(ん……ここは?)
ゆっくりと結奈の意識が浮上していく。
結奈は周りを確認しようとするが、暗くて何も見えない。
さらに、両手を縛られて猿轡をされており、ろくに身動きもとれなかった。
何とか手を使わずに起き上がろうとした結奈だったが、わずかに体が上がった所で天井に頭をぶつけてしまう。
「んむー!?」
勢いよく頭をぶつけた痛みに悶える結奈。
痛みが引く頃には目が暗闇に慣れてきたらしく、少しは周囲の状況が分かるようになっていた。
(ここ、車のトランクの中……かな?)
ほとんどスペースのない空間と意識を失う前に乗った車から、結奈はそう判断する。
(打ち止めちゃんは!?)
自分が背負っていたはずの打ち止めの姿が無い事に気づき、もう一度周囲を見回す結奈。
しかし、このトランクの中には自分しか入れられていないようだった。
(最初にわざわざ確認してきたって事は、きっと目的は打ち止めちゃんだよね)
そこまでは結奈にも予想ができたが、具体的になぜ打ち止めが必要なのか分からないため、彼女が安全なのかどうかの判断は出来なかった。
(今は考えても仕方ない、か)
答えが出ない問題は考えるだけ無駄だと切り捨て、脱出方法を探る事にする。
(とりあえず、腕の方を何とかしたいけど……)
そう考えながら、結奈は縛られた腕を何度も動かした。
色々と腕の角度を変えていくと、少しずつロープの隙間が広がってきている。
(よし! 縛り慣れてない素人がやると案外簡単に解けたりするって昨日のテレビでやってたけど、ホントなんだねー)
そのまま十分ほど続けて、ようやく隙間から右手を抜くことに成功した。
残った左手からロープを外し、口に付けられていた猿轡も外す。
「(はー、空気がおいしい! ってすごい埃っぽいよ!)」
途端に息苦しさが無くなり思いっきり空気を吸い込む結奈だったが、トランク内の埃も吸い込んでむせこんでしまった。
(まずっ!)
今のが聞こえてしまったのではないかと結奈は焦るが、外の様子は先ほどと特に変化はなく、安堵の息をつく。
(聞こえなかったのかな? 良かった……)
改めて、自由になった手でトランクが開けられるかを調べる。
しかし、やはり中からではどうしようもなさそうだった。
(はぁ……結局助けを待つしかないのかな……)
と結奈が考えた瞬間、周囲から金属を潰すような轟音が鳴り響いた。
(な、なにー!?)
一瞬体が浮いたような感覚がして、そのすぐ後に全身がトランクの蓋に叩きつけられる。
全身に走る痛みに耐えながら、結奈は状況を把握しようと周囲を見た。
「いたた……。なにこれ、車が歪んでる?」
見上げたトランクの蓋は歪み、所々から月明かりが差し込んできている。
平らだったはずの床や壁も、あちこちに凹凸ができていた。
(でも、これなら開けられるかも)
そう考えて両手でトランクの蓋を押す結奈。
鍵は壊れているようで、腕一本分ぐらいの隙間が開いたが、歪んでいるせいかそこからがなかなか開かない。
結奈が四苦八苦していると、思いっきりドアを閉めたようなバタンという音が響いた。
(また!? なんなのこれー?)
混乱する結奈の耳に、知った声が聞こえてくる。
「芳川(よしかわ)か? ああ、ガキなら確保したぜ」
それは、一方通行(アクセラレータ)の声だった。
おそらく電話で連絡でもしているのだろうその言葉から、打ち止め(ラストオーダー)の無事を知った結奈は、気が抜けたように両手を下ろして話しかける。
「一方通行ー、いるんでしょー! あんたの能力でトランクの蓋開けてー。歪んで開かないのよ」
「うっせェンだよ。ンなもン自分で開けろ。こっちはコイツの状態を確認してンだ!」
その結奈の声に対する一方通行の返答は無情だった。
どう考えても一方通行が原因であろうこの状況、結奈としては思いっきり反論したいのだが、打ち止めを引き合いに出されると黙るしかない。
(うぅ……この前に続いて役立たず。しかも今度は一方通行に助けられるなんて……)
トランクの蓋にのの字を書いて落ち込む結奈。外からは一方通行の声が聞こえてくる。
「オイ、クソガキの顔に電極みてェなもンがついてンだけどよ。これって剥がさねェ方が良いのか?」
顔に電極という言葉にギョッとなる結奈だったが、一方通行の声を拾っていくと、ただの身体検査(システムスキャン)キットだと分かり安堵の息をつく。
(なんで私があいつの言葉に一喜一憂しなきゃいけないのよ! 絶対後で復讐してやるー!)
