「バハァアアアーーー!!」
「「吹き飛べ!!」」
群青の獣と化したマージョリーが吐き出す炎の奔流、約束の二人(エンゲージ・リンク)が撃ち出す琥珀の大瀑布。それらが挟み込むように、茜の怒涛……その先端に立つ“壊刃”サブラクを押し潰す。
(手応えあり)
(……なんだがなぁ)
二人で一人の『弔詞の詠み手』は、もう何度目かというやり取りを声に出さずに行い、“反撃”に備える。
群青の炎が琥珀の風に巻き込まれて燃える中から―――
(そら来た……!)
攻撃を加える前と何一つ変わらぬ無傷の姿で、茜の炎を尾のように引いたサブラクが飛び出してきた。
「タフなんてモンじゃねーぞ、ありゃ……」
「解ってるけど、謎解きする時間なんてくれそうにないじゃない」
サブラクの特性は大きく分けて三つ。一つは察知不能の初撃、一つは時と共に広がる『スティグマ』、そして不死身とも思える耐久力だった。
「『零時迷子』を失った今、何故約束の二人までこの場にいるかは判らんが、この俺が一度仕留めたはずの獲物が生きているという事実には許し難いものを感じずにはおれんな。だが、初撃を免れ、数を並べた程度でこの俺を倒せるなどと思われているとするなら、或いはそちらの方が余程屈辱的であるとも言えるか」
長々と愚痴のように口上を並べたサブラクの足下を中心に、茜の炎が放射状に渦を巻く。
「どうする、『弔詞の詠み手』」
「逃げるなら手を貸すけど?」
フィレスとヨーハンの提案も当然。いくら攻撃しても勝機が見えない上に、こちらはほんの僅かな傷でも受ければ致命傷に届く。
問題は、負傷者の数。シャナ、ヴィルヘルミナ、メリヒム、カムシン、悠二が自在法・『スティグマ』を受けて戦闘不能。そしてヘカテーも多大なダメージを負って気を失っている。
サブラクの相手をしながらこの人数を逃がすのは、かなり難しい。
(それに………)
守る為に、戦っている。
「……三人も無傷の状態でサブラクの相手が出来る状況なんて、もう無いわよ。あんた達だって、こいつには相当恨みが溜まってるはずよね?」
「………ま、ヴィルヘルミナもいるんだろうし、仕方ないか」
マージョリーの挑発には気付いた上で、敢えて平静に受けたフィレスが、拳をバキッと鳴らす。
マージョリーの纏うトーガの獣が、数十に分裂する。
ヨーハンの広げた両手の間で、琥珀の自在式が踊りだす。
かつてない強敵を前に、三人が必殺の気炎を燃やし、まさにそれが激突せんと高まった。
その時―――――
『!?』
マージョリーが、マルコシアスが、フィレスが、ヨーハンが、そしてサブラクまでもが、突如として湧き上がった巨大な“違和感”に眼を見開いた。
茜色の炎が踊る虹色の封絶。その一画を呑み込んで、巨大な炎が立ち上る。
幾つものビルや建物を灰も残さず消し去るその炎は、塔と呼ぶのも生温い膨大な火柱。
「何……あれ………?」
冗談のような現象に、マージョリーが戦闘の最中だというのに間の抜けた声を出す。
「どういう事だ、これは………!」
サブラクも同様に、戦闘の手を止めている。目の前に広がる違和感に圧倒されているわけではない。肌に感じる熱量に怯んでいるわけでもない。
動揺を呼ぶのは、その炎の色。
それは全てを染め上げる“黒”。
太古の昔に放逐されたはずの、『神』が持つ炎だった。
黒の火柱が、晴れる。
現れ、燃え上がった力の大きさとは対称的に、その内から姿を見せたのは小さな影だった。
お世辞にも長身とは呼べない、まだ少し幼さが残る中性的な容姿の黒髪の少年。……だが、その装いは異形。
緋色の凱甲と衣に身を包み、後頭から髪のように長々と伸びているのは漆黒の竜尾。
「ユー、ジ………」
坂井悠二。『零時迷子』のミステス、日常から零れ落ちた“元人間”。それが、異形の姿で紅世の徒と同じ存在感を撒き散らしている。
「……………」
遠く、静かに、悠二の掌が向けられる。渦巻く怒涛の上に立つ“壊刃”サブラクへと。
(なん……っ!?)
