22:「理由と勉強」****** ミーナさんに静かに厳しく叱られ、今後迂闊な事は喋るまいと心に誓ったあの時から少しして。 今オレはサーニャの部屋に居た。 薄暗い、締め切られた部屋。 お札で封印されたカーテンの隙間から微かに差し込む陽光がぼんやりと部屋を照らしている。 オレの部屋は明るすぎるし、何よりちょっと色気が無さ過ぎた。 絨毯も敷いてないし椅子は一脚だけだし、テーブルは備え付けのものしか無いのである。 生まれて始めての札束なお給料も頂いたが、如何せん何かを買いに行く暇が無い。 休暇の日はだいたいネウロイの襲撃直後なのだが、オレ、毎回寝込んでるしね。 とりあえず、そんな家具に乏しい部屋でも。 トゥルーデやエーリカ、ミーナさんとはミーティングという名のお勉強会だから机に向かっているのはオレだけでいい。 反省会とかは先に会議室とかを借りてやるか、あるいは勉強会の後でオレが椅子で相方はベッド、逆も可、という按配で適当にやればよかった。 しかし今回は魔法のお勉強である。 それなりのスペースとか、或いは余り親しいとはいえないサーニャとの間を取り持つ要素としての環境が必要だった。「ふぅ」「はぁ」 そして絨毯の上、広げられた無数の本を眺めて、隣にぺたんと座りこむサーニャと一緒にため息をつく。 本に書かれた文字は、そのほとんどがアルファベットで書かれているくせに、文法や形式は全くの別物だった。 まず、キリル文字――オラーシャ語で書かれたテキスト。 サーニャの所有物で、魔導針に関しての解説書らしい。 次にオラーシャ語-ブリタニア語の辞書。 これは、オレがブリタニア語……つまり英語なら何とか読めるということで用意されたものだ。 その隣にあるのが扶桑語-ブリタニア語の辞書……和英辞典と、美緒さんが持ってたえーと、なんだっけな、八木呪術陣に関する資料。 本当なら扶桑語も文体は古いとはいえ日本語な訳で、一部旧漢字を除いてそのまま読めるのだが読むと不味いことになりそうだというのは解る。 サーニャが参照することも有るかと思い、図書館から扶桑-オラーシャ語の辞書も借りてきた。 最後に、トゥルーデがきちんと持ってたウィッチ訓練校の教科書。 魔導針に関しての記述――内容自体はサーニャの本と似たようなものらしいが――が書かれているとの事。 当然これもオレが目下勉強中であるところのカールスラント語で書かれており、辞書は欠かせない。 合計七冊もの、字ばかりの視覚的に面白くない本を床に広げて、テキストの解読と知識レベルの相互理解を深める作業を始めてから二時間。 文法間違いや誤読、お互いの誤解を経て、魔法というものを根本的に解っていないオレに、サーニャが我慢強く懇切丁寧に説明してくれた結果。 なんとか、呪術陣がどういった物かを理解することに成功したところだった。 まじめに勉強したのなんて数年ぶりだよ。 いや、マジ難しいわ……いや、基本は簡単なんだけども、オレの常識には微塵も存在しない全く異質な理論大系である。 ”そういうもの”と理解するしか自分の中で落とし所の付かない情報だ。 28年間の人生で培ってきた知識が壁になって凄まじく納得し辛い。 その上感覚的な記述も多くて、何とか納得しても違和感が付きまとっていた。 魔法が感覚的な物だってのは判ってるが、解説書までそんな感じの記述が多いとは……書く方も若いウィッチだから仕方ないのか? だらしないとは思いつつも、仰向けに倒れこむ。 背中に触れる絨毯の冷たさとやわらかさが心地よい。「……頭、疲れた……」「うん、少し疲れましたね」「理解……悪い、すまない……」「ううん、仕方ないです」 目を瞑っているから判らないが、サーニャの表情はきっとこっちの事を気遣ってくれているそれだろう。 全然違う理由なんだが、それでもそう言って貰えるだけで少し救われるさ……安い男だよなー、オレ。 とりあえず一段落着いて、集中も途切れて。 そんな時特有の、緩慢な空気が薄暗い部屋に満ちる中。「サーニャ、今良いか?」