二十二歳にもなって無断外泊を責められるわけがない。
そう言ってアキラは笑っていたが、ヒメは正直頭を抱えたい心境だった。
二人がアキラの母親に何の連絡もしていない事を思い出したのは、アキラの一見自棄にも見える稽古への打ち込みが終わった深夜。ヒメの家にて風呂を勧められて着替えがないことに気付いた時だった。
日付が変わろうかという時間に電話するのはどうかと思われたし、何より本当に心配されているならアキラの携帯に電話をかけてくるだろう。そう判断して事情説明は後日に回したわけだが、アキラの母親の性格によっては、説明は修羅場となることが予想される。
何せ真面目が服を着て歩いているような青年の親。しかも片親である。厳格でないはずがないし、未だに子離れが出来ていない可能性もある。
「一人息子に手を出しやがったのかこの泥棒猫!?」と罵倒されてもおかしくない。
「いや、おかしいですからその罵倒」
「さすがエスパー。心を読みおったな」
「読んでません。というか精神感応無くなってます」
閑静な住宅街の中。アキラの自宅へと向かって歩きながら不毛な会話をする二人。
アキラの自宅には車一台を停めるスペースしかなく、そこはアキラの所有する車でうまっている。そのため付近まで乗って来たヒメの車は、すぐそばのスーパーに停めて歩いているわけだが、その中途半端に増えた移動時間でヒメの緊張した精神は生殺し状態になっていた。
因みにアキラがつっこみを入れたのは心を読んだからでは無く、単にヒメが考えている事を口に出していたからだったりする。
「どんなイメージをしているかは分かりませんけど、うちの母は怒る事の方が珍しいですよ」
「つまりぎりぎりまで笑顔やのに、唐突にぶち切れて殲滅戦を仕掛けてくる。日本人という人種を体現したような人やね」
「……」
「ジョークやけん否定して!? 何? 私殲滅されるん!?」
半ば本気で焦り、必死に肩をゆすってくるヒメから黙って視線を反らすアキラ。
実際にアキラ自身が母を怒らせた事など数えるほどしかないが、だからこそ余計に怒った時の印象が色あせる事無く強烈に残っているのだろう。
さすがにヒメが殲滅されることは戦闘能力を省みるとありえないが、精神的に死亡確認される可能性は十分にある。
「というか別に所長が来なくても、俺が説明すれば良いのでは?」
「アキラくんじゃ裏の事を上手く隠して説明出来んやろ。あの事件はガス爆発って事にするらしいし」
「無理がありませんかそれ?」
地下街に居た人間ほぼ全てが巻き込まれるガス爆発。ガスが漏れたとか言うレベルでは無い。
「遺体の損傷が激しすぎるけんね。猛獣が暴れたとかいうのにしても、被害者が多すぎるんは一緒やし。表の人間も納得するような人為的な事件をでっちあげるなら、犯人まででっちあげないかんなるし。色々と難しいんよ」
「……そうですか」
「まあアキラくんの処遇は事件とは関係無しで、ヤンデレストーカーに狙われて、しばらく警察関係者の関係者の私のとこに厄介になるみたいに説明するつもりやけど」
「関係者の関係者って説得力ないような。というかヤンデレってなんですか?」
「気になるんなら後でグーグル先生に聞きんさい」
言われた通りにアキラがネットでヤンデレについて調べ、「どんな設定だ!?」と時間差つっこみを入れるのは半日後。
「あそこが俺の家です」
「あー……審判の時が来た」
大げさに項垂れるヒメに苦笑しながら、慣れた手つきで家の門を開けるアキラ。
そんなヒメとは逆に、三日ぶりに帰った自宅はアキラには数年ぶりの安住の地の様に見えた。
・
・
・
アキラが住んでいる地域は深山市の中心地からは数キロほど離れており、ここ数十年で新たに住宅街として開発された土地だ。
そのため並ぶ家々は比較的新しいものが多いが、アキラの家は外壁が白いためか汚れが目立ち、他の家より少々古いもののように見える。
そしてその家へとアキラに案内されたヒメが遭遇したのは、自分を見て硬直している実年齢より若い印象を受ける小柄な中年女性だった。
「あ……あいきゃんとすぴーくいんぐりっしゅ」
「母さん。それ外国人が「ワタシニホンゴワカリマセーン」って言うくらい胡散臭いから」
「いや、その前に日本語通じることを教えようや」
のっけからお約束のような対応をされて、脱力しながらもアキラの指摘に重ねて言うヒメ。
