(ふぁー、ねむ……)
始業式の最中、結奈は襲い来る眠気と闘っていた。
(昨日はあんまり寝てないもんね……)
なんとか耐えようとするが、徐々に結奈のまぶたが落ちていく。
(小萌先生は上条くんを探しに行ってるし、大丈夫かな……)
そこまで考えたところで、結奈の意識は夢の中へ落ちていった。
「わー! すごいねあのおやまー!」
バスの窓から見える山並みに、幼い結奈が瞳を輝かせた。
「ゆいなちゃん。おそとばっかりみてないで、いっしょにおかしたべようよー」
隣に座っていた幼い少女が、結奈の服を引っ張りながら言う。
「だってすごいおおきんだよ! みなちゃんもみてみてー」
それでも外の山並みが気になるのか、結奈は窓に張り付いたまま逆に誘っていた。
「わたしはいいよ。もう、ゆいなちゃんももうすこしおんなのこらしくしなきゃだめだよ?」
少女が呆れたように答える。
「みなちゃんおかあさんみたい」
結奈はそう返しながらも、視線は窓の外に釘付けだった。
「ゆいなちゃんはいっつもこうなんだから」
それで少女も諦めたのか、通路越しに他の女の子と話し始める。
「えへへー」
楽しそうに笑う結奈だったが、しばらく進むとバスは崖沿いの道に入ってしまい、景色が見えなくなってしまった。
それでも何か見えないかと、結奈はきょろきょろと窓の外を見回す。
その時、何かが転がるような大きな音がバスの外から聞こえてきた。
「なんだろ?」
その音につられて、結奈の視線が上に向かう。
「え?」
その目に映ったのは、崖の上から転がり落ちてきた大きな岩だった。
直後、巨大な衝突音が響き、結奈の視界が一八〇度反転する。
「きゃあぁぁぁ!!」
その結奈の声と同時に、バス全体から悲鳴が上がった。
落ち着く間も無く、何かがバスにぶつかる音が何度も響き、その度に結奈の視界が反転する。
どれくらいそれを繰り返していたのか、すでに結奈には上下の感覚が残っていなかった。
そんな状況で、結奈は不思議な気配を感じていた。いままでまったく知らなかった、『ナニカ』の気配を。
無意識に結奈はそれに手を伸ばし、掴もうとする。
結奈がようやくそれを握りしめたと思ったその瞬間、これまでとは比べ物にならない轟音が響き、バスが止まった。
先ほどまで木霊していた悲鳴は、もうどこからも聞こえない。
結奈は、いつの間にか瞑っていた目を、ゆっくりと開いた。
「え……?」
目に映ったのは、頭から血を流してぐったりとする少女の姿。
視線を巡らせると、バスはあちこちが潰れており、座席も滅茶苦茶になっている。
そして、その少女と同じように体のあちこちから血を流す友達の姿。
そこにある光景が、結奈には信じられない。
だから、ただ呆然とそれを見つめていた。
傷一つ無い、その姿で。
「(新城ちゃん!)」
聞こえてくる声に、結奈の意識が覚醒していく。
「新城ちゃん! 始業式早々居眠りなんて、いい度胸なのですよー」
「ふぁい……おはようございます。……ぐー」
返事もそこそこに、再び寝息を立て始める結奈。
「こらー! 寝ちゃだめですよー。聞いてますか新城ちゃーん!」
パチパチと頬を叩かれ、ようやく結奈が目を覚ます。
「……あれ? ここどこですか?」
「ここは体育館で、新城ちゃんは始業式の最中から今までホームルームぶっちぎって爆睡してやがったんですよ!!」
目の前でご立腹の小萌先生の言葉にあたりを見回すと、そこは無人の体育館だった。
片付けはホームルームが終わってから行われるのか、まだ大量の椅子が並んでいる。
どうやら昨日の疲れと睡眠不足が、校長の長話によって表面化したらしい。
「上条ちゃんといいシスターちゃんといい新城ちゃんといい、どうしてこの忙しい時に変な問題を増やしてくるのですか!」
小萌先生の説教は止まらない。
「新城ちゃんは上条ちゃんと一緒に今から別室でお説教です!」
しかし、結奈はそれを聞き流しながら、先ほどの夢の事を考えていた。
(そっか……。私が初めてあの気配を感じたのって、あの時だったんだ……)
昨日、一方通行を助けたあの時から、結奈は頻繁にあの不思議な気配を感じている。
(あれは、きっと何かの力。でも、いったい何の?)
