「………………」
「………私たち、何しに来たんだっけ?」
「登場宣言」
「なるほど」
眼下で燃え上がる銀炎の海を見下ろしながら、ゆかりとティアマトーは短く言葉を交わした。
メリヒム、ヴィルヘルミナ、ヘカテー、ゆかりは今、白仮面に扮して封絶の中に飛び込み、中で戦っているシャナの敵を格好良くやっつける手筈だった。
しかし、それも一瞬。ノリ悪く混ざらなかった悠二らしき自在法が全てを解決した後の空間に、やる事の無くなった無様な白マントが四つ揺れる。
「………宗教?」
ヒーロー願望が満たされずに立ちすくむ三人をよそに、ヘカテーはふわふわと降下しながら巨大な十字架をコンコンと叩く。
「うっ、うわぁあああ!!」
「逃げろぉ!」
「殺される! 喰われちまう!」
そんなヘカテーの下で、銀炎の消えた一室にいた黒ミサの団体が、突然恐慌状態に陥る。ヘカテー達は飛び入りなので、あまり状況を把握していなかった。
「創造神の巫女様がそんな不思議そうな顔してもねぇ」
「?」
十字架を叩くヘカテーを後ろから抱き上げたゆかりは、ひとまず『人間が封絶の中で動いている』という異常自体を収拾すべく、床まで降り立つ。
「ごほんっ、えー、そこなフレイムヘイズ。私は通りすがりの正義の味方。白仮面! 状況説明をお願いしたいのだが………」
わざとらしく中年みたいな声を出してシャナに訊ねようとしたゆかりは、今さらのように気付いた。
(あれ………シャナ、どこ行った?)
銀炎の海が消え去ると共に懐かしい友達の姿もかき消えていたのだ。
「………………」
人前で独り言を言ったような気恥ずかしさに包まれそうになったゆかりは………
「ね! そこのお嬢さん♪」
姿勢を全く崩さずに、ギュルッ! と百八十度回転して、そこでへたれ込んでいた女性を指差して誤魔化した。
女性の名は、ラウラ・クリスティアーノ。
「お嬢、さん……?」
髑髏の仮面と白マントで姿を隠した、しかしどうにも幼さの残る言動のゆかりの言葉に、ラウラは怪訝そうな声を上げる。
そこでゆかりは、妙な事実に気付く。これだけの人間が狂騒に駆られているというのに、この女性は………
「何で逃げないの?」
「いや、こ……」
「こ?」
「腰が、抜けて………」
そんなやり取りの上空で、探しに来たはずの愛娘を見失ってうなだれる、二人の白仮面の姿があった。
「ふぅ………」
大聖堂から数キロ離れた丘の上で、一人の少年が自重気味にため息を吐いていた。
シャナの戦いに割り込み、自在法を発動させ、姿も見せずにここまで逃げてきたミステス・坂井悠二である。
(つい、逃げてしまった………)
ロンドンの街外れで、懐かしい悪友とかなり馬鹿馬鹿しい再会を果たした悠二は、その悪友の親としての切実な悩みを解消すべく、彼の独自な自在法と『転移』の併用によってここまで飛んできた。
ただ悠二は、シャナとのそれまでの経緯から、当人としては結構深刻な負い目と気まずさを抱いていたりする。
だからこそ……
(逃げちゃったんだけ、ど……!)
