『何で私を頼ってくれないの? 何を隠してるのか知らないけど、もうゆかり達だって帰って来たじゃない!』
いつまでも、何かを抱えて悩み苦しんでいる想い人。それを、ただ傍で見守り続けてあげるべきだってわかってたのに……自分は、耐え切れなくなって自分の気持ちをぶつけてしまっていた。
『………言えないんだ』
こちらの真剣な気持ちを察してか、作り笑顔すらせずに俯いてそう応えた少年の態度が、辛かった。
何も話してくれない少年、何もしてあげられない自分、双方に湧く悔しさと無力感が抑えられない。
『話せないならそれでもいいよ。でも、少しくらい私を支えにしてくれたって……』
『出来ないんだよっ!』
未練がましく食い下がる自分の言葉を遮って、怒声が響く。その怒りがどこに向けられたものなのか、わからなかった。
『坂井も、平井ちゃんも、佐藤も、吉田ちゃんも、池だって! 皆、辛かったはずなのに、それでも前に進んでた!』
そこに、何故同じく姿を消した友人であるヘカテーやシャナの名前が並べられないのか、わからない。でも、それは訊かずに続く言葉を待った。
『俺だけなんだよ! 偉そうな事言ってたくせに、ビビって、ぐずって、結局最後まで何もしなかったのは!』
肝心な事は教えてくれない。でも、自分に、隠さずに感情を吐き出してくれている。その事に……彼の傷口を抉っている事に気付いていながら、自分勝手な満足感を得ていた。
『……おまけに、吹っ切る事すら出来てない。今さらこんな事で悩んでたって遅いっつーの』
言葉の端々から覗く意味と彼の様子から、悩みの種類にあたりをつけた。自分の知らない所であった“何か”、そこで何があったのかまではわからないけど、彼が、友人たちに一種の負い目や劣等感を抱いているのだと感じた。
『……………』
“らしくない”、そう思った。荒れていた中学時代から更正して、高校からは穏やかになっていた田中に喜んではいたが、こんなに卑屈になって欲しいなんて思っていなかった。
『俺、ここでオガちゃんに縋ったら、もう自分で立ち上がれなくなりそうだから………』
それは違うと、そう思った。置いていかれてしまったから、隣で支えてくれる誰かがいなかったから、彼は折れてしまったのだと思った。
もし、自分がその“何か”の渦中に居れば、彼の支えになれたのだろうか? それとも、ただの重荷にしかならなかったのだろうか?
『田中………』
その時、結局、手を差し伸べる事も出来なかった。
「……………」
目が覚める。ダイニングテーブルに突っ伏して、いつの間にか眠っていたらしい。枕にしていた右腕が痺れる。
(何で今頃、あんな夢……)
気だるい上体を起こしながらそう思う中途で、テーブルの上に広げたそれを目にする。
「アルバムか………」
何となく、実際口にしてみる。……そうだ。夫と喧嘩して、それを悟られないように笑顔で栄治を送り出した後……昔を懐かしんでアルバムを開いたんだった。そのうちに、つい寝入ってしまったのか。
「昔は良かったなぁ……」
眠り込んでしまう前から何度も呟いた言葉を、また繰り返す。
結婚した事を後悔しているか、と訊かれれば、無論否定する。しかし、今が一番幸せなのかと訊かれれば、口をつぐんでしまう。
息子は当然愛しい。両親の血筋からか、ヤンチャで素直な性格だ。これから生意気盛りに突入しても、温かく見守れる自信はある。
問題は、夫。昨夜の喧嘩の事といい、最近のぞんざいな扱いといい、本当に自分は昔と変わらずに愛されているのか、時々すごく不安になる。
いや、その前に、自分は昔と変わらず“愛せているのか”。
「……買い物、行かなきゃ」
気持ちを切り替えないと。夫婦喧嘩なんて、純真な子供の前でしていい事じゃない。
(そうよ……)