結奈にも少しずつそれが何か理解でき始めていた。それでも、まだ確信が持てない。
(もしかしたら……)
答えは、もうすぐそこまで近づいてきていた。
説教が終わって帰る頃には、すでにほとんどの生徒は下校した後だった。
「……帰ろっか」
「……ああ」
時刻は昼過ぎ。空腹と睡眠不足による気だるさの相乗効果が、二人を包み込んでいた。
昇降口で結奈が靴を履き換えようとしていると、隣から上条の「不幸だー!」という声が聞こえてくる。
結奈が視線をそちらに向けると、上条の靴の底にガムが付いていた。
どうやら靴を置いた所に落ちてあったらしい。
「前から気になってたんだけど、上条くんの不幸って幻想殺し(イマジンブレイカー)と関係とかあるの?」
それを見て思い出した素朴な疑問を、結奈は上条に投げかけてみる。
「ん? 俺にはよく分かんねーけど、インデックスはこの右手が『神様の加護』まで消しちまってるのが原因なんじゃないか、って言ってたな」
ガムを剥がしながら上条が答えた。
「ふーん」
言うほど興味があった訳でもないらしく、それだけ言うと結奈も靴を履き替える。
そのまま二人で校門まで向かうと、二人の少女がそこで誰かを待っていた。
(インデックスと……誰だろあの子?)
片方は結奈にも見なれたインデックスの姿だったが、もう片方には見覚えがない。
落ち込んだ様子のインデックスの隣にいるのは、わずかに茶色の混じった長い黒髪に、眼鏡をかけた巨乳少女だった。
髪は一房だけゴムで束ねて横に流し、他は太股くらいまで伸びたストレートになっている。
その表情はどこか自信なさげで、おどおどと周りを見回していた。
(……なんか、庇護欲がかきたてられるというかなんというか)
微妙におかしな感想を抱きながら結奈がその少女を見ていると、上条が二人に声をかけた。
「おーい」
そう言いながら走りだした上条に結奈もついていく。
「待っててくれたの? ありがとうインデックス」
最初はなぜか暗い顔をしていたインデックスだったが、結奈のこの言葉と上条の昼食の後は遊びに行くという話を聞くと、顔を紅くして嬉しそうに微笑んだ。
そして、それを見てくすくすと笑っている眼鏡の少女にインデックスが声をかける。
「そうだ、ひょうかも一緒に行こう?」
それを聞いて、驚いたように眼鏡の少女が聞き返す。
「え……いいの?」
「断る理由なんかないよ。ねえ、とうまもゆいなもいいよね」
「だな」
どんどん話が進んでいるが、結奈にはこの眼鏡の少女が誰なのかが分かっていない。
「あの……ゆいな、さん?」
眼鏡の少女のほうも結奈と同じ思いだったらしく、インデックスに疑問の声をぶつける。
インデックスが答える前に、結奈自身がそれに答えた。
「私のこと。新城結奈だよ。結奈って呼んで?」
その声に少しビクビクしながら、眼鏡の少女も自己紹介をする。
「あ、はい。わ、私は……風斬(かざきり)氷華(ひょうか)って、いいます」
「うん。それじゃ、行こうか風斬さん」
「えっと……ありが、とう」
結奈の言葉に再び驚いたような顔をした風斬だったが、小さな声でそう言った。
「ん? 一日遊ぶんならちょっと金がいるか。悪い、ちょっとコンビニで金下ろしてくるから、ここで待ってろ」
「あ、私も下ろしておくよ」
そう言って二人でコンビニに向かう。
先にお金を下ろした上条に続いて結奈がATMに向かっていると、コンビニから出た上条が緑色のジャージを着た女性に話しかけられていた。
肩についている腕章を見る限り、どうやら警備員(アンチスキル)らしい。
(って、あれ黄泉川(よみかわ)先生だ)
よく見ると、その警備員は結奈達の学校の教師である黄泉川愛穂(あいほ)先生だった。
コンビニから出て話を聞いていると、特に上条が何かしたという訳ではなく、ATMの前で無防備に財布を見せていた事を注意しているだけらしい。
「は、はい。気をつけます」
「うんうん。次からは気をつけるんだぞ少年」