向こうからすればはた迷惑なことを考えつつ話を聞く結奈。
「なァ。この機械を使ってこのガキのウイルスを駆除できねェのか? ここからガキを連れて帰るにしても結構時間がかかるしよォ」
一方通行の言葉に含まれた不穏な言葉に再び結奈が固まる。
「ちょ、ちょっと! ウイルスってどういう事よ!!」
そう叫ぶ結奈の声に、さすがに電話に支障が出ると判断したのか一方通行が答えた。
「ここでのびてるコイツが、学習装置(テスタメント)を使ってこのガキの頭にウイルスデータをブチ込みやがったンだよ」
「それって大丈夫なの!?」
「ほンとにうぜェな。大丈夫じゃねェからこの俺がこンな事やるはめになってンだろォが! ちったァ無い頭使って考えやがれ!」
それを聞いて、結奈も邪魔をしないようにおとなしく待つ事にする。
「で、オマエの方はウイルスコードの解析は終わってンのか? ならさっさときやがれ」
一方通行のその言葉を境に声が聞こえなくなった。おそらくは電話の相手を待っているのだろう。
そして、音の無くなったその空間。そこに突然打ち止めの声が響いた。
「み、さか、は……。みさ、ミサカ、は――――――」
最初はうめくような小さな声だったものが、いつしか叫び声へと変わっていく。
「み、サ―――…カ、ミサ。カはミサ、カはミサ!カはミサカはミサカはミサカミサカミサカミサカミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサミサm<iju0058@Misagrミサqw0014codeLLGミサかミサカieuvbeydla9((jkeryup@[iiG‥**uui%%ebvauqansicdaiasbna‥――――――ッ!!」
「ちょっと! 一体どうしたの!!
明らかに異常な絶叫に、結奈がたまらず一方通行に問いかける。
「くそ! オイ芳川、これはどォなってる!? これも何かの症状の一つなのかよ!」
その問いに重なるように、一方通行の方からも焦った声が聞こえてきていた。
「オイどォしたンだよ! これって何か応急処置とかできねェのか!?」
どうやらこれは完全に予想外の事態らしい。
「何だよ? 何が起こってる!?」
叫ぶような一方通行の声。
(打ち止めちゃんは大丈夫なの!?)
ここにきて結奈ももう一度トランクを開けようとするが、どうしても途中で引っかかってしまう。
「……手? まだ手があンのか?」
聞こえてくる一方通行の声がそこで止まり、打ち止めの絶叫以外の音が消える。
「クソったれが……くそったれがあああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
数十秒の後、一方通行はぼそりと呟き、それは絶叫へと変わっていった。
(何? 何が起こってるの!?)
トランクから出られない結奈には、外の状況が全く分からない。
訳が分からず混乱する結奈に、落ち着きを取り戻した一方通行の声が聞こえてきた。
「オイ。脳内の電気信号さえ制御できりゃあ、学習装置がなくてもあのガキの中の人格データをいじくる事ができンだよな?」
落ち着いた、決意を感じる声。
「できねェ事はねェだろ。現に実験中にゃ皮膚に触れただけで全身の血液や生体電気を逆流させて人を殺した事だってあるンだ。『反射』ができた以上、その先の『操作』ができたって不思議じゃねェ」
状況が分からない結奈には、一方通行が何をするつもりなのかは分からない。
「クソったれが……できるに決まってンだろォが。俺を誰だと思ってやがる」
それでも、全力をかけて打ち止めを救おうとする意志はハッキリと感じた。
「……だから、何だってンだ。忘れちまった方が、このガキのためじゃねェか」
『忘れる』というその言葉が、一方通行が何を賭けて打ち止めを救おうとしているのかを結奈に理解させる。
あの日に結奈が知った痛みを、一方通行が自らの意思で背負おうとしている事を。
「ただ、オマエの分も巻き添えだ。悪ィ「いいよ」」
ここに来て初めて自分から話しかけてきた一方通行の言葉に、割り込むように結奈が答える。
「それがその子を救うための最善なら、あんたがそれで後悔しないのなら……私の事なんて気にする必要はないよ。きっとその子もそれを望んでるから」
少しだけ沈黙した一方通行は、一言、
「そォか」
と、それだけを返した。
「ったく、このクソガキが。人がここまでやってンだ、今さら助かりませンでしたじゃ済まさねェぞ」
その言葉をきっかけに、再び一方通行の声が無くなる。
変化は、すぐに現れた。
「89aeqd,das・・・,-qwdnmaiosdgt98qhe99xsxw9dja8hderfba8waopコード9jpnasidjレジスト9w・・aeaルートAからw,コード08からコード72までの波形レッドをルートC経由でポイントA8へ代入エリアD封鎖コード56をルートSへ迂回波形ブルーをイエローへ変換」
意味不明だった打ち止めの言葉が日本語へと変換されていく。
同時に、少しずつ打ち止めの叫びが小さくなっていった。
(上手くいってるの?)
