路地裏を出たところで上条に追いついた結奈は、さっきから気になっていた事を聞いてみることにした。
「ねぇ、上条くん。さっき私が目を離した時にあの子に何したの? すごく脅えてたみたいだけど」
「ん? ちょっと脅かしただけだって。手は出してねーよ」
「それならいいんだけど……あ! それとさっき言ってた魔術師って何の事なの?」
話している最中に思い出した疑問を上条にぶつけてみる。
「さっき話してた落し物をしてった奴のことだよ。自称魔術師。それだけ」
「へえー。自称魔術師の女の子ねー」
結奈は興味津々だったが、上条はあまり話したくない様子だ。なぜか顔が真っ赤になっている。
「ま、追及はこれ位にしておいて……上条くん、これからどうするの?」
上条にこの後の予定を尋ねる結奈。
何かを思い出して真っ赤な顔でうろたえていた上条だが、その言葉で我に返る。
どうするか少し考え、
「……やることもねーし、牛丼でも食べて帰ることにする」
どこか寂しさを漂わせる笑みで、そう答えた。
「そっか。それじゃ、また明日だね」
私はもう寮に帰るから、そう言って上条に手を振る。
寂しげな笑顔を浮かべた上条を少しだけ気にしながら、結奈は寮に向かって歩き出した。
寮の自室に戻った結奈はいつも通りに夕食の準備をし、その後はベッドの上でゴロゴロとだらけきっていた。
帰り際の上条の様子は気になっていたが、どうせ女の子の事だろうと考えて気にしないことに決めていた。
あんまり気にしすぎるとイライラしてくるからだ。
(上条くんはいつもああなんだから……)
上条当麻は困っている女の子を見ると放っておけないらしく、事あるごとに人助けをしていた。
そのせいか、上条に好意をもつ女の子というのは実はかなりの数に上っている。
ただ、人助けが当たり前になってるためか、本人はそのことにまったく気づいていないようだが。
かくいう結奈も上条には何度も助けられており、それなりに好意を持っている自覚もある。
だからほかの女の子の気持ちも分かるのだが、それとこれとは話が別。ムカつくものはムカつくのである。
ひと通り激情が過ぎると今度は補習のことを思い出し、結奈は肩を落とす。
「……はあ、明日も補習か。なんで私は何の能力も使えないのかな……」
新城結奈という少女は、この街では非常に特異な存在だった。
結奈が暮らすこの学園都市では、科学的な処置に基づく超能力開発が行われている。
『記録術』とか『暗記術』とか、そんな名前でごまかして頭の開発をしており、一定の時間割(カリキュラム)をこなせば才能がなくともスプーンぐらいは曲げられるようになる。
結奈は能力者の中でもほんの弱い能力しか発現しない、無能力者(レベル0)に分類されていた。
ただ、無能力者というだけなら学園都市の学生百八十万人の六割は同じ無能力者であり、結奈がその中に入るのは別におかしなことではない。
結奈が特異とされるのは、本当の意味で何の能力も発現していない『無』能力だからだ。
どんな人間でも持てるはずの能力が、結奈には欠片も存在しない。
それも学園都市に来て十年もたつにもかかわらず、だ。
「私は運だけはいいはずなのにね……」
制服のポケットから取り出した携帯電話をいじりながらつぶやく。
夕方、美琴の電撃によって周囲の電子機器がすべてダメになっていたにもかかわらず、すぐ近くにいたはずの結奈の携帯電話はなんの機能障害も起こしていなかった。
それどころか、充電を忘れて切れかかっていたはずのバッテリーが回復までしている。
「普段はこんなに幸運に恵まれてるのに、なんで能力に関しては発揮されないのかな……」
はぁ、とため息をつく。
そんなことをいっても仕方がない。それぐらいは分かっていても、どうしても落ち込んでしまうことはあった。
「よし、ちょっと散歩でもしてこよう」
落ち込んだ気分をなおすには夜風にでも当たってくるべきだろう。エアコンが壊れて蒸し暑い部屋にいるよりは気分も落ち着くに違いない。
そんなことを考えながら、結奈は夜の散歩に出かけることにした。
結奈は表通りをのんびりと歩いていた。
しばらく風に当たったおかげか気分は十分に落ち着いており、そろそろ寮に帰ろうかと思っていたところだ。
そんな結奈の後ろから、消防車と救急車のサイレンが近付いてくる。
どこかで火事でもあったのかと行く先を見ていた結奈だったが、それらの車両が止まった場所を見てぞっとした。
そこは結奈にも見おぼえのある、上条が住んでいる学生寮だったからだ。
慌てて向かおうとするが、野次馬が多くなかなか近付けない。
仕方なしに近くの人から状況を聞いてみると、どうやら寮は完全に無人であり、被害者はいなかったらしい。
「よかった……」
安堵のため息が漏れる、上条はすぐに帰ると言っていたから、火事に巻き込まれたんじゃないかと思っていたのだ。
