何も無い。ただただ広く暗い空間の中心に、人ならざる存在が三つ……立っている。
「……………」
瞑想のように閉ざされていた“祭礼の蛇”坂井悠二の両の瞳が、開く。両脇に離れて立つ白の恋人たちが、僅かに身を震わせた。
心境としては、成功率の未知数な手術を前にした患者のそれであろう。
「……始めるよ」
短く告げた悠二の全身を真黒の炎が包み、変える。それは緋色の凱甲と衣を靡かせ、後頭から漆黒の竜尾を伸ばす異形の姿。
「本格的に稼働したらどうやったって隠せないから、大規模な式で一気に済ませるよ?」
「お、おい? それで本当に大丈夫なんだろうね? 加減を誤って分解され尽くしたりしないだろうね?」
「神のみぞ知る」
「ちょっと待て!?」
「大丈夫だよ。面倒な事になる前に“成功”させてやるから」
フリアグネとの問答を打ち切って、悠二は右腕を鋭く振るった。途端―――銀炎の織り成す複雑怪奇な紋様が広大な空間、その地に位置する全てを埋め尽くす。
右手をフリアグネに向け、強く握る。左手をマリアンヌに向け、強く握る。その両掌を開くに合わせて、二人が黒く燃え上がった。
「「………!?」」
全てを染め上げるその炎は二人を焼かず、ただ“二人自身”である白炎の糸を伸ばした。
その糸は大きく円を描いて立ち上り、丁度悠二の真上で交わり、燻る。
「「……っ…………」」
人間の持つ生命の営みとはまるで違う。父も、母も、今この場において何の力も持たない。ただ『分解』され、交わる二つの存在を見つめ、託すしかない。
少年の行使する、創造神の権能に。
「『グリペンの咆』、『ドラケンの哮』!!」
小型戦闘機のような鏃の両翼たる極光が、色を失くすほどに凝縮され、放たれた。
キアラの最強の自在法たる超速の流星が二筋、ゆかりに襲い掛かる。それをゆかりは横に避けず、退かず、くるりと捻るように最小の動きで回避して、キアラに突っ込んだ。
「ハッズレー!!」
そして、右手に握った『パパゲーナ』で真っ正面から迎撃しようとして……
(ッ………と)
予想外の加速に、断念。咄嗟に鏃の横面を蹴り、前転するように極光の刃を跳び越えた。
単純な身の軽さや飛行能力なら、ゆかりはキアラを明らかに上回る……が、神器『ゾリャー』の直進スピードに限れば、キアラの方が素早いらしい。
(やりづらいなぁ……)
ミステスとなって二十年。今のゆかりは歴戦の強者とは呼べないまでも、もはや未熟に過ぎる新参ではない。
(6:4で私が不利……)
過不足なく彼我の力量と相性の悪さを見極めて、ゆかりは遠方に目を向ける。そこには、菫に燃える巨鳥とお馴染みの水色流星群が空で舞い踊っていた。
「『星(アステル)』よ」
ヘカテーの周囲で煌めく水色の流星が、菫に燃える巨鳥を粉砕すべく降り注ぐ。巨体では到底避け得ない数と疾さを持つその光弾の着弾を待たず………
「!」
巨鳥はその体を分離させ、形を成していた瓦礫や金属塊が炎を帯びた弾丸となって、ヘカテーに逆撃を掛けた。
それらは渦を巻く流星の濁流に阻まれてヘカテーには届かないが、サーレはその瞬間に一点の穴を見つける。
「ふっ!」
一閃。糸に絡めた電柱を、菫に燃える槍として投げ放つ。ヘカテーは、自身が展開した流星群によって逃げ場を失う……が、
「……無駄です」
ヘカテーは怯まず焦らず、その炎槍を『三星矛(トライデント)』で一突き、一瞬の内に塵にする。
だが、一瞬電柱に意識を向けさせただけで十分。サーレの両手の操具から伸びた無数の糸が、ヘカテーの周囲に渦巻く流星に……届いた。
「弾けろ」
光弾に宿る水色が菫に取って変わり……
(『星』の制御を奪われた………!?)