どうなれば成功なのかは分からないが、結奈はこの変化が打ち止めにとって良いものだと信じてただ待つ。
そうして、徐々に静寂を取り戻しつつあった空間に、新しい声が響いた。
「邪魔を……す、るな」
結奈にとってもごく最近聞いた男の声。
(まさか……さっきの男、もう気がついたの!?)
そう考える間にも、もう一度男の声が響く。
「邪魔を、するな」
その声に、結奈は胸騒ぎが止まらない。
一方通行なら、何をされてもやられたりはしないと、それは結奈も理解しているはずなのに、先ほど聞いた決意の言葉が、その絶対に影を落としている。
(いつものあいつなら、きっと何ともならない。でも、今は? 全てをあの子を救う事に向けている今のあいつに、自分を守る余裕なんてあるの?)
そして、銃声が鳴り響き、打ち止めの声が聞こえた。
「Error.Break_code_No000001_to_No357081.不正な処理により上位命令文は中断されました。通常記述に従い検体番号二〇〇〇一号は再覚醒します」
結奈はただ、叫ぶ。
「アクセラレータ!!」
答えは、返ってこなかった。
「……やった? どうして、ハハ。どうして……私は生きているのだ?」
男の声が聞こえてくる。その内容は、結奈が想像していた通りだった。
(あの、馬鹿……! あの子が助かっても、あんたが死んだら意味が無いじゃない!!)
そう考えながら、トランクの蓋を殴りつけて開けようとする結奈。
「死んだ、な。……ハッ! 最終信号(ラストオーダー)は、ウイルスコードは!?」
何度打ちつけてもトランクは開かず、血の滲み始めた拳を握り締めながら男の声を聞く事しか出来ない。
「コード000001からコード357081までは不正な処理により中断されました。現在通常記述に従い再覚醒中です。繰り返します、コード000001から―――」
それでも、聞こえてきた打ち止めの言葉に少しだけ安心する。しかし、
「は、はは。ぅ、あ、が、うォォアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
男の絶叫が、まだ終わっていない事を結奈に理解させる。
「打ち止めちゃん! 逃げて!!」
そう叫ぶが、打ち止めは同じ言葉を繰り返すだけだ。
そして、先ほどと同じ銃声が再び響き渡る。
「打ち止めちゃん!!」
「……させるかよォ。くそったれがァ!!」
結奈の声に、もう一つの叫びが重なった。
「う、ぐ……ァああああああああ!?」
同時に男の絶叫が木霊する。
(一方通行!)
