「っ………始まったか!」
断続的な地響きに、フリアグネが苦々しげに表情を歪める。地下深くに造られた大空洞にまで届く、激戦の衝撃。
この段階でバレるのは、予め解りきっていた。しかし、全てが想定通りに進んでいないのもまた事実。
「ば、場所を移した方がいいのではないでしょうか……?」
悲鳴を上げる地下空洞を見上げて、マリアンヌが不安げな言葉を漏らす。彼女やフリアグネは、ここで生き埋めになったところでどうという事もない。今まさに産声を上げんとしている彼女らの子を案じての提案だった。
場所は……もちろん移した方がいいに決まっている。しかし………
「無理だよ」
悠二はそれを、悩む様子も見せずに否定した。その頬を、汗が一粒流れる。
「悪いけど……ッ……ちょっとそんな余裕ない。このまま移動するのは無理だ」
悠二が両腕を向け続けている先、僅か離れた中空に、『両界の嗣子』は在る。その身を構成する白き炎は未だ形を定めず、絶大な力を喰らい続けながら揺れていた。
秘法の制御に全神経を注ぐ悠二は力を吸われ続けて、そこから一歩も動けない。
既に『分解』を終えたフリアグネとマリアンヌも、悠二同様に動く事は出来ない。彼らの子が生まれたら、二人はすぐにその子を連れて、速やかにこの場から離れる。それが誰にとっても一番安全な作戦だからだ。
『両界の嗣子』が生まれ、この場からいなくなれば、サーレ達も自分たちと戦いを続ける意味は無くなるのだから。
「っ……!?」
「危な……っ!」
大空洞の天井が崩れ、落ちてくる瓦礫を、悠二の竜尾が間一髪弾く。そのまま竜尾を傘のように巻いて白き赤子の上に広げた。
(もう少し……もう……少しっ!!)
銀の自在陣の中心で、新たな生命が遂にその形を成す。
一方地上では、秘法の発動とその発生源を突き止めたフレイムヘイズと、それを阻む二人の少女が激戦を繰り広げていた。
「この……っ!」
大地に向けて大威力の自在法を放とうとするキアラを、それほど破壊が得意ではないサーレがサポートし、ゆかりがそのサーレに攻撃を加え、ヘカテーがキアラを追い回す。
「ほぁちゃあ!」
“相手を倒す事”が第一目標ではないがゆえの、神経を削る激しいいたちごっこが続いていた。
「せぃや!!」
ビルをも刈り取るゆかりの蹴撃が、サーレの頭部を僅かに掠めてハットを宙に飛ばす。額から頬に伝う血にまるで構わず、サーレは操具を繰るように動かす。
「む……っ」
一瞬の内に不可視の糸がゆかりの四肢を絡め取り、空間に縫い止めたようにその動きを止めた。
「悪く思うなよ」
サーレの右足が、菫色に燃える。
(上等……!)