「エイラ? うん、大丈夫よ」 ノックの音と、エイラの声。 反応したサーニャに応じて、扉が開かれる。 オレも寝転がりながらそっちの方を見た。 廊下の光が逆光になって見辛いが、そこにはトレイを持ったエイラ。 その表情は笑みだ。「差し入れ持って来てやったぞー」「ありがとう、エイラ」「サーニャも慣れない事やって疲れるんじゃないかって思ってな。 ホラ、サイダー」「……礼を言う」 ああ、気が利くなエイラよ……口の軽さによって低下していた好感度がやや回復しました。 起き上がってグラスを受け取る。 グラスがかいた汗が冷たくて気持ち良い。 三口ほど飲んで、冷えた微炭酸が喉を通り過ぎていく感覚を楽しむ。 ぷはー、極楽だー。 やっぱ集中した後は冷たいもの飲んでクールダウンしなきゃ駄目だな。 それにしてもタイミング抜群なのはいいが、随分と氷のサイズが小さいし炭酸が少し薄いんだがな、エイラ。 当の本人は何事も無かったかのように極自然にオレとサーニャの間に座り込んで、自分のグラスを傾けている。 ……可愛い奴め。「エイラ、仕事のほうはいいの?」「んー? 良いって良いって、どうせ大した物じゃないしな」「駄目よ、ちゃんとしないと」「飛行計画表とか予定の提出とか面倒くさいんだよなー」「もう、エイラ……」 特に意味の無い会話。 まぁ、彼女達にとっては牽制のジャブというか、何時ものじゃれあいみたいなもんだろう。 蚊帳の外感は否めないが、話に加わったとして特に面白いネタがある訳でもないし、見てると和むからそれでいい。 っていうかエイラよ、そんな事言いながらも一番シフトに関しての要望書が多いのはお前だってミーナさんが言ってたぞ。 結構頻繁に夜番してるらしいし。 ぼんやりと娘さんたちを眺めながら炭酸飲料で喉を潤していると、エイラが唐突にこっちを向いた。「で、ヴィルヘルミナ。 魔導針は出せるようになったのか?」「エイラ……ヴィルヘルミナさん、まだ基礎が終わったところだから」「……そう」 サーニャの言葉にうなずきを返す。 理論は解ったけど、兎角魔法に関しては素人も同然です。 色々知識と度胸と運動神経がものを言って飛べたストライカーユニットと違って、全く解らん分野だし。 意識すれば使えるっぽい固有魔法と違ってちゃんとした技術だし、これ。 そんなオレの気も知らずに、とりあえずやってみろよ、と言って来るエイラ。 えー? とりあえずサーニャの方を見てみると、困ったような笑みをこちらに向けている。 押し弱いなあ。 オレもだけど。 まぁ何時かは通る道だし、やってみるか……と、その前に。「失敗しても……」「だいじょーぶ、笑ったりなんてするわけ無いだろ?」「違う……」 いや、別に笑われるとかどうでもいいんですよ。「……爆発とか……しない」 ……何を言ってるんだこいつは、という視線を向けてくるお二人さん。 痛い! 白い目が痛い! だけどそういうデメリットとかあるならもうちょっと外堀を埋めてから初体験したいチキンハートです。 飛行脚初体験はどう考えても無理無茶無謀の三拍子そろってたからな……余裕の有るときくらいは確りやりたい。 とりあえずフリーズしてた二人を見て、そういう危険性は無いと信じつつ、ジョークだと伝え。 やってみる事にしました。 サーニャと一緒に解読した本に書いてあった手順を踏めば、何とかなるだろうと思って。 目を閉じて、脳裏に先ほどから散々眺めまくった呪術陣をぼんやりと思い描いて。 魔法を使う。 頭頂部と尻の辺のむず痒さに気をとられないようにしながら。 こめかみの辺りから枝葉を伸ばしていくイメージ。 形状のイメージは大丈夫だ。 サーニャが生み出す、あの二股になった鹿の角に良く似た形。 やがて、脳裏に作り出した第三の耳に、ノイズが聞こえてくるような感じがして、それに手を伸ばして。 触れた瞬間――脳裏を埋め尽くす砂嵐の音!「……ッ」 五月蝿ぇ!? と思った瞬間、集中が途切れたのかそのノイズが手の届かない彼方へと遠ざかっていった。 