「‥‥‥‥‥‥」
自宅のベッドに仰向けに寝転がり、天井を見つめる。
二週間前の徒の襲来。
結局、巻き添えを食わないように町外れの御崎神社に逃げる事しか出来なかった戦い。
事後修復や、状況説明の場には居合わせた。
その時には、特に何かおかしい所があるようには感じなかった。
だが、次の日、正確には夜が明けると‥‥
(いなくなった‥‥)
近衛史菜、いや、“頂の座”ヘカテーが、唐突に消えた。
(張り合い、無くなっちまったな‥‥)
平井ゆかりのように、特別親しかったわけではない。
坂井悠二を取り合う宿敵でもあった。
だが、喧嘩しながら、いがみ合いながら、それでも仲間内でいつも一緒にいた。
「‥‥‥‥ふぅ」
変化は、それのみに止まらない。
学校の友達、特に、ヘカテーと親しかった面々は、日々の中に空いた空白を隠しきれていない。
平井ゆかりはひたすら鍛練に打ち込む日々。
坂井悠二は、よくわからないが、脱け殻のようだ。
(違う、な‥‥‥)
脱け殻、とは違う。
いや、あそこまで態度が変わるというのは、言い方を変えれば納得していないという事だ。
(もし、私が同じ立場なら‥‥‥)
納得していない事なら、納得出来るようにするだけ。
そんな結論を出す。
“自分程度でさえ”、そういう答えをだす。
(坂井君なら、当然‥‥)
「‥‥‥‥‥‥‥」
そこまで考えて、今度はそれが自分に向けられる。
(‥‥‥私に何が、出来るんだ?)
何度も繰り返す、結果の出ない堂々巡り。
また、日が流れる。
自分に何が出来るか。
いくら繰り返し考えても、答えは一つしか出なかった。
(『外界宿(アウトロー)』‥‥‥)
人間が、あちら側の『戦い』では役立たず‥‥否、足手まといにしかならない以上、力になれるとしたら『戦い以外』の所にしかない。
だが、一つ気になる事があった。
“頂の座”ヘカテーは、世界最大級の徒の大組織の許へと帰った‥‥と、推測される。
ヘカテーが、何を考えて姿を消したのか。
そのヘカテーを放っておけないに違いない坂井悠二や平井ゆかりが、見つけだしてどうしようと考えているのか。
そして、何故それをフレイムヘイズ達に告げていないのか。
ヴィルヘルミナやマージョリー、シャナやメリヒム、彼らも、『坂井悠二は燻っている』という認識のようだ。
黙っている理由はわからないし、本当に燻っているのかどうかは、悔しいが自分には判断がつかない。
そう、悔しいが、それがわかるほどには、坂井悠二と“近くない”。
ただ、平井が懸命に鍛練に励んでいる。
それがきっと、悠二の心中を知っての行動であるかのように思われた。
だから、自分は信じるだけだ。
わかる、ではなく、信じる。
そして、何故それを口にしないのか、何か理由があるのかも知れない。
だが、それも時期が来ればわかる事。
外界宿(アウトロー)を目指すにしろ、そうでないにしろ、今はまだ、自分に出来る事はない。
また、時が流れ、やれる事もなく、覚悟だけをひたすら固めていく。
「‥‥‥‥‥‥‥」
ヘカテーの失踪から一ヶ月以上が経ったある日。季節の事もあってやけに寒い早朝の河川敷を歩く。
愛犬・エカテリーナにせがまれての早朝散歩である。
(あ‥‥‥‥‥)
二人、見つける。
坂井悠二と、平井ゆかり。
ただ、見つけただけに止まらない。
今まで感じていた。『人間との差』以上の距離を、二人から感じた。
(いよいよ、か‥‥‥)
こちらを見ていない二人の背中が、やけに遠く感じる。
「待て」
エカテリーナに一言告げて、歩みよる。