ぐんっ! と首を前に傾けた僅か上の空間を、白刃の一閃が通り過ぎる。
そのまま体を半回転させるように捻って繰り出した蹴りが、斬撃の主を後ろに大きく弾き飛ばす。
(いきなり、だな)
そのまま、弾き飛ばした相手に右掌を向ける。そこから銀色の炎が迸り、人間大の大きさの炎弾が放たれる。
「封絶」
それが着弾する前に周囲一帯を銀炎のよぎる陽炎のドームが包み込み、世界と因果を切り離す。
途端、爆発。
「……………」
丘のすぐ近くにあった森林を燃やす銀炎と煙を見つめながら、悠二は自身の右手に愛剣・『吸血鬼(ブルートザオガー)』を現し、握る。
彼女と再会する時は、いつもこうだ。
「腕は錆びてないみたいね」
見据える銀炎の中から、一人の少女が何事もなかったように歩いてくる。
その小柄な体を、自在の黒衣が、そしてその上から真紅の外套が包んでいた。
見間違えるはずもない、『炎髪灼眼の討ち手』、シャナ・サントメール。
「……気配消して逃げたんだけど、ね」
「私の眼からは逃げられない」
そう言うと同時に、シャナの僅か頭上の背後に、光背のように紅蓮の瞳が表出する。
存在の力を“見”切る看破の自在法・『審判』。悠二にも憶えのあるものだった。
(まあ、けど……)
再会していきなり、互いの間に気まずい沈黙が降りるようなのよりは、こういう方が自分たちらしいとも思う。
「………いくよ」
悠二の姿が、銀炎に焙られるように霞む、その姿が、炎が、黒ずむように染まり……
「!」
変わった。緋色の凱甲から溢れて靡く同色の衣、後頭から伸びるのは、漆黒の竜尾。
自在法・『大命詩篇』によって『創造神』と共鳴し、その権能を引き出した姿。『天罰神』と契約したシャナと、対をなす存在の姿。
「「……………」」
ふ、と二人の姿が消えた。次の瞬間、さっきまで二人が立っていた中間の地点で、二人の握る大剣と大太刀がぶつかり合い、爆発するように大気が震えて、黒と紅蓮が弾ける。
そして、続けざま、嵐のように二人の間で黒と紅蓮の炎が破裂する剣撃が続く。
「ふっ!」
悠二の一閃を飛び退くようにシャナが躱した。その瞬間を狙って、悠二が仕掛ける。
大剣を、まるで魔法の杖でも振るうようにピッとシャナに向けた悠二の周囲に、数十に及ぶ銀の剣が浮かび上がる。現れてすぐに、それら全てがシャナに向かって飛来する。
(躱せる!)
シャナの見開いた灼眼には、通常は異能者すら視認出来ない存在の力の流れが映っている。
最小限の動きで数十の銀剣を躱し、あるいは大太刀で弾いていなしたシャナ。その周囲で……
「弾けろ!」
躱し、地面に突き立った剣。弾き、宙に滞空する剣。それら全てが、炎弾に倍する威力を持って爆発した。
黒い炎が膨れ上がり、二人が立っていた地面が、丘ごと崩れ落ちる。
その砂塵と爆炎の中から、“それ”はのそりと身を起こす。
いつか悠二が見たものほどの巨大ではない。しかしその角も、牙も、翼も、紛れもなく本物の……紅蓮の天罰神だった。
しかし………
「凄いな」
悠二はそれを眼下に見下ろす形で、すでに“準備”を終えていた。手にした大剣を、中天に向けて差し向けている。
(何……?)
