「お前と一緒だと高校入った気がしないな。新鮮味が無いっていうか」
その日の朝、中学時代からの親友・池速人との他愛無い会話から始まり、
「僕のせいにするなよ。池ならもっと上、狙えたのにさ」
「ま、近い方が楽だし」
「そんなんでここ選べるんだから、嫌味だよな。こっちはギリギリだったってのに」
「とか言って、結局受かるタイプだよね、お前」
「うーん、運がいいのかも」
「っていうか、要領がいいんだよな。微妙に」
「微妙って‥‥」
「事実だ」
現国の授業中に、少しだけ変化があった。
ポトッ
(あ‥‥)
ただ、消しゴムを落として、
スッ
それを、拾ってもらっただけだ。
入学から一週間しか経ってないのに、度々宿題の援助を受けさせてもらっている隣席の、少女に(少し情けない自覚はある)。
茶味がかったロングヘアーの左右をヘアゴムでちょんと縛った独特なヘアスタイル。紫がかった瞳。
平井ゆかりである。
(ありがと)
授業中ゆえ、小声でお礼を言っておく。
平井も、薄く微笑んで応える。
それにしても‥‥
さっと、教室を見渡す。
(‥‥ついてるかもな)
このクラスの女子達のレベルは普通より上に見えた。
男子としては素直に、希望に満ちていると感じる。
「坂井」
「え?」
ぼんやりとそんな事を考えているのが伝わったのか、教師に呼ばれる。
「何ぼーっとしてるんだ。次、読んでみろ」
「え、えっと‥‥」
まずい。聞いてなかった。
(えっと、さっきは16ページの‥‥‥?)
必死に自分が読む場所を探すが、よくわからない(聞いてなかったのだから当たり前と言える)。
「‥‥‥‥‥‥」
(ん?)
ふと気づけば、隣の平井が、ノートをちぎった切れ端をこっちに向けている。
『17ページ3行目』
助かった。ありがたい。
「『お父様が東京からお帰りになった。僕は学院所の後に出来た学校に通う事になり‥‥』」
さすが、入学一週間でクラスの人気者になろうとしている平井である。こういう気配りが出来るのは彼女の長所だろう。
委員長タイプなのかも知れない。
そんな事を考えながら教科書を読み終えると、また平井が紙きれを向けているのに気づく。
もう読む場所はわかってるのだが、一体何‥‥
『そこでボケる』
ガタァァン!
「さっ、坂井。どうしたいきなりズッこけて?」
「‥‥何でもありません」
元凶に目を向ければ、教科書で顔を隠した(つもりらしい)平井が肩をプルプルと震わせている。
「‥‥‥‥‥‥」
どうやら、本当の彼女は今まで思っていたより大分クセのある性格らしい。
‥‥認識を改めた方がいいかも知れない。
「今日はどうすんの?」
「予備校で模擬試験」
「うわ、もう大学受験の準備か?」
「親の機嫌もとっとかないと、小遣いに影響するからな。じゃな」
放課後、そんなこんなで池は早々に予備校に行ってしまった。
(‥‥CDのチェックでも、して行こうかな)
帰宅部な自分は基本的には暇人である。
何か部活を頑張ろうとかいう気概は、今のところ無い。
フラフラと駅前に行くとしよう。
坂井悠二はなんの気なしに、暇潰しに駅前に向かう。
それが、一つのきっかけとなる。
いや、行かなくても同じだったかも知れないが。
「ね、坂井君でしょ? 一美の好きな人」
駅前のCDショップに少女が二人。
平井ゆかりと吉田一美である。
「え、何で‥‥‥?」
などと呟く吉田に、平井は僅かに溜め息を吐く。
「付き合い長いもん。すぐわかるわよ」
この親友も、この外面(そとづら)を張りつけているのを少し外した方が絶対楽しいと思うのだが。
「でも、えっと、その‥‥‥」
「いいからいいから、一美が坂井君なら、お互い協力出来るかも知れないし」
小さい頃は地がこんなんだったなぁと思う。
多分、今は『あっち』が地なのだろうが。
「‥‥‥‥協力?」
あ、少し片鱗が見えた。馬鹿を見る眼差しでこっちを見てくる。
というか、今は馬鹿を見る眼差しを向けられる場面ではないと思うのだが?
