結奈がインデックスを呼び捨てで呼ぶようになった翌日。
いつも通りの補習を受け、前日同様の佐天の襲撃を乗り越えてインデックスのお見舞いを終えた結奈は、寮のベッドで悶えている最中だった。
「あーもー! 何でこの寮はまだエアコンが直ってないの!?」
エアコンが壊れた夜からすでに五日が経過していたが、結奈の寮はいまだ灼熱地獄のままだ。
どうやらあまりにも被害範囲が広すぎたため、学生寮にまで手が回っていないらしい。
「こんな部屋にはもういられないー!」
今日はここ数日でも特に気温が高く、さすがの結奈も我慢の限界が来たようだった。
結奈はパジャマから私服に着替えると、そのまま部屋を出ていく。
門限なんて知ったこっちゃない、とばかりに堂々と寮を出ると、夜風に当たるためにあてもなくふらふらと歩きだした。
(上条くんはどうしてるかな……? そういえば昨日は勢いでインデックスとすごい恥ずかしいやり取りをした気がする……)
昨日のことを思い出して再び悶える結奈。そうやって歩く結奈の目に、道の真ん中に倒れている人影が写った。
「え……?」
思わずつぶやいた結奈の声に返事はない。
全身を傷だらけにし、右腕が血に塗れた上条がそこにいた。
「上条くん!!」
慌てて上条に近寄る結奈。声をかけてみるが、意識はないようだ。
(救急車? ううん……それはだめなんだよね。だったら小萌先生の家まで……!)
結奈がそう考えていると、すぐ傍からよく知る声が飛んできた。
「新城ちゃん? こんな時間にどうしたですか?」
「小萌先生! ナイスタイミング!!」
のんきに言う小萌先生に上条の様子を見せ、二人がかりで急いで部屋へと運ぶ。
小萌先生からどういうことか聞かれたが、見つけたばかりの結奈にもそんな事は全然わからなかった。
やっとのことで小萌先生の部屋につき、上条を運び込む。
中にいたインデックスは最初嬉しそうな顔をしていた。しかし、ぼろぼろの上条を見るととたんに取り乱す。
「とうま!? どうしたの!」
パニックに陥るインデックスを結奈が抑え、小萌先生が上条に応急処置を施す。
何とか治療を終え、命に別状はなさそうだと分かると、三人はほっと息をついた。
「それで、これはどういうことなのゆいな!?」
「そうですよ新城ちゃん。どういうことなのです?」
インデックスと小萌が結奈に詰め寄るが、そもそも結奈も倒れている上条を見つけただけである。
その事を二人に告げると、
「じゃあ、他の魔術師が……?」
インデックスがそんな言葉を呟いていた。
結局上条はそのまま目を覚まさず、時間も遅かったので結奈は寮へと帰ることになった。
落ち込んでいるインデックスの様子が気になった結奈だったが、本人が何も言おうとしないためにどうしようもなく、小萌先生に後を任せることにした。
寮への帰り道。結奈は先程のことを考えていた。
(多分、魔術師にやられたんだよね。上条くんは傷だらけだったけど、致命傷はなかった。その状態で放置されていたって事は、少なくとも殺す気は無かった……って事なのかな?)
