巡る。水色の炎で飾られた陽炎の空を、幾つかの炎が巡り、ぶつかり合う。
戦場と化したそこは、ニューヨークの外れに位置する寂れたスラムだった。
「足が着かないように注意したんだけどなぁ……っと!」
廃棄物だらけのゴミ山を縫うように飛ぶ翡翠の少女を、横合いからゴミ山を貫いて極光の矢が狙い撃つ。それが弾ける頃には、翡翠の少女……『万華響』の平井ゆかりは爆風に乗るように上空に舞い上がっている。
「見つけた! 逃げ場はありません!」
それを、極光の主たる一人の少女の目が捉える。歳の頃は十五、六ほど、長い茶の髪を靡かせ、しっかりとしたスーツの上から緑の上掛けを羽織っている。
両端に鏃を備えた極光の弓から、同色の光の矢が放たれた。それは中途で無数に分裂し、オーロラの雨と化す。
「よっ、『反鏡(リフレクト)』!」
前面から押し寄せてくるオーロラの雨に怯まず逃げず、ゆかりは右掌を差し向けた。そこに半径3メートルほどの、翡翠の炎を縁取る銀鏡が現れ、矢を悉く跳ね返す。
押し寄せる雨と跳ね返った雨がぶつかり、融爆し、空を極光の爆炎が埋めた。
「キアラのケチ! 石頭ー!!」
「ケチでも石頭でも、あなた達のやろうとしている事を見逃すわけにはいきません!」
自分と同年代(あくまで外見の話)の少女の、何とも子供っぽい仕草に、キアラは毒気を抜かれたように言い返す。
『極光の射手』キアラ・トスカナ。界戦以降、理の変わってしまった世界での、今や数少ない人間ベースのフレイムヘイズである。
「それが石頭だって言ってん………のッ!!」
ゆかりは両腕を振り上げ、そのまま思い切り振り下ろす動きの最終点で、両掌から特大の炎弾を撃ち放つ。
「っ………!」
キアラに向けて一直線に飛んだ炎弾は弾け、翡翠の爆炎を撒き散らして周囲一帯を吹き飛ばした。
軽く左手を振るったゆかりの全身を翡翠の炎が包み、それが晴れる頃には、彼女は紅い軽装鎧と手甲、脛当ての付いたアサルトブーツという武装に身を包んでいた。
「(面倒な事に巻き込まれちゃったなぁ~~)」
そう思い、その面倒事をこそ楽しむゆかりは、愉快そうにその口の端を引き上げる。
「さあ、世界の平和を守りたかったらこの私を倒していくが良い!!」
完全に悪役に成り切っているゆかり。やや離れた場所で同様に頑張っているヘカテー。そしてその活躍の影で目的を遂げんと暗躍する悠二。
この事態の発端は、一週間前に遡る。
『……子供が欲しい?』
所は日本の北海道。安くて美味しいと近隣の若者に密かな人気を集めるケーキ屋『緋願花』にて、店と名前を同じくする三人組は揃って怪訝な声をあげる。
その原因は、一応は客としてやってきた一組の男女の唐突な発言によるものだ。
「そう、何とかならないものだろうか。こんな頼みごとが出来るのは君たちしかいないんだよ」
「すいません、突然押し掛けてきて………」
ブルーベリータルトをつついている白スーツの美青年、紅世の王“狩人”フリアグネ。そしてその隣でチーズケーキをつついているのが、彼の恋人マリアンヌだ。
フリアグネの、まるで自分に酔っているかのように額を押さえる仕草が、悲劇の主人公気取りで何とも腹立たしい。
「久しぶりに会って、藪から棒に何を言いだすかと思えば………」
紅世の徒と人間では、命の生まれ方が根本的に異なる。愛し合う男女が交わって新たな生命が生まれるわけでもないし、何よりマリアンヌは燐子である。そもそも、そんなお願いをされるほどに仲良くなった覚えは、少なくとも悠二には無い。
「『都喰らい』について調べる時に、『棺の織り手』についても調べたんだよ。彼が都市一つ呑み込むほどの存在の力を必要としたのは、宝具・『小夜啼鳥(ナハティガル)』……つまりは“螺旋の風琴”リャナンシーの意識を支配し、例の『大命詩篇』を稼働させるためだったと聞く」
「はあ………」
数百年前の『大戦』の話などされても、悠二にはピンと来はしない。後半部分だけに何となく納得して、ヘカテーに眼で訊いてみる。
「っ……………」
すると、何故か頬を赤らめながらヘカテーは首肯した。子作りという単語を意識しているのではないだろうか……という疑念が湧く。
「彼の目的は『大命詩篇』の力で自分と、亡き契約者……恋人との子供を生み出す事だったんだよ。……そして、ここからが本題だ」
頼みに来たというわりには随分と不遜な態度で、フリアグネは足を組み直す。そして、要求を口にした。
「君たちなら、『都喰らい』など起こさなくても自在に『大命詩篇』を行使出来る。つまり、私とマリアンヌの子供を生み出す事も可能なんじゃないか?」
問われ、悠二は自在師としての性とでも言うべきか、ほとんど反射的に『分解』と『定着』の式を頭の中で思い描き………是、という結論に達した。達して………
「駄目だ。厄介ごとなら他を当たってくれ」
拒否した。この企みに対してフレイムヘイズが取る対応など、火を見るより明らかだからだ。フリアグネに対して、そこまでの義理は無い。