にこにこ顔で去っていく黄泉川先生。
そこで上条に話しかけようとした結奈だったが、その前に上条の服を引っ張る少女がいた。
「ありゃ? 何やってんだ姫神。お前まだ帰ってなかったのか?」
「……。人が転校してきたというのに。その淡白な反応は何? 新城さんは喜んでくれたのに」
どうやらこの酷く自然体な上条の反応が、姫神は気に入らないらしい。
「あー……」
上条がそうやって言い淀んでいると、
「そうか。私はやっぱり。影が薄い女なのね」
そう呟いて落ち込んでしまう。
狼狽する上条だったが、しばらくするとけろっとした顔で姫神が話を続けた。
「そんな事より。ちょっと話が耳に入ったのだけど。あの眼鏡の女の名前って。風斬氷華でいいの?」
「うん、そう言ってたよ。知り合い?」
いつ入り込もうかとタイミングを計っていた結奈が、さりげなく会話に加わる。
上条達も、結奈がいるのには気づいていたようで、そのまま話が続けられていた。
「二人は。私が前に通っていた高校。知ってるよね?」
「確か……霧ヶ丘女学院、だったか」
上条が自信なさげに答える。
「そう。単純に能力開発分野だけなら常盤台に肩を並べる名門校。常盤台が汎用性に優れたレギュラー的な能力者の育成に特化しているのなら。霧ヶ丘は奇妙で。異常で。でも再現するのが難しいイレギュラー的な能力者開発のエキスパート」
そう説明する姫神の言葉に、上条は相槌を打っていた。
頷くタイミングがおかしいので、結奈からも適当である事が良く分かる。
「風斬氷華の名前は。霧ヶ丘でも見た事がある」
「って事は、お前達って一緒に転校してきたのか?」
「……」
姫神はそこで一度黙りこんだ後、上条の質問には答えず一気に話を進めた。
「風斬氷華は先生たちの間で『正体不明(カウンターストップ)』と呼ばれていた。どんな能力なのかは分からない。けど。能力の希少価値で順位が決まる霧ヶ丘のテストで。彼女はいつもトップだった」
だけど、とそこで話を切って一呼吸し、再び説明に戻る。
「そもそも。風斬が何年何組に在籍していたのか。それすらも誰も知らなかった。名前だけは誰もが知っているのに。姿を見たものは誰もいない」
「……何だよ、それ」
「だから。分からないの。だけど。先生に聞いた話では。一番重要なのはそんな所じゃなかった」
無言で聞き入る二人に、ゆっくりと姫神は告げる。
「いわく。風斬氷華は。虚数学区・五行機関(プライマリー=ノーリッジ)の正体を知るための鍵だと」
虚数学区・五行機関。今はどこにあるのかさえ分からない学園都市最初の研究機関の事だ。
そこは現在の技術でも再現できない『架空技術』を有していると言われている。
「先生の話では。風斬氷華には彼女個人の能力を調べるための研究室(とくべつクラス)があるという話だった。個人のために研究室を用意するなんて滅多にないから。実はそれは『正体不明』ではなく。虚数学区・五行機関の正体を探るための研究室だって。でも。先生もやっぱり風斬氷華の姿は見たことがないって言っていた。その正体は先生の間でも一部の人しか分からないって」
「けど……そんなの」
「うん。私もどこまでが本当かは分からないから。念のための忠告。だから気をつけてね」
それだけ言って立ち去ろうとする姫神に、上条が声をかける。
「あっ、ちょっと待てよ。俺達これから遊びに行くんだけど、お前もどうだ?」
姫神はびっくりしたように振り返り、ぽつりと呟いた。
「……。小萌の……バカ」
その言葉の意味を尋ねようとする上条に、用事があるから、とだけ言って姫神は歩いて行く。
その途中、何かを思い出したように姫神はもう一度だけ振り返り、
「あと。記録では。転入生は私一人しかいないはずなのよ」
それだけを言い、去って行った。
「どういう事なのかな?」
「さあ? さっぱりわかんねーよ」
顔中に疑問符を浮かべながら、二人は校門で待つインデックスと風斬のもとへと歩いて行った。