悠二の挙措に危険を感じたシャナが、魔神の内側から見上げた先に……
「ッ……!?」
雨雲のように、しかしそれより遥かに濃く、全てを塗り潰す黒い炎が渦巻いていた。
悠二が天に向けた大剣を、斜めに振り下ろす動きに合わせて、黒炎雲から降り注ぐ。万にも及ぶ、無尽蔵に生み出される銀剣の雨。
天災にも等しい猛威が、紅蓮の魔神を襲った。
「久しぶり」
まったく今さらな挨拶が、シャナの後ろから掛けられる。首筋には、幅広の刃が軽く当てられていた。
封絶の中は、すでに無事な空間など一ヶ所も無い。無数のクレーターに抉り取られた大地の最奥で、少年は少女の背後を取っている。
「今なら、勝てると思ってた」
不思議と悔しさを感じさせない声でシャナがそう言うと、悠二も大剣を消す。
“挨拶”は終わったのだ。
「力の効率的な顕現は上手くなってるけど、なまじ良い眼があるせいで、死角からの攻撃への反応が鈍くなってる」
「そう………」
だからあんなに大規模な攻撃を立て続けに仕掛けたのか、とシャナは納得する。
爆炎で視界を奪うと同時に、存在の力の流れをも乱すため。事実、あの銀の雨をなんとか凌いだシャナは、爆炎の中、背後から接近した悠二に反応出来なかった。
「小癪な力ばかり身につけおって」
「一応自在師だからね。これが普通だよ」
今まで口を閉ざしていたアラストールの皮肉に、悠二は肩を竦めて応える。
もう、気まずさはどこにもなかった。悠二の姿も、封絶の炎も、銀へと戻る。シャナの炎髪灼眼も黒く冷えた。
「さっき大聖堂に来てたの、シロとヴィルヘルミナとゆかりとヘカテーでしょ?」
薄く微笑んだシャナの表情に、どこか成長を感じながら、悠二は………
「白仮面、だってさ」
「……シロ?」
「そう、シロ」
お互いに顔を見合わせて、くすりと笑う。
「さっきのあれも、悠二ね」
「対象に向ける攻撃の指向性を少し調整しただけ。大して難しい事じゃないよ」
二人が言っているのは、大聖堂の中で、徒とその自在法“だけ”を焼き払った銀の炎の事である。
「………そう」
何でもない事のようにそう言った悠二の応えに、シャナの表情が僅かに沈んだ。
悠二はそれに気付かなかったし、シャナも気付いて欲しくはなかった。
十年前にシャナが去った理由は、悠二には見当がつくし、もし違っていても言及すべきじゃない。そう感じている。
「噂、よく聞く。結構派手に暴れてるわね」
「大体はゆかりが煽ってヘカテーと遊び回ってるの。僕はむしろブレーキ役」
この二人が“二人きり”という事自体が、十年前でも珍しかった。それでいて、あの頃にはない穏やかな空気がある。
これがあるいは、十年という、離れていた歳月のもたらしたものなのかも知れなかった。
(ゆかりたちが、そろそろ来ちゃうだろうな……)
と、シャナは“焦る”。
封絶の中から、外の気配は極端に掴み辛い。しかし、あの場に封絶の中で動ける人間たちをそのままほっといてきたから、その尻拭いをさせた形になっているだろう。
だからこそ、封絶を張ったここに未だに誰も来ないのだ。……まあ、横槍を避けるためにわざと人間たちを他人任せにしたのは自分だが。
でも、それもそろそろ限界だろう。
(時間がない)
一足飛びに、シャナは悠二に近寄った。
「私は、ゆかりとは違う」
「ッ……!」
近寄られた事、真剣な瞳、その言いたい内容を察して、悠二が慌てた。シャナは構わず続ける。
「あなたやヘカテーにとって、すぐ傍にいて当たり前……三人で一つの関係でもないし、私がそうなる事をヘカテーは許容出来ない」
シャナは、外見は何一つ変わっていないのに、落ち着いた大人の女性に見えた。何も知らず、わからなかったがゆえの無関心だった頃とは違う。
「私も同じ」
色々なものを知り、感じた先に得た。そんな雰囲気を身に纏っていた。
「あなたのすぐ傍で、他の存在を受け入れる事には堪えられない」
その言葉は……
「忘れる事も出来なかった。それだけ、あなたは私にとって特別だった」
十年経っても、シャナの気持ちが変わっていない事を意味していた。
「だから、私だけの解を出した。私にしかない、あなたとの関係を持つ。ゆかりにも、ヘカテーにも真似出来ない関係を」
瞬間、
「ん……!!」
悠二の唇に、シャナの唇が重ねられた。すぐさま離れる。
「剣で分かり合う。炎を交わし合う。互いの存在をぶつけて、何より深く『愛』を……」
口に出すどころか、自分の想いに自覚すらなかった少女が、炎のような熱意を以て、少年に愛を向ける。
「忘れないで。最後に私は、あなたの全てを手に入れる」
あまりに危険で、熱くて、物騒な愛の告白。
「悠二、あなたは私が殺すから」
とんでもない言葉を、無邪気に微笑んで告げる少女に、悠二は困ったように、しかし楽しそうに微笑み返した。