(ここ、一体どこなんだろ……)
学園都市を出てから二日。結奈は山の中を一人歩いていた。
辺りにはまったく人影はない。それどころか、足元の道すらいつの間にかなくなっていた。
一体どの方角を向いて進んでいるのかすら、結奈自身分かっていない。
(山道でぼーっとして道を踏み外すなんて、我ながら信じられないくらいの間抜けっぷりだよ……)
そう考えながら自嘲の笑みを浮かべる結奈。
その姿は泥に塗れ、体中に擦り傷を負っている。
顔には生気が無く、疲労の色も濃い。それを示すかのように足元はおぼつかず、限界が近い事が見てとれた。
それでも、結奈は取り憑かれたように足を進め続ける。まるで何かから逃げているかのように。
しかし、二日間ほとんど不眠不休で酷使し続けた体はついに限界を迎え、結奈の体は地面へと崩れ落ちた。
(あれ? 足、動かないや……)
ひんやりとした土の温度を感じながら、結奈は学園都市を出た日の事を思い出す。
(そういえば……あの空間移動能力者(テレポーター)の女の子、どうして外壁近くになんかいたんだろ……?)
あの日、何とか学園都市の外に出られないかと外壁を回っていた結奈は、その途中で一人の少女を見つけた。
その少女は、前を開いた霧ヶ丘女学院のブレザーの下にさらしを巻いただけという危ない格好で、なぜか外壁付近をうろうろしていたのだ。
(なんていうかすごい格好だったし、こっそりそういう趣味を披露してたのかな。だとしたら悪い事しちゃったかも……)
少女が空間移動能力者だとすぐに気づいた結奈は、学園都市から出るのにその能力を利用する事にしたのだった。
その時の少女の慌てふためく顔を思い出し、わずかに顔を綻ばせながら結奈の意識は霞んでいく。
「た、大変です! こんな所で女の子が倒れてますよ!!」
「おいおい、いくらなんでもこんな山ん中に美少女がホイホイと倒れてたりする訳が……ぬぉ! 本当にいやがるのな!!」
「あの……私は美少女とは一言も言ってませんけど……」
「そんなのはどうでも良い事なのよ。大事なのは今ここに美少女が倒れているこの事実! 訳ありっぽいニオイもして、血が騒ぐってもんよなぁ!!」
「はぁ……そこの馬鹿は放っておいて、その子を運んでしまいましょう。私も手伝うわ」
「あ、はい。ありがとうございます」
薄れゆく意識の中で届いた声を聞きながら、結奈は夢へと沈んでいった。
バス事故から数日、結奈は久しぶりに通学路を歩いている。
しかし、その表情は沈み、重い雰囲気を背負っていた。
(みんな、はやくよくなるといいなぁ……)
結局、あの事故では結奈以外の全員が重傷を負い、未だ入院している。
死者こそ出なかったものの、入院期間の関係上、結奈は次の学年まで隣のクラスに混ざって授業を受ける事になっていた。
他のクラスに友達がいなかった結奈の学校へ向かう足取りは自然と重くなり、口からはため息がこぼれてしまう。
そうしてとぼとぼと歩いていた結奈だったが、ふと周囲からの線を感じて立ち止まった。
疑問に思って振り返った先にいたのは、輪を作って話をする近所のおばさん達。
彼女達は結奈の視線から目を逸らすようにしながら、ヒソヒソと何かを話し込んでいた。
(なんだろ?)
不思議そうに首を傾げてみても、声は聞こえてこない。
気を取り直して学校へと向かっていくが、その先々でも同じような視線を感じ続けた。
その視線の意味が分からず、困惑する結奈。
ようやく学校へとたどり着いた頃には、気疲れから少しぐったりとしていた。
(みんな、なんのおはなしをしてたのかな?)
そんな事を考えながら職員室のドアをくぐる。すると、ここでも教師達の視線が一斉に結奈に向かってきた。
なんとなく居心地の悪さを感じながら、結奈は隣のクラスの担任の所へと行って挨拶をする。
「せんせい、おはようございます」
「おはよう、新城さん。……えっと、もうすぐ朝の会が始まるから、行きましょうか?」
しかし、その教師は結奈と目を合わせもせずにそれだけを言うと、さっさと席を立って教室へと歩き始めた。
不思議に思いながらもその後を追う結奈。
教師の後に続いて教室に入り、自己紹介をする。おかしな視線は、この教室でも続いていた。
何か言いたげなその様子に気圧されながら、結奈は用意された席に着く。
新しいクラスメイト達は、遠巻きに結奈を見詰めていた。
その日の昼休み。結奈は自分の席に座り、一人でお弁当を食べていた。
相変わらず周りの子供達は遠巻きに結奈を見て、何かを話している。
その雰囲気に声をかけることも出来ず、結奈は黙々と食事を続けていた。
(うぅ……みんなどうしたのかな?)