そして訪れる数秒の静寂。それを破ったのは、男の声だった。
「ハッ。それは何をしているつもりなのだ? 今さら、お前のような者が」
それに、一方通行が答える。
「……分かってンだよ。こンな人間のクズが、今さら誰かを助けようなンて思うのは馬鹿馬鹿しいってコトぐらいよォ。まったく甘すぎだよな、自分でも虫酸が走る」
一言一言をゆっくりと紡ぎながら。
「けどよォ……このガキは、関係ねェだろ。たとえ、俺達がどンなに腐っていてもよォ。誰かを助けようと言い出す事すら馬鹿馬鹿しく思われるほどの、どうしよォもねェ人間のクズだったとしてもさァ」
息を吸い、一方通行が心の奥から叫んだ。
「このガキが、見殺しにされて良いって理由にはなンねェだろうが。俺達がクズだって事が、このガキが抱えてるモンを踏みにじっても良い理由になるはずがねェだろうが!」
そして、ぽつりと呟く。まるで、自らに言い聞かせるような声で。
「クソったれが。当たり、前の……事じゃねェか」
そして、一方通行は再び叫ぶ。向き合った過去(こうかい)と、見つけ出した未来(きぼう)を。
「確かに俺は一万人もの妹達(シスターズ)をぶっ殺した。だからってな、残り一万人を見殺しにして良いはずがねェンだ。ああ綺麗事だってのは分かってる、今さらどの口がそンな事言うンだってのは自分でも分かってる! でも違うンだよ! たとえ俺達がどれほどのクズでも、どンな理由を並べても、それでこのガキが殺されて良い事になンかならねェだろォがよ!!」
その直後、一方通行の苦悶の声が聞こえ、
「……つ、がァあああ!!」
それは咆哮へと変わった。
その咆哮に紛れ、トランクの蓋からミシミシと音が聞こえてくる。
(わかった……後は任せて)
その音に込められたメッセージを受け取った結奈は、そっとトランクを開けて車の助手席側へと降りた。
静かにドアを開け、横たわる打ち止めを抱き上げる。その先に見えるのは、頭から血を流して地面に倒れる一方通行と、呆然と一方通行を見ている男の姿。
それでも、一方通行は笑っていた。打ち止めを抱く結奈を見て。
結奈はそのまま、すぐそこに止まっていたステーションワゴンへと走る。
ワゴンのドアから出てきた女性に促され、結奈は後部ドアから打ち止めを運び込んだ。
そこにあったのは、液体で満たされたガラス製の円筒状の培養器。
言われた通りに打ち止めをその中に入れ、渡された手書きのマニュアル通りに操作を行う。
書かれた全ての操作を終えた直後、車の外から二発の銃声が鳴り響いた。
慌ててワゴンから出ると、そこでは男が腹から血を流して倒れており、先ほどの女性が銃を懐にしまっている。
男の横に倒れている一方通行は、先ほど見た時とは違い左腕からも血を流していた。
「どうしたんですか!?」
「一方通行に止めを刺そうとしていたから持ってきた銃で撃ったのよ。ただ、少し遅かったみたいで向こうにも撃たれちゃってね。わたしの弾が先に当たったから狙いは外れたみたいだけど」
その結奈の言葉に女性が答える。おそらくはこの女性が、先ほど一方通行と電話で話していた芳川なのだろう。
「だ、大丈夫!?」
それを聞いて一方通行に駆け寄る結奈。
腕だから大丈夫だと思ったのだが、思った以上に一方通行の出血は酷かった。
それでも、芳川の話ではすでに救急車は呼んであるらしいので、普通なら失血死の心配は無かっただろう。
しかし、一方通行は頭からも出血している。下手をすると病院までもたないかもしれない状態だった。
「そうだ、止血を……」
そう言って結奈が一方通行のシャツを脱がせようとした時、芳川が叫んだ。
「伏せなさい!!」
瞬間、再び二つの銃声が木霊する。
声に従ってとっさに身を伏せた結奈の上を、二発の銃弾が通り過ぎた。
それは二人の研究者たちの、それぞれの胸に向かってとんでいく。
その凶弾は、銃を向けあう二人の胸を貫いていった。
「芳川さん!!」
結奈の目の前で、胸から血を噴き出しながら芳川の体が崩れ落ちていく。
倒れ伏す一方通行と、それに折り重なるように倒れた芳川との血によって、地面が赤く染まっていった。
それを見る結奈の体は震えていた。恐怖や混乱などではなく、ただ、怒りで。
ゆっくりと、結奈は呟く。
「そんなの、許さない」
そして、一方通行の右手を掴み、叫んだ。
「勝手に死ぬなんて、許さない!」
それを、静かに芳川の胸の傷口へと当てる。
「あんた達には、妹達を産み出した責任がある。だから、それを投げ出して死ぬなんて許さない!」
結奈は不思議な気配を感じていた。これまでは希薄にしかわからなかったソレを、今はハッキリと感じる事が出来る。
「私はあんた達があの子達の一人一人、全員に直接謝るまでは、勝手に死ぬことなんか絶対に許さない!!」
その叫びと共に、結奈は感じられる気配を操っていった。
「だから! 絶対に! 救ってみせるから!!」
決意を込めたその声に呼応するかのように、流れ落ちる血が減っていく。
傷口から溢れ出そうとするそれが、再び血管の中へと還っていく。
結奈の意思に従うように、命を巡らせていく。
倒れ伏す二人は何も答えない。
ただ、近づいてくるサイレンの音だけが響いていた。