大きく息を吐いて目を開けば、心配そうな顔で覗き込んでくるサーニャと、あちゃー、という顔のエイラ。「大丈夫?」「……ん。 ちょっと、驚いた……だけ」 サーニャにそう応える。 というかまぁ静かな部屋に居て、突然拡声器のハウリングっぽい音が嵐になって脳裏に飛び込んできたら普通驚くさ。 でも、なんというか、あれが電波とかを受け取る感覚なのだとしたら……随分と乱雑としたものだ。「昼間は、色んな電波や魔力波が行き交ってるから……帯域を制限しないと、五月蝿いんです」 と教えてくれるサーニャさん。 とは言ってもなぁ……ツマミやチューナーがある訳でなし、どうしたものだか。 出切る様にならないと駄目なんだろうなぁ……それこそ、チューナー動かす感覚でフィルタリングとか出来ないと。 「うーん、やっぱすぐ出来る様になるわけじゃないのか。 魔導針がじわっと浮かんできた時にはやった! って思ったのにな」「練習が必要な事だから……素質があるからって、簡単に出来るわけじゃないのよ、エイラ」 まぁそりゃあね。 素質があるからって何でもすぐ出来る様にはならないのが普通なんだと思いますよ? サーニャも練習したんだろうしな。 オレが思っているのと同じことをエイラが指摘して。 サーニャが照れたので、とりあえずオレも素直に凄い、との意を伝えておく。 あのスゲェ五月蝿いのを慣れるまで聞きまくったって事だからな……凄いよ、サーニャ。 しかし、また素質、か。 生理だったときとは違う意味で、自分が少し神経質になっているのがわかる。 何気ない会話の中で発せられた台詞にも反応するとか、どれだけ意識過剰なんだかね。 そこで、ふと思い出す。 そういえば、サーニャはピアニストを目指していたんだっけか。「……サーニャ」「何ですか?」「……サーニャは……ピアノ、やってる」「ぇ……はい、そうです、けど?」「もし……」 聞く。 少し怖いけれど。 なるべく心の動きが表に出ないように、ゆっくりと。 自分が伸び悩んでるときに、自分の物よりも質の良いピアノを目の前で自慢げに弾く奴が居て。 そのピアノを使うことが出来ればきっと何かが判る、そんな確信があるのに、それをどうしても使わせてはもらえない。 もしそうなったら――どう思うのか、と。 聞かれたサーニャは、至極不思議そうな表情で、少し考えてから口を開いた。「……多分、悔しいと思います」 でも、と続く。「……私がピアノを弾くのは、それだけじゃないから。 多くの人に、私の曲やお父様の作った曲を聴いて欲しいから……それに、何よりピアノを弾くのが楽しいんです」「……」 はにかんだサーニャの表情。 それがとても可愛らしくて、少しだけ見惚れてしまった。 そうしていると、肩を叩かれる。 そっちを振り向けば、全てお見通し! 見たいな表情のエイラさんがいらっしゃいました。「気にするなよな、ヴィルヘルミナ。 あいつなら大丈夫だって」「……ん」「?」 その言葉に頷く。 多分こいつ、シャーリーにMe262の適正がなかったって事とか、シャーリーが落ちたって事知ってるんだな。 あーもうオレ、例えが露骨過ぎるんだよな……恥ずかし。 サーニャが疑問ありげな表情で此方を見つめていたが、まぁ夜番だし。 知らないなら知らないでいいよな。 そんな事を考えていると。 何時ものようにエイラの手がオレの頭に伸びてきて。 今回は乱暴にかき混ぜていくってオイコラそろそろ子供扱いやめて頂きたいのですが!「ぐむ」 変な声とか出ちゃうから! 恥ずかしいから! やーめーてー。「やめてあげて、エイラ……ヴィルヘルミナさん、ちょっと嫌そう」「そうかぁ? この髪の毛のふわふわした感じが気持ちいいぞ、サーニャもちょっと撫でてみる?」「エイラ……ヴィルヘルミナさん、上官で年上なのよ?」 む、そこまで言うならしょうがないな……とか言って、軽く髪を梳いてから手を退けるエイラ。 普通に梳いてくれるなら気持ちいいんだけど、乱暴なのはちょっとな、って、いやいや、普通に梳いてくれるのも駄目ですやっぱり! なんだこのおかしい思考! なんとなく自分の考え方が駄目な方向に毒されはじめている事に恐怖を覚えつつ。 