「ほぁたぁー!」
ゆかりが手刀一閃。また一人狂騒に駆られる信者が意識を刈り取られる。
「まったく、自分たちの常識から外れた存在を信望していただろうに、実際に目にした途端これか。くだらん」
ぶつぶつと毒づきながら、メリヒムが容赦なく信者らを蹴り飛ばす。
「未知の存在を己に都合の良いように解釈して疑わない。盲信とはそういうものでありましょう」
ヴィルヘルミナの純白のリボンが無数に伸び、こちらも信者らを次々と投げ飛ばす。
「このまま外に出られると、厄介です」
ヘカテーが軽く差し向けた『トライゴン』の遊環の先から突風が奔り、まるで木の葉のように信者らを吹き飛ばす。
本性を現したネスタの姿に恐慌状態に陥った、何故か封絶の中でも動ける信者たち。彼らがこのまま封絶の外に出れば面倒な事になると判断した白仮面ズは、とりあえず気絶させておく事にしたのだ。
「あ、あ………」
その光景を、ゆかりに片手で担がれながら見ている、ラウラ。
「はい、終わり!」
「……悠二は、どこに行ったんでしょう」
「逃げたんだろう。ちっ……腰抜けが」
「私が初めて御崎市を訪れた時、どこかの誰かが逃げた事を考えれば、妥当な推測でありますな」
「骸骨剣士」
完全に会話に取り残されている。今まで自分が神だと信じて疑わなかったものの醜悪な本性を見せ付けられ、この四人も、外見こそ違えど、それと似た魔法のような力を使う。
それでいて、こんなさも日常的な穏やかな会話が交わされている。ラウラは、自分自身がどういう状況に置かれているかすら理解出来ずに混乱していた。
「原因は……この悪趣味なブローチかな?」
ゆかりが、気絶させた信者な服から、僅かに存在の力を発していた蜘蛛型のアクセサリーをむしり取り、眺める。
ゆかりにはシャナの『審判』や悠二のような鋭敏な感知能力も無ければ、『走査』の自在法も使えないので、はっきりとは確信出来ない。
「試してみればいい」
メリヒムが迷わず、ブローチを取られた人間の頬をサーベルで浅く斬り、またすぐに修復した。
封絶の中で、破壊したものを修復出来るのは、因果関係を絶たれた停止したものだけ。ブローチを取られた人間がまだ動けるのなら、修復は不可能なはずだった。
「決定でありますな」
「即時回収」
「お前らでやれ。俺は他に用がある」
明らかにいつの間にか消えたシャナを探しに行きたそうなメリヒムは、面倒な仕事の一切を他三人に押しつけて飛び出そうとする。ゆかりの足払いに阻止された。
ちなみに、今この大聖堂を覆う封絶の中からでは、外界を挟んで展開されている悠二の封絶は感知出来ない。
つまり四人は、少し離れた所で悠二とシャナが派手にやり合っている事に気付いていない。
「カルメルさん!」
「了解であります」
「触手発動」
ゆかりのビシッ! と指差した所作の意図を察したヴィルヘルミナは、純白のリボンを、気絶した信者たちの体に伸ばす。そして、彼らが体のどこかに必ず着けているブローチをむしり取っていく。
「さて、と……」
そこでようやく、ゆかりは担いでいた女性を地に下ろす。
「お嬢さん、状況説明出来る?」
この非現実的な光景の中で、“自分に意識が向けられた”事の自覚を、ラウラはまだ持っていなかった。
「………久しぶり」
シャナと悠二が戻ってきた時には封絶も解け、事後処理はゆかり達の手によってほとんど終わっていた。
そこで、悠二を除く四人との懐かしい再会となるも、生憎と四人は今白仮面。
育ての親に当たる二人が、どうすればいいのかわからずに苦悩に身をよじらせる。
「……メリヒムもカルメルさんも、もうバレてるから気にしないでいいよ」
悠二のその一言で、石のように固まる。
「……………」
対称的に、白仮面の正体の事などほとんど意に介さないのがヘカテーだ。二人で帰ってきた悠二とシャナ、という構図に危機感を覚えずにはいられない。
軽快なフットワークで、二人の周りをぐるぐると回る。
しばらくそうやって疑念を込めた視線で威圧していたが、それで真相がわかるわけではない事にしばらくしてから気付いた。結局ストレートに訊いてしまう事にする。
「……浮気?」
「してないよ」
