「いつまでうじうじしてるつもり?」
世界そのものすら巻き込んだ大戦も終結を迎え、『揺らぐ世界』を一時離れて、悠二たちは束の間の日常に帰還した。
「わかってんだよ! 考えたってもう遅いって事くらい!」
悠二、ヘカテー、ゆかり、シャナ、吉田、池、マージョリー、ヴィルヘルミナ、メリヒム、皆が御崎市に戻ってきた。常人には気付けない、しかし決定的な革変を経て、再び田中栄太の日常は回り始めた。
「……わかってないよ。そんな事言ってる内は、いつまで経っても弱虫のまんま」
それなのに田中は、友人たちに取り残され、一人でうずくまってしまったという後悔と無力感を抱えて、欝屈とした日々を送っていた。
「っ………………」
「何も、全部忘れろって言ってるわけじゃない。あの一年で田中君が感じた事を受けとめて、自分がこれからどうしたいのか考えればいいんだよ。後ろ向きにばっか考えてるからカッコ悪いの」
そんな田中を……正確にはそれを見守る真竹を見兼ねたゆかりが、田中を糾弾する。
「佐藤君がマージョリーさんの為に“こっち”を選んだみたいに、田中君にも大切なものがあるから、“そっち”に残ったんでしょ?」
諭すような、言い聞かせるような言葉はそこで治まり、そこから、どこか不透明なゆかりの独白が零れる。
「……私も、悠二も、今の自分の在り方を否定するつもりない。……けど、悠二は喰われて、私は一度死んだ。どうしようもない力の流れに逆らえずに、今の自分に辿り着いた」
その言葉を受けて、田中の脳裏を過るのは……ミサゴ祭り。自分には何一つ出来ない異能者たちの戦場で、粉々に砕け散る想い人の姿。
「後悔はしてないよ。だけど、もし“選ぶ事が出来たら”……私も悠二も人間のままで生きる選択があったとしたら、私はどっちを取ってたかわかんない」
もはやあり得ない未来に想いを馳せて、ゆかりは種類のわからない笑顔を浮かべた。
「私は、今の自分に満足してるよ。だけど時々、考えるの。私たちが手放しちゃったものの大きさを」
俯いて動かない田中とは対照的に、ゆかりは後ろで手を組んでぴょこぴょこと大股で歩く。
「田中君は逃げたんじゃなくて、選んだんだよ。私たちに負けたくないんだったら、自分が選んだもののために出来る事、考えないと」
背中に回って、小さく縮こまった田中の肩を、背伸びしてポンッと叩く。
「頑張れ男の子♪」
十数年前の事である。
今考えれば、自分の学生時代は普通のものとはかけ離れていた。
まるでマンガにでもあるようなドタバタ学園生活。何か超常現象のようなものも何度か見たような憶えもあるが、『彼女たちだから』というだけの理由で深く考えずに納得出来てしまう自分がいた。
今こうして、十数年ぶりの再会を前にこれほど動揺しているのは、あの頃とは自分の感覚が変わってしまったのだろう。真竹はそれを寂しく思った。
「何度も言うけども、私の口から教える気はないよ? 田中君に会ってく気もないし」
「なっ、何で……!?」
「私のこの外見。田中君にとっちゃトラウマスイッチになっちゃうかも知んないしね」
ある意味予想通りの応えに続けられた言葉に、真竹は言葉を失う。しかし、ゆかりは昔からこういう性格だった。
天真爛漫で遊び心に命を懸けているような反面、酷くドライな発言を平気でしたりするのだ。
けど………
「あの人は、そんなの気にしないって。私だって……確かにそりゃびっくりしたけど……」
「オガちゃんと田中君とじゃ、非日常に対する見方が違うの。田中君からオガちゃんに全部話した後なら、会ってもいいけどね。本当ならオガちゃんにも見つかるつもりなかったんだし」
確かに、御崎市とも遥か遠く離れたこんな場所で偶然再会するなど、ゆかりにも予想外だったに違いない。
「んで、オガちゃん何か悩み事?」
「………え?」
あまりに急な話の切り替えについていけず、真竹は間の抜けた返事を返す(多分、ゆかりの中ではもうさっきの話は決着がついたという事だろう)。
「私の外見、ってだけじゃないでしょ? そのメランコリーな感じは」
ゆかりは「さあ吐け」と言わんばかりにズビシッとパフェをつついていた長いスプーンを真竹に向ける。
十年経ってもあの頃と変わらず接してくるゆかり。何だか自分ばかりが動揺していて馬鹿みたいに思えた。
「実は………」
…………………
「浮気?」
「かも知れないってだけ! 別にシャツに口紅ついてたとかそういうんじゃないんだけど、最近夜に楽しそうに女の人と長電話してるし………」
聞き返すゆかりに言い訳のように抗弁するその言葉は、だんだんと尻すぼみになって最後はほとんどボソボソ声だった。
「おお……、何か凄い。昼ドラみたい」
「……他人事だと思って楽しまないでよ」
「いやぁ、悠二とヘカテーは年がら年中ラブコメしてるから、何かこういうの新鮮って言うか♪」
やっぱり話すんじゃなかった、と真竹は早々に後悔してテーブルに突っ伏す。
三十路の自分が、どう見ても女子高生のゆかりに遊ばれているこの構図は、周囲にどんな目で見られているのだろうか。
「まあ冗談は置いといて、そういう事ならやっぱり、直接様子見に行くっきゃないでしょ!」
「………………」
すごくイイ笑顔で片腕を天に突き上げるゆかり。真竹は知っている、ゆかりがこういう顔をする時、自分は大抵苦労する羽目になるのだ。
「よしゃ! 行くよママ♪」
「ほ、本当に行くの?」
