赤信号を前にした車中で、赤猪ヒメは焦っていた。
これまで彼女が関ってきた悪魔絡みの事件は、一般人が犠牲になることはあっても、それは裏の世界に一般人が迷い込み巻き込まれたものばかりだった。だが今しがた黒木に聞かされた事件は違う。
異界自体は人間の居る世界と重なり合っているも同然のため、いつ何処で発生してもおかしくない。しかしそれが街の一画を飲み込む規模というのは異常だ。
異界に迷い込む人間は稀に居るが、空間そのものが異界に飲まれたという事は、その場に居た人間全てが異界に引きずり込まれたことを意味する。
恐らく数十人以上、水岐タウンは外食産業が中心であり、異界に飲まれた時間が夕方以降であることを考えれば、下手をすれば数百人単位で被害が出かねない。
世紀末の混乱期ならいざ知れず、ヒメがデビルサマナーとして本格的に活動を始めた数年間では前例の無い、二十一世紀に入って最悪のデビルハザード(悪魔災害)となるのは既に確定している。
「アキラくんは……ベリス並のやつが大量発生したらアウトやな」
信号を通過し、ギアを操作しながらヒメは呟く。
アキラの護衛につけたベリスは、決して弱くは無いが悪魔全体で言えば中堅クラスの力しかない。
そもそも並みのデビルサマナーでは、その中堅クラスを召喚するのが精一杯なため護衛としては充分だと思える。しかし異界が自然的なものにしろ人為的なものにしろ、何かの拍子に魔王クラスの悪魔が出現しないとも限らない。
そしてもしも異界化が人為的なものだとすれば、そんなことを出来る時点で仕立て人は一流の力を持っていると見たほうがいい。何故よりにもよってそんな事態に、アキラがピンポイントで巻き込まれるのかとヒメは心の中で愚痴をたれる。
「……もう少し」
最悪の可能性を無視しながら、ヒメはハンドルをきって交差点を曲がると、水岐タウンの入り口に面している国道へと出る。そしてそのまま直進し、交差点の信号が青であることを確認しながら左へと曲がった。
「……!?」
だがすぐにヒメは違和感を覚えてブレーキを踏む。違和感の正体をすぐに理解し、ヒメは自問する。何故自分は直進するはずだった交差点を曲がっているのかと。
急ブレーキは後続車が居れば危ない行為だったが、幸いと言うべきか後ろには車は居なかった。それを確認してヒメは安堵しかけたが、そもそも後続車が居ないことがおかしい事に気付く。
「……いつからここはゴーストタウンになったんよ」
車どころか、周囲には人っ子一人居なかった。
厳密に言えば周囲のビルには明かりがついているし、まったく人の気配が無いわけでは無い。だがそれでも、国道沿いのこの場所に通行車も通行人も無いというのは不審すぎる。
遥か遠くから聞こえてくる普段通りの街の騒音が、逆にこの場の静けさを際立たせていた。
ヒメが先ほど直進するつもりが左折してしまった事といい、何らかの方法で人払いをしているのは間違いない。
「結界? ……やったら私があっさり引っかかるわけが無いんやけど」
黒塗りの外国車から降りながら、ヒメは周囲へと気を巡らせる。
いくらヒメでも、結界の類に絶対に抵抗出来るとは断言できない。しかしいくらなんでも、その存在を欠片も感知出来ない結界というのはありえない。
ヒメは無言のまま九峨の車に鍵をかけると、ポケットの中で携帯電話を弄びながら歩き始める。
だが予想通りというべきか、少しでも気を抜くと、真っ直ぐ歩いていたはずの足が言う事を聞かなくなる。
「おかしいなあ。黒木さんはともかく、私がそう簡単に結界の影響を受けるはずが……」
若干黒木に失礼な事を呟くヒメの耳に、遠くから何かが震えるような音が届く。
