翌日、結奈は病室で暇を持て余していた。
(涙子ちゃんとの約束の時間までは二時間くらいあるし、みーちゃんのところにでも行こうかな)
そう思い立ち、ミサカ達のいる臨床研究エリアに向かう事にする。
あまり人通りのない廊下を進んで目的の場所に行くと、昨日と同じ待合室に二人のミサカがいるのが見えた。
「しかし、それでは体を壊す恐れがあるのでは? とミサカ一〇〇三一号はリスクの分析をおこないます」
「ミサカの調べによると、ここに載せられている数字を超えなければ問題は無いようです、とミサカ一九〇九〇号は具体的な値を示しながら説明します」
二人は身を寄せ合って雑誌を読んでいる。
結奈は足音を殺して近づき、すぐ後ろまで行ってから声をかけた。
「みーちゃん、妹ちゃん、何見てるのー?」
その声に、ミサカ達の肩がビクッと跳ねた。
慌てて後ろを振り向き、いつもより少しだけ早口で話し始める。
「お姉様、どうかしましたか、とミサカ一〇〇三一号はいつも通り冷静に答えます」
「ミサカは抜け駆けなどはしていませんよ、とミサカ一九〇九〇号はとっさに雑誌を隠しながら答えます」
口調こそ冷静に聞こえるが、言っている内容から動揺しているのがバレバレだった。
もちろんその事に気づいた結奈が、からかうように言う。
「抜け駆けって何の事かなー?」
それを聞いたミサカ達は、顔を見合わせ小声で話し始めた。
「(あなたが不用意な事を言ったせいで露見の危機に陥っています、とミサカ一〇〇三一号は責任の追及を行います)」
「(しかし、そちらも顔が引きつっていたではないですか、とミサカ一九〇九〇号は責任の分散を主張します)」
何か互いに責任をなすりつけ合っているようだ。
声自体は小さいのだが、他に人がいないために結奈には全部聞こえていた。
(案外、隠し事とか向いてないタイプなのかも……)
笑いを噛み殺しながら考える結奈。
目の前で喧嘩を始めたミサカ達を無視し、床に落ちた雑誌をパラパラとめくっていく。
しばらく探していくと、ご丁寧にも付箋が付けられたページがあった。
結奈はそのページの記事に目を通していく。
最初に目に入ってきたのは、『暑さに負けない! 夏の簡単ダイエット特集!』というタイトル。
(だから、『抜け駆け』って言ってたんだね)
それだけで納得する結奈。
事情は分かったので、喧嘩している二人に結奈は話しかける。
「二人とも、頑張るのは良いけど無理はしちゃダメだよ?」
ミサカ達はそこでようやく雑誌を見られている事に気づき、顔を青くしていた。
「大丈夫だって、私は別にそういうのは気にしないから」
笑いながら結奈が言う。
「本当でしょうか、とミサカ一〇〇三一号は安堵の息をつきます」
「できれば秘密にして頂けると助かります、とミサカ一九〇九〇号は事態の隠蔽交渉を行います」
それぞれが安心したように息をついていた。
「別に言わないよ。ただ、さっきも言ったけど健康第一って事は忘れないようにね」
それだけ釘を刺し、結奈は話を打ち切る。
「それで、お姉様はどうしてここに……「お、お姉様ー!?」」
改めて結奈が来た理由を尋ねようとするミサカ一〇〇三一号の声に重なるように、結奈の後ろから叫び声が聞こえてきた。
嫌な予感に恐る恐る結奈が振り返ると、そこには一直線に走って来る佐天の姿がある。
その顔には鬼気迫るものを感じた。
「なんですかあなた! お姉さまはあたしのお姉さまなんですから、あなたにお姉様な、ん、て……?」
まくし立てるように叫んでいた佐天だったが、ミサカ一〇〇三一号の顔を見てその勢いが萎んでいく。
「……嘘。御坂さんがお姉さまをお姉様って呼んでるなんて……」
呆然と立ち尽くす佐天。
混乱しているのか、小声で
「(じゃあ白井さんもお姉さまの妹って事に!?)」
などと言っている。
その言葉で佐天の誤解に気づいたのか、
「誤解をされているようですが、ミサカは美琴お姉様の妹です、と結奈お姉様の妹でもあるミサカ一〇〇三一号は訂正します」
と『結奈お姉様の妹』を強調してミサカ一〇〇三一号が言う。
(みーちゃん、もしかして煽ってる!?)
