結奈がしばらく地下街を走ると、携帯電話用の設置アンテナは簡単に見つける事ができた。
その下まで行き、電波が入っている事を確認した結奈は姫神に電話をかける。
鳴り響く三度のコール音の後、姫神は電話に出た。
「姫神さん? 新城だけど、さっきの電話って何だったの?」
確認も取らずに焦った様に言う結奈。
『落ち着いて。新城さん。その話の前に。上条君はそこにいる?』
そんな結奈にも、姫神はいつも通りのマイペースで話す。
「上条くん? 今はいないけど……」
『そう……。それじゃあ説明するから。後で上条君にも伝えておいて欲しい』
結奈の返答に姫神が少しガッカリしたような声をもらすが、すぐに元の様子に戻って続けた。
『話って言うのは。風斬氷華の事』
「風斬さんの?」
『うん。彼女の正体について』
姫神の言葉に、結奈は訝しげな表情で聞き返す。
「正体?」
『そう。正体。さっき。転入生は私一人だって教えたけど。あの後。小萌先生が彼女の身元を調べたの。それで分かった事がある』
結奈は息をのんで姫神の言葉を待った。
『風斬氷華は。学校の中にまで入ってきていたのに。防犯カメラにも衛星写真にも影も形も写っていなかったの』
「え? でも『空間移動(テレポート)』能力者ならそれぐらいできるんじゃ……」
当然のごとく浮かんだ疑問は、姫神の次の言葉によって否定される。
『それはない。もし彼女の能力がそれなら。霧ヶ丘女学院であれほど重宝されたりはしない』
それは、もっともな答えだった。
『ここから先は。小萌先生が言っていた推論だけど―――』
そこで一度区切った後、姫神は一気に結論を告げる。
『―――風斬氷華は。AIM拡散力場によって産み出された存在だろう……って』
「AIM拡散力場によって産み出された? それってどういう事!?」
AIM拡散力場とは、能力者が常に無意識の内に発している微弱な力の事だ。
それは機械で計測しなければ分からないほどの弱さで、基本的に人体には影響が無いとされている。
『例えば。体温は発火能力者(パイロキネシスト)が。生体電気は発電能力者(エレクトロマスター)が。肌の感触は念動能力者(テレキネシスト)が。それ以外の部分も。それぞれ対応する能力者が偶然に無意識に担当して。人間が発するものと同じデータが全て揃ったとしたら。そこに「人間」がいる事になる―――小萌先生はそう言ってた』
伝えられた言葉に絶句する結奈。
姫神からの声もなく、辺りが静寂に包まれる。
その、無限にも思えた沈黙は、ポツリと呟いた結奈の問いかけによって破られた。
「……風斬さんは、その事を知ってるの?」
『ちょっと待って…………小萌先生は「上条ちゃんの話から考えると、きっと知らないと思いますー」って言ってる。それに。「元の構成要素が何だったとしても、そこから生まれたパーソナリティは風斬さんだけのものなのですよ!」とも』
小萌先生の台詞がうつむく結奈の胸に染み渡る。
(風斬さんは、私達を騙そうとしていた訳じゃない。だったら、私は……)
結奈の頭に浮かぶのは、オロオロとインデックス達を見つめ、時には必死に話しかけ、失敗して肩を落とす風斬の姿。
それは、確かに人間だった。自分達と何も変わらない。
(だったら、答えは一つしかない!)
顔を上げその表情に、すでに迷いは無かった。
「ありがとう、姫神さん。小萌先生にもお礼を言っておいて」
結奈は駆け戻る。風斬と別れたあの場所へと。
急いで元の場所に帰ってきた結奈だったが、風斬の姿が見当たらない。
結奈は胸騒ぎに焦りながら、白井の存在によって落ち着いたらしい学生達に風斬がどこに行ったか聞いて回った。
「その子なら、さっきふらふらとあっちの方に歩いていったけど……」
一人の少年が指差したのは、先ほど上条が走って行った方向。
(まさか、上条くんを追いかけていったの!?)
上条が向かったのは、おそらく魔術師がいるその場所だ。
(あのぽやーとした風斬さんじゃ、絶対に巻き込まれる!)
そう思い至った結奈は、慌ててその道を走っていく。
しばらく進むと、戦闘があったのだろう場所にたどり着いた。
通路には崩れた建材が積み重なり、壁中には弾痕のようなものが付いている。
(どこ、どこにいったの!?)
周囲を見回す結奈の耳に、通路の奥から声が聞こえてきた。
(あっちだ!!)