心配そうな表情でこちらを見てくるサーニャの優しさに心打たることでその恐怖を誤魔化しておく。 ん……いや? 確かに心配そうなのはそうなんだが、その視線がちらちらとエイラのほうを向くのは……ははぁん? 「エイラ……」「ん? どうしたヴィルヘルミナ?」 何時もどおりの表情をこちらに向けてくるエイラさん。 はっはっは、何時も頭を撫でてくれるお返しにちょっとしたプレゼントだっ! 唾を飲んで喉を少し湿してから、多分面白いことになるはずの言葉を放つ。 「……サーニャの、頭も……撫でて……あげれば、良い」「うっ、ぇえ!?」「どうしたの、エイラ?」 目に見えて狼狽するエイラと、その様子を見て首を傾げるサーニャ。 ふふふ、解りやすいなエイラさんよ。 なんともテンプレートな行動をとってくれるな……予想通り計画通り。「なななんな、何を言ってるんだよ、そんなの……その、さ、サーニャが嫌かもしんないだろ!」「エイラ……私、別に嫌じゃ無いよ?」「ほら、サーニャもそう言って……無い!?」「…………」 腰を浮かせて混乱と羞恥の極地に至ってるっぽいエイラ。 それを不思議そうに見つめているサーニャさんは、どうしたの? と顔をのぞき込んで。 のけぞりながら、あー、だのうー、だの意味をなさないうなり声を上げる事しかできなくなった頭撫で魔の様子を見て、少し溜飲を下げるオレ。 こういう仕返しの仕方もまぁ、楽しいからアリだろう。 その光景を目に焼付けつつも、しかし頭の隅では少し別のことを考える。 楽しいから……か。 サーニャの言葉だ。 ふと思って聞いてみた、彼女の考え。 サーニャも、シャーリーと目指すものは違えど一つのことに打ち込んだことがある。 ピアノとスピード。 サーニャも、音楽家として大成することを目指しているのだ。 その考え方に何かいいアイデアでもないかな、と思ったのだが。 少したとえが悪かったか、或いはやはり方向性が違いすぎた……かな。 或いは本当に、エイラの言うとおり気にすることなんか無くて、単に余計なおせっかいを焼いているだけなのか。 まぁ、今回はトゥルーデみたいに切羽詰ってるわけでもないからな……でも、何とかしてやりたいんだよなぁ。 結局、テンパッたエイラが「ぐぐぐ、グラス片付けてくるっ!」と叫んで逃げるように部屋から飛び出して。 それが契機になって、今日のお勉強はお開きとなった。 エイラー、据え膳を前にしてそれはちょっとヘタレすぎやしないかい……サーニャの無垢な疑問の瞳に耐えるのも一苦労だったぜ。****** シャーリーが墜落したその日の夜。 夜間哨戒に出ているサーニャの為に開放されている格納庫。 いつもは非常灯を残して全て消えているはずの照明が、しかし今日に限って一部だけ、煌々と暗闇を照らしていた。 明かりの下で、ストライカーの懸架台に座り込んで作業しているツナギ姿の人影。 シャーリーだ。 背を向けたシャーリーに話しかける人影――芳佳。 手にはおにぎりが二つ盛られた皿と、湯飲みを乗せたお盆。 「シャーリーさん」「ん? ああ、宮藤か。 とと、悪い、七番の伝導管取ってくれる? そこの作業台に乗ってるから」「え、で、伝導管?」「なんか管みたいな奴、無い? 金色の奴」「えーっと……あ、長いのですか? 中くらいのですか、それとも短いのですか?」「中くらいの」 いろんなパーツや呪符、工具が雑多に並べられている作業台。 それと、手元のお盆を見比べて少し唸ったものの、妥協して一番平らそうなところにお盆を置いて。 言われたとおり、長くも短くもない、真ん中で少し折れ曲がった細い金属の管をつまみあげて、手だけ後ろに伸ばしているシャーリーに手渡した。 装甲板が開かれ取り除かれて、複雑な内部機構が剥き出しになったストライカーユニット。 そこに受け取ったばかりのパーツを組み込んで微調整した後に、各稼動部を指で動かして整合性を見る。 その結果に納得したのか、シャーリーはうむ、と頷いた。