魔術師は上条の一撃によって数メートルも吹き飛ばされ、地面に転がっていた。
それで終わったと思ったらしい上条が魔術師に背を向け、結奈の方へと向き直る。
「なぁ新城。それって―――」
何をしたのかを尋ねようとする上条の向こう、倒れている魔術師がゆっくりと左手を動かした。
「ダメ、上条くん! まだ意識が残ってる!」
慌てて振り返る上条の視線の先。
「ふ。うふふ」
魔術師が小さく笑い、素早くオイルパステルを地面に走らせた。
「な……ちくしょう! 二体目を作る気か!?」
その声に警備員(アンチスキル)達も銃を構えるが、上条と結奈がいるため下手に発砲する事ができない。
(私が……ダメ! あれだけ距離があると、今度はこのゴーレムの制御を取り戻しちゃう)
そうなれば、危ないのは警備員達だ。結奈はエリスを留めておくために動くことができない。
「うふふ。うふうふ。うふうふうふふ。できないわよ。ああしてエリスが存在する以上、二体同時に作って操る事などできはしない。大体、複数同時に作れるのなら始めからエリスの軍団を作っているもの。無理に二体目を作ろうとした所で、どうやっても形を維持できない。ぼろぼろどろどろ、腐った泥みてーに崩れちまう。そもそも、数を増やしても人形使い(パペットマスター)が相手じゃ意味がない」
上条が慌てて駆け寄るが、辿り着く前に魔術師の手が止まる。
「それでも、そいつも上手く活用すりゃあ、こういう事もできんのさ!!」
瞬間、描かれた文字を中心にして、半径二メートルほどの地面が丸ごと崩れ落ちた。
魔術師は、その穴へと落ちていく。
「くそっ!!」
空洞の縁から穴の下を覗き込む上条。
「やられた。下に地下鉄の線路が走ってやがる……」
その呟きに合わせるように、エリスの体がボロボロと崩れていった。
それを見た結奈が、上条の元へと駆け寄ってくる。
「降りられそう?」
しかし、上条は何かを考え込んだまま答えない。
結奈がもう一度声をかけようとすると、その直前に上条が叫んだ。
「くそ! 狙いはインデックスか!!」
上条の声に結奈も思い出す。あの魔術師の狙いが自分達だけではなかった事を。
戦いは、まだ終わらない。
「だから! もうさっきのヤツは地下街にいないんだろ! だったら何で地下街の封鎖が解かれないんだよ!?」
掴みかかりそうな勢いで、上条が一人の警備員に対して怒鳴りかかっている。
「何度も言うように、地下街の管理とウチらとは管轄が異なるじゃん」
感情的になる上条に、その警備員―――黄泉川は先ほどと同じ言葉を繰り返すだけだ。
彼女はそれだけ言うと、他の警備員の所へと行ってしまう。
「くそ!」
そう毒づいて壁を蹴る上条。その様子を見て、風斬はビクッと肩を震わせる。
「落ち着いて上条くん。風斬さんが怖がってるよ」
「え? わ、わりぃ風斬」
結奈にそう言われて少し冷静さを取り戻したのか、ビクビクしていた風斬に謝る上条。
それを聞いて、おずおずと風斬が切り出す。
「い、いえ……。あ、あの……さっきは、ありがとう、ございました」
「ん? 別にお礼を言われる事でもねーと思うけど。それよりお前、体は大丈夫なのか?」
「あ、はい。……平気、だと思います、けど。えっと……それで。何が、あったん……ですか?」
上条は少し黙りこんだ後、意を決したように話し始めた。
「シェリー=クロムウェル……あのすすけたゴスロリ女は逃げたんじゃない。次のターゲットとして、インデックスを追い始めただけだ」
「え……?」
「あいつはどうやら俺や風斬を殺すためにここに来たんじゃなくて、特定の条件が合えば誰でも良かったみたいなんだ。で、その一人がインデックスって訳」
「聞く限りでは私もそうだったみたいだけどね。……今の状態だと、護衛のないインデックスが一番狙いやすいから」
その言葉に風斬が息を呑む。
「……で、でも。地上にも、警備員の人達はいっぱいいるんじゃ……」
もっともらしい意見だったが、ことインデックスに関してはそれを当てにする事はできなかった。
「それはできない。インデックスはこの街の住人じゃない。警備員に見つかれば保護どころか、最悪逮捕されるかもしれない」
上条は声をひそめて言う。
「一応、アイツにも臨時発行(ゲスト)扱いのIDはあるんだけど、特別警戒宣言下なんて非常時じゃ役に立つか分からない。アイツには『書類上の身分(パーソナルデータ)』がないから、身分証を出せって言われたらはっきりいってアウトだ」
「で、でも……私だって、実は住人じゃなかったんだし……あ!」
そこまで言って、風斬は結奈がいる事を思い出したようで、慌てて自分の口を両手で塞いだ。