見た目がゲルマン系に近いヒメがこのような対応をされるのは初めてでは無いが、ここまで見事に硬直される事も滅多にない。
「そうなの? 失礼ですけど日本は長いんですか?」
「親が日本に帰化したんで、日本生まれの日本育ちで完全に馴染んでます。牛蛙みたいなもんですよ」
「何で蛙に例えるんですか」
「あーじゃあもう日本人なんですね。そういえば夕食の準備してる時って、やたらと蛙が鳴くなぁ」
「まな板に包丁が当たる音が蛙の鳴き声の波長に似てるから、つられて鳴くらしい。でも今はそれ関係ないから」
「相変わらず引き出しの数が多いなアキラくん」
関係ないと言いつつも先に疑問に答えるアキラ。そのアキラの無駄に広い知識に呆れながらも、ヒメはアキラの母は天然が入っていると判断し、修羅場になる確率は低そうだと内心安堵する。
「そうでしょう。この子昔っから物知りで。そんなに勉強好きなわけでも読書家でも無いんですけどねえ」
「あー居ますよね。勉強しとる様子も無いのにやけに利口な子」
「でしょう? でも大人しいから女手一つで育てるのは不安だったんですけどね。今もあんまり活発では無いんですけど、しっかりとした子になってくれて……」
「話をずらすなとは言わないけど俺をネタにするな!? 所長も聞かなくていいですから」
いつの間にか自分の過去話になっているのに気付き、慌てて修正しようとするアキラ。
それを見てヒメは面白いものを見つけたとばかりに口元を歪めたが、彼女が話を牽引するまでも無くアキラの母がさらなる暴走を始める。
「所長って事はアキラが就職した? 自己紹介もせずにすいません。私アキラの母でマナカと申します。息子がお世話になってます」
「いえいえ。私はアカイデザインスタジオの所長の赤猪ヒメです。息子さん覚えがいいから助かってますよ」
「そうなんですか。安心しました。玄関でもなんですから、客間の方上がってください。アキラお茶入れて来て」
「うん……。もう好きにして」
ヒメが来た理由も聞かずに長話を前提とした状況へ持って行ったという事は、関係無い話(主にアキラの)をする気満々だろう。
それを理解しつつも止める事が出来ないと悟ったアキラは、生暖かい目で見てくるヒメを無視しつつ台所へと向かった。
・
・
・
「うむ。余は満足じゃ」
「……何を知ったのかは聞かないでおきます」
ヒメとマナカの長すぎる話が終わり、車を停めているスーパーへと向かう途中。ヒメがやけに満ち足りた様子で言うのに、アキラは知らぬが仏とばかりに詳細を聞くのを止めた。
「さすがに中学入るまでおねしょしとったんはどうかと思ったなぁ」
「だから言わなくて!?」
ヒメの放ったクリティカルな言葉に、アキラは発言の途中で頭を抱えて悶絶する。
それを見てヒメはニヤリと笑ったが、アキラも切れると恐い人種だと思われるので、用法用量を守って正しく使うことを決意する。
「それはそうと、マナカさんって何者?」
「何者と言われても、ただのパートやってる主婦ですけど?」
不意に真剣な様子で母について聞かれ、アキラは疑問に思いつつも悶絶するのを止めて答える。
するとヒメはどこか納得言っていない様子で腕を組んで見せる。
「そうなん? 全体的に温そうな人やったけど、たまに妙に痛いとこをつかれて焦ったんよ」
「昔は良い家のお嬢さんだったらしいですけど」
「昔て?」
「母の家系は、戦前までは台湾あたりで商売やってたらしくて、それなりに裕福だったらしいです。でも祖父が死んで働き手が居なくなってからは商売も辞めて、父と結婚するまでは貧乏だったとか」
「台湾て。もしかしてアキラくん台湾系混ざっとる?」
「……聞いたことが無いから混じってるかも」
今まで考えたことも無かったらしく、軽くアイデンティティが揺らぐアキラ。
別に自分が純粋な日本人で無いからとショックを受けるわけでは無いが、台湾人の血が混じっているなら、台湾に対する考え方を改めることになるかもしれない。
何をどう改めるのかは本人にも分からないが。
「それにしてもごつい車ですね」
スーパーの駐車場に近付きヒメの車が見えて来た所で、アキラはその銀色の一歩間違えれば無骨とも言える大型車を評して言う。
それに対してヒメはむしろそこが気に入っているのか、得意げな様子で軽く車の解説を始める。