「ん、よーし、引っ掛かりが無くなった。 宮藤サンキュ」「いえ、どういたしまして。 ……まだ直らないんですか?」「いや、ほとんど終わってるよ。 推進用呪符の発生器に過剰に魔力が流れ込んでオーバーヒートしちゃったのと、導管の一部にクラックが起きてただけだからね。 あ、後はワイヤも劣化が激しかったから交換したっけか。 エンジンの方はプラグが何本かおかしくなってただけで助かったよ。 エンジン関係以外は機構の奥の方だったから、折角だし気になってるところ全部チェックしてたのさ」 ま、時間はかかるけどこいつにも結構無理させてるから、良い機会だったよ。 そんなシャーリーの言葉を聞く芳佳の表情は、眉根を寄せた難しいもので。「……あの、ごめんなさい。 何言ってるのか全然判りません」「はは、そっか、悪い悪い」 芳佳が機械関係に縁の無い生活をしていた事を思い出し、シャーリーは苦笑しながら答えて、首を回しながら立ち上がる。 夕食が終わってからずっと修理と点検を続けていたのだ。 芳佳の耳にも首の鳴る音が小さく聞こえるほどだった。 振り向いたシャーリーの顔はグリスや煤などで多少汚れていたが、相変わらずの少し眠たげな表情で。 伸びをして、深呼吸。 ツナギの前を開いて風を送り込みつつ、今になってやっと気づいたかの様に芳佳を見る。 ただ、当の芳佳はシャーリーの顔ではなく晒された白い胸部にちらちらと視線を送っていたのだが。「ふふん、気になる?」「え、ぅぇえ!? な、何でもないです!」 それに気づいたシャーリーが何時もの笑みを浮かべて流し目を送ると、芳佳は真っ赤になって首を振った。 慌てて否定する様子を見てくく、と小さく笑いを漏らしてから、本題に入る。「で、宮藤は何しに来たのさ?」「え、ああ。 お夜食を持ってきたんです」「おっ、悪いねぇ。 しっかし、もうそんな時間かー……中佐にまた怒られるかな?」 壁にかけられている無骨な丸時計を見やれば、もうすぐ10時半。 随分と良くしてくれるが、それでも規律を守ることを是とする基地司令の顔を思い浮かべて苦笑して。 視線を、芳佳が指差す作業台の上に移す。 まだ少し湯気を上げる白い塊を見て、何だありゃ、とシャーリーが呟いた。「おにぎりです。 今日の夕食のお冷ご飯を暖めなおして作っちゃいました」「へぇ、そういえば少佐もなんか似たようなの作ったことがあったっけな……あの時は三角じゃなくてもっと……なんというか、変な形してたけど」「あ、あはは……そういう事もあるかもしれないですね。 扶桑の、か、家庭料理だから、ほら、地方によって違うとか」「ああ、解る解る。 リベリオンでも州をまたぐと味付け変わったり、北と南だと調理法違ったりするね」 そうです、きっとそれと同じです、と力説して。 さり気なく憧れの上官の威信を守る芳佳だった。 その勢いに少し不思議そうな顔をしつつも、シャーリーは作業台に歩み寄る。 お腹が減ったら食べるのが彼女の哲学。 とりあえず手を伸ばそうとして、格納庫に繋がる廊下側から、テンポの速い足音が近づいてくるのにその手を止めた。 開け放たれているドアから入ってきたのは、リネットで。「芳佳ちゃーん!」「リーネちゃん?」「忘れものだよ、お漬物!」 その手には、小さな陶器の器。 芳佳が付け合せにと用意した白菜の漬物。 まだシャーリーが食事を始めていないのを見て安心したのか。 歩くペースを普段のそれに戻してリネットが二人に近づき、お盆の上に漬物を置いた。 一仕事終えた達成感に息を小さく吐いて。 そんなリネットに芳佳は素直に礼を言う。「ありがとうリーネちゃん」「どういたしまして、芳佳ちゃん」 微笑みと共にお返しの言葉を述べて、そのまま直ぐに息を整えた。 リネットとて伊達に毎日走っている訳ではない。 小走り程度で乱れた息など、数呼吸で元に戻る。 その間にシャーリーは漬け物がどういう物かを思い出しつつ。「漬物……って、扶桑のピクルスだったっけ。 