ゆかりのほっぺたが、ぷーっと膨れる。
「「―――――っ!」」
そして、相打ち。炎の右足がゆかりの胸を突き刺し、破壊の咆哮がサーレの胸を撃つ。凄まじい勢いで弾き飛ばされた両者が、それぞれ背後の建物に叩き込まれた。
先に立ったのは………ゆかり。
「ったた………目には目を、ってね」
サーレはゆかりの反撃………不可視の衝撃波を予想出来ていなかったが、ゆかりは違う。直前にこの蹴りを覚悟していた分、サーレに比べてダメージは少なかった。ゆかりが身に纏った特注品の軽装鎧の存在も大きい。
「ビクトリー♪」
勝利のVサインを決めるゆかり。調子に乗りすぎである。ちなみに、今のゆかりは先ほどまでのように稲妻を纏っていない。
あの力は元々、『震威の結い手』ゾフィー・サバリッシュ(もっと正確に言えば、その契約者“払の雷剣”タケミカヅチ)の能力であり、絶大な威力を誇るのだが……実は少々燃費が悪い。
ヘカテーのように膨大な存在の力を持たないゆかりが、強力な相手と長期戦を構えるには不向きな能力なのだ。
サーレの叩き込まれた廃屋がギシギシと嫌な軋みを上げて、崩れる。もうもうと立ちこめる煙の奥へと、ゆかりは目を凝らしてみた。
サーレに食らわせた破壊の咆哮は、自在法・『獅子吼』。今は亡き気高い獅子の技であり、ゆかりはその威力を十二分に知っている。
しかし――――
「ひゃわっ!?」
サーレはそれほど、甘くない。吹き飛ばされてなお解かなかった糸が、再びゆかりの動きを封じて吊り上げた。
「げほっ……ッホントに、親父殿の知り合いにはロクなのがいやしない」
「君も含めて、だろ?」
「まあな」
土埃の中から相棒と愚痴のような言い合いをしながら出てきたサーレが、口から血の塊をベッと吐き捨てる。
叩く軽口ほどに軽傷ではないようだが、それでも現にゆかりは捕まっている。
「何このエロい技? ヘンタイ! ロリコン!」
「それはお前の相棒だろうが!?」
「キアラって確か十五、六だよね。十分ロリコンじゃん♪」
「……だからお前の相棒はどうなるんだよ?」
本当に自分の状態を解っているのかというゆかりの軽口を受けながら、サーレは頭の中でこの状況を素早く整理していた。
『両界の嗣子』の誕生を許せば、この先世が荒れる事は間違いない。このまま、ゆかりに新たに絡めた糸を引くだけで、容易くその首を落とせる。
………だが、本当にそれが正しい判断なのか?
『緋願花』の一人を討つ事で『仮装舞踏会(バル・マスケ)』をも敵に回し、結果的に危惧していた以上の災厄を呼び込むのではないのか?
あまり広く知られている事ではないが、二十年前の『界戦』のきっかけとなったのも、“人間・平井ゆかりの死”だったという話を、サーレは以前悠二本人の口から聞いている。
「とか言ってる間に」
「!」
ゆかりの両腕の手甲、そして両足のブーツの脛当てから刃が飛び出し、一瞬で戒めを斬り裂いた。
ついでのように、ゆかりの髪の両端の触角がサーレに向けられ………
「バァァルカン!!」
小刻みな翡翠の光線が、サーレに襲い掛かる。
極光と水色、二つの光が、空を鮮やかに染めていく。
「『星(アステル)』よ」
ヘカテーは常にキアラより低い位置を飛行し、圧倒的な光弾の嵐によってキアラを攻め立てる。
常に比べれば光弾一つ一つの威力は低いが、代わりに凄まじい数を絶え間なく放ち続けている。キアラを倒す事よりも、キアラに攻撃の隙を与えない事が狙いなのは明白だった。
(数が多すぎる……!)
キアラは、躱す、というほど高度な事はしていない。『ゾリャー』の高速飛行によって必死に『星』の攻撃範囲から逃げ回っていた。元々、『ゾリャー』は“乗り物”のようなものであり、『飛翔』の自在法を使いこなした者に比すれば小回りが利かない。
(だけど………)
あまりに一方的なその戦闘の本質を、キアラはよく解っていた。
「はあああああ!!」
『ゾリャー』の両翼の光が色を失くすほどに凝縮され、二筋放たれる。
空を旋回した『グリペンの咆』と『ドラケンの哮』は、その極光の軌跡を直下へと向け、流星の弾幕の一部すらも容易く呑み込んで大地に着弾し――――
「っっ!?」
圧倒的な光輝をばら撒いて、起こった大爆発が小隕石でも墜ちたかのような巨大なクレーターを穿つ。
悠二らの正確な位置をキアラが掴んでいるわけでもなければ、地下の大空洞に攻撃が届いたわけでもない。―――それでも、その攻撃がヘカテーに与えた衝撃は決して小さくない。
「っ―――“散れ”!」
ヘカテーの言霊に応えるように、水色の流星群が無数に分かれる。今度こそ逃げ場どころか一部の隙間すらない光の雨……或いは“壁”が、キアラを圧し潰さんと迫り来る。
(―――――――)
狙っていたわけでもない。待っていたわけでもない。だが、ヘカテーの光弾が分化し、さらにその威力を“広げた”瞬間に……キアラは瞬時に、反射的に対応していた。
『ゾリャー』が棚引くオーロラがその光域をさらに広げ、長大な矢と化したその鏃をさらに大きなものへと変質させる。
すなわち、破壊の極光による刃の如き鎧。
「歌おう! 一緒に!」
自らが駆る神器に意識を表出させる二人のパートナーに言って、キアラは翔ぶ。
迫り来る巨大な流星群の壁を、自身をただただ凝縮された一条の長大な矢と化して貫き、抜ける。
(疾い――――!)
