『この街、悪くなかったんですけどね』
『理屈じゃ、わかってるんです。でも‥‥私も人間だから』
『あははははは!』
『さっさと逃げましょうか!』
『‥‥赤ちゃんかあ。いいなあ』
『勝手な事ばかり言わないで!』
『ありがとう、ガルザ。あなたに会えて‥‥よかった』
(‥‥ソフィア)
あれから、四十年。
ずっと一緒に、争いから逃げるように、楽しい場所を求めて、旅から旅を繰り返した。
笑って、喧嘩して、泣いて、一緒に‥‥
そしてまた‥‥ここに戻ってきた。
元々が田舎の街外れだった事もあり、自分達が去ってからも、誰かの手が加えられている事はなかった。
あの時は七つだった墓。それが今は、八つになっている。
以前働いていた酒場の親方。その隣に今、娘が眠っている。
「‥‥‥‥‥‥‥」
胸のうちにぽっかりと穴が空いたように、寂しさが立ちこめる。
この場所から、また立ち去るからだろうか。
立ち去る自分の隣に、もう誰もいないからだろうか。
いつからか、隣を歩く自分の腕をとる事が、彼女のお気に入りだった。
今は、その腕に、心地よい重さがない。
嘘寒い軽さだけがあった。
「‥‥‥‥‥‥‥」
何を伝えるべきか。悩むのは僅か‥‥
「ありがとう。ソフィア」
ソフィアが最後にくれた言葉を、返して‥‥
「また‥‥来るよ」
もう一つを、残した。
立ち去る青年が、背を向ける墓標。
何を思って青年がそれを残したのかはわからない。
ただ、彼が生涯で最も傍に居続けた女性の墓標の前に、
一本の大剣が突き立てられていた。
「『異形の戦輪使い』?」
カツンッ!
あれからさらに数百年の時を経て、“血架の雀”ガルザは今なお、この世に在った。
相変わらず、大きな望みも持たず、戦いは極力避け、のんびりと世界を回り、ただ暮らしを楽しんでいる。
だからこそ、こんな長い時を生きていられたとも言えるのかも知れない。
カツンッ!
手にしたキューで、手玉を8の球に当てる。
「ええ、以前、あなたに聞いた話と合わせて考えて、まず間違いないでしょう」
ビリヤードの相手を務めながらそう応えるのは、足下まで波打ち届くような長い髪と、妖艶な美貌を備えた法衣の男。
男はさらに続ける。
「生まれた瞬間から戦い続け、消滅するまでに二人の『紅世の王』を道連れにした恐ろしいミステスとされています。あなたについての記述はありませんでしたから、自然消滅と目されているようですね」
「まあ、当然だろうな」
『あの事』について、こいつにしか話していないのに自分の事が記述されている方がよほどビックリする。
「で、今回もまたあの勧誘か? サラカエル」
ややジト目で睨むようにしながら、サラカエルと呼ばれた男を、ガルザは睨み付ける。
「ええ、今の紅世の徒と人間の関係はあまりに不自然だ。人間と徒の新しい関係を構築する。そのために、あなたの力をお借りしたい」
「‥‥『封絶』を真っ先に覚えた俺を、それに誘うか?」
こいつは、会う度会う度、この話をする。
人間と徒の新しい関係?
全く興味がない。
「‥‥たとえ、何を知ったところで人間に何が出来るわけでもない。知らない方が人間のためってものだ」
別にサラカエルのやる事にケチをつけるつもりこそなかったが、言う声に、若干の非難が混じる。
「やれやれ。あなたは、人間に肩入れしすぎている感がありますね」
「‥‥‥知ったような口をたたくな」
自覚は、もうある。
だが、それを他者に指摘されると妙に勘に触る。
『ガルザ‥‥‥』
「‥‥‥‥‥‥‥」
いつから、“さん”が抜けたんだったかと、何となしに思った。
時は流れ、二人の願いと絆を持った一振りの大剣は、一人の少年に握られる。
そして、世界を左右する戦いの渦中に、その力を委ねていく。