オルソラが学園都市へと向かうのを見送った後、天草式も行動を開始する。
目的が陽動である以上、やる事はいたってシンプルだ。
これまでに掴んでいたローマ正教の本隊の位置を考慮に入れ、そこからの救援が間に合わないギリギリの位置へとメンバーの大部分を配置。
そこでわざと姿を見せることで敵の目を引き付け、学園都市に向かうオルソラに気付かないように誘導する。
自分達の現在地を教える危険な手ではあるが、周辺二〇キロまでに斥候が散らばっているこの状況では背に腹は代えられなかった。
放っておけば、オルソラは確実にその索敵網にかかってしまうだろうから。
「なのに、私は離れた所で隠れてるだけ……」
「す、すみません……ただ、本来無関係な結奈さんにそこまでさせるのは、私達としても本意じゃないんです」
下水道の中、結奈は俯いて壁にのの字を書いていた。隣では五和が何とかフォローしようと話しかけている。
結奈がいるのは、天草式本隊から五キロほど離れた場所だ。
オルソラを連れてきた義務感もあり、手伝いたいと言った結奈だったが、逃げる際に足手まといになると言われて置いていかれてしまったのだった。
「それに、いくら能力があるといっても普通の武器を使われたら対処できませんから」
「それは分かってますけど……」
五和の言う通り、問題は捕獲部隊のシスター達が武装している事にある。
魔術に関しては『人形使い(パペットマスター)』の能力で対処出来たとしても、直接武器で襲われれば何の意味も無いからだ。
(はぁ……。結局、何も出来ないんだよね……)
ため息とともに考える。素人がどうこう出来るものでは無いと分かっていても、無力感が無くなるわけではない。
ちょうどその時、苦笑いを浮かべていた五和へと魔術が届いたのを結奈は感じた。
通信用の術式だったので、おそらくは建宮達からの連絡だろうと推測する。
案の定、誰かと会話するようにぼそぼそと呟きだした五和だったが、その顔が徐々に強張っていく。
(何かあったのかな)
五和の変化を見てそう考える。彼女の表情を見るに、良い知らせではなさそうだが。
二、三分程して、話が終わったらしい五和が結奈へと声を掛ける。
「結奈さん、少し状況が変わりました」
そう前置きして、説明を始める五和。
「イギリス清教から派遣された魔術師がローマ正教側に協力をしているそうです。それだけなら予想はしていましたし、大きな問題でも無かったんですが……その魔術師がローマ正教の部隊長と会談をしている現場に、イギリス清教の人間がいると聞いて来たオルソラさんが鉢合わせてしまったらしくて―――」
「そ、それって大丈夫なんですか!?」
思った以上の悪い事態に、青ざめた顔で結奈が問いただす。
「あの、落ち着いてください結奈さん。捕まる前に保護したそうですから、最悪の事態にはなっていません」
その言葉にほっと息をつく結奈。それを見ながら、五和が続ける。
「ただ、これでオルソラさんの位置がかなり絞られてしまって、一気に包囲網が狭められると思います。そうなるとこの辺りは逆に危険になりますから、私達は先に包囲網の中にある唯一の渦の近くまで行って待機します」
そこまで言うと、五和は先導するように歩き出した。
結奈としても特に異論はないため、そのまま後を追っていく。
そうしてしばらく歩いた所で、結奈がふと思い出したように五和へと声をかけた。
「そういえば、イギリス清教の魔術師ってどんな人だったんですか?」
とりあえず相手の容姿位は知っておいたほうが良いだろうと思い、そう聞いた結奈だったが、返ってきた答えは予想外のものだった。
「私も聞いただけですけど……確か、肩くらいの赤髪に黒い神父服を着た大柄な男と長い銀髪に白い修道服を着た小柄な少女。それと教皇代理のような髪形をした黒髪で学生服の少年、らしいですよ」
「え……?」
ドクン、と結奈の胸が強く波打つ。
五和から教えられたのは、何処かで聞いたような特徴の人物達。
(学園都市の近くでイギリス清教の魔術師。もしかしたら……)
その考えを打ち消そうと、結奈は強く首を横に振る。
(そんなはず、ないよね。ここは学園都市の外なんだから)
学園都市に入る前にオルソラが見つかった以上、上条との接点は何もないはず。
そう思ってはいても、上条のトラブル体質にそんな常識が通じない事も理解していた。
実際、つい一〇日程前にも『一方通行(アクセラレータ)が倒された混乱を治めるため』などというありえないような理由で学園都市からの外出許可が出されている。
だから結奈は、今回も同じ様に外に出てきていたら、と考えてしまう。
そのたびに、結奈の心臓の鼓動は速まっていった。
同時に押し寄せてくるのは、心の片隅へと追いやっていた恐怖。
(土御門がいるんだから、全部聞いてるよね……きっと)
土御門はシェリーと同じイギリス清教の一員で、その上情報を扱う仕事をしているのだ。
あの事件から一週間たった今なら、間違いなく結奈の能力について掴んでいる。
そして、それがよほどの機密扱いにでもなっていない限りは上条へと伝えるだろう。
目的のためならいくらでも嘘をつくが、それに反しない限りは友情に厚い性格なのだ。あの義妹好きの変態は。
(上条くんは、なんて思ったかな……)
そこにいるだけで周囲の幸せを喰らってゆく自分。それを知って、一体何を思ったのか。
その答えを知るのが怖い。取り越し苦労だと分かってはいても、それを確かめる勇気は持てなかった。
「どうしたんですか? 結奈さん」
急に首を振り、俯き黙り込んでしまった結奈に心配そうな声が掛けられる。
「な、なんでもありません。早く行きましょう」