「そうか。だが、君の小さな恋人は違うようだが?」
「え………?」
勝ち誇ったような顔でスタッフルームの方を指差すフリアグネに釣られて見てみれば………
「…………?」
既に旅支度を終えたヘカテーが、準備万端で姿を現していた。
「はぁ………」
もう『いつもの事』として受け入れてしまっている自分に内心で苦笑しつつ、悠二はふと疑問に思う。こんな時に一番はしゃぎ回るはずの少女が、不思議なほどに静観を貫いている事に。
「ゆかり?」
「…………ん? んにゃ、何でもないよ。いいじゃん、協力したげようよ♪」
朗らかに見える笑顔の奥に僅か燻る不安を見抜けないほど、浅い付き合いではない。
しかし悠二は、敢えて言及しなかった。
そして気配を隠し、姿を眩まし、足跡を揉み消しながら行き着いたこのスラムで、一行はその目的を果たそうとしている。
『鬼功の繰り手』と『極光の射手』、二人のフレイムヘイズの妨害を受けながら。
「『三星矛(トライデント)』」
「ちぃ……!」
世界が変わり、人も、徒も、フレイムヘイズも、変わらざるを得なくなった。
今回の悠二らの試みは、かつて『棺の織り手』アシズが企て、そして阻止されたもの。キアラ達フレイムヘイズが阻止しようとする理由も、あの頃と同じだった。
「……髭は、嫌いです」
「大きなお世話だ、くっ………!」
ヘカテーが繰り出す三つ叉の光槍の連撃を必死に躱すのは、『鬼巧の繰り手』サーレ・ハビヒツブルグ。
キアラとお揃いのスーツの上からコートを羽織った、カウボーイハットの男。キアラの師匠にして、恋人である。
「シッ!」
「っ……!?」
身を屈めた頭の上で光刃が過ぎ、サーレが背を預けている廃ビルが紙のように容易く裂けた。途轍もない切れ味に冷や汗を流しながら、サーレは足裏に爆発を起こして距離を取る。
ついでのように、裂かれ崩れゆく廃ビルに不可視の糸を伸ばして、そのままヘカテーに叩きつけた……つもりになったが――――
「無駄です」
ビルは光弾の直撃を受け、粉々に砕け散る。
「見目麗しい可憐な少女と見えて、内なる姿は蛇神の眷属。美しさと怖さは、時として似通って映るね」
「呑気に気取るな、こっちは命懸けなんだよ」
契約者たる“絢の羂挂”ギゾーの軽口に言い返して、サーレは十字操具型神器・『レンゲ』と『ザイテ』を操る。そこから伸びた無数の不可視の糸が、車に、電柱に、民家に、とにかく周囲のあらゆる物に伸びて、菫に燃える“弾丸”となって―――
「潰れろ」
一斉にヘカテーに襲い掛かる。一拍遅れて、ヘカテーの周囲が光り輝く。それは蛍のように少女を取り巻く、水色の光弾。
(まずい――――)
「『星(アステル)』よ」
サーレの攻撃はヘカテーに届かず、二人の立つ街の一画を連鎖的な大爆発が呑み込む。その爆煙を裂いて、ヘカテーが空に飛び上がった。
「……………?」
眼下に見下ろす爆炎と粉塵の中から、何か巨大な物が浮かび上がってくる。ヘカテーは警戒しつつ、『トライゴン』を斜に構えた。
そして、粉塵の狭間からそれは姿を現す。
(……鳥?)
それは、おそらくは破壊された街を材料にした、瓦礫と金属塊を無茶苦茶に組み合わせた菫色に燃える鳥。巨竜ほどもあるその鳥の頭に、最早人形繰りとは呼べない絶技によってこれを操るサーレが立っている。
「……新しい生命の誕生、何故邪魔するのですか。私たちは、自前の力で儀式をしています」
「“一応”大戦に加わっていた『仮装舞踏会(バル・マスケ)』の巫女様の言葉とは思えないな。わからないわけないだろ」
「誰も彼もが君たちのような規格外じゃないのさ。そして、この事が広まれば身の程知らずに模倣しようとする連中が必ず現れる」
徒の存在自体が害悪となる時代が終わっても、フレイムヘイズが不要になるわけではない。むしろその逆、自分たちの存在が認められた事による徒の増長、暴走を抑止するために、フレイムヘイズは不可欠な存在だ。
「神の御業によって紅世と繋がったこの世界で未踏を目指さぬのは、目も当てられぬ愚行です。その上で愚者の暴走を押さえる事が、あなた達討ち手の使命ではないのですか?」
「ご高説どうも。俺は必死に変わろうだの進もうだのは性に合わないんだよ」
「客観的に見ても、君たちは少し急ぎ過ぎだよ。世界はそんなに早く変われるものじゃない」
界戦から二十年。それを“早い”と判断出来るのは、彼らが永い年月を生き抜いて歴史を見てきた戦士だからだろう。……が、そんな彼らが赤ん坊に見えるほどに永く生きるヘカテーの見地は正反対。個というものは実に多様である。
「………どうぞ、ご自由に」
ヘカテーは、舞うように大杖を振るう。それに呼応するように、星天が目の前に現れたような輝きがサーレの目を灼く。
「この星光の壁を、突き破る事が出来ればですが」
愛しい存在との間に結晶を求める恋人たちのために、今のヘカテーは―――愛の天使。