「もちよ」
ここは、真竹とゆかりが再会したデパートから二駅離れた場所にある私立高校。平たく言えば、田中の仕事先である。
何故真竹がママ呼ばわりされているかと言うと、一重に今のゆかりの服装に尽きる。
「制服なんて久しぶり♪」
今から二十分前、この学校の校門の前でゆかりは出てきた女子生徒を捕まえ、ブランド物の服をプレゼントする代わりにその制服を借り受けたのだった。
強引な手法には変わりないが、相手の女子生徒も楽しげだったのは、彼女もかなりノリの良い性格だったのかも知れない。
御崎高校のそれとは違う、白いシャツと灰色のミニスカートに身を包んだゆかりが、上機嫌にくるりと回る。
「シカモ! これで田中君に見つかってもノープロブレム!」
自信満々にそう言って、ゆかりは自分と真竹に瓶底眼鏡(度無し)を装着して、そのまま真竹の手を引いて校庭に突入した。
設定としては、言うまでもなくこの学校の生徒ゆかりと、その保護者真竹。
「無理があるってばーー!!」
「ママ、うるさい」
真竹の不満など余所に、ゆかりは一路、職員室を目指す。
………………
「……あれ?」
「多分……顔見た事はないんだけど……」
生徒に道を訊ね、途中に見かけた食堂でゆかりが食欲に負け、久しぶりの学校というものを満喫した末に辿り着いた職員室の窓からこそこそと顔を覗かせるゆかりと真竹。
その視線の先では、体育教師であるため日頃からジャージを着ている田中、そしてその田中と親しげに会話する女性教師。
「若いね。二十代前半と見た」
「……………」
真竹が浮気を疑うほどだから、ゆかりはこのくらいの事は想定済みだ。逆に真竹は、元からイメージしていた嫌な光景を現実に目の当たりにした事で茫然自失となっている。
「頑張れオガちゃん、いざとなったら私の破壊光線が火を吹くから」
「………それはやめて」
ピコピコと揺れるゆかりの触角に多少の戦慄を覚えながら、真竹は平静を装ってそれを制した。
職場で同僚と仲良く会話する。それくらいで嫉妬する器量の狭い妻だと思われたくなかった。
一旦その場を離れたゆかりと真竹。既に放課後だった事もあり、部活を終えた生徒が次々に帰宅していく中で、二人は屋上で田中の勤務終了を待つ。
『むしろ学校終わった後の方が怪しい』とはゆかりの言である。
結果として、その読みは当たる。
職員用の玄関から出てきたのは、田中と、先ほどの女性教師の“二人”。
ただの同僚と呼ぶには近い距離で並び歩くその姿に、真竹は胸を痛めながらゆかりと共にその後を尾けた。
そして、その歩みが田中が車を停めている校舎裏まで続いた時、それは起こった。
「「ッ!?」」
例の女性教師が、田中の腕に抱きついて頭を寄せたのだ。
「……づいて、……たんで……ね?」
離れていて、真竹にはよく聞こえない。ゆかりには聞こえているのか、その顔が険しく歪む。
「……わない…です。……生に……を捨て………て、虫が………よね」
本当なら、今すぐ飛び出したかった。飛び出して、夫の腕からあの女性を無理矢理に引き剥がしてしまいたかった。なのに、真竹の体は震えるばかりで動いてくれない。
状況に呑まれたような、あるいは流されているような田中の表情。どこか現実味の薄れる情景。それが………
ビビッ!!
「うおぉ!?」
「きゃあぁっ!!」
どこからともなく発射された二筋の翡翠のビーム。それに伴う小さな爆発によって打ち払われる。
「………あっ」
我に帰った田中は……
「えっ?」
その教師の両肩を掴んで、無理矢理離す。今まで、状況に頭が追い付いていなかったように。
「君の気持ちはわかったけど、俺には大事な家族がいるんだ。だから、ごめん!」
爆発の動揺も覚めぬ内に、田中は今一番必要な返答を口にした。女性教師の方も、呆気に取られたような沈黙を経た後に、やがて受けた拒絶を理解して、目尻に涙を浮かべて走り去る。
(良かった………)
状況に置いていかれて、ただ茫然と見ていた真竹が、心底の安堵を心中で呟く。
「…………真竹?」
「あ」
ただし、食い入るように身を乗り出していたせいで、姿を隠すのを忘れていた。当然のように田中に見つかる。
「なっ、な、何で学校に!? ってか、今の………見てた?」
明らかに気まずそうな夫のその姿を、真竹は思い切り睨みつけるのを忘れない。
大方、田中本人は親しい同僚程度のつもりでいて、相手の好意にはこれでもかというくらいに気付かなかった結果が招いた事だろう。
自覚が無かろうと、妻を不安にさせ、一人の女性を弄んだ事実に変わりはない。
あの時のビームが無かったらどうなっていた事か、考えるだけではらわたが煮え繰り返る。
(あ………)
それで思い出したように、真竹は慌てて周りを見渡す。先ほどまで隣にいたはずのゆかりの姿が、いつの間にか消えていた。
「こっ、これは違うぞ! 絶対勘違いしてると思うけど、誤解だからな!」
往生際悪く抗弁する夫とはしばらく口を利いてやらない事にして、真竹は空を見上げる。
破天荒を極めた高校生活。それは、その後に続いた一般的な日々の中で、どこか違う世界の事のように彩られていた。
そしてまた、現れたと思ったら、いつの間にか消えている。
まるで、一時の夢のように。
(あとがき)
確か来月にシャナの新刊発売ですとも。ちょっと前にOVAで『ドミサイル』出ましたね。しかし何というか、やはり三期が一番楽しみです。