こうやって時々喧嘩して、気持ちを確かめるしかないんだろうから。
(そういえば……)
アルバムに目を通し、特別仲が良く、仲間内で恋愛が発展していた友人たちを思う。他の皆は、どうだろうか。
(って言っても……)
未だに連絡が取れるのは半分くらいしかいない。
『パートナー? ちょっと移動する度に乗り物酔いでゲロゲロやる奴をパートナーとは言わねぇ』
吉田一美は、未だ独身。同じ企業に入って彼女を支える池速人も相変わらず報われない。
『まあ、わがまま言うのは俺を頼ってくれてるって事だから、大変だけど悪い気しないんだよな』
佐藤啓作も相変わらず尻に敷かれているらしいが、あれはあれで幸せそうだ(尤、当のマージョリーにはもう何年も会っていない)。
後の四人、坂井悠二、坂井史菜、平井ゆかり、シャナ・サントメールに到っては、居場所どころか消息すら定かではない。
(まあ、元気にやってるだろうけど………)
昔の事ばかりに想いを馳せるのは悪い傾向だと思いながら、買い物袋片手に家を出る。
(今日はちょっと、奮発しようかな)
デパートで夕食のメニューを考えながら食材の値段を見て回る、今や主婦の真竹。息子が眠りについた後、夫ともう一度話をつけなければならない彼女だが、今日は最終的には仲直りをするつもりなのだ。夫の好物の肉じゃがに、少し良い肉を使おうかと頭を悩ませる。
(いや、でも………)
こっちが怒っているのだ、と示す事も大事なのではないだろうか。それに、今回の喧嘩が単なる考えの行き違い、少し互いに理解を示せば解決するような事ではなかったとしたら……自分が馬鹿みたいだ。
そんな風に、当人からすれば深刻な悩みを抱える最中………
「まだ高い、もう一声!」
「お、お嬢ちゃん、こっちも商売だからよ……これ以上は………」
「そんな……病気の母と無職の父を抱えて、一人で家庭を切り盛りする可哀想な女子高生の頼みを無下にするなん……」
「嘘くせぇ!」
「あぁーっ! せめて最後まで聞こうよ! 嘘だとしても!」
後ろの方から、そんな掛け合いが聞こえてきた。まったく、最近の女子高生は………いや、あれもある意味たくましいと言い換える事も出来るか。
『最近の若い者は』、最近自分もよく考えるこのフレーズは、果たして的確なのだろうか。案外、自分も若い頃は似たようなもので、今の自分はそれとは違う視点から見ているだけなのではないか。などとどうでもいい事を無駄に深く考える真竹は、しかし買い物をする振りをしながらそんな女子高生のやり取りに耳をそばだてた。ちょっと面白そうだったから。
「やっぱ嘘なんじゃねえか! ………はあ、わかったよお嬢ちゃんの勝ちだ。こんなもんか?」
「やたっ! おっちゃん話せるぅ♪」
「……あそこまで堂々とおちょくられちゃ腹も立たねぇよ。たくましく生きな」
「心・配・無用! これでも十年以上鍛えてますから」
「はっはっは! まったくお嬢ちゃんには敵わねえな!」
「こっちは嘘じゃないんだけどなぁ」
たまに居るのだ。こんな風に全然態度を繕わないで、実際にはた迷惑な事をしでかすのに、何故か憎めないタイプが(もしこれをやったのが男だったら店の人は怒り狂ったに違いない)。
(そーそー、私も若い頃はこんな感じで騒ぐ皆の後ろで慌て……て………)
思考がそこに向いた時、覚醒するように後ろの女子高生の快活な声に、強烈な聞き覚えを感じる。
馬鹿馬鹿しいと思う心とは裏腹に、体は自分でも驚くほどの勢いで振り返っていた。
「あ…………」
茶味がかった長い髪をツーサイドアップにまとめた特徴的な髪型。紫の綺麗な瞳。動きやすそうなアロハシャツとジーンズという格好こそ見た事はないが、それでも、その姿は………
「ゆ、かり………?」
「んぁ?」