仮面を外して、額に軽く口付けてくれた悠二の至近から、わずかにいつもと違う香りを嗅ぎ取る。
そのままふんふんと鼻を鳴らして、シャナの匂いも嗅ぐ。同じ匂いだった。
「ッ………」
思わず潤んだヘカテーの様子に、気付かない悠二ではない。
慌てて抱き寄せて、その頭を撫でる。
「本当に浮気したわけじゃないんだって! ほら、泣かないで」
実際、悠二がシャナに何かしたというわけではない。キスされてしまった事は事実だけど、それは悠二の気持ちが揺らいだからではない。
と、悠二は自覚しているが、実際にキスされてしまったのは事実なわけで、抗弁にも勢いが無い。
そして、シャナの肩が僅かに固くなったのを、悠二とラウラ以外の、その場にいる全員が気付いた。
本来なら真っ先に激昂するはずのメリヒムは、自身の経験と、シャナの気持ちを知っているがゆえに行動に戸惑い、結果として真っ先に動いたのは、ゆかり。
「ほらヘカテー! そんな膨れっ面しない! 旦那様信じたげなきゃ♪」
ヘカテーを背中から、悠二ごと抱きしめる。調子の良さそうなそんな仕草の裏側で、悠二の背中に爪を突き立ててたりもするわけだが。
「………明日はデート」
「了解……」
ゆかりと悠二の間でハンバーガーの具のような状態になっているヘカテーが、ぼそっと要求した事項を、悠二は苦笑いで了承した。
「………これ」
そんなやり取りを意図的に背にして、シャナは回収されたブローチの山を手に取り、黒衣・『夜笠』に収納していた書類の封筒を引き出した。
「………………」
書類にある写真と、目の前のブローチの中心の小さく青い宝石が一致する。おそらく、横流しされたのだろう。
(一美も、もうちょっと管理に気を付けてくれればいいのに………)
嘆息しながら、シャナはそれらの宝具を『夜笠』に納め、手帳の『SSCの盗品捜索願い』の横にバツで印をつけた。ついでのように、そこで腰を抜かしたまま茫然自失に陥っているラウラに目を向ける。
人間離れした容姿の徒と、ヘカテー達を立て続けに見せられて、何を恐れているのかいないのか、何を認めているのかいないのか、それすらわからないという様子だ(宗教的に信仰していた存在に裏切られた気持ち、というのはシャナには全く理解出来ない)。
言葉を選ぶように数秒黙り込んだシャナが、しかしはっきりと言う。
「お前が今日見た事を、どう受け止めるかはお前が決めればいい」
物心つく前からフレイムヘイズとして発つために生き、世界の真実を知っていたシャナは、ラウラの気持ちに共感してやる事は出来ない。
それでも、この十年で培った情緒で以て、また、この世の真実に触れた事で傷ついた友人を思い出して、“慮る”。
「紅世の徒って種の善悪を見定める事に大した意味は無い。“お前たち人間”と同じ。ただ、人間より遥かに強大な力と、人間と同じような心を持ってこの世界に在る」
それでも、結局こんな言い方しか出来ない自分は、やはり不器用なのだろうか。
「夢でも見た事にして忘れるのも、自ら踏み込むのも自由。どう向き合うかはお前が決める事よ」
それだけ言って、シャナはラウラに背を向けた。悠二の態度に腹を立てて喧嘩を売っている育ての親二人に近寄る。
(自分で、決める………?)
そんな騒がしい輪の中に溶け込んでいく少女の背中を、ラウラはただ何も言えずに見ていた。
いつしか彼女らが銀光に呑まれて消え去った後も。
彼女が自分に起こった事を正常に受け止めるのは、これからしばらく先の事になり、またそれに対してどう向き合うかを決めるのは、それから数年後の事となる。
自分が巻き込んだ人間の女に、告げる事が出来たのはあんな言葉だけ。
尊敬する、偉大な専業主婦なら、もっと違うやり方が出来たのではないだろうか。
敵に人間を縦に取られた時、自分には為す術が無かった。一時的な撤退を考えた。
結果として、悠二の炎が敵だけを焼き払い、決着はついた。
……以前から思っていた事。
自分の炎は、天罰神の炎。何かを見定め、裁き、断罪する炎。
以前の世界なら、それで良かった。この世に存在するだけで世界を歪ませる敵が、はっきりとそこにあったから。
でも、今は違う。
(今の世界で、私は……私の炎は……)
何かを守る事が出来るのだろうか。