特に被害がないのならもうここにいる必要もないかな、と考えて結奈は踵を返す。
すると、その先の路地裏に人影があることに気づいた。
なんとなしに近づいた結奈の目に映ったのは、血まみれのシスターを抱きかかえる上条の姿。
「上条くん!?」
結奈の声に気づき、上条は驚きの表情を浮かべる。
「新城!? なんでここに?」
「わ、わたしは散歩してたら上条くんの寮に消防車が向かって行くのが見えたから……上条くんこそどうして? その子どうしたの?」
「落ち着け新城。後でちゃんと説明するから。今は手伝ってくれ」
あまりの事態にパニックを起こしかけた結奈だったが、上条の言葉で冷静さを取り戻す。
何があったのかは分からないが、急がないとまずいという事だけは結奈にも理解できた。
「新城、小萌先生の住所って知ってるか?」
「う、うん。知ってるけど……病院とか行かなくていいの?」
「ちょっと事情があってな、病院はまずいんだ。それで、案内してもらえるか?」
「わかった」と一言伝えると、結奈は小萌先生のアパートに向かって歩き出す。
上条もぐったりとしているシスターを背負いなおし、その後を追った。
「ここだよ」
路地裏から歩いて十五分という所に、そのアパートはあった。
「小萌先生の部屋は二階の一番奥だよ」
結奈の言葉を聞き、上条は急いでそこに向かう。
チャイムを鳴らし、ドアを蹴破ろうとする上条を抑えながら小萌先生が出てくるのを待つ。
「はいはーい、今開けますよー?」
中からのんきな声が聞こえ、かちゃりとドアが開かれた。
小萌先生はドアの前に立っている上条を見て見当違いなことを口にする。
「うわ! 上条ちゃん! 新聞屋さんのアルバイトでも始めたんですか?」
「シスター背負って勧誘する新聞屋がどこにいる! ……ちょっといろいろ困ってるんで入りますね先生。はいごめんよー」
上条はそのまま部屋に入ろうとするが、小萌先生は部屋がすごいことになっているので困ると抵抗している。
どうやら背中のシスターの怪我が分かってないようだと気づいた結奈は、簡単に状況を説明することにした。
「先生、この子怪我してるんです。治療したいから中に入れてもらってもいいですか?」
「新城ちゃんもいたんですか。……って、ぎゃああ!?」
血まみれの修道服を見てようやく事態の深刻さに気付いたのか、小萌先生はあわあわ言ってパニックを起こしている。
このままでは埒が明かないので、二人は強引に部屋の中へと入ることにした。
床に転がるビールの空き缶や灰皿に山盛り積まれた煙草の吸殻をかき分け、背中の傷に触れないよう畳の上に少女をうつぶせに寝かせる。
破れた服の布で傷口は見えないが、真っ赤に染まった修道服からかなりひどい傷なのだろうことがうかがえた。
「それで、上条くん。これからどうするの?」
「き、救急車を呼ばなくって良いんですか!? で、電話そこにあるですよ?」
結奈が尋ね、小萌先生がブルブルと震えながら部屋の隅を指差すのと同時、
「――出血に伴い、血液中にある生命力(マナ)が流出しつつあります」
血まみれの少女から無感情な声が聞こえてきた。
「――警告、第二章第六節。出血による生命力の流出が一定量を超えたため、強制的に『自動書記(ヨハネのペン)』で覚醒めます。……現状を維持すれば、ロンドンの時計塔が示す国際標準時間に換算して、およそ十五分後に私の身体は必要最低限の生命力を失い、絶命します。これから私の行う指示に従って、適切な処置を施していただければ幸いです」
結奈と小萌先生はぎょっとしたように少女の顔を見る。
その顔には表情はなく、ぞっとするほどの冷たい眼差しだけがあった。自らの命の危機にさえ、何の感慨もないというかのように。
「先生、緊急事態なんで手短に言いますね。今から救急車、呼んできます。先生はその間、この子の話を聞いて、お願いを聞いて……とにかく絶対、意識が飛ばないように。この子、服装通り宗教やってるんで、よろしくです。……新城は一緒にこっち来てくれ」
上条の言葉に小萌先生は顔面蒼白のままこくこくと頷く。
それを確認した上条は、
「じゃ、先生。俺たち、ちょっとそこの公衆電話まで走ってきます」
「え? ちょっと上条くん。どういう……」
説明を求めていた結奈の手を掴み、部屋を出て行こうとする。
「あーもー! ちゃんと説明してもらうからね!!」
抵抗を諦めた結奈は、仕方なく上条についていくのだった。
小萌先生のアパートを出てすぐのところ、結奈は立ち止まった上条に聞いた。
「それで? どういうことか教えてくれる?」
今度こそ答えてもらう、と結奈は意気込んで尋問を開始する。
「えっと、だな。ちょっと複雑な事情があってな?」
「複雑でも何でもいいから分かるように説明して。いまさら部外者だなんて言わせないからね」
