八月一日、早朝。
病院での上条との会話から、すでに四日が経過していた。
あの日、夜まで泣きに泣いた結奈は、インデックスから脱走を報告された病院の看護師達に引きずられて病室へと戻る事となった。
その後病室で一晩考えた結果、結奈は一つの決意を固めている。
『自分達が幼馴染である事を上条に教えない』というものだ。
その事を知れば、上条はそれすらも自分の重荷として背負ってしまうだろう。
(何でもかんでも背負いすぎちゃう人だからね……負担は少しでも減らしてあげたい、かな)
幸いにも、クラスメイトには結奈と上条が幼馴染だと知る者はいない。
三月十四日に上条が放った不用意な一言が原因で、結奈が入学当初に彼を避けていたからである。
五月に入る頃には二人にとってのいつも通りに戻っていたが、他のクラスメイトには四月中に何度も見せた天然フラグ体質(別名カミジョー属性)の結果だと思われていた。
わざわざ訂正する事でも無かったので放置していたのだが、今の結奈にとっては好都合だった。
唯一の懸念材料はインデックスだったが、ここ数日の彼女の言動(主に食い気中心)を見て、そんな話題になることもないだろうと考えていた。
(私がするべき事はクラスメイトとして自然に振る舞うこと!)
洗面所の鏡を見ながら気合いを入れるために軽く両頬を叩く。
これは結奈にとってあの日からの日課となっていた。
「よし、今日こそ上条くんとちゃんと話をする!」
そう宣言して自室から飛び出した結奈は、真っ赤なリボンを揺らしながら病院へと駆けて行った。
すでに寮へと返されている結奈とは違い、いまだ上条は入院を余儀なくされている。
記憶を失う様な重症なのだ。それも仕方ないのだが。
その関係上、上条が退院するまでは結奈がインデックスを預かることになっていた。
そのインデックスはいまだベッドで夢の中だ。彼女用の朝食と昼食も用意しているため、昼まではお腹を空かして病院に来るということも無い。
この数日、記憶喪失のことで上条と話をしようと思っていた結奈だったが、インデックスが常に上条か結奈のどちらかと一緒だったためにそれができなかった。
かといってインデックスが席を外した短い時間にそれをするのは、いくらなんでも危なすぎる。
結果、上条とは世間話程度しかできず、これからどうするかの相談ははかどっていなかった。
そこで結奈は一計を案じる。昨晩の夕食時、食欲に溺れるインデックスに対して、
「あんまり朝早くからいても病院の人に迷惑だから、お見舞いはお昼から。守れないなら食事抜きだからね? その代わり、ここにいる間はインデックスの好きなもの作るから」
と告げたのである。
上条へのお見舞いと食欲の板挟みにあい、苦悶の表情を浮かべたインデックスだったが、その数秒後には笑顔で了承していた。
すでに安全が確認された上条のお見舞いは、食欲に軽く淘汰されたらしい。
(むしろ迷った事を評価するべきなのかな?)
その後のインデックスの食べっぷりは、そんな事を考えてしまうほどだった。
そこまでしてようやく二人きりの時間を手に入れた結奈は、病室で上条と今後について話し合っていた。
「これで私の知ってることは大体全部かな」
まずは周りの人間関係についての情報が欲しい、との上条の言葉により、クラスメイトやインデックスについて自分の知る限りの情報を伝えていた。
「とりあえず隣の部屋に住んでる金髪グラサンを土御門、青髪でピアスをしたアホっぽい奴を青髪ピアスって呼べばいいんだな……なんで名前じゃねーんだ?」
「私も知らないよ? 上条くんがそう呼んでたんだから」
あいつが名前で呼ばれてるとこ見たことないけどね、と笑いながら結奈が言う。
「まぁ、これならばれないように何とかできるだろ。ありがとな、新城……だったか?」
その言葉に一瞬表情を歪ませる結奈だったが、上条が気づく前にそれを隠して返事をする。
「どーいたしまして。だけど、それだけじゃ街の事とかまだよく分からないでしょ? 良かったら案内しようか?」
「そこまで世話になるのもな……予定だってあるだろ?」
渋る上条だったが、
「大丈夫だいじょーぶ! 結構暇してたから、むしろ大歓迎かな。」
と、結奈は強引に約束を取り付ける。
結奈にしてみれば、今はできるだけ一人になりたくなかったのだ。
「それじゃ、退院したら街の案内だね。私の知る限りの上条くん御用達の店を案内してあげるよ」
「お、お手柔らかに頼みます……」
こうして、なし崩し的にデートの約束が決まったのだった。
それから四日後。ようやく上条が退院し、インデックスは上条の部屋へと移っていった。
上条が退院したということで街の案内に出ることになったのだが、ここでもインデックスが問題となった。
