地下から出た結奈は、廃墟のビルが立ち並ぶ路地を歩いていた。
俯きながらゆっくりと進む結奈に、前方から声がかけられる。
「お、新城」
「ゆいなー、こっちこっち」
「だ……大丈夫、ですか……?」
顔を上げると、そこにいたのは笑顔を浮かべる上条、インデックス風斬の三人。
「ごめんねー、遅くなっちゃって。そっちこそ、大丈夫だった?」
結奈も笑顔を浮かべ、三人に答える。
「もちろんだよ! ひょうかもちゃんとここにいるよ」
隣にいる風斬の腕をぐいぐいと引っ張っりながら、インデックスが嬉しそうに言う。
風斬もそうされるのは嫌ではないのか、にこにこと笑っていた。
「それで、みんなはこれからどうするの?」
結奈の疑問には、上条がうんざりとした顔で答える。
「とりあえずは病院だな。一応診てもらっとかないと」
「たしかにそうだね。それじゃあ私も一緒に行こうかな」
そう言って頷き、回れ右をして三人の横に並ぶ結奈。
その姿が自然すぎて、上条は気づかなかった。
置いて行かれたはずの結奈が、怒る事さえしなかったという不自然に。
「ほら見てくださいよ。今回俺って入院とかしてないじゃないですか。うわすげーな俺、これって一つの成長進化ですよね? そうですよね? っていてぇぇぇ!!」
はしゃいだ声でカエル顔の医者に話しかける上条が、両サイドから小萌先生と姫神に頭を引っ叩かれて絶叫した。
「上条ちゃん! あなたという人は本当に本当に本当に人様に迷惑をかけたのはノー眼中なのですか!? まったく警備員(アンチスキル)さんのお世話になるだなんて……ぶつぶつ。もう! 後できっちりお話聞かせてもらってお説教ですからねーっ!」
「だから『風斬氷華』には警戒せよと。あれほど注意しておいたのに。女と知ると見境がなくなるその人格は。一度徹底的に矯正した方が良いのかもしれない」
その怒りの声を聞いて、見る見るうちに上条のテンションが下がっていく。
「……、あの。なんか後ろの二人が怖いのでやっぱり入院とかダメですか? もう絶対安静面会謝絶とかで、とにかくこの凸凹コンビの温度が下がるまでのシェルターが欲しいのですが」
目の前でそんな事を言われ、二人は高速で上条の頭を叩き始めた。
「やめっ、これ以上叩かれたら上条さんは馬鹿になってしまいます!」
「あれ? それ以上馬鹿になんてなるの?」
「ひどっ! 新城さんそれは酷いのではないかと不肖上条、思ったりも……すみません新城さんの言う通りでございます」
結奈の突っ込みに反論しようとした上条だったが、一睨みで自虐的に頭を下げ始める。
「へたれなのです……」
「すごく。へたれ」
「やめて! 事実だけに反論できないから!!」
その姿に、小萌先生と姫神からは憐れみの視線を送られていた。
それを見ながら、結奈は診察室を出ていく。向かったのは待合室。
そこにはインデックスと風斬が並んでソファに座っていた。スフィンクスは学生寮でお留守番だ。
「やっほー。二人は怪我とかないの?」
声を聞いた二人が結奈に顔を向ける。
「うん。私は別に問題ないかな」
「私も……もう、治ったから。大丈夫」
「そっか。風斬さんもありがとう、インデックスを助けてくれて」
結奈がそう言うと、風斬は恥ずかしそうに顔を伏せた。
逆に、インデックスは嬉しそうに目を輝かせる。
「当り前だよ、ひょうかは私の自慢の友達だもん!」
インデックスは親に褒められた子供のような表情をして、無邪気な声で言った。
それを聞いてますます俯いてしまう風斬。
恥ずかしいのか嬉しいのか、その顔は耳まで真っ赤に染まっている
「ふふっ。じゃあ親友同士の語らいを邪魔するのはこれくらいにして、と。ちょっと寄って行くところがあるから、私は先に行くね」
それだけを伝え、その場を離れる。しばらく歩いてから振り返ると、二人は楽しそうに話をしていた。
「…………んね」
結奈の口から小さな声が発せられ、すぐに踵を返して歩き出す。次に向かった先は臨床研究エリアだった。
いつもの待合室を見ると、珍しい人物がそこにいた。
そこにいた二人からも結奈が見えたらしく、声をかけてくる。
「お姉さまー、こんな時間にどうしたんですかー?」