そして、弾けた。
連鎖的な大爆発が、逃げ場一つないヘカテーを圧し潰すように膨らみ、爆炎を撒き散らす。
空を灼き雲を払うような凄まじい爆発の中、予想以上の威力に仕掛けた自身も巻き込まれたサーレが、巨鳥と共に飛び出した。
「決まったかな?」
「そんな可愛い相手じゃないだろ……」
ハットを押さえたサーレが、ギゾーの楽観にうんざりしたように応える。決して相手を過小評価しない、戦士としての意識に、しかし一瞬の気の緩みがあった。
「―――――――」
飛び出した正面。遠方にいるはずのもう一人の敵が稲妻を纏って浮いている姿に、思考が止まる程度には。
「んぬぬぬぬ…………!」
ゆかりは逆手に握った雷槍を目一杯振り上げて………
「『平井震』!!」
全身の力を使い、思い切り投げ放った。一直線に飛ぶ槍は中空でどんどんと巨大化して、空を貫く尖塔ほどに長大な翡翠の雷槍となる。
「ッ……くそ!」
自身に迫る凶悪な破壊の力、電光石火の稲妻を前に、サーレは反射的に跳び上がった。
半瞬遅れで、たった今サーレが乗っていた菫の巨鳥が粉々に粉砕され、炭と化して散る。
「とっ……っ……」
足場と武器を失ったサーレが滞空に手間取る。フレイムヘイズや徒が『飛翔』する事自体は然程珍しくはない。……だが、“空中戦”がこなせるほどの使い手となるとそれほど多くは無い。
サーレも大多数に漏れず、空中戦は苦手だった。
「カウボーイ一丁!」
「ぐあっ!?」
動きの鈍ったサーレの顔面を、ゆかりの両足が思い切り踏みつけた。ついでのように流した電流が、サーレの体の自由を奪う。
「とぉりゃああぁ!!」
「が……っ!」
そのまま体を縦に高速回転させたゆかりの踵が腹に落とされ、サーレはくの字に曲がってまっ逆さまに地に墜ちていく。その途中の空で、極光の鏃がサーレを受け止めた。
「ヘカテー、だいじょぶ?」
「………………」
敵二人の姿を遠距離に認めて、ゆかりは爆炎の晴れた内に立ち尽くす……否、浮かび尽くす少女を見やった。
見るも無惨なナリに変貌しているヘカテー。トレードマークの帽子は炭と化し、衣服もボロボロ。無表情なのはいつもの事だが、甚くご立腹なようだ。見るからに不機嫌なオーラを水色の炎に変えて撒き散らしている。
ヘカテーは無言で頭の上の炭を払って、ボロボロになったマントを破り捨てた。
「お前なぁ………ちゃんと止めとけよ……」
「す、すいません。まさかサーレさんを狙ってたとは思わなくて……」
対して、眼下のビルの上に着地を果たしたサーレとキアラは、軽口を叩きながらも油断なく空を見上げている。
「な~に自分のヘマを他人のせいにしてんだか、油断したあんたが悪いんでしょ!」
「私たちのキアラは傷つきやすいんだから、少しは包容力ってもんを持ったら?」
「………………」
いつ如何なる時でもキアラの味方である契約者姉妹の言葉に憮然としながら、サーレは『レンゲ』と『ザイテ』を両手に構えた。
(…………妙だな)
『緋願花』の内一人がいない理由は、容易に想像が着く。だが、サーレはこの場にいる二人の戦いぶりに違和感を感じる。
(何で今、攻撃して来ない………?)
サーレとキアラは、『緋願花』と直接戦った事はないが、以前『界戦』でその力を見ているし、共同戦線を張った事もある。
ゆかりはともかくとして、ヘカテーには圧倒的な広範囲と大火力がある。今この状況に於いて、何故流星を降らせてとどめを刺しに来ないのか……。
加減されている可能性も無くはないが、それにしては接近戦の連撃には容赦が無かった。
その時――――
『ッ………!?』
ヘカテーやゆかりも含めたこの場の異能者全てが、“違和感”に戦慄する。
凄まじく巨大なそれは、封絶でも隠しきれず、外界へとその気配を撒き散らしていく。
「バレたかな?」
「……初めから解っていた事です。発動まで気付かれなかっただけ行幸というもの」
ヘカテーとゆかりは、この瞬間にこそ気を入れ直し………
「なるほどな………」
サーレとキアラは、その根源に気付く。気配は、足下から……。
「地下、ですね………」
「ああ、それも相当深い。……どおりで今まで気付かなかったわけだ」
分厚い地表とヘカテー達の気配に隠された地下深くに、自分たちの本当の標的がいると気付くと同時に、サーレはヘカテーが追い打ちを掛けて来ない理由にも気付いた。
大威力の光弾を撃たないのではなく、撃てないのだ。地下にいる恋人らに万一の事があってはいけないから。
「先手必勝!」
上空から炎弾が一筋、ビルを貫く。それを軽くいなして、サーレは短くパートナーに告げた。
「キアラ」
「はい!」
指先で操具を動かす軽い動作だけで、二人の立ってっいるビルが、そのまま空飛ぶ足場として宙に舞い上がる。そこから、小型戦闘機のような鏃に乗り込んだキアラが離脱する。
そして上空のヘカテーとゆかりには一切構わず、漏れだす気配の根源たる地下に向けて翼を光らせる。
「はああぁあぁあ!!」
『グリペンの咆』、『ドラケンの哮』。凝縮された極光の矢が二筋……一直線に大地を目指し―――
「ミエミエだっての!」
そして、翡翠に燃える銀鏡に呑み込まれた。ゆかり固有の自在法・『銀沙鏡(ミラー・ボール)』。
両手に二つの銀鏡を構えるゆかり………の上半身が、三つめの銀鏡から“生えている”。ふと見上げれば、上空でゆかりの下半身が四つめの銀鏡に潜り込んでいた。
“鏡から鏡に移動している”。サーレはその事実と共に、先ほどの炎弾は炎弾ではなく、『銀沙鏡』だったのだと悟った。
「自在法を呑み込むだけじゃないのか……。意外と器用だな」
「ん~~、っていうか私の体自体、半分自在法みたいなもんだしね」
遥か地下、今はまだ力の結晶でしかない新たな生命……『両界の嗣子』が、胎動を始めていた。