その音は一旦ヒメから離れて行ったかと思うと、しばらく停止する素振りを見せると今度は徐々に近付いてくる。
そして国道を満たす街灯の光を引き裂くように、ビルの陰から黒い何かが飛び出し、横滑りしながら進路をヒメへと向ける。
「……バイク?」
けたたましいエンジン音と共に現れたのは、他に誰も居ないのをいいことに片側二車線の道路を我が物顔で走るバイク。
その車体は黒を基調としており、格部位を区切るように濃い赤色のラインが走っている。その黒いバイクが、街灯の光を寄せ付けない闇のようにヒメは思えた。
「……」
静寂を切り裂くように走り続けるバイクは、無言で眺めるヒメのそばを挑発するように通り抜けると、タイヤを滑らしてヒメへと向き直りながら停車した。
そしてバイクに跨ったままヒメを見つめてきたのは、黒いライダースーツを着た女性。ただ体つきから女性だと判断は出来るが、その顔はヘルメットに隠れて確認できない。
「……」
「……」
ヒメと女。二人は身動き一つせず、言葉を交わさないまま視線を交じり合わせる。
バイクのエンジン音をバックにしたにらみ合いは数秒か、それとも数分か。無言の時は永遠に続くかと思われたが、それを破ったのはヒメの方だった。
「よくそんなでかいバイク乗り回せるねえ。それニンジャ?」
「いいえ。でもよく間違われるんだ。あと見た目より結構軽いの」
軽口にちゃんと返事が返ってきて、ヒメは少し驚いた様子を見せたが、すぐにそれを口を少し吊り上げた笑みで覆い隠す。
それに対し女の方もヘルメットの下から小さく笑い声を漏らすと、バイクのエンジンを切って地面へと降り立つ。そして両手でヘルメットを取ると、長い黒髪がこぼれる様に背中へと流れ落ちた。
「ハジメマシテかな。葛葉のデビルサマナーさん」
「私は一応フリーなんやけどね。あと本当にはじめましてなんか疑問が残るんやけど……」
内心を隠した笑みのまま、ヒメは女の顔を観察し、そして眉をしかめた。
最初に見たときは美しい女の顔だった。しかし瞬きした時にはその顔は幼さの残る少女のように見え、また数瞬の後には凛々しい男の顔にすら見えた。
今この瞬間にもヒメは女の顔を見ているが、それは女でようあったり男のようであったり、老人のようであったり子供のようであったり。女の顔は確かに見えているのに、その顔は認識する前に様々な人間の顔に塗りつぶされて脳に届かない。
千の顔を持つ神――そんな存在を思い出したヒメは、まさかと呟きながら首を横に振る。
そんな大層な存在ならば、もっと強大な力を感じるはずだし、何より目の前に居るのは間違い無く人間だ。
「さっきから考えとることが実行出来んかったり、あんたの顔が上手く認識出来んかったりしとるけん、プリンパでもかけられたんか思たけど、違うね。今この瞬間も魔力が動くんが感じられんてことは、魔法じゃない力――テレパシー系の超能力者か」
ヒメの言葉に、女は様々な顔で笑った。
「ふふ、正解。正確には催眠誘導能力(ヒュプノシス)って言うらしいんだけど、その気になればこんなことも出来るの」
「!?」
女の言葉に疑問を持つとほぼ同時に、ヒメの右腕が跳ね上がるように持ち上がり、喉元へそえられた所で止まる。
ヒメは突然自分の腕が勝手に動いたことに焦りを感じ、確認するように右手を何度か握ってみる。そしてその様子を見ている女は、ヒメの肝を冷やしたというのにどこか残念そうな声を漏らす。
「首を絞めさせるつもりだったのに……腕が勝手に動いたって気付いただけで、私の力に抵抗出来ちゃうんだ。どういう精神構造をしてるの?」