「お姉様、すでに面会時間は過ぎていますが、とミサカは心にもない正論を一応言っておきます」
なぜかいる佐天が、ミサカと一緒に話をしていた。
「私は上条くんの付き添いで病院に来たんだけど。……涙子ちゃんはどうしてこんな時間にいるのかな?」
先ほどミサカが言ったように、すでに面会時間は過ぎている。本来ならば病院からは出ていかなければいけないはずだ。
「それはですね、今日はこっそりとここに泊めてもらうつもりなんです!」
その答えに結奈は目を丸くする。
「それではあまりにも説明が足りないため、お姉様が困惑しています、とミサカは問題点を指摘します」
それで端折りすぎた事にようやく気づいたらしい佐天が、最初から説明を始める。
「あのですね、あたし、明後日から広域社会見学で一週間くらいここに来れませんから。その前にみーさんとじーっくり話し合っておこうと思って」
「会議の内容はお姉様といえども教える訳にはいきません、とミサカは心苦しく思いながらも釘を刺します」
「そ、そうなんだ……」
一体どんな話題があるのだろうとは思う結奈だったが、下手に聞いてそれが自分の話題だったりすると反応に困るので、突っ込まずに流す事にする。
「それで、お姉様はどうしてここに? とミサカは問いかけます」
結奈からの質問に答え終わったからか、今度はミサカの方から聞いてきた。
「私は付き添いでここに来たから、ついでにみーちゃんの顔でも見ておこうかなー、って思って」
それを聞いてミサカは何故か頬を染め、佐天は不機嫌そうに頬を膨らませている。
「ずるいですお姉さま! あたしには会いに来てくれなかったのに、みーさんには会いに来るなんて!」
少し興奮してきたのか、佐天の声が大きくなってきていた。
そこに、ミサカがまるで挑発するように言う。
「それはお姉様がミサカの事をより妹と思っているという事でしょう、とミサカは勝利宣言をします」
「そ、そんな事ありません! より妹らしいのはあたしです!」
「はぁ……。二人とも、ほどほどにね……」
口論を始めた二人に、それだけを告げて逃げるようにその場を離れる結奈。
後ろから何か聞こえたような気がしたが、結奈は気にせず逃げ出し、そのまま病院の入口に向かって行く。
夜間用の非常口を開いて外に出ると、先ほどまで診察室にいたはずの上条がそこにいた。
「上条くん?」
その結奈の声に上条が振り返る。
「あれ、新城。先に帰ったんじゃなかったのか? インデックスはもう行っちまったぞ」
インデックスに『先に行く』と言っておいたせいか、上条はすでに結奈が帰ったものと思っていたらしい。
「ちょっとね、ついでだからみーちゃんのお見舞いに行ってたの」
「みーちゃん?」
結奈の返答に首を傾げる上条。
それを見て、結奈は上条にはミサカ達がこの病院にいる事を教えていなかったのを思い出した。
「みーちゃんはミサカ一〇〇三一号ちゃんのこと。他にも十人くらいここで治療してるよ」
「なにぃ! そんなのは初耳だぞ!!」
その驚きようからすると、上条は本当に誰にも教えられていなかったようだ。
「それで、どうするの? 今度会いに行ってみる?」
何となくその返答を予測しながら、からかうように結奈が言う。
「……いかねぇよ。次に会うのは、もっと日常の中でだ」
思った通りの答えに笑う結奈を見て、上条も照れくさそうに頭を掻く。
しばしの沈黙の後、結奈が切り出した。
「それじゃ、そろそろ私も行くね」
それを聞いた上条はいつものように返す。
「ん? 帰るんなら寮まで送るぞ」
「ううん。まだ用事があるから、寮には帰らないの」
その申し出を、結奈は丁重に断った。その声は、少しだけ震えている。
「それならいいけど。気をつけろよ」
「うん、心配してくれてありがとね」
結奈の顔に浮かぶ曇りのない笑顔。それに、わずかに影が差した。
「じゃあな、新城」
「うん、じゃあね」
もしも上条に記憶があれば、気づけただろう。その笑顔の意味に。
それは、出会ってすぐの頃に、結奈がいつも浮かべていた笑顔だったのだから。
けれど上条は気づけなかった。その意味を、知らなかったから。
「……さよなら、上条くん」
小さな呟きが、誰もいなくなった道に響く。
その夜、学園都市から新城結奈の姿が消えた。