「‥‥‥‥‥‥‥」
今までも、こんな事はあった。
(‥‥確か、シャナちゃんも合わせて四人で中国に行ってたんだっけ)
平井がお土産をたくさん配っていた。
(でも‥‥)
今、『悠二や平井がいる状況』では、まずありえない事のように思えた。
(‥‥何が、あったんだろ)
ヘカテー‥‥近衛史菜が、いなくなった。
誰も、理由を知らない。
(‥‥隠されてる、だけかも知れないけど)
前から、時々、疎外感でも嫌悪感でもない不可思議な"距離"を感じる事があった。
何か、言えない事情があるのだろうか。
だが、いなくなった理由が重要なのではない。
いなくなった、それ自体が問題なのだ。
強烈な印象でクラスに飛び込み、皆に好かれるようになった可愛らしい少女の喪失。クラスそのものに、ぽっかり穴が空いてしまったような空虚感を、皆が感じていた。
(シャナちゃんも、一美も‥‥‥)
口数が減り、何か考え事をしている事が多くなった。
(佐藤も‥‥)
何か、いつも焦っているように落ち着きがない。
(坂井君も、ゆかりも‥‥‥‥)
あの少女と、物凄く仲が良かった二人。隠してもわかる、深く‥‥傷ついている。
そして‥‥‥
(田中‥‥‥)
"目に見える変化"としては、ある意味彼が一番分かりやすかった。
ヘカテーがいなくなった当初、狼狽し、挙動不審になり、まるで何かに怯えるような態度をとっていた。
ある程度日が経てば、悠二や平井よりマシな態度になったが、はじめは田中が一番『不自然』だったのだ。
(ミサゴ祭りの後も、あんな感じだったような‥‥‥)
もう何度目か、今の自分を取り巻く状況に想いを馳せる緒方真竹に‥‥
「緒方!!」
焦ったような怒声が投げ掛けられ、我にかえる。
「っわあ!」
目の前に迫って来ていたバレーボールを慌ててレシーブするが、当然のようにボールは的外れな所に飛んでいってしまった。
「何やってんの緒方! 試合明日だよ?」
「あ‥‥うん。ゴメン」
緒方はバレー部の部員。そして一年で唯一のレギュラーである。今は大切な時期、そんな事はわかっている。
それでも‥‥‥
(こんなの‥‥やだな)
すぐにまた、考えてしまっていた。
「どうかしたの? 緒方さん」
ヘカテーがいなくなって二週間経ち、"いつも通り"放課後になれば皆さっさと帰ってしまう中、緒方は一人の少年を呼び止めていた。
池速人。仲の良いグループの一人であり、ヘカテーがいなくなって元気を無くしているうちの一人でもある。
頭脳明晰、成績優秀、気配りが出来、人の気持ちを汲む、皆のヒーロー・メガネマン。
少し前から、吉田一美に対してのみ、『気配り抜きのアプローチ』を心がけている節があるようだが、ヘカテーがいなくなってからはそれもなかった。
「池君、あのさ‥‥」
彼に相談しようと思ったのは、立場的に自分に近いような気がしたからだ。
まあ、『何となく』の域は出ないのだが。
「最近、皆、変じゃない?」
若干頭がぐちゃぐちゃになったような感覚で口を開いたため、少し変な問いかけになってしまった。
「? それは、ヘカテーちゃ‥‥」
「ああっ、いや、そうじゃなくて! もっと前からって言うか何て言うか!」
慌てて、さらに不分明な言葉を重ねる自分が激しく情けない。
「‥‥ああ、"そっち"か」
しかしながら、そこは池速人である。
緒方の言葉の端々から、言いたい事を推測する。
まあ、これは彼が他者への気配りに長ける、というのみではなく、自分も似たような事をずっと感じていたからだ。
「‥‥やっぱり、池君もそんな感じ、してた?」
池の察しの良さに内心で感謝しつつ、訊く。
この質問は、池も"知らない"かどうかの確認という意味合いも大きい。
「‥‥まあ、ね。おかしいって言ったら、一学期から何か時々変な態度の時あったし」
返す池の声にも、どこか安心感がある。