それでもそれが分ったところで何かができる訳でもない。また、インデックスが一度殺されかけている以上、いつまでも方針が変わらないとも限らない。
(私に出来る事は上条くんの看病だけか……昨日はインデックスにあんなこと言ったけど、ちょっと堪えるかな……)
そんな事を思いながら、結奈は寮へと戻って行った。
それから三日。インデックスと結奈は交代で意識の戻らない上条の看病を続けていた。
結奈は補習と佐天への対応を行いながらだったので主に夕方だけだったが、インデックスもその事は承知している。
今日も同じように小萌先生の部屋へやってきた結奈は、インデックスと一緒に上条の看病をしていた。
濡れタオルで体を拭き、新しいシャツへと着換えさせていると、これまで眠り続けていた上条がようやく目を覚ました。
「とうま?」
結奈の横でじっと上条を見つめていたインデックスが不安そうに聞く。
上条は自分がどんな状態か理解できていないようで、インデックスの言葉には答えず、ゆっくりと周囲を見回している。
「ったく、まるで……病人みてえだな」
「ちょ、ダメだよ無茶しちゃ!」
そう言いながら体を動かそうとする上条を結奈が止める。上条は全身の痛みにうまく体を動かせないようで、結局はそのまま元の体勢に戻った。
「痛てて、何だこりゃ。陽が昇ってるって事は、一晩明けたんだろ。今何時なんだよ?」
「一晩じゃないよ」
インデックスが泣きそうな顔で答える。それを見て不思議そうな表情をする上条に、
「三日」
インデックスはそれだけを告げる。
「みっか……って、え? 三日!? なんでそんなに眠ってたんだ俺!?」
あまりの事実に動揺する上条に対し、インデックスが突然叫ぶ。
「知らないよ、そんなの! 知らない、知らない。知らない! 私ホントに何も知らなかった! とうまの家の前にいた、あの炎の魔術師を撒くのに夢中で、とうまが他の魔術師と闘ってる事なんかこれっぽっちも考えてなかった!」
自分を責めるようなインデックスの声に結奈と上条は言葉を失う。
「とうま、道路の真ん中に倒れてたってゆいなが言ってた。ボロボロになったとうまを担いでアパートまで連れてきたのもゆいなだった。その頃、私は一人で喜んでた。当麻が死にそうだっていうのも知らないで、あの馬鹿な魔術師を上手く撒いたって一人で喜んでた!」
インデックスの言葉がピタリと止まり、ゆっくりと次の言葉が紡がれる。
「……私は、とうまを助けられなかった」
インデックスはそう言って肩を震わせる。
そんなインデックスを言葉もなく見つめる上条だったが、突然焦ったような表情を浮かべた。
「どうしたの? 上条くん」
結奈が聞くが、上条はインデックスの様子を見て何か安心したらしく、ほっとした様子に戻る。
それを見て、結奈は上条を拭いていたタオルを片づける事にした。そんな事までされていたと気づかれると気まずくなりそうだったからだ。
手早くタオルをかたずけて結奈が戻ってくると、いったい何があったのか上条は頭からお粥をかぶって気絶している。
「また洗い直しか……」
そう無表情に呟く結奈を見て、インデックスが青い顔をして高速で頭を上下させていた。
お粥の処理がようやく終わり、少し落ち着いたころ、玄関のドアをノックする音が響いた。
「小萌先生かな?」
という結奈の声と同時、
「あれー、うちの前で何やってるんですー?」
という小萌先生の声が聞こえてきた。どうやら来客だったらしい。
「上条ちゃーん、何だか知らないけどお客さんみたいですー」
小萌先生が開いたドアの先には、予想外の人物が二人、立っていた。
一人は神父服を着た二メートル近い長身の白人男性。顔つきからは十四、五歳くらいに見える。
もう一人はTシャツに片足だけ切ったジーンズ姿の黒髪の日本人女性。長い髪を後ろで一つにまとめており、腰には長さ二メートル以上の日本刀をぶら下げている
その二人を見た上条の表情が変わる。
「上条くん。もしかして、この人達……」
「ああ……インデックスを追い駆けてた奴らだ」
