し丈夫な金属板がついた手袋のみで悪魔と渡り合う九峨を、普通と言って良いかは大いに疑問が残る所だが。
九峨は煙草をくわえなおすと、吸血鬼の逃げていった川の向こうへと目を向ける。
「……普通に川を越えるとはな」
そして吸血鬼が、弱点の一つであるはずの流水をものともしなかった事に気づき、呆れたように呟いた。
・
・
・
堀の内という地名がある。
全国各地で見られるその地名は、多くの場合はその名の通り堀がある、もしくはかつて堀があった場所の内側に存在する。そしてそれはこの深山市にある堀の内にも当てはまる。
頂に城を構える山の南西の方角を囲む凹型の外堀は、一辺の単純な長さだけで一キロメートル近くになり、そばを走る国道を歩くだけで調度良い散歩になるであろう程の規模を誇る。先の大戦後には埋め立てる案が出たのだが、地元の有力者らの努力によって整備され、今では多くの鳥達が羽休めに訪れ、公園の湖のような美しい景色を見せてくれている。
そのお堀のそばを、アキラ達は歩いていた。
「集合場所って堀の内なんですか?」
「うん。この街の裏をしきっとる、宮間ていう家の屋敷があるけん」
まだ日も登りきっていない頃に起こされこうして歩いているのは、その宮間の当主によって深山市に居る全ての裏の人間が呼び出されたからだ。
いつまで経っても吸血鬼は捉え切れず、被害者だけが増えていく状況に、普段なら好き勝手に動いている人間を一纏めにする必要性が出てきたという事だろう。突然の召集という事を考えれば、吸血鬼以外にも厄介事が出てきた可能性もある。
「しかし宮間(みやま)というのは、もしかしてこの街の名前と何か関係が?」
「ある意味でこの街そのものやけんね。千年以上もこの深山という街を守ってきた、由緒正しいお家柄ってね」
さらりと千年と言われてアキラは驚く。しかしこの四国に存在する日本七霊山の一つである石鎚山が、かの役小角によって開かれたのが飛鳥時代であることを考えれば、その時代から根付いている一族が居てもおかしくはないだろう。それでも千年も没落していないのはおかしいが。
「それはともかくアキラくん。もっと堂々としたら?」
「……無理です」
隣を歩くヒメが呆れたように言葉をかけたのに、アキラは肩にかけた紐を確かめるように背負いなおした。振り返った一瞬に、肩にいたピクシーが情けなさそうに溜息をついたのが見えたが、無視する事にする。
その背にあるのは、一見すると黒色のただの竹刀袋。しかしもしそれを誰かが手に取れば、その重さに驚き中身が竹刀でない事を悟るだろう。
「刀ならぎりぎりセーフやん。表向きにちゃんとアキラくん名義で許可貰っとるし」
「俺の記憶が確かなら、護身用に木刀を車に置いておくのもアウトだったはずなんですけど」
警察というのは、大抵の場合融通がきかない。例えそれがアウトドアなどで使うナイフだとしても、正当な理由無く所持していれば違法とみなされる可能性がある。
護身用に武器を所持するのは構わないじゃ無いかと思う人もいるだろうが、正当防衛が成り立つのは止むを得ず反撃した場合であり、待ってましたとばかりに凶器で反撃するのは過剰防衛と判断される。過剰防衛となる武器を所持するのは、差し迫った危険を予期でもしていない限りは許されないと思うべきだろう。
そしてアキラにとって差し迫った危機とは悪魔だ。その存在を軽々しく説明出来ない以上、アキラは法的には危険物所持状態であると言える。銃を懐に忍ばせておいて何を今更といった感じではあるのだが。
「まあ万が一捕まっても、しばらくしたら上の方から圧力かかって釈放されるし」
「上ってどこですか!?」
突然アンダーグラウンド気味なフォローをされて、アキラは落ち着くどころか慌ててつっこみを入れる。
それを見てアキラに見えないように笑うヒメ。わざと順を追わず説明し、アキラが慌てる様子を愛でるのが最近の彼女の密かな楽しみだったりする。アキラが知ったら「俺で遊ぶな!?」と叫ぶことだろう。
「召喚師やら退魔士とかのオカルトの関係者は、それが必要ならある程度の違法行為は見逃されるんよ。あくまで見逃されるだけやけどね」