サブラクが不可解な事象の空気に呑まれていた、という事実を差し引いても、異常。
自在式に巻かれて桁外れの加速を得た黒の炎弾が一撃、サブラクを撃ち抜いていた。
その爆炎にマージョリーらが認めた時には、二発目の炎弾がサブラクを真上から貫き、縫い付けるように地に墜とす。
(疾―――――)
目を見張る二連撃に全てを忘れて驚嘆したマージョリーの―――真横。
「っ………!」
数百メートルは離れた場所にいたはずの悠二が、まるで最初からそこにいたかのように緋色の衣を靡かせていた。
「あれは、余の客だ」
一瞥すらくれずそう告げた悠二は、応えも待たずに飛んで行く。向かう先は当然、サブラク。
「どうなってんのよ………」
フィレスの問いに応えられる者は、ここにはいなかった。
足下に茜の怒涛を広げるサブラクと、全身から黒い炎を撒き散らす悠二が激突する。
血色の魔剣が、両手の双剣が、無数の刃が、炎の怒涛が、渦巻く自在式が、漆黒の竜尾が、桁外れの力を以て激しくせめぎ合っている。
「貴様……一体何者だ」
「…………………」
交叉させた双剣と大剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』を合わせ、至近で睨み合う。
魔剣はその刀身に血色の波紋を揺らし、今この時も双剣を通じた存在の力でサブラクの体を斬り刻んでいるが、当のサブラクはそれを意にも介さない。
そんな事よりも、眼前に在る不可解な存在。
トーチの証たる胸の灯火、紅世の徒の力と姿、そして『創造神』の黒い炎。それら全てを併せ持った異質な存在がここにいる。
無理矢理類別するならトーチに寄生するタイプの徒に近いが、それにしては力が強大に過ぎる。
「察せられぬのも無理はない、か。我が軍師……否、参謀から依頼を受け、『大命詩篇』を撃ち込んだお前は、その全容を知らぬのだからな」
静かに、淡々とサブラクの疑問に返して、一閃。悠二は大剣を横薙ぎに払う。
「っ!?」
サブラクの双剣が嘘のように砕け飛び、血色の光が一条、その首を斬り飛ばした………ように見えた。
「無駄だ」
回復や再生などというレベルではない。斬撃が“擦り抜けた”としか思えない速さで、斬られた首が繋がったのだ。
「我が参謀……ならばやはり貴様は……」
「ああ」
斬った側と斬られた側、双方振り返りざまに刃をぶつけ合う。サブラクの両手には、寸暇の内に新たな剣が握られている。
「“祭礼の蛇”坂井悠二だ」
「……………?」
予想通りの真名の後に奇妙な通称が続いた事で、サブラクは覆面の奥で怪訝に眉を潜める。
しかし、その応えにどこか納得もしていた。今の悠二は、姿も、力も、炎も、動きも、何もかもが先刻とはまるで別人。
その緋色の衣の下にも、おそらく先ほど与えた『スティグマ』は無いのだろう。
それが創造神の御業というなら、納得がいく。
―――もっとも、納得いかないそれ以外を彼が知る事は、永久に無い。
そして――――
「いいだろう」
今の彼がその解を求める事もまた、無かった。
「己がまま歩き、敵するならば戦って、斬る。何が変わるでもない、ただそれだけの事だ」
いきなり襲い掛かってきたヘカテーという前例もある。この依頼は最早白紙と考え、サブラクは悠二を敵と見た。
いつかのように、今のように、これからも、変わらず、目の前の敵をただ斬るだけ。
「……それだけの事、か」
黒と茜の斬撃が嵐のように飛び交う中、どこか透明な呟きが少年から漏れる。
「その傲慢が、意識の欠片すら持たぬ行為が、彼女を奪ったのか」
前髪で隠れた表情の下、昏い喜悦にその口の端が引き上げられる。
「っ―――――!」
間隙を縫って、悠二の左掌がサブラクの顔面を掴み………
「不条理に過ぎる」
大圧力、高熱量の黒炎がサブラクの五体を焼き尽くして吹き飛ばした。
しかし、やはり火傷一つ負ったようにも見えないサブラクは、吹き飛ばされてビルに叩き込まれる。
「お前を未踏へと導いてやる。生まれ持った力が故に知る事の出来なかった感情を、その身に存在に刻んでやる」
サブラクを見下し、左拳を天に突き上げ、そこから溢れた炎が立ち上り、空を染め、燃え広がって形を成していく。
それは、大蛇。
八岐に首を伸ばして龍のように空を駆ける、黒炎の大蛇だった。
「“喰らい尽くせ”」
言霊を受けて、八岐の黒蛇が地を這う。その喰らいつく先は“壊刃”サブラク“ではない”。
茜の戦火と陽炎に包まれた御崎市だった。
「っなんだと!?」
他者が知り得ぬはずの“己の体”に突然の襲撃を受けて、サブラクが思わず声を荒げる。
八つに岐れた黒蛇がその圧倒的な炎で街を縦横無尽に蹂躙する中、悠二自身は悠然とサブラクの眼前へと降り立つ。
「来い、“小僧”」
黒き逆鱗に触れた。強大なる王はその真実を知る事すら無い。