入ってきた男は上条を見て、楽しそうに笑いながら言う。
「ふうん。その体じゃ、簡単に逃げ出す事もできないみたいだね」
その言葉に何か言い返そうと口を開く上条だが、その口から声が出る直前、男と上条の間にインデックスが立ちはだかる。
「帰って、魔術師」
そのインデックスの言葉に、結奈には二人の魔術師が小さく震えたように見えた。
「……や、めろ。インデックス、そいつらは、敵じゃ…「帰って!!」」
上条の言葉を遮るようにインデックスは繰り返す。
「おね、がいだから……私ならどこへでも行くから、私なら何でもするから、もう何でも良いから、本当に、お願いだから……」
泣き出しそうな声で、インデックスは続ける。
「お願いだから、もうとうまを傷つけないで」
その言葉を聞いて、魔術師達の表情が変わる。感情を映さない、人形の表情に。
「リミットまで、残り十二時間と三十八分。『その時』まで逃げ出さないかどうか、ちょっと『足枷』の効果を見てみたかったのさ。予想以上だったけどね。そのオモチャを取り上げられたくなかったら、もう逃亡の可能性は捨てた方が良い。いいね?」
男がそれだけを言うと、二人の魔術師は踵を返し、そのまま部屋を出て行った。
「大丈夫、だよ?」
静寂に包まれた部屋の中に、インデックスの声が響く。
「私が、『取り引き』すれば大丈夫。とうまの日常は、これ以上壊させない。これ以上は、絶対に踏み込ませないから、へいき」
結奈たちは、そう呟くインデックスを呆然と見ている事しかできなかった。
しばらくして、疲れが出たのかインデックスは眠ってしまった。上条の布団の横で突っ伏したような格好だ。
上条も本調子ではないせいか、ぐっすりと眠ってしまっている。
小萌先生は銭湯に行くと言って出て行ったので、今起きているのは結奈一人だった。
する事が無いのでさっきの魔術師達の言葉について考えていた結奈の耳に、部屋にあるダイヤル式の黒電話の鳴る音が聞こえてくる。
どうするか迷ったが、二人を起こすといけないのでこのまま電話に出ることにした。
「はい、月詠です」
『私です、と言って伝わりますか?』
そこから聞こえてきたのは、先程の女性魔術師の声。
「さっきの……ポニーテールの人?」
『え? ああ。はい、そうです。あなたは先程部屋の中に居た方でしょうか?』
「そうだよ。それで、なにか用があるんだよね?」
いつも通りの声で話す結奈。ここまで普通に話しかけられると思っていなかったのか、相手の女性の方が驚いているようだ。
『え、ええ……そこにあの少年はいますか?』
「いるけど、今は二人とも寝てるよ」
特に隠そうともせず話す結奈。
『それなら、伝言をお願いします。彼にこう伝えください「あの子のリミットは今夜午前零時。その時刻に合わせて私たちは準備をしています。それまでは自由に別れの時間に使ってください」と』
魔術師の女性はそれだけ言うと、用は済んだとばかりに電話を切ろうとするが、結奈がそれを押しとどめる。
「伝言を伝えるのは良いですけど、上条くんが言うだろう答えも今あなたに伝えておく事にします。よーっく聞いて下さいね『なめんじゃねーよ! 俺は絶対に諦めねぇ! そんな無駄な時間に使うはずねーだろが!!』ですね絶対。私は事情はよく分かってませんけど、これには自信があります」
その言葉に受話器の向こうで息をのむ音が聞こえてくる。
『分かりました。それでは伝言をお願いします』
それでも、動揺は声に出さずに答えた。
「上条くん、起きて」
電話から数分、いつまで待っても上条が起きそうに無いので、結奈は強引に起こすことにした。
ゆさゆさと体を揺すっていると、ようやく目が覚めたようで、上条が体を起こす。
「ふぁ、どうした新城……って寝ちまってたのか!?」
慌てて時刻を確認しようとする上条。しかし、小萌先生の部屋には時計がないので、意味のない行動になりそうだ。
「落ち着いて、上条くん。さっき、あの女の人から電話があったの」
「女の人? 神裂ってやつのことか?」