それは遠回しな牽制でもある。いざとなれば、警察は裏の人間を罪にとえるという事なのだから。
「そもそもこの手の事に国が介入するんも難しいしね。知っとる? 呪殺って違法や無いんよ?」
「……呪殺したという証拠があってもですか?」
「うん。上司に丑の刻参りして訴えられたけど、呪いというものが証明出来んけん無罪になったていう人も居るし。まあ素人が呪いに手ぇ出したら、冗談抜きで穴が二つになるけどね」
そこまで話を聞いたアキラは、しばし沈黙して頭をめぐらせる。
法で縛られないのならば、裏の人間の一部はやりたい放題だ。無論ヒメたちのように人のために戦う者も居るだろうが、人というのは欲に流されやすい。取り締まるものが居なければ、自然と悪事を働く者の方が多くなるのでは無いか。
そこまで考えて、アキラは以前ヒメが言っていた事を思い出す。平安時代の陰陽師。その流れを汲む退魔機関が、いつの時代も存在したと。
「前に言っていた陰陽師というのは、今もまだ国の傘下にいるんですか?」
「ん……ああ、葛葉一族て呼ばれとってね。一応は日本のために働きよるけど、この街には入って来れんやろうね」
「……何でですか?」
日本を守る人間が入って来られないと聞き、アキラは意味が分からず問う
もしかして深山市は、いつの間にか外国になっていたのだろうか。
「まあ色々あるけど、一番の理由は宮間と葛葉の仲が悪いことやね」
「それくらいなら押し切ってくるんじゃあ?」
「そんでもって、おっちゃんとことか小埜さんとこみたいな、古くからこの地に根付いて実力もある家系が宮間に協力的なこと。その上それらの家系が、この深山という霊地を代々守ってきたていう自尊心があるけん、上から目線で協力要請されても叩き出してしまうけんかな」
「……縄張り争いみたいですね」
「みたいじゃ無くて、まんま縄張り争いやと思うよ」
例えるなら、所轄の刑事と本庁の刑事の対立のようなものだろうか。所轄の刑事が本庁の刑事をたたき出したら、ただでは済まないだろうが。
「まあそれでも葛葉の連絡員が滞在しとるし、以前よりは軟化しとるんやけどね。最近は外から葛葉と悶着起こした事があるフリーの人も移住してきよるし」
「前半と後半で矛盾してませんか?」
相変わらず話にツッコミ所を作りまくるヒメに呆れて、アキラはためいきをつく。そしてそのまましばらく無言で歩いていたのだが、お堀にかかる橋を中ほどまで渡った所で、空気が澄んだものに変わったことに気付き首を傾げる。
「……何か空気が違いませんか?」
「ああ、「災いは水の流れを越えられない。そうあるべきである」やっけ?」
アキラの問いに、ヒメはかつて誰かに聞いたのであろう言葉を反芻するように呟いたが、その意味はイマイチ理解できない。
「私も良くは知らんけど、お堀自体が結界の役割をはたしとるんやって。堀の中に一般の車が進入禁止なんも、表向きは環境保護やけど、なるべく人の出入りを少なくするためらしいし」
「でもお城への観光客がかなり来るんじゃあ?」
「アキラくんお城行った事無いやろ? お城直行のロープウェイは北側にしかないけん、わざわざ南側の堀の内に入ってくる観光客は、きっつい山道登りたい物好きな人たちだけやで」
堀の内は立ち入りこそ禁じられてはいないが、実質的には宮間の私有地に近いという事だろう。広い堀に一本しか橋がかかっていない事を考えても、この土地は他者が立ち入る事を忌避しているように見える。
「……」
「って、どしたんアキラくん?」
「……いや、何でもありません」
アキラが堀を沿うように存在する林の方を見ながら硬直しているのに気付き、ヒメは何事かと思って問い質したが、アキラは何事もなかったように前を向いて歩き始める。
その冷静な見た目の内側で、アキラは先ほど見たものを見間違いだろうと忘れることにした。いい加減に悪魔の類には慣れてきたが、見た目はどう見ても普通のタヌキが、二足歩行しているというのは受け入れがたかった。
・
・
・