エカテリーナが素直にその場におすわりして待ってくれているのを一度だけ確認し、向かう。
さっきの「待て」でこっちに気付いたらしい二人も同様、歩いてくる。
先を歩くのは、坂井悠二。
俯かない。顔を上げて、真っ直ぐに悠二の目を見る。
それは、悠二も同じ。
一言も言葉を発さずに、ただ歩いて、距離が詰まる。
あと、ほんの数歩という所で、正面にいた悠二の体がわずかに逸れて、そこで初めて互いの視線が外れる。
そして、すれ違いざまに‥‥‥
「ごめん」
呟かれた言葉に、
「‥‥‥‥‥‥‥」
思っていたほどには衝撃を受けなかった。
“その事自体に”衝撃を受ける。
(あー‥‥あ‥‥)
その時、自分の心はとっくにこの結果を受け入れてしまっていた事を、はっきりと自覚してしまった。
負けて、当然か。
「っ!‥‥‥‥‥」
顔を上げていよう。
そう決めたはずなのに、いつの間にか俯いてしまっていた事に気付いて、慌てて顔を上げる。
そこに、悠二の後ろから数歩遅れてついてきていた平井ゆかりがいた。
「‥‥‥‥‥‥‥」
平井は、どんな気持ちなのだろうか?
自分と、おそらくは同じ境遇にありながら、彼女は“そこ”にいる。
自分なら、“あそこ”に居続ける事は耐えられない。
「っ‥‥‥‥‥!」
ギリッ、と歯を食い縛って、気を強く保つ。
今この瞬間に、何かが凄まじい勢いで押し寄せてくるような感覚に囚われる。
まるで、頭から冷たい水をかけられるように、夢から一気に醒めてしまう時の現実感のように、押し寄せてくる。
今までの想いが、“無かった事にされる”ような喪失感。
(認めねえ‥‥‥)
失恋して、簡単に醒めるような空虚的な想いだったと、そう肯定する気はなかった。
ここで終わりにすり気など、さらさらない。
「‥‥‥‥‥‥‥」
複雑に渦巻く心を奮い立たせて、前を向く。
先ほどと同じ、今度は平井と向き合う。
今度こそ、言葉はいらなかった。
パンッ!
二人、すれ違いざまに叩き合った手と手。
二人には、それだけで十分だった。
それからすぐ、同じく行動を起こした佐藤啓作と共に、平井がいた関東外界宿第八支部の書類整理に自分も加わる。
二人が行動を起こした事に感化されて、皆の心にも変化が起こったようだ。
田中栄太だけは、今だに思い悩んでいるらしいが‥‥‥。
そして、ここにも動き出した男が一人。
「吉田さん! 今日の放課後時間あるかな!?」
「無理」
やけに意気込んで詰め寄ってきた、秀才のはずの少年を一蹴する。
ヘカテーが消えて、皆が低迷していた(と、思われていた)時期にはおとなしかった。
だから、というわけでもないが、何となく諦めたのかと思っていたのだが、どうやらとんだ勘違いであったらしい。
「おまえもしつけえな。私が、坂井君がいなくなったからってホイホイ乗り換えるような女だと思ってんのか?」
言って、みしりと握り拳を作る。
そういう目で見られているのだとしたら、これ以上ない侮辱である。
「坂井の事とは関係ない。なぜなら僕は、吉田さんが坂井を好きな以上に、吉田さんの事が好きだからだ!!」
「‥‥‥‥‥‥‥」
自分の坂井悠二への気持ちの程をわかっているかの口振りや、その気持ちが自身のそれより劣っているかのような言い草はかなり腹立たしいものがあるが、
ここまで、いっそ清々しいまでに好意をぶつけてくるのは、正直悪い気はしない。
それに、自身の気持ちのみを誇る様も、評価には値する。
ただし‥‥‥
「ぶはぁっ!?」
クラスメイトがまだ何人もいる教室でそんなセリフを豪語するのは、本気でムカついた。
それから、また一ヶ月と少しの時が過ぎる。