リーネも手伝ってくれてたのか……なんか悪いなぁ」「いえ、言い出したのは芳佳ちゃんで、私は手伝っただけですから。 暖かい内にどうぞ」「ん、そっか。 確かサンドイッチと一緒で手づかみで良かったんだよな。 じゃあ、いただき――」 リネットに礼を言いながらおにぎりに手を伸ばして、はた、と止まる。 そのままうなり声を上げ始めた。 何事かと芳佳とリネットがのぞき込めば、シャーリーの視線は己の右手に伸びていて。 軍手――それも、精密作業用の指ぬき手袋をはめていたその手は、やはり機械油や汚れにまみれていて。 作業台にかけてある雑巾は真っ黒で、指の汚れを軽く拭う以上の仕事は出来そうにもない。 唸り声が数秒続き、そして諦めたようにがっくりとうなだれる。「たはは……その、悪いけど頼める?」 シャーリーは苦笑いしながら芳佳とリネットの方を見た。 //////「はい、シャーリーさん」「あむっ、もぐもぐ……んっぐ!? ~~ッ、すっぱい!」 芳佳が持ったおにぎりに、女の子としては少々問題の有りそうな大口でかぶりついて。 具である種を抜いた梅干しの大部分が口内に侵入して、シャーリーの目尻に涙が浮かんだ。 リネットが差し出した湯飲みを慌ててひったくり、ほどよく温くなったお茶で舌を洗い流す。「わわ、そんなに一度に食べたら流石にすっぱいですよ」「あはは、お腹減ってたからさ……それにしても扶桑は納豆といいこの酸っぱ塩辛いいプラムといい、変な食べ物が多いね」「リベリオンのお料理は味が濃すぎるんですけど……」「私は芳佳ちゃんの作ってくれる、扶桑のご飯美味しいって感じるけど、その、納豆以外は」 ただまあ、味は薄いと思う。 シャーリーとリネットの言葉が重なり、芳佳は小さく唸った。 そんな芳佳の手から、今度は慎重になったのかおにぎりを少しだけ囓り、咀嚼して嚥下するシャーリー。 丁度良い梅干しの分量だったのか、今度は満足げに頷いてから言葉を放つ。「ま、作ってもらってる以上贅沢は言えないけどね、もっとハッキリした味付けの方があたしは好きだよ」「じゃあ、今度フィッシュアンドチップスを作るときは、お酢とお塩の量を増やしてみようかしら」「それ以前にリーネちゃんは何でも油で揚げすぎだと思うな……」 えー? そうかなぁ、と首を傾げるリネットに、芳佳はぶんぶんと首を縦に振る。 ブリタニアに来てから一番に出来た一番の友達といえど。 彼女の作るお菓子以外の食料については納得できない部分が多少なりともある芳佳だった。 素材の味を引き出すことを是とする扶桑の料理で育った芳佳にとって。 リネットの料理は無為に煮詰めて焼いて揚げるだけにしか見えなかったのだ。 首を振って、視界が揺れる。 その拍子に作業台に立てかけてあった、黒い表紙の小さな本が芳佳の目に入る。 革張りで、豪華な印象を与える代物。 汚れやすい格納庫には場違いな品物に、なんだろう、と思っていると。「ああ……気になるかい? リーネ、読んであげてよ」 芳佳の目の動きがいつの間にかその本に注がれているのに気付いたシャーリーが、何処か自慢げに言って。 同じく本に気付いたリネットが頷きつつ、不思議そうにしつつも本を拾い上げる。 そのまま芳佳の方に近づいて、肩を寄せた。 1ページ目。 数年前の年代と共に、ブリタニア語と九割九分同じ型のリベリオン語で。 Bonneville Saltflat International Speedway そのままページをめくっていく。 写真と解説の文章が組み合わさった、一種の写真集。 男や、女や、或いは獣耳を生やした女性――ウィッチの写真。 多くの画に共通しているのは、その背景や隣に車やバイクがある事。 どの車も、見たことの無いほど車高が低かったり、槍のように長かったり、あるいは細かったりしていた。 めくり続けて。 あるページでその手が止まる。 折り目や紙の擦れ具合から、何度もそのページが開かれているとリネットと芳佳は理解した。 そのページに掲載されている、ひときわ大きな写真。 飛行機械かと思わせるほどの流麗な流線型のカウルを持ったバイクと、その傍らに立つのは。