ミサカの言葉に何か対抗心のようなものを感じた結奈が心の中で思う。
その対抗心は佐天にも伝わったようで、
「お姉さまの、妹? 御坂さんの妹さんが?」
と呟いた後、突然叫ぶ。
「お、お姉さまはあたしのお姉さまです! あなたになんて渡しません!!」
「しかし、お姉様がミサカのお姉様である事は覆しようの無い事実です、とミサカ一〇〇三一号ははっきりと現実を突きつけます」
一見冷静そうに見えるミサカ一〇〇三一号だが、雰囲気が完全に臨戦態勢だった。
「あたしだってお姉さまの妹です! 一ヶ月以上前から妹です!!」
「たしかにミサカはお姉様の妹になってまだ数日です、とミサカ一〇〇三一号は唇を噛み締めながら認めます。しかし、お姉様からそう呼ぶように請われた以上は時間の長さは関係ありません、とミサカ一〇〇三一号は反論します」
「お、お姉さまから!? あたしは粘ってやっとそう呼ばせて貰えるようになったのに……」
(それは涙子ちゃんに呼ばれ慣れたからなんだけど……)
そんな結奈の心の声は届かず、がっくりと両手を床に着く佐天。
しかし、すぐに立ち上がって言葉を続ける。
「あ、あたしはお姉さまとの二人だけの携帯を持ってるんだから!」
その反撃に、あくまでも表情は冷静な様子で返すミサカ一〇〇三一号。
「ミサカはお姉様から愛用の鞄を頂きました、とミサカ一〇〇三一号は横に置いてあった鞄を掲げながら言います」
(みーちゃん!? なんで病院の中で鞄を持ち歩いてるのー!!)
再び響く結奈の心の声は、やはりミサカ一〇〇三一号には届かない。
「そ、それはお姉さまが使ってた鞄!? で、でも。あたしはお姉さまと遊園地で一緒に遊んだんだから!!」
「ミサカはお姉様と一緒に猫と遊びました、とミサカ一〇〇三一号はすかさず返します」
(もう何を競ってるのか分かんないよ二人とも……)
そろそろ諦めが混じり始めた結奈の心の声も、当然のように二人には届かない。
「お姉さまは不良能力者からあたしを守ってくれたんだから!!」
「ミサカは一方通行(アクセラレータ)から命を救ってもらいました、とミサカ一〇〇三一号はあの日のお姉様を思い出しながら答えます」
(みーちゃんその名前は出しちゃダメー!)
