。 結奈が呆然と見つめるその先には、走り去ろうとするインデックスの後ろ姿があった。
彼女は結奈達には気づいていない様子で、一直線に駆けていく。
呼び止める声は出ない。そうしようとも思っていない。
それなのに、結奈は離れていくその背中に幼い頃の友達の陰を重ねて、『寂しい』と感じてしまっていた。
インデックスはそのまま結奈に気づくこと無く、店同士の隙間へと消えていく。
「あ……」
僅かに、ほんの僅かに声が漏れた。
その小さな声が聞こえたのか、それとも足元に倒れる天草式の少女達に止めを刺そうと思い直したのか―――インデックスを追って隙間へと入ろうとしていたステイルが足を止め、振り返る。
その視線が、結奈を捉えた。
ステイルの顔に驚きが浮かび―――すぐにそれまでと同じ、険しい表情へと戻る。
その変化を怪訝に思い、周囲に視線を巡らせた所でようやく気付いた。隣にいたはずの五和がいつの間にかいなくなっていることに。
(五和さんは!?)
結奈が慌ててステイルの方へと視線を戻すと、五和はすでにそこにいた。
インデックスに気を取られていた結奈は気づかなかったが、おそらくは移動の魔術を使ったのだろう。
「はっ!」
移動の勢いを乗せ、五和が海軍用船上槍(フリウリスピア)を突き出し―――
「だめっ!! 五和さん!!」
しかし、直前で放たれた結奈の叫びがそれを制止する。
五和の槍はステイルに当たる寸前でその動きを止め……同時に、彼女を焼き尽くそうと振るわれた炎剣も動きを止めた。
一瞬の硬直の後、五和が槍を下ろす。それを見てこれ以上の戦意は無いと判断したのか、ステイルも炎剣を掻き消した。
「ステイルさん、私達はあなたと戦う気はないの。だから、インデックスの所に行ってあげて」
数秒の睨みあいの後、ようやく追いついた結奈が五和の後方へと向かって声を掛ける。
直後、五和の前にいるステイルの姿がゆらりと虚空に消え、結奈の声の先にその姿が再び現れた。
「蜃気楼……!?」
「言われなくてもそのつもりだよ。元々邪魔をしたのは君達だしね」
驚く五和には構わずそれだけを言うと、ステイルはすぐにインデックスが向かった道へと走り出す。
「そうそう、一つだけ言い忘れた事があったよ」
途中、一度だけステイルが振り返り、告げた。
「このまま逃げ続けてあの子に負担を掛けるつもりなら、次に会った時には僕が殺す。結果が出てしまえば諦めもつくだろうしね」
その声に込められた殺意に、結奈の背筋が震え、隣にいた五和が思わず槍を構え直した。
二人の様子を気にも留めず、ステイルはその場を離れていく。
後に残ったのは、無言で佇む結奈と、地面に倒れ伏す意識の無い少女達。
ようやく警戒を解いた五和は、倒れる仲間達へと駆け寄っていった。
意識を取り戻した少女達と別れ、改めて結奈はオルソラの捜索を始めた。
先程のような不意の遭遇を避けるため、これまで以上に警戒して園内を回っていく。
ステイルの事については、五和は特に追求してはこなかった。
気にはなっているようだったが、あまり立ち入るべきではないと判断してくれたらしい。
その気遣いに感謝しながら、慎重に捜索を続ける結奈。
しかし、いくら回っても一向にオルソラが見つかる気配は無かった。
「いませんね、オルソラさん」
パラレルスウィーツパークの外れにある小道を歩きながら、結奈が焦ったように呟く。
他の捜索メンバーからも吉報は無く、時間だけが過ぎ去っていた。
日付が変わるまではもう一〇分も無い。このままオルソラが見つからなければ、最悪の事態にもなり得るだろう。
「これだけ広い場所ですから、仕方ないでしょうね」
答える五和の表情にも、若干の焦りが伺えた。
もしもオルソラを発見できなければ、天草式は『渦』を使えない……いや、使わないだろう。