完全に捉えたと思った攻撃を突破された以上に、眼前に迫るオーロラの矢に驚愕したヘカテーは、避ける間もなくその矢に攫われた。
「く、うぅーー………!?」
その先端にヘカテーを捉えた極光の矢は、空を貫いて地を目指し、突き刺さった。
「!?」
そして…………“キアラが”驚愕に目を見開く。
極光を纏ったキアラ全力の突撃を背負って、ヘカテーの両足は軋む大地の上で毅然と踏み締められている。
その鏃を受け止めている大杖『トライゴン』には、僅かな傷や焦げ目すら見られない。
「邪魔を――――」
「っ!?」
纏う極光の先、明るすぎる水色に光る怖いほどに綺麗な瞳に、僅かな怯んだキアラの目の前で、同色の炎が猛然と燃え上がる。
(迷うな!)
僅か怯んだ自らを叱咤して、キアラは迷わず『ゾリャー』の両翼に力を凝縮させた。
鏃を受け止めている、無防備なヘカテーの至近距離で、『極光の射手』最強の自在法が膨らみ―――
「ッ…………」
限界まで炎を具現化させるヘカテーの足下で急速に大地がひび割れて―――
『ッ――――――!?』
そして全てが、炎に呑まれた。
突如として足下から噴出した炎はヘカテーをすり抜け、キアラのみを凄まじい力で弾き飛ばす。
同様にゆかりの光線を避けていたサーレも、予想外の所からの不意打ちに呑まれて吹き飛んだ。
それは、龍と見紛うほどに長大な体躯を持つ………蛇。
燦然と輝く牙と鱗を持つ――銀炎の大蛇。
この場に在る誰もが、その自在法の存在を知っていた。そして、彼がこの自在法を行使出来る状況にあるというその事実は―――もう一つの事実をも示していた。
「生まれたんだ………」
「………赤ちゃん」
ゆかりとヘカテーの達成感に満ちた呟きが、その戦いの終わりを告げた。
秘法発動に使った大空洞へと通じる地下トンネル―――悠二らが元々通って来た道――を抜けた先、今の時期はイベントが多いために人も徒も変わらず集まる市街のホテルに、一組の男女がいた。
その片割れたる女性の腕に抱かれている存在は、“交わりによって生まれた”この世で初めての存在………『両界の嗣子』。
「なぅ………」
それは子猫。青紫の毛並みを持つ、可愛らしい子猫だった。
女性……マリアンヌが、そっと子猫のあごを撫でると、子猫はくすぐったそうに身動いだ。
「名前はどうしますか? ……フリアグネ様」
問われ、愛おしげに子猫を見つめていたフリアグネは、顔を上げて最愛の女性と目を合わせて、再び子猫を見る。
焦らすように数秒の沈黙を経てから、ゆっくりと口を開く。
「…………ニーナ」
小さな頭を優しく撫でながら、呼ぶ。
「それが、君の名前だよ………ニーナ………」
まるで言葉の意味を解っているかのように、ニーナは「にゃぅ……」と鳴いた。