宮間の屋敷は、期待通りというべきかまるで寺院のような立派な木造のお屋敷だった。家を支える濃い焦げ茶色の柱が歴史を感じさせるのに対し、汚れ一つ無い白い壁は年代を感じさせない清潔感がある。
空気を入れ替えるためか開け放たれた廊下の戸の中は、太陽の光があまり入らず薄暗く見えるのだが、松や椿といった木々の彩りに包まれる明るい庭とのコントラストで独特の美しさすら感じさせる。
そして何より圧倒されたのはその大きさ。木造の日本家屋といえばヒメの家もそうなのだが、そのヒメが一人で住むには広すぎる屋敷と比べても、宮間の屋敷は数倍以上広いように見えた。正面からでは門構えや横の広さはともかく、奥行きは把握出来ないので、もしかしたら本当に寺院並に広いのかもしれない。
「ようこそお越しくださいました、赤猪様」
「久しぶり八塚さん」
アキラが屋敷に圧倒されながらもヒメについて玄関まで来た所で、待ち構えていたように木組みのガラス戸が開き、中からタイトスカートスーツ姿の女性が現れる。
下げられていた顔が上げられた瞬間に印象に残ったのは、長い黒髪の間から見える鋭く涼しげな瞳。もし彼女がその態度で歓迎の意を示していなければ、その瞳は冷たくすら見えただろう。
だがそんな事も気にならない程に、彼女の姿は異様に見えた。体に絡みつくように、半透明の白いイタチのようなものが浮遊しているために。
「そちらは?」
「あ、はい。弟子の深海アキラと申します」
八塚と呼ばれた女性に尋ねられ、アキラは慌てながら名乗る。そしてアキラの名を聞いた八塚の目が少しだけ細くなったのだが、アキラもヒメもそれに気づく事はなかった。
「では、赤猪家の方としてお招きいたします。お二方ともこちらへどうぞ」
「それじゃあお邪魔します」
「……お邪魔します」
この状況で「お邪魔します」と言うのにアキラは違和感を覚えたが、実際に宮間さんの家にお邪魔するのだから間違ってないと思い直しヒメの後に続く。
しかし口に出しても違和感は消えなかった。少し考えて、この屋敷はやはり家というより寺院か何かにしか見えないのが原因だろうとアキラは一人納得した。
・
・
・
案内された部屋は、何の飾り気もなくただ来客用の座布団が用意されているだけの座敷部屋だった。
少し細長いその座敷には、左右の壁を背にして二十人近い人たちが向かい合って座っており、どこか思い雰囲気を感じさせる。座り方こそ違うが、それはまるで時代劇の殿様を待つ家臣たちのようだとアキラは思った。
「何というか、統一感がないですね」
「まあ正装して来いとも言われてないし」
座っている人々の服装を見て呟いたアキラに、ヒメも他の人間には聞こえないように小さな声で返す。
アキラたちより左手には比較的若い人が多く、服装もスーツだったり着物だったりカジュアルな普段着だったりと様々だ。そして右手側にいるのは、黒い袴姿のゲンタとアヤの二神家の他に、袈裟姿のリショウと少年の小埜家、巫女服姿の老婆と少女の金凪家。
ヒメ、そしてアキラは黒いスーツ姿なのだが、調度それを境に左右の人々に服装に差があるようにも見える。
「見たら分かると思うけど、私らより右側におるんは数百年単位で退魔に関ってきた古い家系の人らやね。まあアキラくんは別に気にせんでええよ。よっぽどの問題起こらん限りは、この集まりは一年に一回だけやし」
ヒメがそこまで言った所で、左手にある襖が開き八塚が礼をして入ってくる。そして無言のまま座っている人たちの前を横切ると、右手にある襖の前に立ちもう一度礼をする。
そして一度その場に膝を着くと、両手でゆっくりと隣の部屋との境界になっている右手の襖を開けていく。
「……?」
その襖の向こうに姿を見せた人物を見て、アキラは不意をつかれて間抜けな声を出しそうになった。恐らくは今回召集をかけた張本人であろう宮間の当主の姿が、アキラの予想していたものとは大きく異なっていたために。
「皆様。まずは突然の召集でありながら、一人として欠ける事無くお集まりいただいたことにお礼申し上げます」
