「キャッホゥ!」
「甘い!」
緑の頭巾の両端から覗く触角から二筋、麻酔弾が放たれて羊を襲います。しかしそれは着弾する事なく鋭いサーベルによって弾かれました。
「ここの羊に手を出すな、こいつらは俺の獲物だ」
「共食いは良くないよ? これから暑くなる事だし、私がクールビズにしたげるから、ね♪」
サーベルを向ける牧場最強の羊・メリヒム。側頭部から麻酔銃を構える山向こうの村娘・ゆか頭巾。
因みに今は秋も終わりそうな季節であり、だからこそ羊毛が売れるわけで、ゆか頭巾の言っている事は非常に調子のいい出任せでした。
「羊泥棒の正体は貴様か。ならば、この場で始末をつける」
「怪盗・ゆか頭巾と呼ぶがよい」
フフン、と得意気に胸を張るゆか頭巾を見据えながら、メリヒムが変貌を始めていきます。
サラサラと流れるようだった銀毛が膨らみ絡んで、変色し、鮮やかな虹色へと染め上げられました。
途端――――
「な…………」
ゆか頭巾の眼が、驚愕に見開かれます。
「七色羊毛布団!!」
そして煌めきました。以前はサラサラとしたメリヒムの毛並みに魅力を感じなかったゆか頭巾ですが、こんな正体は知らなかったのです。
「お客さん、今日はどんな髪形にします? 丸坊主かスキンヘッドがオススメですけど♪」
いつの間にか、ゆか頭巾の両手にバリカンが握られていました。まるで床屋のような調子を気取っていますが、手にはバリカンしか握られていません。どうやら刈り上げるつもりしかないようです。
「殺す……」
「刈る!」
サーベルを握るメリヒムと、バリカンを構えるゆか頭巾。両者が今まさに衝突せんとした瞬間―――
「ほぇ?」
バリカンの先を、純白のリボンが柔らかく受け止め―――
「んきゃあああぁ!?」
ゆか頭巾は軽石のように宙を舞っていました。くるくると飛ばされるゆか頭巾は、自分を投げ飛ばしたリボンの先を視線で追います。
そこには、桜色の髪と瞳を持つ鉄面皮の女性……紅頭巾のメイドのヴィルヘルミナが立っていました。
「他人の羊の毛を奪うなど、些か以上に物騒な話でありますな」
「羊毛泥棒」
「シャナのメイドさん? 下がってないと怪我するよ」
宙に投げ飛ばされながらも、ゆか頭巾は超人的な身の軽さで体勢を立て直し、何事もなかったかのように足から着地しました。
そして僅かに前傾となり、触角をヴィルヘルミナとメリヒムに向けます。
「羊毛ゲッチュー!」
言うが早いか、ゆか頭巾の触角から矢継ぎ早に麻酔弾が射ちだされました。しかしそれらは悉く純白のリボンに触れ、あらぬ方向に“投げられます”。
「うっそぉ!?」
体術の域を遥かに越えた絶技を目の当たりにして、ゆか頭巾は悲鳴に近い叫びを上げます。
無理もありません。ただの無愛想で(料理以外)万能なメイドだと思っていた女性が、格闘技の世界王者が可愛く見えるような投げ技を披露しているのですから。
「消し飛べ」
「ひゃっ!」
驚きに身を固めたゆか頭巾に、世界観ごと破壊するような虹色の破壊光線が放たれました。
「あちっ! あちっ!」
かろうじてそれを躱したゆか頭巾は、僅かに虹が掠めた事で着火した自分の裾から逃げ回ります。
さらに追い打ちを掛けるように、頭上を白銀の刃が過ぎます。ボッ! と爆ぜるような音がして、ゆか頭巾の頭巾が弾け飛びました。
「(………ゴクリ)」
嫌な事とは重なるものです。ゆか頭巾は冷や汗を流しつつ生唾を飲みました。そして、ギ…ギギ……と壊れた年季の入った機械のように振り返ります。
「………………」
そこには、幾頭ものラクダ……ではなく、ゆか頭巾が丸刈りにした羊と――――
「…………………」
「……や…やっほー…………♪」
その長い黒髪を紅蓮に燃やす、羊の持ち主たる紅頭巾でした。
「「成敗!!」」
「んきゃ!?」
無数のリボンを槍衾のように差し向けられ……
「雑魚が」
「羊が!」
光り輝く虹閃に襲われ………
「お前も丸刈りにする」
「NO!?」