「知らんがな。というかあんた本気で何者なん?」
焦りをなるべく表に出さないようにしながら、ヒメは女に問いかける。
女は残念がっているが、今のように一瞬でもヒメの腕を動かせると言う事は、手に武器を持った状態ならば、ヒメを自殺させることは不可能でないという事だ。
もっともヒメが使うのは小回りのきかないツインランスなので、ヒメを操れる一瞬で自殺させるというのは難しいだろうが。
「何者って? 答えるのは構わないんだけど、コレを見せたほうが早いかな」
そう良いながら女は横向きにした左腕を胸の前にかざす。そして左腕についていた黒いプロテクターのようなものを弄ると、蓋が開くように上部が展開し中からキーボードとディスプレイが現れる。
「まさか……アームターミナル?」
「そう。二十年前に何処かの誰かさんがばら撒いた悪魔召喚プログラムを、効率良く運用するために生み出されたハンドヘルドコンピューター」
自らのCOMPの説明をしながら、女はアームターミナルに繋がっているヘッドマウントディスプレイを左目に装着する。
それを見たヒメは今まで左手に保持していた携帯電話を取り出すと、待機状態になっている仲魔の召喚プロセスを踏み始める。
「――SUMMON OK?」
「――DIGITAL DEVIL」
「――GO!」
「――SUMMON!」
召喚プログラムの起動と共に、それぞれを守るように数体の悪魔達が出現する。
ヒメのそばには、ベルセルクとドヴェルガーに加えて、さらに二体の悪魔が召喚されている。
一体は赤い鎧を身に纏い、長い金色の髪を帽子のような兜で押さえた身軽そうな剣士――英雄ジークフリート。
もう一体は黒い帽子とマントを羽織り、正座のような体勢で浮遊している女性――女神スカアハ。
それぞれ叙事詩ニーベルンゲンの歌に語られる英雄に、ケルト神話に登場する影の国の女王と、人間界に存在することがおかしい程の上魔だ。
対する女の召喚した悪魔は二体のみ。
金色の毛皮に獅子のようなたてがみを持つ二メートルを軽く超える獣――魔獣オルトロス。
もう一体は翼、そして蛇の尻尾を生やした額に角を持つ獅子――神獣キマイラ。
いずれもギリシア神話に登場する獣であり、邪龍エキドナを母に持つ兄弟でもある。
「……PCも小型化が進んどるこの時代に、そんな骨董品を持ち出してくるとわなぁ」
「そんなに使い勝手は悪くないのよ? それに皆で決めたの。私達のCOMPはこれにしようって。あの英雄(ヒーロー)の影である、私達の存在を知らしめようって」
「なんやって?」
「さて、ここで大きく名乗りたい所なんだけど、本名を言って足つけちゃ本末転倒なんだよね」
そこまで言うと女は展開していたアームターミナルの上部を閉じ、眼鏡のようにヘッドマウントディスプレイを指で押し上げる。
「だから……タタリクスとでも名乗っておこうかな。そして私達という郡体の名前はファントム――裏の歴史にすら埋もれて置き去りにされた、二十年前の事件の亡霊よ」
・
・
・
「……なんだぁ?」
うつ伏せに倒れるアキラを見下ろしながら、吸血鬼は半目になりながら呟く。
吸血鬼は確かにムドオン――呪殺の魔法をアキラへとかけた。だがその呪いがアキラへ降りかかろうとした瞬間、アキラの周りを薄緑色の光が覆い呪いが届かなかったのだ。
「オイ、てめえ何しやがった?」
単に呪殺に失敗したのならば呪いが散っていくだけであり、薄緑色の光の説明がつかない。そのため吸血鬼は、アキラの背中に乗っているピクシーが何かしたのかと思ったが、当のピクシーはアキラの治癒に専念していて吸血鬼を見向きもしない。
「……聞けよ虫が!?」