それを見ながら結奈が言う。笑顔を浮かべて。
「大丈夫。私も全部知ってるから」
「え……? でも、それじゃあ、どうして……」
知られているとは思いもしなかったのだろう。風斬は、ポカンとした顔で結奈を見つめて呟いた。
「友達、でしょ」
その一言に、風斬は再び泣きそうになっている。
「……えーと、話を続けていいか?」
右手で頭を掻きながら、困ったように言う上条。
「上条くん、もう少し空気を読んだ方が良いよ」
ジト目でそう答えつつも、結奈は先を促す。
「でだ、風斬とインデックスでは、ちょっと事情が違うんだ。インデックスは、学園都市とは系統が違う組織に属している。そして、それだけで完全に危ないと判断されちまうかもしれないんだ」
そこまで言うと、上条は二人に背を向け大穴に向かって歩き出した。
結奈達もその後を追う。
「地下街の封鎖はまだ解かれないし、行くならここしかねぇか。くそ、すぐそこの隔壁を開けてくれりゃ簡単に先回りができるってのに、何で追走なんて後手に回らなくっちゃならないんだ!」
三人は大穴を覗き込みながら話していた。
「ま、待って……。本当に、……あなた一人で行くんですか?」
「ちょっと風斬さん。私も行くに決まってるよ」
風斬の台詞に、心外だとばかりに結奈が答える。
「待て、新城はここで待ってれば良いだろ? 後は俺が何とかするから」
上条が止めようとするが、
「上条くんもさっきの見てたでしょ? 私がいた方が良いと思うよ」
結奈も引き下がる気はないようだ。
「……大丈夫、です。あなた達が、行かなくても……助ける方法は、あります」
その会話をじっと見ていた風斬が、ポツリと呟いた。
「化け物の、相手は……同じ、化け物がすれば良いんです」
結奈達の顔が驚愕に染まる。そんな二人に風斬はそっと笑いかけ、
「私は……あの化け物に、勝てるかどうかは分からないけど、少なくとも、囮ぐらいはできます……。私が殴られている間に、あの子を逃がす事が……できます。私は、化け物だから。それぐらいしか、できないけど……」
その言葉に二人は絶句する。そして、すぐさま怒りの表情を浮かべた上条が怒鳴りつけた。
「おまえ、まだそんな事言ってんのか! 良いか、お前がはっきり口にしねぇと分かんねぇなら、一から一〇まで全部教えてやる。お前は化け物なんかじゃねぇんだよ! 俺達が何のために、誰のためにここまで駆けつけたと思ってんだ! それくらい分かれよ、何で分かろうとしねぇんだよ!」
上条のその言葉に、風斬は静かに笑って答える。
呆然と立ち尽くす結奈と憤る上条を、まっすぐに見つめて。
「……それで、良いんです。私は、化け物で良い……。私は、化け物だったから……あの石像に何度殴られても、死にませんでした。私が……化け物だからこそ、私はあの石像に立ち向かえます……」
ゆっくりと足を動かし、
「だから……。私は……私の力で、大切な人を守ります。だから、私は……化け物で、幸せでした」
そして、風斬はシェリーの空けた大穴へと飛び込んでいった。
「だめ! 上条くん!!」
上条はとっさに手を伸ばそうとするが、それが右手だと気づいた結奈によって止められる。
そのまま、風斬の姿が暗闇へと溶けていく。ただ、そっと微笑みながら。
後に残されたのは、呆然とする二人の姿。
「……ごめん。上条くん」
風斬が飛び降りた大穴の縁で、ポツリと結奈が呟いた。
「新城? 何の事だよ」
謝られた理由が分からないらしい上条に、結奈が続ける。
「私がもう少し早く風斬さんのやろうとしている事に気づけてたら、無理矢理にでも止められたのに……」
結奈の能力なら、風斬の体の自由を奪って動けなくする事は簡単だった。
しかし、風斬の言葉に動揺していた結奈はその事に気づけず、結果として風斬を一人行かせてしまったのだ。
罪悪感を感じて俯く結奈の頭に、そっと上条の手が乗せられる。
「謝るのは俺の方だろ。新城が止めてくれなかったら、風斬を殺しちまってたかもしれなかったんだ」
その言葉に、ようやく結奈が顔を上げた。
そして、驚きの表情を浮かべる結奈に、上条が言う。
「新城、風斬を追うぞ。手伝ってくれ」
「……うん!」
泣き笑いの顔で、結奈はしっかりと頷いた。
結奈は地下街を探し回って見つけた太い消火ホースを縄代わりに使い、大穴から地下鉄の構内へと降りていた。
「上条くん、どこ?」
先に降りたはずの上条の姿を探すが、返事は返ってこない。
しばらく周辺を調べていた結奈だったが、ふと気づく。
(まーさーかー! 上条くんの『手伝ってくれ』はロープを探す事だけだったって言うのー!!)