全く馬鹿馬鹿しい安堵だとは思うが、秘密にされているのが自分だけではないという事に安堵してしまう。
緒方はようやく、『相談』という形式張った緊張感が解れ、肩の力が抜ける。
「そうなんだよねえ。よそよそしい、っていうのとは何か違うんだけど」
「話したくない事情なんだろうけど、やっぱり水臭いよね」
半ば愚痴気味に、仲間外れ二人組は呟き合う。
今この時も、自分達は、『ただ元気がない』。
悠二、平井、吉田、佐藤、田中、シャナ。
彼らの悩む姿は、そんな単純なものではないように思えた。
だからこそ、歯痒い。
「‥‥ヘカテーの事も、やっぱりそれが関係してるのかな‥‥‥」
互いに愚痴り合う中、緒方がふいに、零れるように、一番気になっていた事を呟く。
「‥‥‥‥‥‥‥」
それに対して、池は何も応えない。
元々、ヘカテー‥‥近衛史菜も謎の多い少女だ。
出会った当初のごく当たり前の質問も、大抵悠二が誤魔化していたという不自然さ(親戚などと言っていたがまず嘘だろう)。
名前と性格以外ほとんど何もわからず、ヘカテーがいなくなった時に訊いた話によれば、坂井家に居候までしていたらしい。
隠されている事とヘカテー、まず無関係ではないだろう。
「‥‥‥‥‥‥」
池は、何も言わない。
緒方もわかっているという事を理解しているから、何も言わない。
ただ、窓の外を眺めて、寂しいと、そう思っていた。
ヘカテーがいなくなって、一ヶ月以上が過ぎ、何も変わらず、『らしくない皆』のまま、日々は流れていたある日。
また突然。何の脈絡も無しに‥‥
坂井悠二と平井ゆかりが、いなくなった。
(本当に、水臭い‥‥)
あの三人の繋がりが特別だという事くらい。親しい友達である自分達以外でもわかる事だろう。
常識はずれだと思いながらも、二人がいなくなったのは、きっとヘカテーを探しに行ったのだと、奇妙な確信があった。
‥‥また、自分達に何も言わずに。
吉田達も、また様子が変わった。
だが、そこから吉田達には何かを告げたのかを推し量る事は出来なかった。
悠二達が消えた、いや、行動を起こした事自体が関係しているとも取れるからだ。
「‥‥‥‥‥‥‥」
何があったのか、全くわからない。
元々、信じられないほどに賑やかだったクラスも、主役のうちの三人がいなくなって、今は本当にどこにでもありそうなクラスに見える。
(でも‥‥)
吉田と佐藤は、何か最近忙しそうにしている。
池も、そんな吉田に触発されてか、アプローチを再開した。
田中は、どこか無気力だったのに、最近は必死に何か悩んでいるようだ。
‥‥シャナだけは、何を考えているかわからない。
(これで、良かったような気がする)
もちろん。ヘカテーだけでなく、平井や悠二がいなくなった事は、寂しい。
それでも、この一ヶ月。寂しいだけでなく、どこか『納得いかなかった』感覚は消えた。
(やっぱり、あの三人は‥‥)
その理由もわかった。
ヘカテーが"一人で"いなくなった事。悠二や平井がヘカテーのいない環境に身を置いていた事。
あの三人を知る自分にとって、それがあまりに『おかしな姿』だったからだ。
ヘカテーがどんな顔をしていたか、想像も出来ない。
だが、悠二と平井は歩きだした。
吉田や佐藤も、それに触発されるように何かを頑張っている。
‥‥寂しい。もちろん寂しい。
だが、この方が納得出来た。
(やっぱり、あの三人は一緒でなくちゃね)
何も知らなくても、それだけ、思っていれば十分だと思ったから。
それからしばらくの後の、とある場所の、とある少年少女。
「ジャジャーン♪」
「モコモコします」
「‥‥僕もこれ着なきゃダメ、なんだよな?」
「嫌ならトナカイにする?」
「‥‥これでいい」
「ああっ! ヘカテーやっぱりメチャクチャ似合う! お持ち帰りにしたい!」
‥‥何かを着ていた。