『待ちなさい。その子は何もしてないわ』
無視された吸血鬼は苛立ってピクシーを踏み潰そうとしたが、その前に内側に居る女が話し始めたため、宙に浮いた足を止める。
「じゃあ何だよ?」
『加護でしょうね。しかも私の魔力を上回っている……かなり上位の悪魔の』
「はあ? 聞いてねえぞ」
『今まで反応が無かったのだから、気付けなかったのも無理はないわ。瀕死の常態でしか効果を表さないか、あるいは特定の魔法のみ無効化する加護なのかもしれない』
「ハン、中途半端な加護な事で。やっぱ殺しといた方が良いなこいつ!」
そう言うやいなや、吸血鬼の足が再び動き出す。それに気付いたピクシーが慌てて間に入るが、彼女の小さな体で吸血鬼の一撃を受け止めるなど無謀だ。
事実吸血鬼はピクシーの事など気になど止めず、そのまま足に力を入れて踵を振り下ろした。
「なッ!?」
しかし確実な死を与えるはずの一撃は、またしてもアキラ、そしてそれを守ろうとするピクシーの体へ届く前に阻まれた。
倒れ伏すアキラの周囲に魔方陣が現れ、強力な圧力を持った場が吸血鬼の足を押し戻す。
カリカリと、アキラの脇の辺りから音がしていた。気絶している主を守るために、ヒメから譲られたGUMPと、そこに封じられた力が目覚めようとしていた。
「おわぁっ!?」
魔方陣から飛び出して来た白い影が、吸血鬼の足を持ち上げるように弾き飛ばす。
吸血鬼は弾き飛ばされた勢いでバク転をしながら距離をとったが、白い影は実体化もそこそこな状態で距離を詰め、手にした何かで吸血鬼の胴体を薙ぐ。
「うぉっと!?」
だが吸血鬼はそれが体へと届く前に霧と化し、攻撃が届かない上空へと避難する。
それを見た白い影はしばらく動きを止めた後、両手を突き出して完全に実体化した口を開く。
「――マハザンマ」
「なぁっ!?」
まるで空間を跳ねるように不規則に荒れ狂う衝撃波が、霧と化した吸血鬼へと襲い掛かる。
例え霧と化していても、その霧ごと吹き飛ばす衝撃波を前にしてはダメージを受けることは避けきれなかったらしい。白い霧は地面に流れる落ちるように沈殿すると、そのまま蹲った状態で吸血鬼の姿へと戻る。
「ハッ……ン? ザンマってレベルじゃねえぞ今の!?」
『下半身が吹きとんだわ。不味いわね』
女が声が言う通り、吸血鬼の辛うじて繋がっていた下半身は、霧から元の体へ戻ったときには無くなっていた。
それでも平然と話している所が、この吸血鬼の異様な生命力の高さを物語っている。
『その体……仮初のものでは無いな?』
「!?」
完全に実体化した白銀の鎧を纏う騎士が、手に持った槍を吸血鬼へと向けていた。
それに気付いた吸血鬼は舌打ちをしたが、すぐに軽薄な笑みを浮かべると騎士の問いに答える。
「ハン、よく分かったな。俺は正真正銘、今この世界で生きている“人間”だよ。一度死ぬとそういう事が分かるようになるのか? クランの猛犬さんよ」
『……』
皮肉のように「人間」という言葉を強調する吸血鬼。そしてその吸血鬼に己の正体を言い当てられたのが意外だったのか、白銀の騎士は僅かに眉をしかめながら吸血鬼を見下ろした。
だがそれも一瞬の事で、雑念を払うように首をふると、騎士は射殺さんばかりの鋭い視線を吸血鬼へと向ける。
『お前達は何者だ? 魔術の力の薄れた今の時代に、お前ほどの力を持つ吸血鬼を生み出すのは至難のはず。この街を異界へ落とし、アキラ殿を連れ去るようお前に命じたのは誰だ?』
「ハン、質問多いなオイ。俺は別に誰かに生み出されたわけじゃねえよ。単に他の吸血鬼にお仲間にされただけだ」
『馬鹿な。他の吸血鬼の下僕ならばそれほどの――!?』