インデックスには記憶喪失の事は知られる訳にはいかないため、何とかして留守番をしてもらう必要があったわけだ。
しかし、この前と同じ手は使えない。あれは結奈だったから成立したのであって、上条が同じことを言えば頭を丸かじりされるだけだろう。
そこで今回はシチュー大作戦(仮)が行われる事となった。
具体的には、煮込むほどおいしくなる特性シチューの番をインデックスに頼むというものである。
本当に夕食までシチューが無事なのかは分からないが、まぁ食べられても結奈の寮に別に夕食は用意してあるので問題は無い。
開始直後の尾行さえ出来なくすればこの広い学園都市だ、そう会うこともないだろうという考えである。
作戦は驚くほどに順調に進行し、インデックスは料理を手伝える事が嬉しいのか笑顔で鍋を掻き回していた。
現在時刻は午後一時。十分に案内の時間はとれそうだった。
「いい天気だね」
「ああ」
言葉通りの快晴の下、二人は繁華街を歩いていた。
「さて、それじゃあどこから行く? 上条くんは何かリクエストあるかな」
「つっても、よくわかんねぇしな……俺がよく行ってた店とか回ってもらえるか?」
その言葉に合わせ、結奈はルートを組み立てる。
上条にとってはただの案内という認識だろうが、結奈はデートのつもりでここにいる。
過去が無くなってしまったのなら、せめて今の思い出を作っていこうと決めたからだ。
「それじゃ、まずは昼食かな。インデックスに全部食べられちゃったから何も食べてないでしょ」
その言葉に答えるように上条のお腹が鳴る。
「そういやそうだったな。あいつが付いて来てないかと緊張してて気付かなかった……」
そう言ってうなだれる上条を笑いながら結奈は見つめ、手を引っ張って歩く。
二人が向かった先は、牛丼屋のチェーン店だった。
「ああいうところって結構おいしいんだね」
「安い、早い、うまい。貧乏学生の上条さんには心の底から感謝の言葉が出てきてしまいますよ!」
昼食を終え、街を歩く二人。あまり外食をしない結奈もそうだが、記憶がない上条も外食初体験気分だったらしい。
それから、結奈が最初に連れてきたのは地下街のゲームセンターだった。
しかもレトロゲームコーナーにあった麻雀ゲームの台に座っている。
無理やり対戦台に座らされた上条は、その不幸っぷりに目も当てられない状態となっていた。
「上条くんそれロン。九蓮宝燈、役満だね」
「ぐはっ! ちょっと待て、なんで三巡目でもうそんな役ができてんだ!!」
「いつもの事だよ。あ、負けたら罰ゲームの約束はちゃんと守ってもらうからね?」
「まだだ、この配牌ならまだ上条さんには最後の大逆転が……」
「あ、あがり。地和、大四喜」
「ありえねえぇぇ!! なんですかその役満ラッシュは!? 上条さんの不幸への挑戦だとでも言うのでせうかお嬢様!?」
最初の方は結奈が気を使ってわざと振り込んだりしていたため、見た目互角の勝負となっていた。
そうしている内に、記憶喪失によって結奈の幸運をすっかり忘れていた上条は調子にのって罰ゲームをかけた勝負を仕掛けたのである。
罰ゲームの内容は敗者が勝者の言う事を一日聞く、というものだった。
それを聴いて結奈の目の色が変わり、一切の手加減が無くなった。
その結果、勝負はすでにただの虐殺と化している。
周りでその様子を見ていたギャラリーからは結奈に拍手が送られ、すでに持ち点がマイナス突破を果たしていた上条には同情の視線が送られていた。
「まだやる? もう勝負は見えてるけど」
「あ、当り前ですよ!? 上条さんは逃げたりはしません!」
そうして結奈の四勝〇敗で迎えた最終戦、上条の提案で勝った方が五勝分という事になった勝負が始まった……
「あがり。天和、大三元、四暗刻、字一色。これってなに役満って言えばいいのかな?」
「のおぉぉぉぉぉ!!」
その瞬間から、すでに勝負は決していたようだった。
真っ白に燃え尽きた上条を引き連れ、案内の続きに戻った結奈。
上条はまったく気づいていないが、ここまでの様子は誰がどう見ても立派なデートである。
ゲームセンターの後はそのまま地下街を回り、地上に戻ってくる頃には既に夕日が落ちかかっていた。
もうそろそろ帰らないとインデックスが暴れだすかな、という共通認識の下、最後は商店街へとやってきた。
近所の学生がよく使っているスーパーで買い物をし、夕焼けの道を二人で歩く。
「悪いな、買い物まで付き合わせちまって」
「いいよ。インデックスのご飯だもんね、私にも付き合わせてよ」
青髪ピアスがここにいれば、「もうどこの若夫婦ですかこの二人は!」などと言いながら突撃しきていただろう。
そんなまったりとした空間に、突然大声が響き渡る。
「お姉さまー!!」
結奈にとって聞き覚えのある声。振り返るとここ数日は見かけなかった佐天の姿があった。