今の状況に至った理由を考えてみるが、結奈には全く心当たりがない。
そんな風に考え込んでいると、いつの間にか結奈の席は数人の男の子に取り囲まれていた。
あまり男の子と話した事のない結奈は、縮こまってビクビクしながら集まって来た男の子達を眺めている。
しかし、いつまで経っても男の子達は何も言ってこない。
痺れを切らした結奈が思い切って話しかけようとしたその時、まるでそれを遮るかのように一人の男の子が口を開いた。
「なあ、あれっておまえのせいなんだってな」
「あ、あの……あれって、なに?」
突然振られた話題についていけず、そのまま聞き返す。
「そんなの、じこのことにきまってるだろ」
「え……?」
理解できないその台詞に結奈の頭が一瞬真っ白になり、呆然としてしまう。
そして、男の子達はその沈黙を肯定として受け取ってしまったようだった。
男の子達が騒ぎ出し、それにつられるように教室中がにわかに騒がしくなる。
「ち、ちがうよ! そんなことない!!」
慌てて否定する結奈だったが、すでに結論を出してしまった男の子達は聞く耳を持たなかった。
「うそつけよ。みんなそういってるよ。おとうさんやおかあさんもいってたし、せんせいだってそういってたぞ。しんじょうは、ちかくにいるひとをふこうにして、じぶんだけうんがいいんだって」
それは幸運だったのか、それとも不幸だったのか。普段は幼い性格に隠れて目立たなかったが、結奈は同年代の子供に比べて理性の発達が早く、頭の回転も速かった。
だからこそ、結奈は気づいてしまった。朝から感じ続けていた視線の意味を。
そして、青ざめた結奈に対し、子供達の無邪気な糾弾が始まる。
それが、緩やかな地獄の日々の始まりを告げる合図となった。
あの日から、結奈の周りに近寄ってくる子供はいなくなった。
町を歩けば大人子供問わずに心ない言葉を浴びせられ、教師ですら罵声を向ける。
仲の良かったはずの友達も、退院してくる頃には既に他人となっていた。
『幸運を吸い取られる』という俗話を信じて、両親以外の全ての人間が結奈を蔑んだ。
結奈の持つ幸運によって、直接的に危害が加えられる事こそなかったが、その代わりに向けられる言葉は容赦を無くしていく。
そんな現実に、幼い結奈が耐えられるはずもなかった。
そして、いつしか『自分が他人を不幸にする』という話を、結奈自身が信じるようになっていく。
それは、『他人を不幸にしないため、自分は望んで一人でいる』と、孤独を自分の意志だと思い込まなければ、心の均衡を保つ事ができなかったからだった。
限界が近づいている事を悟った両親は、知り合いの勧めに従い、オカルトが一切信じられていない学園都市へと結奈を転校させる。
そこならば、今のような状況にはならないと考えたのだろう。
実際、外であった『不幸になる』などの話は、学園都市では全く信じられていなかった。
そして、転入直後の身体検査(システムスキャン)では、結奈に無能力者(レベル0)が下される。
それを聞いた両親はひどく喜んでいた。
これで結奈が学園都市で目立つ事もないと考えたのだろう。
しかし、娘に平穏に過ごして欲しいという、その願いは叶わない。
身体検査では無能力者判定が下された結奈だったが、『不幸』は信じられなくとも『幸運』だけははっきりと結果として存在していた。
そして、その『幸運』によって、結奈は同じ無能力者からは妬まれ、日常生活にすら役に立つかどうかという程度の弱能力者(レベル1)や異能力者(レベル2)からは疎まれる事になる。
結局、子供達の結奈への対応は外と変わりはしなかった。
大人達の対応は優しくなっていたが、既に心を閉ざしていた結奈からすれば変化はないも同然。
むしろ、家族という唯一の安らげる場所がなくなった分、悪化していると言っても過言ではなかった。
家族すら失った結奈の心は、ゆっくりと本当の孤独へと埋まっていく。
そうして一年が経つ頃には、結奈は世界の全てを拒絶するようになっていた。
誰とも関わらず、誰にも関わらせないとばかりに、ただ黙々と授業(カリキュラム)をこなす。
能力実技以外の成績は飛び抜けており、問題の実技に関しても普通以上の努力が認められるために教師達も下手に口が出せない。
それでも、結奈の心には確実に限界が近づいていた。
そんなふうに、心を擦り減らしながら暮らしていた時間。
結奈が上条に出会ったのは、そんな時に訪れたクラス替えの結果だった。