結奈が知らない名前を呟く。どうやらあの女魔術師の名前らしい。
「そう。それで上条くんに伝言『あの子のリミットは今夜午前零時。その時刻に合わせて私たちは準備をしています。それまでは自由に別れの時間に使ってください』だって」
上条はその言葉がよほど頭に来たのか、今にも叫びだしそうな雰囲気になっている。
「一応、上条くんが言いそうな答えは伝えておいたけど?」
「へ?」
その結奈の言葉に間抜けな顔で振り返る上条。
「あのー新城さん? いったいどんな事を伝えたのか上条さん非常に気になって仕方ないんですが?」
「大丈夫大丈夫。絶対上条くんが言うことだから」
しかし、結奈は内容については全く教える気がないらしい。
「ノー! いったいなんて言ったんですか! 上条さんの世間体は大丈夫なのですか!?」
なぜか悶えている上条に対し、結奈は本題に戻すことにする。
「上条くん。詳しい説明をしてもらってもいい?」
その言葉を聞いて、上条がピタリと動きを止めた。
「ちょっとまて! 関わらないって約束しただろ確か!?」
数日前、インデックスの治療中に二人で約束したことである。しかし結奈はあっけらかんと言い放つ。
「あれ、上条くんは危ないから関わるなって言ってたよね? さっきの伝言を聞く限りじゃ、逃げたりしなければあまり危険な目に合わせる気はなさそうだったよ?」
実際に神裂が余計な被害を出したがっていない事を知っている上条は、とっさに反論ができない。
結奈はそのまま強引に押し切り、上条に事情を話させることに成功した。
「つまり、インデックスは一度見たものを忘れない完全記憶能力者で、10万3000冊の魔道書を記憶しているせいで脳の記憶領域の八十五%が埋められてしまい、一年毎に記憶を消さないと脳がパンクしてしまう。あの二人はインデックスの元同僚で泣く泣く記憶を消している……って事でいいのね?」
話し終えた上条に結奈は確認を取る。
「ああ、大体そんなもんだ」
疲れたように上条が答える。
「だけど、それが分かってもどうしようもないだろ?」
上条はそう聞いているが、結奈は上条の話を聞かずに唸っている。
しばらく唸り続けたあと、何か思いついたように手をたたいた。
「上条くん、今の話ちょっと気になるところがあったんだけど」
「気になるところ?」
「うん。神裂さんは、完全記憶能力者だから残りの十五%分がパンクするって言ってたんだよね?」
「ああ……そう言ってた」
どこか嬉しそうに結奈が続ける。
「この前に見たテレビの話なんだけどね? 『忘れる』って、記憶を取り出せなくなるだけで記憶自体は無くなる訳じゃないって言ってたの。普通の人でも生まれてから全部の記憶は脳に残ってるって。私も聞いただけだけど」
その言葉に上条の顔色が変わる
「ちょっとまて、それじゃ……」
「うん、本当に脳がパンクなんかするのかな? って思って」
結奈の根本的な疑問にもう一度考え直してみる上条。そして、致命的な矛盾へと行き着いた。
「たしかにそれが本当なら……ってちょっと待てよ! 残りの容量が十五%で生きられるのが一年? よく考えると、それじゃ普通に生活しても十年持たないじゃねーか!」
「あ、そうだよ! いくらなんでもおかしいよソレ!!」
二人の声が自然と大きくなる。しかし、これだけではまだ断定できない。自分たちが知らないだけということもあるからだ。
「新城、小萌先生の携帯の電話番号知ってるか?」
「知ってる! 今かけてるよ!」
二人はじっと携帯電話に寄り添って小萌先生を待つ。何度かコールした後、ついに電話が繋がった。
「「先生!!」」
二人が同時に叫ぶと、
『あーいー。その声は新城ちゃんと上条ちゃんですねー。どうしたですかー?』
と、どこか緊張感のない声が返ってきた。携帯を投げ飛ばしたい衝動に駆られるが、ここは必死に我慢して話を進める。
「先生、黙ってそのまま聞いて下さい。実は……」
結奈は完全記憶能力について聞いてみる。
小萌先生から帰ってきた答えは、二人にとって願ってもないものだった。