「シャーリーさん?」「グラマラス・シャーリー、新記録……って、バイクの記録ですか?」 写真に写っている少女は、紛れも無く今彼女達の隣に居るシャーリーで。 湯飲みを傾けていたシャーリーはその視線を受けて、得意げに頷いた。「ああ、あたし、ストライクウィッチになる前はバイク乗りだったんだよ。 ボンネヴィル・フラットって知ってるかい? リベリオンの真ん中にある、見渡す限りが塩で出来た平原さ」「そんな所があるんですか」「そこは、あたしみたいなスピードマニア達の聖地なんだ」 目を閉じて、その風景を思い出すようにシャーリーが語り始める。 地平線の彼方まで広がる、陽光に白く輝く平坦な大地。 そこで、大勢の人間がただ速度という一点において競い合う。 速度に恋した奴らが、彼女あるいは彼の寵愛を得る為に、死力を尽くして最速を目指す。 そんな場所だ。 「そこで記録を破った日、あたしは聞いたのさ。 魔道エンジンを操って空を舞う、世界最速の魔女の話をね」 シャーリーは目を開いて、視線を傍らのP-51へと流す。 そのまま手を伸ばして、装甲板の滑らかな塗装の感触を楽しむように撫でた。 「その日に速攻軍に志願して入隊……色々あって今に至る、って訳さ」「それで、任務の無い日にスピードの限界に挑戦してるんですね!」「そーゆーこと。 あ、宮藤、次のおにぎり」「はい、次はおこぶですよ」 おこぶ……って、海草か、本当に扶桑は不思議な食材使うよな……と呟きながら、二つ目のおにぎりにかぶりつくシャーリー。 その甘しょっぱい味付けに、味の濃さは兎も角美味しくはあるんだよな、と頷いた。 おにぎりを持っている芳佳は、もぐもぐと満足げに咀嚼するシャーリーを見て安堵しつつ、今の話を反芻する。「最速……かぁ。 すごいなぁ。 でも、それって何処まで行ったら満足するんです?」「ん……そうだな、何時か音速……マッハを超えることかな。 音が伝わる速度、だいたい時速1200kmくらいかな」「せ、せんにひゃっきろ!」 芳佳が驚きの声を上げるが無理も無い。 時速1200km。 芳佳の扱う零式艦上戦闘脚が出せる限界速度の、約二倍だ。 今のところ世界で一番速いといわれているストライカーユニットでさえ、その速度には到底及ばないのだから。 隣で驚く友人の心情を代弁するように、本当にそんな速度を出すなんて、可能なんですか、とリネットが問う。 その言葉を受けてシャーリーは、困ったように苦笑した。「さてねぇ……でも、きっとたどり着けるはずさ。 いや、たどり着いてみせる。 誰よりも早く、この私がね」 その視線は、やはり装甲板が開かれたままのP-51に注がれたままで。 芳佳とリネットの目も、自然とそちらのほうに向けられる。 数秒たって、沈黙を破るようにシャーリーが小さく息を吐いた。 「二人ともありがとな。 ほら、そろそろ寝ないと明日が辛いぞ?」 壁にかけられている時計は、もう11時を指そうとしている。 本来の消灯時間も過ぎているうえに、基地の朝は早い。 朝起きることが免除されているのは、夜起きているサーニャだけだ。「え、わ、本当だ! 寝坊したら坂本さんに怒られちゃう!」「あたしも片付けしたら直ぐに上がるからさ、食器だけ持って行ってよ」 おやすみなさい、とお辞儀してから、リネットと一緒に慌てて格納庫を出て行く芳佳を見送って。 二人が居なくなったのを確認してから、シャーリーは再び視線をP-51へと移した。 そのまま、無言。 時計の秒針が一回転するほどの間、自身の愛機を見つめて。 今度は大きく、ため息を吐いた。 ------とかくオタクの発言はその方面に知識のない人には外国語に聞こえるでござる、の巻。芳佳とリネットの目上に対する口調が重なりすぎる件について。 区別つかねぇ!久しぶりにサーニャの秘め声を5回くらい聞き直してから速攻改訂。確かにサーニャはノーガード戦法だわー。 たまにこういう事しないとイメージが一人歩きして困る。追記:サーニャの秘め声は犯罪