「‥‥いい香りであります」
屋根から屋根に跳び移るヴィルヘルミナ。
その顔には、今日一日の苦労が報われたという達成感が浮かび、それ以上に、少女の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
「このまま“一直線に”帰宅すれば、十分この出来たての状態で召し上がって頂けるはずであります。唯一の懸念は、あの子が家にいるかどうかであります。‥‥‥ティアマトー、聞いているのでありますか?」
常なら彼女の頭に在るパートナーは今はいない。
普段でも傍目には独り言に見えはするのだが、今回は実質的な、完全無欠の独り言である。
ヴィルヘルミナはそれに気付かず気にもせず、まるでスキップのように屋根から屋根を舞う。
しかし、物事とは都合良くは進まない。
彼女が家に着いた時、シャナはいなかったのである。
「ん〜〜む、このコロッケの匂い、そして揚げ物の油分の量を感じさせない仕上がり。いい仕事してるねえ♪」
「職人芸」
「‥‥ゆかり、それ本当に食べるの?」
同刻、朱鷺色の蝶のバックに刀が交差した特徴的なシンボルマークのついた紙袋を抱えるホクホク顔の平井と、不安丸出しの緒方真竹が街中心部を目指して歩いていた。
「わざわざ苦労して買ったのに、食べないわけないじゃん?」
「美味必至」
「‥‥その腹話術もいい加減やめてってば」
というか、やはり食べるのか‥‥。そして、あのヘッドドレスは何だろうか。
私服との組み合わせがアンバランスな分、下手をすると先ほどの怪しいメイドよりも一緒にいて恥ずかしい。
「だってよ、腹話術人形?」
「遠慮無用」
自分の頭をポンポンと叩きながらわけのわからない事を言う平井、激しくシュールである。
「はぁ‥‥。もういいけど、ヘカテー達は何だって?」
「何か、カルメルさん一美のパン持って飛んでっちゃったみたい。こっちもコロッケパンだし。向こうは一美と合わせて五人だから丁度良かったか‥‥あ」
バッタリ。
元々示し合わせていた待ち合わせの公園の目前で、曲がり角から現れた悠二、ヘカテー、吉田を発見。
「見て見て! 幻のコロッケパン!」
「「「何を探しに行ってたんだよ(ですか)!?」」」
‥‥‥‥‥‥‥
「むむ! これは‥‥‥!」
「大げさなリアクションだな。でも、本当に美味しいな‥‥どこで買ったの?」
「‥‥‥坂井君、訊かないで、お願いだから。あれは私が見た白昼夢に過ぎないんだから‥‥」
「‥‥‥‥私が作ったのより美味いな」
「(‥‥もぐもぐ)」
公園のベンチと、その真横のドーム状の遊具に居座って幻のコロッケパン、そして吉田がパン教室で作ったパン数点を食す五人。
いかにも高校生らしい風景である。
「へえ? 一美が自分の負け、認めるんだ?」
「見栄張っても仕方ねえからな。‥‥にしても、いくらプロとはいえ、量産型のパンには負けねえ自信あったのに‥‥まだまだか」
いつになく、殊勝な態度である。やはり料理に関してはその向き合い方が違うらしい。
「でも、一美のパンだって美味しいじゃん! 天敵のヘカテーがパクパク食べてるよ?」
天敵、と言い切ってしまう緒方であるが、別にそれは当人達も当たり前に認識しているから全く問題ない。
むしろ、『友達』という表現よりもしっくりくる。この二人はこれでいいのだ。
「まあ、私は坂井君にさえおいしいと思ってもらえればいいんですけどね☆」
がさがさと吉田の横の紙袋を漁ろうとするヘカテーの手を、
「それは家の家族の分だ」
吉田がぴしりと叩く。
たとえ吉田の家族の分でなくとも、リスのように頬を膨らませて食べながら、次のパンを模索するのは感心しない。
「はは‥‥おいしいよ。そうそう食べられないくらい」
そして、素直に褒める悠二を、今度はヘカテーが感心しない。
「ぐはっ!?」
吉田が調子づく前に、ヘカテーのチョークが悠二の額を捉える。
「どうどうヘカテー、ヘカテーだって喜んでパクついてんだから、そこは認めないといかんよ」
「私だって‥‥やれば出来ます!」
「‥‥言うだけなら誰でも出来るわな」
ゴォオオン!!
「ああ‥‥‥またヘカテーと一美‥‥坂井君止めてよー!」
「‥‥無理だって」
女子四人男子一人、という不自然な構成ではあるが、実に平和な一時、平和とは得てして唐突に崩れ去る。
坂井悠二には、
シュルッ!
「ん?」
まだ、最後の使命が残されている。
(一体、どこに‥‥‥?)