「元々は軍用車を作っとった会社の車やけんね。万が一事故ってもそう簡単には壊れんで」
「そうでしょうね」
軍用車と聞いて納得してしまうような重厚な「装甲」の車だ。相手がアキラの持っているような軽自動車なら、完膚なきまでに粉砕している所しか想像できない。
「アキラくんは車に拘らんの? 免許マニュアルで取っとったやろ?」
「取れるならマニュアルの方が良いと思っただけですよ。車はあまり好きじゃないんで」
車に乗り込みエンジンをかけながら聞いてくるヒメに、アキラはシートベルトをしめると、うんざりといった感情が見て取れる表情で言う。
「あー、最近の若い子車買わんらしいしなぁ。不況だけが原因やないんやね」
「まあガソリン代や維持費が厳しいというのもありますけどね。それに工学やってた奴が言う事じゃないのかもしれませんけど、あまり機械に頼ってばかりだと人間の質が落ちると思うので」
実際アキラは車には月に何回か点検も兼ねて乗るだけで、移動する際には自転車をよく使っている。
健康や自然に考慮すれば良い事なのだが、アキラのような人が増えすぎるのは車産業の人間には歓迎出来ない事態だろう。
ヒメはアキラの言ったことに少し感心しながらも、自分は楽出来るなら楽しようと思いつつ、周囲を確認してからギアを変えてアクセルを踏み込んだ。
・
・
・
アキラの自宅が深山市の中心の南の山に近い地域にあるのに対し、ヒメの自宅は東の山間の地域に存在する。
山ばかりだと思われそうだが、実際四国という土地は少し移動すれば山に突き当たるといっていいような地域だ。海沿いを少し歩けば、海のすぐそばに山がそびえ立っている様な風景も珍しくない。
四国で他の県に移動するという事は、山を越えるのと同義。慣れていなければ非常に不便な地域だといえる。
「なのに何でこんなでかい車乗ってるんですか。帰るまでに何回対向車と道譲り合ってんですか」
「んー、二回?」
「四回です」
首をひねって当然のように過小報告するヒメに、アキラは居間におかれた年季の入った木のテーブルに、つっぷすように覇気も無く項垂れる。
アキラの家が山に近いだけなのに対し、ヒメの家は完全に山間に存在する。周囲には田畑が多く、道路も家々の間を無理矢理繋いだように細く曲がりくねっており、あまり車に乗らないアキラを酔わせるには十分だった。
吐くほどでは無いようだが、その顔色はジャックフロストと良い勝負が出来そうな色になっている。
「まあそう言わんと。私も市街地に引っ越したいんやけどね、先祖代々の土地を手放すわけにもいかんし」
「先祖代々って、親が帰化したんじゃないんですか」
「いんや、明治時代くらいから日本にいりびたっとったらしいんよ、うちのご先祖さん。「赤猪」ていう名前も、ご先祖様がある事件を解決してからは、この国でのうちの一族の呼び名になっとったんやと」
「へー」
ヒメの一族の意外な過去に、アキラは素直に感心する。
少し中心地から離れれば田舎というのに相応しい風景の広がるこの街において、外国人は未だに珍しい。にも関らずヒメが街に馴染んでいるのは、先祖代々この土地で暮らしていたという背景があったからなのだろう。
「まあそれでも大戦中はアイスランドに帰っとったらしいんやけどね。自分だけ日本から離れるなんて、なんて薄情やと思いながら爺さんがこの街に戻ってくると、近所の人に「大丈夫やったんか?」と逆に心配されたらしい。
それから爺さんは、自分達はもう完全に日本に根ざした方がいいかもしれんと思て、子供二人の内の一人――私の父親を日本国籍にしたんやと」
「良い話ですね」
「因みに大戦中のアイスランドは、中立のはずやのにあっという間にイギリス軍に占領された」
「駄目じゃないですか」
素直に聞き入っていた所にオチをつけられて、アキラはジト目でヒメを見る。
もっともアイスランドには常備軍が無く、抵抗らしい抵抗も無く占領されたため、深山市のような地方都市まで空爆された日本に比べれば、安全だったのは間違いないだろうが。
「まあ爺さんは置いといて。昼飯食ったら私はちょっと用事があるんやけど、アキラくんはどうする?」
「特にやる事は無いんですけど……そういえば仕事は?」
「急ぐ仕事も無いし、しばらくはお休みかなあ。例の吸血鬼とデビルサマナーを何とかするまでは、この街のデビルサマナー、退魔士ほぼ全員が警戒状態に入るやろうし」