その後ろには花瓶のように頭に大量の花を乗せた少女が走ってきている。
一直線に結奈に向かって走ってくる佐天は、なぜか目を潤ませていた。
首を傾げる結奈に、佐天は走ってきたその勢いのまま飛びつく。
「お姉さまー! 会いたかったです!!」
「涙子ちゃん? なんでそんなに感動してるの?」
いつものことではあるが、この少女のテンションにはついていけない、と思いながら結奈が尋ねる。
「だって、学校いったら補習は終わったって言うし、お姉さまの住んでる寮に行ってもいないから……心配だったんです!」
その佐天の言葉に納得する結奈。どうやら入院していた事を知らずに間に色々と行動を起こしていたらしい。
「ごめんね。ちょっと怪我で入院してたの、もう「にゅ、入院!!」」
事情を説明しようとする結奈の言葉を佐天が遮る。
「お姉さま、どこか体が悪いんですか!? 大変……初春、救急車、救急車呼んで!!」
「佐天さん、ちょっと落ち着いて下さい」
慌てた佐天がようやく追い付いてきた花瓶少女に言うが、いつもの事なのか少女も苦笑を浮かべながら普通に対応している。
「涙子ちゃん、大丈夫だから。もう退院してるし、ね?」
「ぼんどでずがー……」
泣き出した佐天をなだめる結奈。
くしゃくしゃになった顔をハンカチで拭き、横で何か言いたそうにしている上条には見ないように促す。
しばらくしてようやく落ち着いた佐天だが、がっしりと結奈の腕を掴んで離さない。
「お姉さま、お姉さまー」
その腕にすりすりと頬を寄せている。
「……えーと、涙子ちゃん。この子は友達?」
このままでは話が進みそうにないので、結奈から聞いてみることにする。
「はい! この子はあたしの親友で、初春です!」
誇らしげな表情で佐天が言う。自慢の親友という奴らしい。
「初春飾利です。新城さんの事は佐天さんからよく聞いています」
こちらはのんびりとした様子で答える。どうやらそういう部分がうまくかみ合っているようだ。
「私のことは結奈でいいよ。それと、飾利ちゃんって呼んでいいかな?」
「はい、構いません」
ここまで話を進めたところで、結奈は説明を求める上条の視線に気づく。
佐天もその視線に気づいたようで、訝しげな視線を上条に送っていた。
「上条くん、この子は佐天涙子ちゃん。この前不良能力者に襲われてる所を助けたの。それで、こっちの子が初春飾利ちゃん」
慌てて上条に二人を紹介する。
「この人は私のクラスメイトの上条当麻くん。今は買い物の帰りにばったり会って話してたの」
同じように二人に上条を紹介すると、初春が何かを思い出したように手を叩いた。
「あの、確か夏休みに入る少し前に、洋服店での避難誘導を手伝って下った方ですよね?」
その言葉に上条が固まる。今の上条には夏休み前の記憶がないからだ。
「へー、そんなことあったんだ」
完全に固まっている上条に結奈が助け船を出す。
「あ、ああ。なんかそんな事があった気もするな」
少々どもりながらだったが、なんとか答える上条。
「あの後御坂さんから聞いたんですけど、あの時私達を助けてくれたのはあなただったんですよね?」
その言葉に今度は結奈が固まる。
(まーたそんなことやってたんだね上条くんは。まぁ、今の上条くんに言っても仕方ないけど……)
そう思いながらもイライラは収まらない。初春は結奈のそんな様子には気付かず、
「ありがとうございます。一度お礼を言っておきたいと思ってたんです」
と頭を下げていた。記憶がない上条は愛想笑いで乗り切ることにしたようだ。
「そうなんだ。それはそれは初春がお世話になりました」
いつの間にか結奈から離れていた佐天までが、なぜか初春の隣で頭を下げている。
「お礼と言ってはなんですが、こんなものはどうですか?」
そう言いながら頭を上げた佐天は、にやりと笑いながら素早く初春のスカートをまくりあげた。
スカートが舞い上がり、淡いピンクの水玉が衆目にさらされる。
あまりのことに硬直する三人だったが、いち早く再起動した初春が顔を真っ赤にしながら佐天に詰め寄った。
「ななな、何すんですか佐天さんっ!!」
「やっぱり親睦を深めるにはこれが一番じゃない?」
悪びれもせずに言う佐天。初春はなおも抗議を続けているが、あまり効果は無さそうだ。
そんな様子を横目に見ながら、結奈はゆっくりと上条に視線を向けた。
上条は顔を赤くして呆然としていたが、結奈の視線に気づくと慌てて弁解を始める。
「今のは事故! 事故ですよ!? 上条さんは何の関与もいたしておりません!!」
その上条の言葉には答えず、結奈は黒い笑顔で尋ねた。
「上条くん、上と下どっちがいい?」
おもわず「う、上?」と答えた上条の鳩尾に、強烈なボディーブローが食い込んだのだった。