重ねて問おうとした騎士だったが、その言葉は突然襲いかかって来た炎によって遮られる。
火炎放射器のように横合いから襲いかかって来た炎を、騎士は後ろに跳んで回避すると、意識の無いアキラとピクシーを背に守りながら周囲を見渡す。
そんな騎士の警戒を嘲笑うように、炎を放った主はゆっくりと歩いてその場へと姿を現した。
・
・
・
「ふふ――マハブフーラ」
『クゥ!? 召喚師殿!』
「――メディアラハン!」
オルトロスへ斬りかかろうとしたジークフリートが、突然動きを止めてしまいキマイラの爪を避けきれずに鎧ごと切り裂かれる。そしてそこへ追い討ちをかけるように女――タタリクスが冷気の嵐を放つ。
それらをまともに受けたジークフリートは瀕死の状態にまで追い込まれるが、それを予期していたようにヒメが回復魔法を唱えると、ビデオを逆再生したようにジークフリートの肉体が万全の状態へと戻っていく。
「怯んだらいかん! 攻め手を欠いたら飲まれるで!」
『分かっておる。――ザンマ!』
「粘るね。でもこっちも負けてられないから――ディアラマ」
ヒメに応えるようにスカアハが衝撃波を放つ。しかしそれはキマイラの体を数メートルほど吹き飛ばしたものの、トドメをさすまでには至らず、すぐにタタリクスによって回復されてしまう。
ヒメとタタリクスの戦いは膠着状態に陥っていた。
最初こそヒメの方が圧倒的に数も質も勝っていたが、戦いが始まって数十秒ほどで数の差は無くなってしまっていた。
ジークフリートの放った三日月斬りが、直前でタタリクスの催眠誘導によって標的を変えられたのが始まりだった。
オルトロスを切り裂くはずだった剣閃は、ドヴェルガーを一撃で葬り、敵の能力を完全に理解したヒメの仲魔たちの動きが止まった所で、タタリクスの魔法とキマイラの連携によってベルセルクが撃破された。
攻めれば味方を傷つけかねず、かといって何もしなければ敵の良いように翻弄されるだけ。
ヒメ達は仲間を攻撃する可能性を承知の上で、攻撃を続けるしかなかった。
『ハッ!?』
「――ジオっとぉ!?」
だがその攻撃も、催眠誘導を警戒して味方を一撃で殺しかねないものは使えない。
現に今もキマイラの爪を弾き返したジークフリートの剣が、振り子のように後方に居たヒメへと襲い掛かり、危うくその頭を割る所だった。
魔法を唱えるのを中断し、何とかツインランスで受けたヒメだったが、何度もこんなことが続けば流石に疲労も半端なものでは無い。
『も、申し訳ない召喚師殿!』
「気にしたら負けやでー。ほら、キマイラ来た」
『む、クゥ!? ハァッ!!』
『話をする間も無いか――ザンマ!』
慌てて謝罪するジークフリートに向かって、キマイラが唸り声を上げながら爪を振り下ろす。
ジークフリートはそれを剣で受け流すと、すれ違いざまにキマイラの腹を薙ぎ、それに合わせたようにスカアハも衝撃波でオルトロスを吹き飛ばす。
『今!』
「はい、残念でしたぁ――メディラマ」
だがその優勢も一瞬。
追撃をかけようとしたジークフリートとスカアハは、タタリクスの催眠誘導によって明後日の方向に踏み込んでしまい、その隙にキマイラとオルトロスは万全の状態まで回復してしまう。
「チィッ……こんな苛立つ敵は初めてやなぁ」
今すぐタタリクスへ向かって駆け出したいのを堪えながら、ヒメは小さく舌打ちをする。
ヒメは普段からツインランスで暴れまわってはいるが、どちらかというと魔法使いとしての能力の方が優れており、今のように後方から仲魔をサポートするのを本来のスタイルとしている。