思わず口を突いて出た名前に、“あり得ない事に”目の前の少女は反応した。
この辺りでは有名な、おいしいけど高いたい焼き。たった今値切って大量に買い込んだ内の一つを、行儀悪くその場で頬張る。
「……………」
「……………」
「お嬢ちゃん、母ちゃんかい?」
「んーん」
店主の問いかけに喉だけで応えながら、少女はじーーっと真竹を見つめながらたい焼きを咀嚼する。
ごくりとそれを飲み下して、さらに二秒。少女の頭の上で豆電球が光った。
「オガ…………」
閃いたとばかりに指差して、随分と懐かしいあだ名を呼ぼうとした少女は………
「おばちゃん!」
「………………」
すごく、嫌な誤魔化し方をした。
デパートのレストランに半ば強引に連れ込み、対面に向かい合う形で座り、まず一番肝心な事を確認する。
「念のために訊くけど、ゆかり……だよね?」
「いやいや、あれだって。私はゆかりの娘のゆかみ。響きが似てるからついつい振り返っちゃったけどゆかりじゃないから、うん」
そんな稚拙な言い訳にすら、騙されそうになってしまう。何故なら、目の前にいる少女……平井ゆかりは、自分の記憶の通りだったから。記憶の通り………“全く同じ姿”。
「私の子だってまだ小学二年生。いくらなんでも無理があるって」
「やっぱ無理かぁ……って、オガちゃん子供居るんだ!? はぁ~……時の経つのの早い事早い事♪」
さすがに言い訳に無理があると悟ったのか、ゆかりはあっさりと認めてひらひらと手を振った。
しかし実際の所、真竹はそんなゆかりを前にしてもまだ、現実感に欠けていた。さっきまでの夢の続きかとさえ思った。
その姿、言動、自分の昔のあだ名を知っていたという事実、今目の前で本人が認めているという光景。それらを心が肯定し、常識が否定している。
「その……何で……歳は……?」
自信なさげに、しかし訊きたい事を口にする。
「ネバーランドで暮らしてたってのはどお?」
「こっちは真面目に訊いてるの!」
「何を隠そうこの私、魔法少女などを少々嗜んでおりまして」
「……わかった。真面目に応える気はないって事ね」
「拗ねないでってば♪」
はぐらかされたけど、今のやり取りで確信した。この娘は間違いなくゆかりだ。もう若作りとかそういうレベルじゃないけど、現に目の前にゆかりは居る。
……何だか、自分まで若返った気分だった。
「ま、子供がいるんなら“それ”を隠すのが良い事なのかわかんないけど、少なくとも私の口から言う事じゃないってだけ」
笑顔のまま、眼と言葉だけに真剣な色を乗せたゆかりに、息を呑む。十五以上も外見が歳下の、女の子に。
「それは……あの人に訊けって事?」
「“あの人”…… ほっほ~う? オガちゃんもしっかり奥さんやってますなぁ♪ まあ、平たく言うとそんな感じ」
意地悪くからかってくるゆかりの言葉に、昔のように照れる事は無い。その事に一抹の寂しさを感じながら言い返す。
「そういうゆかりこそ、あの二人は?」
軽い問いに混ぜたとても重要な質問に、ゆかりは可愛らしい仕草でぺたっとテーブルに垂れた。
「悠二とヘカテーなら温泉~。たまには気を遣ったげなきゃねぇ……」
心底つまらなそうにそう言いながら、ゆかりは口をアヒルみたいに尖らせる。あの頃より、あの二人に対して素直に甘えているような気がした。
「そっか……。やっぱりまだ三人一緒なんだ」
「そ。死ぬまで一緒♪」
一部の迷いもなくそう返したゆかりに、いっそ尊敬の念まで抱いて、やや遅れて実感する。
悠二もヘカテーも、おそらくシャナも、ゆかり同様のおかしな現象を抱えているに違いない。そして夫は、それをあの頃から知っていたという事だ。
「……ゆかりは、あの頃何があったのか、知ってるんだよね?」
十余年の時を経て、その問いは意味を持つのか。