彼女をここに残していけば、間違いなくローマ正教の部隊に捕縛されてしまう。
天草式だけで一度逃げて体勢を立て直そうにも、次に『渦』が使えるのは二四時間後。
それだけの時間があれば、オルソラを日本国外まで連れ出すのは容易だろう。
かといって、一度逃げた後に『渦』を使わずここに戻ってくる、というのも無理があった。
特殊移動術式では、どの『渦』へと繋げるかは準備の段階で決まってしまうからだ。
かなり離れた場所に繋いだこの『渦』を使ってしまえば、通常の交通手段でも戻ってこれるのは明日の夜以降。
どちらにしろ、間に合わない事に変わりはない。
オルソラを助けるためには、退く事すら出来ない。そんなギリギリの状況だった。
じりじりとした焦燥感に焙られながら、静かな小道を歩いていく。聞こえるのは葉の擦れる音だけ。
会話が無くなったことで生まれた静寂に、五和がハッと何かに気づいた様子で周囲を探る。
「……まさか」
一言呟いて通信用の魔術を展開する五和。
その様子を見て、結奈もようやく周囲の不自然さに気づく。
(なんで、こんなに静かなの?)
そう、ほんの数分前までは、遠くから小さな爆音や怒号が聞こえていたはず。なのに、今ではその全てが途切れていた。
結奈がその疑問を尋ねる前に、通信が終わった五和が口を開く。
「すみません……周辺にばかり意識が向いて、全体の把握を疎かにしていました」
右手でぎゅっとを槍を握りしめながら、悔しそうに言う。
その様子から、少なくとも好ましい状況ではない事が結奈にも理解出来た。
「……先程会ったイギリス清教の魔術師達によって教皇代理が捕縛され、均衡が一気に崩れてしまったそうです。捜索に当たっていた部隊も、大部分がその魔術師達に各個撃破されてしまっていたらしくて……オルソラさんも、すでに捕まっている、と」
「な、なんでその連絡が無かったんですか!?」
ほぼ最悪といってもいい状況に、結奈が血相を変えて五和の言葉に喰らいつく。
放っておけば、今すぐにでもオルソラを助けに走り出しそうな剣幕だった。
五和は俯き右手を震わせながら、感情を押し殺した声で淡々と説明を続ける。
「多分……結奈さんの安全を優先したんだと思います。ローマ正教側はオルソラさんを捕まえた時点で撤退準備を始め、正面出入り口に集合をかけたそうですから……私達に任された捜索範囲なら、助けに行こうとしない限りはまず捕捉されません」
その姿を見て、頭に昇りかけた血が鎮められていった。
(落ち着きなさい私。助けに行きたいのは五和さんだって同じはずなんだから)
そう思い直し、一つ深呼吸。ゆっくりと吐き出される息と共に、焦りを頭から追い出していく。
最後に両手を頬へと持っていき、パチン、と軽く叩いた。
「五和さん、どうやってみんなを助けるんですか」
幾分か落ち着いた様子で、そう問いかける結奈。
突然自分の頬を叩き出した結奈に呆気にとられていた五和だったが、その言葉を聞いてすぐに我に返る。
「それは―――」
五和が何かを言いかけたその時。
どこか遠くで、絶叫がこだました。
「なにっ!?」
人間が出すモノとはあまりにもかけ離れた、おそらくは女のモノであろう声。
その声に乗せられているのは、恐怖、絶望、苦痛、拒絶。強烈な、生々しい負の感情。
それは、二度三度と広い園内に響きわたった。
「ま……さか」
悲鳴を上げる、女。それが意味することは明白だった。
(駄目! 今飛び出していったって、捕まって余計に手間をかけるだけ……)
歯を喰いしばり、駆け出しそうな体を必死に押し留める。
強く握りこんだ両手の爪は掌へと喰い込み、小さな痛みを伝えていた。
隣では、五和が左手で右手首を掴み、抑えつける様にして俯いている。
響き続ける絶叫の中で、二人はただそうして耐え続けていた。
何度も繰り返された絶叫が、ようやく終わりを迎える。