これは消極的なようにも見えるが、召喚主が倒れればその時点で決着がつく、デビルサマナー同士の戦いにおいては有利な戦い方でもある。
しかし今のように、双方のデビルサマナーが後方からサポートに回り、しかも回復魔法が使える状態では長期戦になるのは避けられない。
それでも戦力差だけ見ればヒメがいつか押し勝つはずなのだが、ここぞという所でタタリクスの催眠誘導によって妨害されるため、むしろ押し負ける可能性が高まってきている。
「うん良い感じ。まともに相手が出来るか不安だったんだあ。何とかなりそうで安心したわ」
「まともに相手して無いやん!? その反則超能力無かったら、私が十回は勝っとるし!」
ほっと淑やかな女性の笑みを浮かべながら言うタタリクスに、ヒメが納得いかないとばかりに吼える。しかし事実を含んだその叫びも、今の状況では負け惜しみにしかならない。
『落ち着けヒメ。弱者が策を弄するのは当然の事であろう。そなたは強者として堂々として居れば良い』
「あ、今のはちょっと聞き捨てならないかな?」
オルトロスを牽制しながら、スカアハがなだめるように放った言葉に、タタリクスの顔がムッとした様子の少女のものへと変わる。
そしてその顔は次には余裕のある熟女の笑みとなり、最後には何かいたずらを企むような少女の顔へと落ち着いた。
「私だってその気になればこれくらいは出来るんだよ? ふふふ――マハブフダイン!」
「な!?」
タタリクスが満面の笑みで放ったのは、氷結系の最大級の魔法。
戦場となっている国道をまるごと包み込む程の広範囲を冷気が駆け抜け、渦を巻きながらヒメたちへと迫る。
それを見たヒメは驚愕に目を見開いたように見えたが、その目はすぐに鋭いものへと変わり、呆けていたはずの口元は笑みすら浮かべる。
「凄いけど、私はそれを待っとった――マカラカーン!」
「ええ!?」
ヒメが魔法を唱えた瞬間、国道を横断するように六角形を繋ぎ合わせたような壁が出現する。
国道を氷に包みながら迫る冷気。しかしその冷気はヒメが張った魔法障壁へとぶつかると、物理法則をどこかへ忘れてきたかのようにその進路を反転し、タタリクス達へと襲いかかる。
タタリクスは驚いた女性の顔を浮かべたが、自らの放った冷気に抗する術を持たなかったのか、何も出来ずに白い暴風の中へ飲み込まれた。
『やりましたか?』
「やったらいいなぁ。でもあの手のタイプはしぶとそうやし」
控えめに聞くジークフリートに、ヒメはあまり期待していない様子で冷気の渦巻く場所を見つめる。
ヒメたちの直前まで来ていた冷気は国道を完全に氷付けにし、タタリクスたちが居た場所には何本かの氷の柱すら出来ていた。自慢するだけあって中々の威力だったらしい。
「ふふ……油断しちゃった。マカラカーンとテトラカーンなんて、駆引きするなら一番警戒する必要がある魔法なのにね」
「ほら、生きとった」
国道の真ん中に出来た、幅三メートルはあろうかという一番巨大な氷の柱の裏からタタリクスが歩み出てくる。だがその体には傷一つなく、寒さに凍えている様子もない。
「無傷……や無いね。仲魔はきっちりやられたみたいやけん、どっちかが庇ったんかな?」
「うんキマイラがね。自滅させるのが私の本分なのに、自滅させられるなんて格好つかないなあ」
仲魔を失い追い詰められているというのに、タタリクスは少し困った様子の女性の顔で笑みを浮かべる。
「でも今日はここまで。お迎えが終わったみたいだし」
「お迎え? ってなんか来た!?」
言葉の意図するところが分からず首をひねるヒメだったが、突然ビルの陰から白い物体が飛び出してきて思わず後ずさった。