この手際の良さを考えると、どうやら上条は最初からそのつもりだったらしい。
(あの流れで! あんな事言って! 置いて行くなんて上条くんも良い度胸してるじゃない!!)
後で上条に行うお仕置きを考えながら、結奈も急いでエリスの足跡を追っていく。
しばらく走り続けると、遠くから話し声が響いてくる。
「戦争を、『火種』を起こさなくっちゃならねぇんだよ。止めるな! 今のこの状況が一番危険なんだって事にどうして気づかないの!? 学園都市はどうもガードが緩くなっている。イギリス清教だってあの禁書目録を他所に預けるだなんて甘えを見せている。まるでエリスの時と状況と同じなのよ。私たちの時でさえ、あれだけの悲劇が起きた。これが学園都市とイギリス清教全体なんて規模になったら! 不用意に互いの領域に踏み込めば、何が起きるかなんて考えるまでもないのに!」
反響で結奈にはよく分からないが、おそらくはシェリーという魔術師のものであろう声。
「くっだらねぇ。そんな言い分で正当化できると思うな! 風斬が何をした? インデックスがお前に何かやったのか!? 新城がお前を傷つけたって言うのかよ!! 争いたくないなんてご大層な演説してる割に、お前は一体誰を殺そうとしてんだよ!!」
そして、上条の叫び声。
「怒るのは良い、哀しむのだって止めはしない。けどな、向ける矛先が間違ってんだろうが! そもそも誰に向けるもんでもねぇんだよ、その矛先は! もちろんそれは辛いに決まってる。俺なんかに理解できるはずもねぇってのは分かってる! それでもテメェがその矛先を誰かに向けちまったら、それこそテメェが嫌う争いが起きちまうだろうが!!」
「……分かんねぇよ。ちくしょう、確かに憎いんだよ! エリスを殺した人間なんてみんな死んでしまえば良いと思ってるわよ! 魔術師も科学者もみんな八つ当たりでぶっ殺したくもなるわよ! けどそれだけじゃねぇんだよ! 本当に魔術師と超能力者を争わせたくないとも思ってんのよ! 頭の中なんて始めっからぐちゃぐちゃなんだよ!」
再びシェリーの絶叫が暗闇に響き渡る。
「信念なんて一つじゃねぇよ! いろんな考えが納得できるから苦しんでいるのよ! 一つ二つ消えた所で胸も痛まないわよ!!」
矛盾したその叫びに、上条は答える。
「結局、お前は大切な友達を失いたくなかっただけなんじゃねぇのか!?」
『後悔』。それこそがきっと、シェリーの声から滲み出る共通の感情。
「そこを踏まえて考えろ。もう一度でも何度でも考えろ! テメェは泥の『目』を使って俺達を監視していたよな。テメェの目にはあれがどう映った? 俺とインデックスは、互いの領域を決めて住み分けをしなくちゃ争いを起こすような人間に見えたのか! その星の数ほどある信念の共通部分で考えろよ! 俺やインデックスがお前に何かしたのか!? テメェの目には俺が嫌々インデックスに付き合わされているように見えたのかよ。そんなはずねぇだろうが! 住み分けなんかしなくても良いんだよ! そんな風にしなくたって俺達はずっと一緒にやっていけるんだ!!」
最後に上条が願ったのは、きっとシェリーにも分かり過ぎてしまう望み。
「お前の手なんか借りたくない! だから、俺から大切な人を奪わないでくれ!」
一瞬の静寂が過ぎ、シェリーの絶叫が絞り出された。
「―――Intimus115(我が身の全ては亡き友のために)!!」
明らかな敵意を含んだその声に、結奈が走る速度を上げる。
「死んでしまえ、超能力者!!」
その叫びを最後に、静寂が舞い降りた。
結奈に聞こえてきたのは、走り去る足音だけ。
地下鉄の線路を進んでいった結奈は、柱に寄りかかるようにして倒れているシェリーを見つける。
(この人がここにいるって事は、上条くんはもう行ったんだね)
そう考えながら通り過ぎようとした時、結奈に声がかけられた。
「待ちな」
その声に足を止め、シェリーの方に向き直る。
「なに? これでも忙しいんだけど」