無限にも感じたその僅かな時間は、結奈に一つの決意を生み出していた。
「五和さん」
それを、隣に佇む少女へと伝える。
「私も、戦います。みんなを助けるために」
オルソラを連れてきた責任をとると言いながら、結局守られていただけだった自分が嫌になったから。
「……いいんですか?」
五和も気づいているのだろう、イギリス清教の魔術師達が結奈の知り合いで……彼らからこそ離れたかったのだという事に。
「はい」
上条達に会うのは、怖かった。今だって、絶対に見つからない場所に逃げてしまいたいと思っている。
けれど、それを理由にして天草式の人達やオルソラを見捨てる事だけはしたくなかった。
そんな想いが通じたのか、五和が微笑みを浮かべる。
「わかりました。結奈さんには私のフォローをお願いします」
そう言って、右手を差し出す五和。
結奈は、その手をぎゅっと握りしめた。
ローマ正教部隊がいなくなった後、結奈達はパラレルスウィーツパークから離れ、連行されたオルソラ達を追った。
その途中で他に逃げ延びた天草式のメンバー数人と合流し、現在はオルソラ達が捕まっている建築中の教会に潜んでいた。
教会の中と言っても、同じ建物の中にいるわけではない。
この教会は並みの学校の体育館を四つも五つも並べられる程の広い敷地を持ち、七つの聖堂が配置されている。
工事は半ばではあるが、それぞれの聖堂もある程度は形になっているために隠れる所はいくつもあり、その内の一つに結奈達は身を隠していた。
工事中であったことが幸いして、侵入者対策の結界はオルソラが捕まっている『婚姻聖堂』と天草式の面々が捕まっている『堅信聖堂』にしか張られていなかったため、ここまでは特に問題なく侵入出来ている。
オルソラや天草式の面々の処刑も行われてはいないようで、一安心といったところだった。
五和によると、ローマ正教の教えとして『神の教えを信じる者を殺めてはならない』というものがあるらしい。
そのため、オルソラの処刑を行うためにはいくつかの手順を踏んで彼女を『神の敵』として認定する必要があり、その準備に少なくとも数日はかかるそうだ。
捕縛した天草式の面々も、それのリアリティを増すための小道具として利用する腹積もりなようで、少なくとも命の心配はしなくてもいいとの事だった。
ただし、『死ななければなにをしても良い』という状況である事に変わりは無い。パラレルスウィーツパークでの悲鳴がいい例だろう。
だからこそ、行動は出来るだけ早く行うべきだった。心情的な意味でも、天草式の戦力的な意味でも。
時刻は午前一時過ぎ。
すでに天草式の解放準備は整っている。あとは機会を待つだけだ。
つい先程合流した建宮からはイギリス清教側の説得に成功した事も聞いており、そちらのタイミングに合わせて行動を起こす事になっていた。
そうして結奈が行動開始を待っていた時。
突然、ぞくり、と背筋が震えるような感覚に襲われた。
どこからかじっとこちらを見られているような、そんな感覚。
(なに……これ)
オルソラを背負って帰った時にも、同じ様な視線を感じた事を思い出す。
あの時と違うのは、ステイルから感じたものと同じ、殺意のようなものを孕んでいる事だった。
思わず辺りを見回す結奈。
しかし、周りにいるのは天草式の面々だけだ。それ以外には誰もいない。
そうするうちに、その視線も感じられなくなった。
(気のせい、だったの……?)
いくら考えても、答えは出ない。
そして、考える時間も、もう残ってはいなかった。
バン、と何かの砕ける音が『婚姻聖堂』の方向から聞こえる。
おそらくは、強引に結界が破られた音だろう。
それは、戦いの始まりの合図であると同時に、
(そんな事を出来るのは、上条くんしかいないよね……)
誰よりも会いたくて、会いたくないその人が、そこにいる証だった。