我に返った結奈が慌ててそう返すと、五和は苦笑を浮かべたまま、それ以上何も聞いてはこなかった。
(もし、上条くんがいたら……)
再会によって向けられる言葉への、大きな恐怖とわずかな期待を胸に抱いて、結奈は無言で五和の後を追っていった。
それから数時間後、結奈と天草式は特殊移動魔術『縮図巡礼』の『渦』へと集結していた。
そこは『パラレルスウィーツパーク』という大規模な菓子専門のテーマパーク。
本来なら多数の菓子店を訪れる客やイベントで賑わっているその場所も、もうすぐ日付が変わる時刻では照明も落とされ、辺りは闇と静寂に包まれていた。
その中で動き回っているのは、『縮図巡礼』の準備をしている天草式の面々だ。
魔術の準備といっても、行っているのはごくごく普通の動きである。
食事をしていたり、本を読んでいたり、世間話をしていたり……その服装も目立つようなものではなく、これが日中なら違和感なく周りに溶け込んでいるだろう。
これらの普通の行動の中に魔術的な意味を含ませ、多数の行動を組み合わせて一つの魔術とするのが天草式十字凄教の魔術様式だった。
結奈の目の前でも、対馬や牛深などの知った顔が世間話をしている。
建宮はここに来てから一度も見かけていなかったが、五和に聞いてみると、オルソラの方で何かする事があるらしい。
そうして準備が終わり、人払いと刷り込みの魔術のかかった園内で残り三〇分ほどを待つだけとなったその時。
世間話の小さな声だけが響いていたそこに、突如として爆音が鳴り響いた。
「なに!?」
慌てて結奈が音の方向に目を向けると、そこには轟々と燃え上がる巨大な火柱。
方向からすると、一般出入り口の辺りだろう。
「来ました! やっぱりそう簡単には行かせてくれませんね」
そう言いながら、五和はバッグから何かを取り出し素早く組み立て始める。
五本の短い棒を接続部(アタッチメント)で固定し、その先に刃の部分を装着……出来上がったのは、一本の海軍用船上槍(フリウリスピア)。
周囲を見渡すと、いつの間にか他のメンバーもそれぞれの武器を手にしていた。
「五和、あなたはその娘を連れて職員用出口の方へ行きなさい。分かってるわね? どんな状況でも、あなたたちは自分の安全確保が最優先よ」
対馬の指示を残し、彼らはそのまま爆発の起こった方向へと走っていく。
「行きましょう、結奈さん」
走り始めた五和の声に従い、結奈も後を追っていった。
互いに周囲を警戒しながら、二人は慎重に職員用出口へと向かっていた。
聞こえてくる怒号や爆発音はほど遠く、こちら側では特に戦闘は起こっていないようだ。
五和に届いた連絡によると、ローマ正教側が包囲を維持したままで動かせるであろうギリギリの数があちらで確認されているらしい。
そのため、こちら側に残っているのは結奈達を除いてわずか六人。その六人も、基本的に二人とは別行動だった。
「実は包囲網を薄くしてて、あっちが陽動の可能性とかはないんですか?」
「それは無いと思います。直前まで特におかしな動きも見られませんでしたし。それに、これだけ捕捉に手間取ったんですから、『渦』を使わずに逃げようとする場合を考えて保険は残しておくでしょうね」
「え? でも、向こうが『渦』の事を知ってるとは限らないんじゃ……」
「いえ、ローマ正教側は『渦』の事を考慮に入れて行動を起こしています。もし知らないのなら、全体の四分の一ほどしか動かせないこの状況で無理に襲撃する理由がありません。もっと包囲網を縮めて、人員の密度を上げた方が突破もされにくいですから」
五和の説明に納得して首を縦に振る結奈。その頭にはいつもつけているリボンは無い。
さすがにあれは目立ちすぎるので、今はポケットの中で折り畳まれていた。
「こちらに回されていたとしても、多くて一〇人……おそらくは、片手で足りる位の数だと思います。術式を阻止するのが目的の部隊でしょうから」
最後にそう付け足した所で、五和の様子が変わる。建宮からの連絡用の魔術が届いたようだ。
「建宮さんからはなんて?」
結奈が聞くと、五和は非常に申し訳なさそうな表情で答えた。
「あの、言いにくいんですが……襲撃の混乱に紛れて、オルソラさんが逃げ出したそうです。それで、私達もこちら側の捜索をして欲しい、と」
「……うわぁ」
それを聞いて結奈も頭を抱える。
どうやら最初の襲撃が、運悪く建宮達の隠れていた場所の近くに行われたらしい。
その時の魔術の影響で足を縛っていた縄が解け、そのまま逃げられてしまった……ということだった。
「そもそも縛ってたのも初耳だよ……」
「す、すみません。拘束を解こうとするだろうから、結奈さんには伝えないように教皇代理から言われていたんです」
思わず零した結奈の一言に、ますます萎縮してしまう五和。
建宮が姿を現さなかったのも、それが理由だったのだろう。
「いえ、五和さんが悪いわけじゃないですから。気にしないで下さい」
オルソラの信頼度は右肩下がりだろうが、それが一番安全だったのも分かっているので何も言えない。
本日何度目かもわからないため息をつきながら、五和と並んで歩き出す。
そのまま角を曲がった直後、向かおうとしていたその先から小さな爆音が鳴り響いた。
音はその一度だけで途切れ、今度は結奈の耳に聞きなれた声が飛び込んでくる。
「とうま!!」
思わず、その声の方向へと視線を向けた。
「あ……」
その視線の先、五〇メートルほど離れた場所に居たのは、結奈に背を向けて走っていく白い修道服を着た小柄なシスター―――インデックス―――と、それを追おうとする赤髪黒服の大柄な神父―――ステイル=マグヌス―――だった。