慣れない外界宿の仕事に打ち込みながら、度重なる池速人のアプローチをいなす日々が続く。
最近、正式に支部にも迎え入れられ、まだまだ力不足ながらも平井の後釜をこなす‥‥そんな日々に、
「お待ちしておりました」
「?‥‥‥どちら様ですか?」
突然、学校帰りに現れた外国の神父のような男に、とっさに社交辞令で訊ねる。
が、この男の、およそ自分と関わりの無さそうな風体に、頭の何処かで予感はあった。
「『姫』‥‥平井ゆかり様の命にて参りました者です。少々、お時間を頂けますかな?」
遂にきた、その使いに、取り繕った外面を容易く脱ぎ捨てる。
「‥‥あんたと居て、気付かれる心配は?」
「恥ずかしながら、私の持つ力はトーチより少しマシな程度でございまして。肉眼で確認でもされない限り、気配でバレる心配はありますまい」
本当に少し恥ずかしそうに言う“徒”の、『平井ゆかり』と『姫』という単語に、その正体と事の顛末を大体理解した吉田は‥‥
「‥‥タクシーで場所変えようか。知り合いに会わない辺りまでな」
そう、告げた。
「‥‥なるほど、ね」
事の顛末は、大体予想通り。
だが、今までは『想い人の進み道を、何であろうと信じる』つもりで行動してきた。
そして知った、『大命の王道』。
元々、自分が正しいと思った事でなければ動かない性分だ。
ようやく、調子が出てきた。
「わかった。ゆかりにも、そう伝えてくれ」
「結構。今後、情報の伝達は私を通じて行ってくださいませ。それでは‥‥」
男の携帯電話の番号を訊き、『仮装舞踏会(バル・マスケ)』との繋がりは持った。
(んじゃ、スパイ活動と行くか)
二人が、フレイムヘイズ達に何も言わずに旅立ち、自分が外界宿に関わりだした頃から、そういうつもりだった事だが‥‥。
佐藤と共に、東京総本部に出向く。
事前に自分達の事は伝えておいたし、何やら悠二達も東京に用があるという話らしい。
会いたくはあるが、佐藤もいるという状況も考えれば、そんな事態になるのは極力避けたい。
しかし、結果としては自分にも悠二達にも想定外の存在、『約束の二人(エンゲージ・リンク)』によって、三人はその姿を確認されてしまう。
どうせ炎の色を佐藤に確認されてしまった開き直りもあって、平井に『前から言いたかった事』だけは伝える。
そして、目撃された悠二達の情報は、『約束の二人』の口から、御崎にいる仲間達にも伝わった。
例え姿を目撃しても、核心的なものは何もわからず、また、三人や、『星黎殿』を見つけだす事は出来ないだろうとタカをくくっていたが、それは、ヴィルヘルミナが隠していた一つの秘密によって崩された。
この情報を知るのは、その時、その場にいた数名のみ。
だが、もちろん黙っているわけにはいかない。
ヴィルヘルミナから聞いた秘密を悠二達に流し、姿を眩ませる覚悟を決める。
その、旅立ちの二日前の事。
「本当に、いいんだな?」
「僕が吉田さんを好きだって気持ちは、吉田さんが坂井を好きだって気持ちより大きい。あれ、もちろん本気なんだ。それを、証明してみせる」
旅立ちの覚悟を、悟られたのだ。常と変わらずアプローチを続ける、池速人に。
「おまえ、頭おかしいぞ。何も言わない、喋らないでどっかに行く女に、何も訊かずについていくか? 普通」
「君のためなら、馬鹿にも無謀にもなれるよ」
「‥‥‥‥‥」
ここまで言われて、断る言葉を持てなかった。
知らず感じていた不安を、かき消される。
それを振り払うように、
「いいぜ、ついてこい!!」
少しわざとらしく、声を張り上げた。