そういって頭を下げたのは、白い狩衣を纏った女性。しかしその見た目は少女の面影を残しており、ヒメより、もしかしたらアキラよりも若いかもしれない。
ゲンタやリショウのような壮年の男性が出てくる事を予想していたアキラにとって、宮間の当主のその姿は予想外にも程があった。
「通例ならば、この場において先ず行われるのは皆様各々の生業の報告なのですが、此度は火急の案件がございますのでそれらはまたの機会にお願いいたします」
その言葉に特に反論は起こらなかった。必要が無いから当然なのだが、アキラはそれ以上にその女性の場を仕切るその様に驚いていた。
女性特有の高い声と柔らかな態度でありながら、そこに威厳のようなものが見えたのはアキラがこの場の雰囲気に飲まれているからだろうか。少なくともその瞳には、生まれついてのものか環境により育まれたものかは分からないが、人を従える者の厳かさを感じる。
「皆様もご存知の通り、四月ごろより日本各地に獣人の類が現れ始め、先月にはその元凶と思われる集団が行動を見せ始めました。この深山の地においても、強大な力を持つ吸血鬼と悪魔召喚師の手により、水岐タウンが異界に呑まれるという凶行を許してしまいました。
吸血鬼と召喚師のうち、タタリクスと名乗った召喚師は赤猪家の方々の手によって討たれましたが、吸血鬼は幾度も姿が確認されながらも逃亡を続けています。僅か数時間前にも、九峨様が吸血鬼が少女を殺害する現場に遭遇しましたが、残念ながら討ち取るには至っておりません」
その言葉にその場に居た人間のうちの何人かが九峨へと視線を向けたが、九峨は何の反応も見せずにただ前を見て微動だにしない。サングラス越しでは、彼が何を思っているのか一人の例外を除いて読み取れる人間も居ないだろう。
「このまま後手に回っていては、吸血鬼を捕らえる事は難しいでしょう。故に、この場にいる方々全てに、吸血鬼の捜索及び排除を依頼いたします」
命令では無く依頼。つまりは報酬が支払われるという事である。それを聞いてやる気の見えなかった一部にも、目に力が入るのが分かる。
「被害者の分布から見て、吸血鬼が深山市の北東方面に潜伏しているのは間違いないと思われます。もちろん他の地域に潜伏している可能性もありますが、まずは北東方面より、警察の方々と協力し虱潰しに探索を行います」
動かせる人数こそ少ないが、それは人海戦術によるローラー作戦と言えるだろう。今この瞬間に、深山市に吸血鬼包囲網が築かれた。
「以後の連絡は、その場の状況次第により携帯電話と私の使い魔で並行して行います。皆様の尽力により、この深山の地に一刻も早く平穏が訪れる事を期待します」
・
・
・
「どうぞ、粗茶ですが」
「……どうも」
目の前に置かれたお茶の入った湯飲みと、それを置いた人物を交互に見ながら、アキラは緊張した面持ちで礼をした。
今後の明確な方針が決まり、いざ解散となったときに、アキラは八塚に呼び止められてヒメと共に別室へと通された。それだけならここまで緊張はしなかっただろう。木目のあざやかな机を挟んで座っているのが、先ほど見た目相応とは言いがたい威光を見せた女性で無ければ。
「アキラくん、年下相手にそんな緊張戦でもいいやん」
「いやそういうわけにも……年下!?」
完全にリラックスして茶を飲むヒメに言われて、アキラは反論の途中で意外な事実に気付いて驚く。
若いだろうとは思っていたが、まさか本当に自分より若いとは思わなかった。しかしその反応は、いささか女性には失礼なものだろう。
「その反応がどういった意図のものか気になりますが……まずは自己紹介を。現在の宮間家当主、宮間ツバキと申します。信じがたいのかもしれませんが、今年で十九になります」
「いえ、その、失礼しました。赤猪ヒメさんの弟子で深海アキラと申します」
「それで、何で私らを呼んだん?」
どこか怨念のこもった目を向けられて畏まって名乗るアキラを尻目に、ヒメはいつもと変わらない様子でツバキに問いかける。その様子にアキラは二人の関係や立ち位置といったものが気になったが、口には出さずにツバキの答えを待つ。