言いながら近寄る結奈に、シェリーが呟く。
「そもそもあなたが行った所で何もできないわよ。今のエリスは自動制御だから、人形使い(パペットマスター)の力は受けつけない」
それを聞いて焦る意味が無くなった結奈は、そのままシェリーと話をする事にした。
「それで、どうして私を呼びとめたの?」
一番の疑問をぶつける結奈。
「言っておきたい事があったから」
予想外の答えに結奈は不思議そうな顔をする。
「言っておきたい事?」
そして、シェリーが言った言葉は、結奈の全てを否定するものだった。
「他の三人はともかく、私はあなただけは何があっても受け入れるつもりはない。化け物以上にたちの悪い、他人に害をなす事しかできない、テメェみたいな存在は」
「え……?」
自分に向けられる悪意の理由が、結奈には分からない。
あっけにとられる結奈を見て、シェリーは嘲笑を浮かべて先を続ける。
「なんだ、自分に都合のいい所しか見ていなかったの? ほんとにたちが悪わね」
困惑する結奈を尻目に、シェリーは告げる。
「あなたが持つ幸運とは何なのか、考えた事はなかったの? その幸運と、あらゆる異能を操るその力に、何の関係もないとでも思っていたのかしら」
その言葉に、結奈の動きが止まる。
そして、思い至った。その答えに、思い至ってしまった。
「ま、さか……」
結奈の顔がどんどんと青ざめていく。
辿り着いたのは、結奈を形作る全てを壊すのに十分な答えだった。
「ようやく気づいたみたいね。そう……テメェは無意識の内に、他人の『神様の加護』を奪って自分のものにしてるんだよ! テメェはな、そこにいるだけで他人を不幸にしていくんだ。人の幸せを喰らって糧としていく。これ以上の化け物があるか?」
「そんな、はず……」
そう言おうとした結奈の脳裏に、幼い日の光景が浮かび上がる。
ぐちゃぐちゃに潰れたバス。血塗れで叫ぶ友達。そして、それを眺める無傷の自分。
(あれは、私のせい? 私が、みんなをあんな目に合わせたの?)
一度そう思ってしまった結奈の頭には、次々に別の光景が溢れ出す。
『そういえば、あれってなんで落ちてきたの?』
『ワイヤーが切れていたらしいのですけれど、今のところ詳しい原因は不明ですわね』
危うく白井が大けがをする所だった、あの日の会話。
『無人バスがいきなり暴走したらしくて……さすがにまだ原因は特定できてないみたいですね』
佐天と初春が暴走バスに轢かれかけた、その光景。
(全部……私が、いたから?)
そして、心の奥底へと眠らせていた記憶が、鮮明に蘇る。
『うちの子に近寄るんじゃないよこの厄病神!』
世界から拒絶された、一人ぼっちの日々。
『お前のせいでこの子が怪我をしたんだ』
向けられる悪意に、俯くしかなかった日々。
『おかあさんがゆいなちゃんとはいっしょにあそんじゃだめだって』
それでも、手を差し伸べてくれた人がいた。
『何言ってんだ。他人の運を吸い取ってるなんて、あるわけないだろ』
その手を、その言葉を支えにしたからこそ、もう一度立ち上がれた。
しかし、シェリーが語った事実は、その全てを粉々に打ち砕く。
後に残ったのは、あの日と同じ幼い心。
世界に拒絶され、世界を拒絶する事で守り続けた、ボロボロの心。
(正しかったのは、周りの人達で……間違っていたのは、私)
だから、その心はあの日と同じ決断をする。
(私はきっと、信じちゃいけなかったんだ)
「ようやくわかったか、化け物」
剥き出しになったその心に、シェリーの言葉が突き刺さる。
「や、めて……」
「なにが止めて、だ。全部テメェが自分でやった事だろうが」
ボロボロの心を、抉っていく。
「いや……」
痛みは、結奈に残る希望の全てを壊していった。
「いやあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
響き渡る絶叫は、闇へと消えていく。
その声は、誰にも届かない。