そのまま一直線に声が聞こえた方へと駆け出す。
デパートの地下同士を複雑に繋げた迷路のような通路を声を頼りに駆け抜けると、そこには十人ほどの警備員(アンチスキル)の姿が見えた。
彼らのかなり先では、先導するように上条が走っている。
そして、その向こうの十字路には、四メートルはあるだろう巨大な石像。
(あれがゴーレム? でも、なんであんな所に……)
そう思った直後、警備員達の隙間から見えた光景に、結奈の顔が青ざめる。
石像の目の前には、ようやく見つけ出した風斬の姿があった。
彼女の目の前で持ち上げられた腕は、今にも振り下ろされそうになっている。
次の瞬間、その腕が勢い良く、無慈悲に打ちおろされた。
(風斬さん!!)
確実に風斬を叩き潰すだろうその一撃は、それでも、風斬には傷一つ付けられない。
瞳に涙を浮かべる風斬の前では、間一髪飛び込んだ上条の右手が、その巨大な腕を受け止めていた。
上条は石像には見向きもせず、まっすぐに風斬の顔を見て優しく告げる。
「待たせちまったみたいだな。だけど、もう大丈夫だ。ったく、みっともねぇな。こんなつまんねぇ事でいちいち泣いてんじゃねぇよ」
同時に、石像の全身に亀裂が走り、ガラガラと崩れ落ちていった。
その陰にいたのは、荒れた金髪に漆黒のドレスを着た黒い肌の女。
(あれが、魔術師)
それを見て、結奈はさらに足へと力を込める。
「エリス……。呆けるな、エリス!!」
魔術師は怒りを隠す事なく絶叫し、白いオイルパステルを振り回した。
壁に何かが描かれ、続く魔術師の言葉によってわずか数秒で石像が再生する。
上条は振り向き、その石像に立ちふさがる。風斬を守るように。
「くっ、はは。うふあはは! 何だぁこの笑い話は。おい、一体何を食べたらそんな気持悪い育ち方するんだよ! ははっ、喜べ化け物。この世界も捨てたものじゃないわね、こういう馬鹿がひとりぐらいいるんだから!」
「一人じゃねぇぞ」
そう言って笑う魔術師の顔が、返ってきた上条の言葉と、同時に襲いかかった閃光によって歪んだ。
それは、警備員が持つ銃に取り付けられたフラッシュライトの光。
結奈の目の前だけではない、魔術師がいる通路以外の三方全てから向けられていた。
走り続ける結奈に、上条の叫びが聞こえる。
「ばっかばかしい。理由なんていらねぇだろうが!」
それはきっと、風斬への言葉。
「別に特別な事なんざ何もしてねーよ。俺はたった一言、あいつらに言っただけだ……俺の友達を、助けて欲しいって」
その言葉に風斬が呆然と上条を見て、結奈は満面の笑みを浮かべた。
先ほど魔術師が放った化け物という言葉が、結奈の脳裏をよぎる。あれは、警備員達も聞いていたはずだ。
(この人達は、きっと全部知ってて、それでもこうして来てくれた)
彼らの元へと向かう結奈に、再び上条の言葉が届いた。
「涙を拭って前を見ろ。胸を張って誇りに思え。ここにいる全員が、お前に死なれちゃ困ると思ってんだ―――だから、今からお前に見せてやる。お前の住んでるこの世界には、まだまだ救いがあるって事を!」
その宣言を、結奈も受け止める。
「そして教えてやる! お前の居場所(げんそう)は、これくらいじゃ簡単に壊れはしないって事を!!」
上条の叫びが、地下街に木霊した。
「エリス、ぶち殺せ、一人残らず! こいつらの肉片を集めてお前の体を作ってやる!!」
怒りに震えた声で叫ぶと同時、魔術師のオイルパステルが宙を引き裂く。
その動きに従うように石像が動き始め、
「させん!! 配置B! 民間人の保護を最優先!!」
一人の警備員の怒号を合図に、すべての銃口が一斉に火を噴く。
(ま、まずっ!!)