「先ほどは申しませんでしたが、虐殺の行われた水岐タウン。そして獣人を倒した地より、マグネタイトを収奪した痕跡が発見されています。恐らくは、大量のマグネタイトを集め、高位の悪魔を召喚する腹積もりなのでしょう」
「召喚した所で制御出来るんですか?」
「相応の能力があればね。まあ単に何かを破壊したいだけなら、制御できんでも十分やし。怪獣が街で暴れるようなもんやね」
ツバキの説明に疑問を持ったアキラに、ヒメは肩をすくめながら答える。それなりにデビルサマナーとしてプライドを持っているヒメからすれば、暴走前提の召喚は邪道と言っていい。
「そんで、それをさっき言わんかったんは吸血鬼に集中させるためなんやろうけど、何で私らに話すん? 私のパイプ期待しとるんかもしれんけど、葛葉も正直なとこ此処に回す戦力は惜しい状況みたいやで?」
「期待しているのは、そちらの深海さんです」
「……俺?」
頬杖をつきながら聞いたヒメに、ツバキは視線をヒメから外すと強い光を秘めた眼をアキラへと向ける。しかしアキラには、自分が期待される理由が分からない。
一方のヒメはツバキが何を企んでいるのか気付き、机についていた手を戻すと腕組みをしながら渋い顔をする。
「目には目をってこと?」
「はい。最悪の状況、敵が何らかの高位の悪魔を召喚する事に成功してしまった場合には、こちらも高位の悪魔を召喚し対抗します。そしてその時には、深海さんに助力をお願いしたいのです」
「……なるほど。俺の生体マグネタイトを使うわけですね」
納得はしたが、同時に驚くアキラ。今の言葉を全て信じるなら、吸血鬼が虐殺をしてまで集めているマグネタイトに匹敵する生体マグネタイトを、アキラは保有している事になる。
そしてそれが事実だとしても、まるで生贄のような扱いに不安が無いわけでは無い。
「体に悪影響は無いんですか?」
「マグネタイトが枯渇するまで吸い上げられれば、最悪の場合死に至るでしょうが、もちろんそんな真似はいたしません。元よりこの堀の内には、高位の悪魔を召喚するための儀式の場がありますので、負担は最小限に抑えられるはずです」
「昔ながらの手間隙かけた儀式召喚やね。という事は召喚するんは仏教とか神道系?」
「それは秘密です。悪魔というより神である事は否定しませんが」
そこまで言うと、ツバキは改めてアキラへと向き直る。
「深海さん。この依頼、受けてはいただけないでしょうか」
「構いません。俺もこの街の生まれですから、それを守る事が出来るならむしろお願いしたいですし」
あまり深く考えた様子も見せずに了承するアキラを見て、ツバキは安堵したように微笑み、ヒメは呆れたように頬杖をついた。
反対する理由は無いが、この一度決めたら一直線な青年が、危機的状況において一番安全な場所で召喚儀式が終わるまでジッとしていられるのか、ヒメには果てしなく不安だった。
・
・
・
「ツバキ様。お二方ともお帰りになりました」
「ええ。ありがとうございます八塚さん」
ヒメとアキラを玄関まで案内した八塚が戻ってきたのを確認し、ツバキは礼を言うと少し残念そうな様子を見せた。
「深海さんは、私の心を読まなかったようです」
「……しかし彼がサトリなのは、師である赤猪様も認めておられます」
どこか安堵したようにも見えるツバキに、八塚は戒めるようにアキラが心を読める事が間違いない事を告げる。それにツバキは小さく頷いて見せると、静かになった室内に染み渡るように言葉を紡ぐ。
「深海は深見。人の深淵を覗き見るサトリの一族。偶然でしょうか。それとも……」
その呟きに答える者はなく、屋敷の静寂の中へ溶けるように消えていった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
あとがきみたいなもの
なげえよ。一話辺り六千から八千字を目安にしているのに、この作品はよく一万近くになってしまいます。
地の文が長いせいですね。たまに改行もしてない字の塊を発見して、慌てて改行してますこのSS。