「おりょ?」
噂をすればシャドウ。CDショップに入ってきた坂井悠二。
「ほらほら♪」
肘で吉田をつつきまわす。
「あっ!」
悠二が入ってきた自動ドアとは反対側から逃げ出した。
(あれじゃ、協力なんて無理ね。自分で頑張るしかないか)
まあ、あれも一つの処世術なのかも知れないけど。
「ふぅ‥‥よし!」
何となく、右拳を上げてガッツポーズをとってみる。
振り返れば‥‥
「あ!」
噂の坂井悠二。
「‥ども」
今のを見られていたのか。何か、恥ずかしい。
平井には聞こえていなかったが、吉田は去り際、小声で‥‥
「‥‥阿呆」
と呟いていた。
「坂井君、こっちの方なんだ?」
「いや、ここにはCD見に来ただけ。家は小川町」
「ホント? 私、相沢町だよ。新御崎通り入ってすぐ」
「じゃあ、近いね」
CDを見に来た悠二と吉田に逃げられた平井、何となくそのまま二人でCDを見て回っている。
「そういえば現国の時、ありがとう」
結局恥をかいたのだが、一応お礼を言っておく。
「ああ、私も時々やるから。そん時はよろしく♪」
「はは、わかった」
何か、いつも笑ってるなこの娘。こんな性格なら人生楽しいだろうな、とふと思う。
「それにしても‥‥」
「?」
何か、笑顔の種類が変わった気がする。
「まさかあそこでホントにボケてくれるとは思わなかったけどね♪」
「‥‥別にボケたわけじゃないんだけど」
そうだった。単に明るい娘だと思ってはいけない。一筋縄ではいかないと見た方がいい。
「そういえば、さ」
「ん?」
「今日は池君は一緒じゃなかったの?」
「ああ、あいつ今日は予備校だから。何で?」
「ううん。いつも一緒にいるから‥‥」
「? 別にいつもってわけじゃないけど‥‥」
何か、少し様子が変な気がする。
「それで、さ‥‥」
言うなれば、『らしくない』といったところだろうか。
「池君って、彼女いないのかなあとかちょっと思って‥‥」
「? 別にいないと‥‥‥‥」
池に、彼女‥‥?
「えぇえ!?」
「そんなオーバーなリアクションとるトコでもないでしょ!」
それが、坂井悠二と平井ゆかりが『親友』となるきっかけだった。
「もっとこう直に使えるネタは? 思春期の少年らしく『好きな女の子のタイプ』とか話さないの?」
「うーん、あんまり、そういう話はしない、かなぁ」
そのまま二人で駅ビルにも寄った後、家が同じ方角なため、一緒に帰っている。
話の流れで悠二が平井の『池速人攻略作戦』の参謀になってしまっている。
悠二としては、面白そうなような、親友に先を越されて残念なような微妙な心境ではあるのだが、まあこの平井ゆかりの手伝いというならやってもいいような気にもなっている。
「嘘だぁ、今時好きな人の話一切しないとか中学生でも無いって!」
「‥‥それ、よく言われる」
まあ、確かめた事は無いが、多分池もそういう経験はないんだろうと思う。
「ま、いいや。次、趣味とかは?」
そのままズルズルと池の情報を流していく。
成績優秀、公正明大、誰からも信頼され、どんな事態にもさらりと解決案を示す皆のヒーロー、メガネマン。嫌味なまでにイイ男。
事実とはいえ、何故に自分の口からこんな劣等感を抱かされるような事をペラペラと言わされなければならないのか。
「じゃあ、僕の家ここだから」
寄り道の関係で自分の方が早く家に着く。
「んむ、明日から頼むぜ相棒♪」
「相棒はともかく、手伝いはするよ。約束だし」
「よしゃ! じゃー‥‥」
「じゃーね」、と言おうとした平井。
道の角から飛び出してくる、見覚えのある姿を見つける。
茶色い、小さな豆芝の犬。
吉田・ドルゴルスレン・ダグワドルジである。
つまり、今から来るのは‥‥
「ふん!」
「ぐえっ!?」
悠二ごと、坂井家の庭先に飛び込む。
抱きついて、とかならあるいは幸運とも言えるかも知れないが、平井がしたのは惚れ惚れするほど見事なラリアットである。
「いきなり何するんだよ!?」
「キマった‥‥‥‥シッ!」
悠二の口を塞ぎ、石になる(比喩だ)。
「エカテリーナ! あんまり急がないで!」
「「‥‥‥‥‥」」
行ったか。
「‥‥で、何でこんな事を?」
「‥‥いや、条件反射で」
こんな場面を見られたら誤解されてしまうかも知れない。が、『吉田の事』を勝手にバラしてしまうわけにもいかないから適当に誤魔化すしかない。
「いきなりラリアットキメといて『条件反射』で済ませるつもりか!?」
「いや〜我ながら見事な手応えでございました♪」
「『ございました♪」じゃない!」
「か弱い乙女のラリアットくらいでギャーギャー言わないの!」
「何がか弱いだ! 喉潰れるかと思ったぞ!」
「何やってるの、悠ちゃん?」
「「?」」
言い争う二人の頭上。
おっとりした若々しい女性、悠二の母たる坂井千草が、窓から不思議そうに見下ろしていた。
「お母さん若いね。“悠ちゃん”?」
「‥‥その呼び方はやめてくれ」
いつの間にか、平井に対する悠二の言葉遣いは、普段、彼が女子に対して使うものよりずっと、“遠慮”の無いものになっていた。
続劇。