「そうですか」
この街にどれほど裏の人間が居るのかアキラは知らないが、少なくとも自分の出る幕は無いだろうと判断し複雑な心境になる。
もっともアキラ自身が狙われている以上、まったくの無関係で居られるはずは無いのだが。
「あとアキラくんにあげた悪魔の封印は解いとるけんね。ヤバイと思ったら躊躇わずに呼ぶんよ」
「分かりました」
アキラ自身はヒメの悪魔がどれほどの強さか見ていないが、あの吸血鬼を退けるほどならば頼れることは分かる。
だがそれでも、呼び出すのを躊躇してしまう感情があるのも事実だ。
「そういえばアキラくん。なんでピクシー呼び出して無いん?」
そしてそれは、ヒメの問いに咄嗟に答えが出なかったことからも明らかだった。
・
・
・
当然というか、深山市内には中央商店街以外にも商店街は存在する。
田舎とは言え、街が深山城を中心に発展してきた経緯を考えれば、明治以降に出来た交通網に合わせて発展した中央商店街より、周囲にある小規模な商店街の方が歴史は深いといえる。
昼食を済ませたが特にやる事の無いアキラは、市内にある幾つかの商店街の一つを目的も無く歩いていた。
お世辞にも賑わっているといえない商店街だったが、八百屋や魚屋といった専門店が並ぶ光景は、スーパーでの買い物に慣れているアキラには新鮮な光景だ。
アキラが住んでいる地域はここ数十年で住宅街として開発されたため、古い店などは皆無で、日用品は一つしかないスーパーで揃えるしかない。
それに対し、今居る商店街のように中心市街地に近い場所ほど古い店が多く、逆にスーパーの類は少なくなっていく。
つまり市街地から離れるほど近代的な店が多く、市街地に近いほど古く寂れた店が多いという矛盾した発展の仕方を深山市はしているのだ。無論例外はあるが。
「兄さん、ネギ買おうぜ?」
「何故ネギ?」
不意に後ろからかけられた声に反射的につっこむアキラ。
やけに馴れ馴れしいその客引きを疑問に思いながらアキラが振り返ると、そこにはどこかで見た金髪の青年が「野菜なら石応!」と書かれたエプロンを着て立っていた。
「……何やってんだ石応?」
「店の手伝いに決まってんだろ。俺んち八百屋だぜ?」
「知らんわ」
知っていて当たり前のように家業を言われ、アキラは呆れながら溜息をつく。
あのような事件に巻き込まれても普通に店を手伝っているあたり、石応ユウヤという青年は意外にタフなのかもしれない。
「深海こそ平日にこんなとこで何やってんだよ。ニートか? 働いたら負けなのか?」
「違う。就職したとこが……その、お前があの時見たようなものの関係者でな。あの事件の影響でしばらく休みなんだよ」
「……凄いとこ就職してんなおまえ」
「……俺だって就職してしばらくするまで知らなかったよ」
しかし今にして思えば、あの異様なほど早い就職内定は、ヒメが自分の異常さを知っていたからだったのだとアキラは気付く。
因みにあの日アキラの横で伸びていた伸び上がり入道は固定出現らしく、毎日のように道路の脇で天高く伸び上がっている。伸び上がって何をしたいのかはヒメにすら分からない謎だ。
「そういうおまえは仕事なにしてるんだ? 手伝いって事は本職じゃないんだろう?」
「ふっ知ってて聞いてんなおまえ?」
「は?」
アキラの質問に「やれやれ」といった感じで肩をすくめるユウヤ。だが残念ながらアキラには彼が何を言いたいのか分からない。
「今人気急上昇中のサッカーチーム深山FC。そのエースストライカー石応ユウヤとは俺の事だぜ!」
「……へー」
「何だその生暖かい目!? 本当だぜ!? エースだぜ俺!?」
別に疑っているわけでは無いが、サッカーに興味が欠片もないアキラは反応に困る。しかしユウヤがそれなりに有名なのは事実らしく、それほど多くなかった通行人が足を止めて二人の漫才もどきを眺めている。
一刻も早く話を切って帰りたい。そうアキラは思い始めたがユウヤの話は止まらない。
「分かってんよ。どうせうちは二部リーグで給料も安いよ! 俺以外の連中もバイトしなきゃ食ってけないほど安いよ!」
「そういう事は事実でもファンには言わない方が良いと思うんだが」
「夢を売っても腹はふくれないんだよ!」
「色々とヤバイぞその発言」