二人の攻防はさらにヒートアップしていく。
一言も喋っていないはずなのに肩で息をしている結奈は、隣にいるミサカ一九〇九〇号に助けを求めた。
「い、妹ちゃん! あの二人をなんとかできない?」
微妙に涙目で言う結奈に対し、ミサカ一九〇九〇号が答える。
「ミサカはあなたの妹には認定されていませんので、話に加わる義務も義理もありません、とミサカ一九〇九〇号は目の前の二人への羨望と嫉妬を隠さずに言い放ちます」
返ってきたのは無情な言葉だった。
「妹ちゃん!?」
唯一頼れそうな相手に見放され、がっくりと地面に両手と膝をつく結奈。
その前では、佐天とミサカ一〇〇三一号がいまだ言い争っていた。
結局、結奈の「二人とも大事な妹!」という言葉によって、ようやく場は収まった。
結奈はひどく疲れた顔をしていたが、件の二人はなぜか友情にでも目覚めたらしく、がっしりと握手をしている。
一体どこの少年漫画なのだろうか。
一息ついた結奈が携帯の時刻表示を見ると、もうすぐ日が暮れ始める時間になっていた。
もちろんミサカ一九〇九〇号はとっくにいない。
(五時間もあんな事してたの……)
元々の約束の時間は午後三時、今は既に午後六時を過ぎている。
(これじゃ、遊びに行くのは無理だよね……)
そう思いながら佐天に声をかけた。
「涙子ちゃん」
ミサカ一〇〇三一号と話していた佐天が振り向く。
「なんですか? お姉さま」
どうやら時間には全く気づいていないようだ。
「時間、もう遅くなっちゃってるよ?」
言われて時計を見る佐天。
「……って、ええー!!」
直後、絶叫が木霊した。
すさまじい声量に、キンキンする耳を押さえながら結奈が言う。
「だから、出かけるのは明日にしよっか?」
「え?」
「せっかくのお姉さまとのお出かけがー」と頭を抱えていた佐天が、驚いたように結奈を見る。
「いいんですか?」
恐々と聞いてくる佐天に、笑顔で答える。
「もちろんいいよ。それと、みーちゃんも退院したら連れてってあげるから、そんな恨めしそうな目をしないの」
目の前で交わされる約束に羨望の眼差しを送っていたミサカ一〇〇三一号にフォローをする結奈。
「それじゃあ、みーさんに何か買ってきてあげましょうお姉さま!」
ミサカ一〇〇三一号の様子を不憫に思ったのか、佐天がそんな提案をしてくる。
ちなみに『みーさん』というのはミサカ一〇〇三一号のことだ。
結奈が『みーちゃん』と呼んでいるのを聞いて『みー』が名前だと思ったらしい。
さらに、最初から最後までミサカ一〇〇三一号しか見えていなかった佐天はミサカ一九〇九〇号の存在には全く気付いていなかったので、ミサカ一〇〇三一号は美琴の双子の妹という事になっている。
「そこまでしてもらう必要は……「いいからいいから。私達がやりたくてやるんだからみーちゃんは遠慮しない!」」
遠慮しようとするミサカ一〇〇三一号の言葉を遮り、結奈が言う。
その隣では佐天もうんうんと笑顔で頷いていた。
「わかりました、とミサカ一〇〇三一号はその提案を受け入れます」
今度はミサカ一〇〇三一号も素直に頷く。
「じゃあ、みーちゃんは何が欲しい? 探してきてあげるよ」
そう言った結奈の言葉にミサカ一〇〇三一号は顔を赤くして俯き、ぼそりと呟いた。
「……ロザリオ」
「え? もう一回言ってもらってもいい?」
聞きなれない名前に聞き間違えたのかと思った結奈が聞き返す。
「ロザリオが欲しいです、とミサカ一〇〇三一号は期待に胸を高鳴らせながら答えます」
その言葉を聞いた途端、佐天が慌てたようにミサカ一〇〇三一号に詰め寄った。
「ち、ちょっと待って下さいみーさん! それはあれですか、あの儀式がしたいって事ですか!? それはさすがのあたしも見過ごす訳にはいきません!!」
結奈は普通に了承しようと思っていたのだが、佐天の様子を見て何か意味のある事なのかなと思い始める。
(儀式ってなんだろ……魔術的な何か、とか? でも二人ともそういうのには関わって無いはずだし……)
そんな見当違いな事を考えながら、とりあえず結奈は佐天を止めた。
「涙子ちゃんもそれぐらいにして……みーちゃん、涙子ちゃんが嫌がってるから他の案は無い?」
そう言われ、少し肩を落としながらミサカ一〇〇三一号は答える。
「それならアクセサリー類を何かお願いします、とミサカ一〇〇三一号は肩を落としながら再考します。美琴お姉様との区別に良いでしょうから、とミサカ一〇〇三一号は理由を説明します。」
無難な選択である。わざわざ欲しがる理由を付け加えるあたりもミサカ一〇〇三一号らしいと言えるだろう。
「それじゃ、明日何か探してくるよ」
そう伝えて、結奈は家路へとついたのだった。