言葉を濁した上条に念を押して言う。このまま説明もなしにはぐらかされたら気になって眠れない。
睡眠不足は乙女の天敵だ。健康のためにもちゃんと聞きだす必要があるだろう。
「わかった。説明するからそう睨むなって」
上条の方は観念したのか、一応話す気にはなったみたいだ。
「まず、さっきのシスターは夕方に話した落とし物をしてった変な奴だ」
「それって、自称魔術師とかいう?」
結奈が夕方の話を思い出しながら確認する。
「そ。それで、俺が寮に帰ったらあいつが部屋の前で血まみれで倒れてて。慌ててここへ運んできたってわけだ」
これで終わりだ、とばかりに話を切ろうとする上条。
前言撤回。どうやらまだちゃんと説明する気はなかったようだと判断する。
「上条くん? 私はちゃんと説明してって言ったよね?」
笑顔のまま上条にプレッシャーを与える結奈。
「だから説明しただろ?」
上条はあくまでしらばっくれるつもりのようだ。
しかたがない、と結奈は笑顔を崩さず致命的な一言を紡ぎだした。
「上条くん。ここで私が「助けてー」とか大声で言ったらどうなると思う?」
「すみませんほんと勘弁してください新城さん」
人通りの無い夜道に二人きり、そんな言葉が聞こえれば上条の言葉にはだれも耳を貸すことは無い。
こうして冤罪は生まれていくのだろう。
「だったらどうすればいいか分かるよね?」
結奈はにっこりと、本当にすばらしい笑顔で最後通牒を突きつけた。
「と、まあこんなところだ」
「つまり、あの子はインデックスっていう名前の本物の魔術師で、それを狙う敵に襲われていたから上条くんが不思議な右手の力で助けた。いまはあの子の魔術で傷を治してるけど、超能力者の私たちには魔術が使えず邪魔になるだけだから席を外してる。と、これでいいの?」
これまでの経緯を話し終えた上条に確認を取る。
「そんなところだ。それにしても魔術だのなんだのって相当胡散臭いと思うんだけど、信じるのか?」
上条が不思議そうに聞く。
「そりゃ、私だってあの子にそう言われただけなら信じられないけよ。けど、上条くんが実際に体験してるってことなら信じるしかないでしょ」
「そんなもんか」と呟く上条を見てため息をつく結奈。
「それで、上条くんはこれからどうするの?」
結奈にとっては答えが分かり切った質問だが、一応聞いておく。
「さすがに放ってはおけないし、何とかなるまで付き合うつもりだ」
思った通りの答えが返ってくる。
(またいつもの病気だね……)
そんな風に結奈は思うが、こうなってしまうと何を言っても聞かないだろう。
だったら少しくらいは手伝おう、と考えた結奈に向かって上条は言う。
「新城も、危ないからこれ以上は関わらない方がいい」
これも予想通りだった。どうせ言ってくるとは思っていた。
実際、上条くんが言うような戦闘になったら、無能力の自分は完全に役立たずだ。
一応護身術程度なら習ってはいるが、魔術相手にはあまり意味はないだろう。
かといって、怪我をした女の子を放っておけるほど情の薄い女になるつもりもない。
「わかった。魔術とかそういうのには関わらないようにするよ」
そう言った結奈を見て、上条がほっとした様に息をつく。
「ただ、あの子のお見舞いに来るくらいはいいでしょ?」
これだけは譲れない、と結奈は上条を見る。
上条もここで折れないとさっきのように脅されると気づいたようで、しぶしぶ頷いた。
「じゃ、交渉も成立したことだし、そろそろ戻ろうか」
「そうだな。結構時間もたってるし、もう大丈夫だろ」
二人は今来た道を引き返していく。
その途中、結奈が思い出したように言った。
「上条くん。さっきはつい流してたんだけど、その右手の『幻想殺し(イマジンブレイカー)』ってなに? 上条くんは私と同じ生粋の無能力者じゃなかったの?」
このうらぎりものー、とばかりに上条を睨みつける。
結奈としては、上条は自分の同類だと思っていただけにショックは大きい。
「つっても身体検査(システムスキャン)じゃ出てこないんだから、能力的には無能力扱いだぞ?」
「それでも何かあるのと何もないのじゃ全然違うじゃない」
私の仲間はどこにもいないのね、とうなだれる結奈。
そんな結奈に上条も苦笑いを浮かべていた。
「新城の場合、運の良さがある意味能力みたいなもんだろ。くじ引き一等三連続とか他で見たことねーぞ」
「うう、本来それがすごいってのは分かるんだけど。生まれつきの事だからあんまりそんな風に思えない……」
話しているうちに小萌先生のアパートへ到着する。
部屋に入ると治療は終わっており、インデックスはすでに眠りについていた。
「うまくいったんですか?」
「はい。もう大丈夫みたいですよ」
「よかった……これで安心して眠れます。睡眠不足は乙女の敵ですから」
小萌先生の報告を聞いてほっとする結奈と上条。
危機を乗り切った安心感からか、三人は笑顔を浮かべていた。