間違ってもファンの人気で成り立っている仕事をしている人間が言う事では無い。
「というか夢(サッカー)が売れてないから給料安いんじゃないか?」
「おまえの発言こそヤバイだろ」
全国のサッカーファンを敵に回しかねないアキラの発言に、本来なら怒る側のユウヤも素に戻る。しかし二部リーグの動向など、地元の人間しか気にしていないので事実でもある。
「……そういえば聞きたい事があるんだけど」
「ん? ちょっと待てよ。出かけるって伝えてくるわ」
ふと事件についての疑問が出てきたアキラがそれを伝えると、ユウヤは長くなると判断したのか、店の奥に居た母親らしき女性にエプロンを脱ぎながら話しかける。
それを見ながら、アキラはもう一人の生き残りに対する疑念をどうしたものかと頭を悩ませた。
・
・
・
「で、吸血鬼の正体が分かったって?」
深山警察署の一室。
ソファーと安っぽいテーブルだけが置かれた殺風景な室内にて、ヒメは鬼塚とカズトのの対面に座りながら、どこか納得行かない様子で聞いた。
「はい。監視カメラの映像からの推測ですが」
「断定や無いにしても早すぎん?」
「本庁に偶然奴を知ってる人間が居たんだよ。それなりに有名人らしくてな、向こうも驚いてた」
鬼塚が言いながら渡してきた資料を受け取ると、ヒメは一枚目にそえられていた写真を眺める。
ヒメ自身も直接見たわけでは無いので、監視カメラの荒い画像からは似ているとしか判断出来ないが、結論は資料の内容を読んでからだと目を通す。
「惣河アヤメ……女みたいな名前やねぇ。齢は十七歳」
「それは十年前のデータですから、今は二十七歳のはずです」
「私とタメやん。というか未成年の犯罪者のデーター簡単に見せて良いん?」
「今更法律を語れる立場でもないでしょう。それでも資料の持ち出しは禁止させてもらいますが」
「まあ妥当やね」
カズトの言い分に納得しながらヒメは資料を読み進める。そして読めば読むほど、吸血鬼の正体が惣河アヤメなのではという思いが強くなってくる。
「容疑は十代の少女七人の殺害。ナイフを所持している所を別件逮捕されて、証拠が続々出てきて御用。そんで取調べ中に捜査官が目を離した隙に失踪。密室のはずの取調室には、容疑者のものとは異なる大量の血痕が残されていた……って、何このホラー?」
「血痕が誰のものかは未だに分かってはいません。しかし失踪するその瞬間まで、惣河アヤメが吸血鬼に類似する行動や特徴を持っていたという話はありません」
「そいつが密室から逃げたって事は、吸血鬼になって逃げたという可能性もあると」
惣河アヤメがミステリー小説のようなトリックでも使ったのでなければ、何らかの特殊能力で密室から逃げ出した可能性はある。あくまで可能性があるだけだが。
「その資料には書かれてねえが、惣河アヤメは十歳の時に両親を亡くしてる。そんでその頃から精神病院に通っていたらしい。居ないはずの他人の声が聞こえるってな」
「……丁度十七年前やん。あの事件の関係者やと本人らが言っとったし、原因は悪魔召喚プログラムか」
悪魔召喚プログラムを手に入れたが、悪魔を扱いきれずに憑かれて何らかの精神病と判断された。それで筋は通る。
「けど十歳の子がコンピューター触るかなぁ? 今ならあり得んことや無いけど、当時はコンピューターがあるだけで珍しかったで?」
「今となっては確かめようがありませんね。しかし惣河アヤメの両親のどちらかが悪魔召喚プログラムを手に入れ惨劇が起こり、生き残った御しやすい子供に悪魔がとり憑いた可能性はあるかと」
「結局結論ありきで推測するしかないわけやね」
吸血鬼についての情報が少ない以上、証拠などはありはしない。結論が出るはずはないのだ。
「まあ吸血鬼の正体が誰でも、潰すことは決定事項やけど」
「今吸血鬼が潜伏出来そうな場所を探してる。太陽が平気な奴もいるらしいが、好き好んで昼間から歩かねえだろうからな。どこかに住処があるはずだ」
「OK.住処を見つけたら昼間に襲撃して、心臓に杭打ち込んで首はねたらいいわけやね」
「ニンニクを詰め込むのもお忘れなく」
オーソドックスな吸血鬼退治の方法を言うヒメに、カズトが補足してとりあえずの話は終わる。
そして十代の少女が被害者となる殺人事件が深山市で起き始めるのは、この日から数日としないうちの事だった。