飛び出して来たそれはヒメたちには構いもせずに走り続け、タタリクスの前に来るとその足を止める。
「まさか……ケルベロス!?」
「ピンポーン。凄いでしょう?」
得意げな少女の顔を浮かべながら、タタリクスはケルベロスと呼ばれた白い獣の頭を撫でる。
その体躯は獅子に似ているが一般的な獅子と比べても二回りは大きく、たてがみに包まれた頭部はどちらかというと狼に近い。巨体を支える四肢の先には肉など簡単に引き裂くであろう鋭い爪が生え、牙の並んだ口は人の頭すら噛み砕くであろう程の凶器だと言える。
地獄の番犬と呼ばれるに相応しい、威厳すら感じさせるほどの高位の魔獣がそこにいた。
「さて、このままリベンジと行きたい所なんだけど、目的の一つは失敗したみたいだし帰らなきゃ」
「いや、帰すわけ無いやん。確かにケルベロスは驚いたけど、まだこっちの方が総合的には……」
「うん、じゃあこれあげる」
「はい? って爆弾!?」
満面の笑みの女性の顔を浮かべたタタリクスが、何かを取り出してピンを抜くとヒメの方へと放り投げる。
ヒメはそれを手榴弾の類だと思い、物理攻撃を反射するテトラカーンを使おうとしたが、予想していた衝撃は来ることはなく、代わりに鼓膜が破れそうな轟音と、視界を白一色に染め上げる閃光がヒメの視覚と聴覚を奪い去った。
「――!?!!?」
『い、一体何が!? 召喚師殿!?』
「ふふ、爆弾は爆弾でもスタングレネード。苦手でも近代兵器の事は知っておいた方が良いよ。って聞こえてないか」
閃光と轟音に襲われ、周囲の状況が確認できず混乱するヒメたちを尻目に、タタリクスはゆっくりとバイクに跨ると、エンジンを吹かしてその場を離れていく。
「あ……あの女絶対泣かす!」
蹲ったまま、自分でも聞こえていないであろう叫びを上げるヒメ。
それはかつてアキラが憧れた路地裏での華麗さの欠片もない、絶妙に情けない姿だった。
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「わりぃ、しくじった」
バイクに乗ったタタリクスと並走するケルベロスの背中に、上半身だけになった吸血鬼が横たわった状態で現れる。
それを確認したタタリクスは少し驚いた様子を見せたが、苦笑いを浮かべながら言葉を紡ぐ。
「本当は君がやりすぎないようにケルベロスを向かわせたのにね。まさか助けることになるとは思わなかったなあ」
「ベリスが意外に強いわ、予想外の上魔が出てくるわ、むしろ生き残ったの褒めろって状況だってのあれは」
『普通なら死んでいたでしょうけどね。体を半分失ったのだから、再生に時間がかかるわ』
女の言葉を聞いてタタリクスは吸血鬼へと視線を向けたが、すぐに引きつった顔になって視線をそらした。
血や死体を見慣れていたとしても、下半身が無いのに普通に話している人間の形をした生物を見るのは心地が良いものでは無い。
「でも目的の一つは達したから良いよね。倉庫の方もちゃんと食いついたらしいし」
「随分とまあ回りくどいやり方だけどな。あと苛立ってあのガキ殺しそうになった。すまん」
「なるべく殺さないでって言ったのに、酷いんだあ」
「なるべくだろ。それに、殺さないでってのは、お前が殺したいからだろうがこのマッド」
「……」
悪態混じりの吸血鬼の言葉に、タタリクスは何も返さず無言で笑みを浮かべる。
その笑みは見惚れるほどに美しく、また見るものが見れば恐怖を感じるであろう程に美しすぎた。
「ふふ、どうせやるなら派手にやろうよ。あの時世界が救われたのなら、私達は世界を滅ぼす勢いで」
そう楽しそうに言うタタリクスの言葉は、夜の闇に沈んだ街の中へと溶けていった。