燃え盛る大太刀に追い立てられるゆか頭巾。四面楚歌とはまさにこの事でした。紅頭巾も、ヴィルヘルミナも、メリヒムも、知己とはいえ羊泥棒に掛ける情けなど持ってはいません。
悪事には必ず報いがあるものなのです。
「くっ、憶えてやがれ!」
いかにも三流悪役な捨て台詞を残して、ゆか頭巾はクラウチングスタートの体勢を取ります。そして………
「また来るねー♪」
全力疾走で紅頭巾たちの前から駆け去りました。盗人猛々しいくせに憎めない満面の笑顔でした。
「追わないのでありますか?」
「追撃可能」
「戦闘ならともかく、競走じゃ勝てない。ゆかりの足の速さは大陸一だから」
紅頭巾は無用な体力の消耗をしません。既に豆粒のように小さくなっているゆか頭巾の背中を見送って、静かな挙措で大太刀を裾に納めます。
「………それに、他にやる事がある」
空を見上げる少女の炎髪が冷めていく様を、育ての親たる女性が、少し寂しそうに見つめていました。
「あーあ、この頭巾気に入ってたのに……」
紅頭巾の牧場から山一つ越えた道の外れ、おあつらえ向きにあった切り株に腰掛けて、ゆか頭巾はボロ布になってしまった頭巾を弄んでいました。
「もう怒った! 次こそ必ずメリーさんを刈り上げて七色羊毛布団をこの手に!」
逆恨みでしかない闘志を燃やして、ゆか頭巾は拳を天に突き上げます。懲りない娘でした。
「でも、まさかあのメイドさんまであんな強いとは……。犯人が私だってバレちゃったし、これからはもっと警戒されるだろうし………」
腕を組み、唇の上に鉛筆を乗せて思案に暮れるゆか頭巾です。
「…………………」
しかし重ねて言いますが、悪事は報いを受けて然るべきなのです。
一人暢気に考えているゆか頭巾の背後から、黒い影が“這って”来ました。
―――そして………
「アッ――――――」
「どうしても、行くのでありますか」
「行く。冬の間、シロ達の事をよろしく」
愛用の頭巾を深く被り、大きな麻袋を担ぐ紅頭巾を、いつもの給仕服を着込んだヴィルヘルミナが見送ります。
今の紅頭巾の姿は、紛れもない旅装。旅立ちの前でした。
「ヘカ頭巾の事はどうでもいいけど、あの黒蛇には借りがあるし、それに……あれは自然界の調和を乱す可能性が高い。紅頭巾として見過ごせない」
紅頭巾は、一度決めたら周りの言葉に耳を貸しません。……いえ、耳を貸しはしますが、最終的には自分の考えを曲げないのです。
「貴女自身が決めた事なら、私共も文句は無いのであります」
「寂寥」
そして、ヴィルヘルミナはそんな紅頭巾の事を誰より良く理解していました。余計な事を吐かすヘッドドレスを自分の頭ごと殴って黙らせるのも、本心を表に出さない彼女なりの優しさでした。
「大丈夫」
そんな大好きな女性に向けて、紅頭巾は滅多に見せない柔らかな微笑みを浮かべます。
「使命は果たす。そしてすぐに戻って来る」
その笑顔だけを残して、紅頭巾は背を向けます。
「だって私は……紅頭巾だから」
去り際、少女の黒髪から紅蓮が一粒零れました。
旅立つ紅頭巾は、自然界に波乱をもたらす黒蛇を退治する事が出来るのか! そして黒蛇を追ったヘカ頭巾はどうなってしまったのか! ゆか頭巾を襲った黒い影とは! 行き倒れの中年の出番はあれだけなのか! 紅頭巾の旅はまだまだ…………
「続かないわよ」
【舞台裏】
「ねぇ、マリアンヌ。いつになったら私たちの出番は来るのだろうね」
「え? フリアグネ様……今回、私たち呼ばれているのですか?」
「何を言っているんだい、私の可愛いマリアンヌ? 『赤ずきん』を最後に救い出すのは狩人、“狩人”と言えば私しかいないじゃないか」
「で、でもフリアグネ様………」
「狩人なんて国によって出たり出なかったりのチョイ役だろーがよ。んーな事よりオレだろ? 赤ずきんを食べる役は狼代表のオレだろ?」
「何はしゃいでんのよバカマルコ。あんたヘカテーとかチビジャリ食べる役やりたいわけ?」
「………貴様らなどまだ良いではないか。我など……我など……っ、ずっと出てたのに一言も……っ!」
『(……………………………………いたんだ)』
終劇。