せっかくシャナの為に手に入れた焼きたてメロンパンがその温かさと柔らかさを失っていくのを、ただ眺めている事に耐えられるヴィルヘルミナではない。
自ら先んじて街に飛び出し、行方も知れぬシャナを探す。
フレイムヘイズの感覚でも、街のどこにいるかもわからないシャナの居場所の特定は難しい。
シャナが別段気配を隠していないとしても、である。
それでも、ただ虹野邸で待ち続けるのは精神衛生上よろしくない。
「ティアマトー、あの子は普段の土曜日にはどこに出かけているのでありましょうか‥‥‥?」
頭上にいる“はず”のパートナーに意見を訊くが、
「‥‥‥‥‥‥」
返事はない。まあ、はじめから期待はしていない。自分も知らないのに、いつも自分の頭上にいるティアマトーだけ知っているなどまずあり得ない。
屋根を軽く跳ねるヴィルヘルミナは、探索の中途で見かけた公園で‥‥
「む‥‥‥」
シュルッ!
レーダー(坂井悠二)を手に入れた。
「ぐえええええ!?」
「静かにするのであります」
悠二の首にリボンを絡めて一本釣り、そのまま全くお構い無しに屋根から屋根に跳ねていく。
だが、悠二とて無力ではない。首に絡んだリボンを力づくで外す。
「何なんだ! いい加減にしないとこっちも我慢の限度ってもんがあるぞ!?」
「抗議なら後ほどいくらでも承るのであります。それよりも‥‥あの子の所在を探って頂きたい」
いい加減、理不尽に腹を立てる悠二だが、顔にこそ出ないがヴィルヘルミナも必死である。
リボンを解いても何だかんだで並んで跳ぶ悠二も悠二だが。
「大体、飛ばないで“跳べば”目立ってない、みたいな認識をまず改めてくれ!」
「時間がない‥‥。今回ばかりは頭を下げるのであります。どうか、メロンパンが冷める前にあの子の居場所を‥‥‥!」
ガンッ! と突然立ち止まったヴィルヘルミナが、
(えぇ!?)
からくり人形のように腰を折り曲げた。かなりおかしな姿勢だが、どうやら頭を下げているらしい。
“ヴィルヘルミナが悠二に、である”。
(ああ! もう!)
先ほどの苛立ちなど軽々と吹き飛ばす驚愕、そしてあまりに不自然なこの状況の居心地の悪さを振り払うように、悠二が天に指した指から、『気配察知』の自在式の波紋が無数に広がる。
「! 世話になったのであります!」
その波紋の流れがヴィルヘルミナにもシャナの居場所を教え、ヴィルヘルミナはすぐさま跳んでいく。
悠二は、後を追わない。もう役目は終わったのである。
「‥‥‥‥浮、気?」
「‥‥違うってば」
釣り上げられた悠二を、わずか遅れて追ってきていたヘカテーが、追い付くや否や疑惑の眼差し。
「とりあえず、もう大丈夫だと思うよ」
悠二とヘカテーが見送る先に、微笑ましい親バカが跳ねる。
「ただいま戻ったのであります」
「‥‥ヴィルヘルミナ?」
スーパーから、少し警戒を表した顔で現れたシャナの眼前に、ヴィルヘルミナは飛び下りる。
やはりまだ怒っているのか、とヴィルヘルミナの顔に緊張の陰が差す。
が、シャナの表情が険しい原因は別にある。
「ヴィルヘルミナ・カルメル。先ほどの『気配察知』、よもやおまえの差し金ではあるまいな?」
(あ‥‥‥)
そう、確かにこの街には異能者が複数存在するが、日頃から自在法を多用しているようでは、いざという時に異変かどうか判断出来ない。
「それについては申し訳ないのであります。実はこれを‥‥‥」
「はい、これ」
軽く弁解し、今の自分の最重要任務を遂行しようと紙袋を差し出そうとするヴィルヘルミナ、よりも早く、シャナが差し出す。
「これは‥‥‥」
メロンパンである。今朝買った物とは違う銘柄だが、ただのメロンパン。
「これ、思い出せない?」
包装や価格には、別段変わった所は無い。
「もう‥‥。『天道宮』を出る時にヴィルヘルミナがくれたのが、このメロンパンだったの!」
「!」
その、思わぬ言葉に驚くヴィルヘルミナだが、そのメロンパンの外見自体は思い出せない。
「せっかく復刻版っていうのが出てたから二人で食べようと思って買ってきたのに、捨てちゃうんだもん」
「むむ‥‥‥」
思い出せない事も含め、罪悪感が膨れ上がる。
「でも、もういい。一緒に食べよ?」
「っ‥‥‥‥!」
感涙に浸り、メロンパンを受け取る。
思い出のメロンパンと、思いやりのメロンパンを食べながら、『親子』は並んで、微笑んで、歩いた。
「‥‥‥ゆかり、一美、結局、今回どういう事だったんだろうね?」
「まあ、こういうすれ違いロマンスもたまには良いじゃん♪」
「親子物語」
「メロンパンなこった(事だ)」