身の危険を感じた結奈は、ヘッドスライディングで最後尾にいた二人一組の警備員の後ろに滑り込んだ。
「な! こんな所で何をしている!!」
それによって、ようやく警備員が結奈に気づく。
しかし、その声は銃声の嵐のせいで結奈の前にいる二人以外には聞こえていないらしい。
「あの子を探してたんです」
それだけで納得してくれたのか、無言で銃撃を再開する警備員。
もう一人の警備員は、盾を使って石像からの跳弾から二人を守っている。
その先、透明な盾(ポリカーボネイド)の向こうでは、エリスと呼ばれたゴーレムが銃撃の暴風よって足を止めていた。
しかし、銃撃によって剥がれ落ちたエリスの体の一部は、すぐさま近くの破片を取り込んで再生してしまう。
「チィッ!! 『神の如き者(ミカエル)』『神の薬(ラファエル)』『神の力(ガブリエル)』『神の火(ウリエル)』! 四界を示す四天の象徴、正しき力を正しき方向へ正しく配置し正しく導け!!」
銃声の向こうから聞こえる魔術師の怒号。
それによって、再びエリスがゆっくりと歩みを進めだした。
その時、結奈の隣にいる警備員がつけた無線機から女の声が聞こえてくる。
『予定通り、少年の突撃に合わせて銃撃を停止するよ。準備せよ(プリパレーション)。―――カウント3』
その声に結奈はギョッとした。
(少年? まさか、上条くんが!?)
そんな事になったら、上条がただで済むとは思えない。
しかし、今の状況では幻想殺し(イマジンブレイカー)に頼るしかない事は、結奈にも分かっていた。
(でも、だからって!)
唇を噛みしめ、襲い来る無力感に結奈は耐える。
『―――カウント2』
それでも、悔しさは収まらない。
(また、私は何も出来ないの? みーちゃんの時も、打ち止め(ラストオーダー)ちゃんの時も、私はただ助けられていただけだった!)
自分にできる何かを。そう考え続ける結奈の頭に、風斬の言葉がよぎった。
『自分が、自分でなくなるような、そんな、感じがして……』
それをきっかけにして、結奈の思考が一気に回り始める。
(上条くんを避けていたのが幻想殺しのせいだって事は分かる……。でも、私を避けていたのはどうして?)
それに連想されるように、今度は一方通行(アクセラレータ)の言葉が甦った。
『俺の計算が終わってから打ち出されるまでの間に、外部からの干渉があったっつー事だろうがよォ』
そして、ついに結奈は辿り着く。その、答えに。
『―――カウント1』
(人形使い(パペットマスター)……。そっか、そういう事だったんだ)
結奈の顔からは、先ほどの無力感は消え去っていた。
そこには、花のような笑顔が戻っている。
(だったら、私はきっとみんなを守れる!)
瞳には、決意の色。
『―――カウント0』
銃撃が止まり、上条が盾から飛び出すのと同時。
立ち上がった結奈は、制止の声を振り切ってエリスへと駆け出した。
「新城!?」
上条が飛び出してきた結奈を見て、驚きの表情を浮かべた。
それでも、足だけは止めずに上条は一直線にエリスへ向かっていく。
その上条の前には、急に銃撃が無くなった事で一瞬バランスを崩したエリスの姿。
しかし、そのエリスは地面を殴りつけ、その反動を利用してバランスを取り戻していた。
「上条くん! 何も気にしないで魔術師だけを狙って!!」
「な? 一体どういう……」
困惑する上条に、結奈はただ叫ぶ。エリスへと向かって駆けながら。
「お願い、私を信じて!!」
説明している時間は無い。だから、それだけを伝えた。
上条はその言葉で向き直ると、エリスを完全に無視して魔術師の元へと走っていく。
エリスは、すでに上条の目の前で腕を振り下ろそうとしていた。
それでも、上条はそちらに目を向けもしない。その瞳は、魔術師だけを映している。
「い、いやあぁぁ!!――――――え……?」
響き渡る風斬の悲鳴は、次の瞬間には疑問の声へと変わった。それは、周囲にいる警備員も同様だ。
エリスの右腕は、まるで金縛りにあったように空中に固定され、振り下ろされない。
「え、エリス!?」
自らの命令に従わないエリスに、魔術師が驚愕の声を上げた。
それを見て、ゆっくりと結奈は呟く。
「何をそんなに驚いてるの? 知ってたんでしょ、私の能力」
そして、エリスが動き出す。魔術師へと向かって。
それによって、ようやく魔術師の瞳に理解の色が浮かんだ。
「よ、くも……っくそ」
湧き上がりかけた怒りの声は、しかし、目の前に迫った上条を見て萎んでいく。
焦った魔術師がどれだけオイルパステルを彷徨わせても、エリスはその指示に答えない。
「さって、と」
その目の前には、調子を確かめるように肩を回す上条。
「は、はは。何だ、そりゃ。これじゃ、どこにも逃げられないじゃない」
呆然と呟く魔術師に、上条が言う。
「逃げる必要なんかねぇよ。テメェは黙って眠ってろ」
上条の手加減なしの右拳が、魔術師を殴り飛ばした。