「ぐちゃぐちゃ言ってねぇで離れろっつってんだろ、三下!!」
落雷のような上条の怒号が、あたりに響き渡った。
倒れている結奈からは、その姿はコンテナの影になって見えない。
それでも、聞こえてきたその声だけで結奈には今の上条がどんな顔をして、どんな想いでそこに立っているかを鮮明に想像できた。
(上条、くん……)
『今すぐ、御坂妹から、離れろっつってんだ』
一体何があって上条がこの事を知ったのか、それは分からない。
だが、結奈と同じ想いを上条が抱き、この場所へと来てくれた事。
それが、何よりも嬉しかった。
「オマエ、ナニサマ? 誰に牙剥いてっか分かって口開いてンだろうなァ、オイ。学園都市でも七人しかいねェ超能力者(レベル5)、さらにその中でも唯一無二の突き抜けた頂点って呼ばれてるこの俺に向かって、三下? オマエ、何なンだよ。カミサマ気取りですか、笑えねェ」
少年が、信じられないものを見るかのような表情で言う。
(超能力者の第一位……そっか、あれが『一方通行(アクセラレータ)』だったんだ)
上条からの返答はない、それでも、
「……へェ。オマエ、面白ェな……あァ、本当に面白ぇわ」
殺気に満ちた一方通行の声が、その答えを結奈へと伝えていた。
その会話の最中、一方通行の足元で倒れている、御坂妹と呼ばれたミサカが震える声で呟いた。
「な、にを、……やっているんですか、とミサカは問いかけます」
そう、二人に問いかける。
「何をやっているんですか、とミサカは再度問いかけます。いくらでも替えを作る事の出来る模造品のために、替えの利かないあなた達は一体何をしようとしているのですか、とミサカは再三にわたって問いかけます」
結奈達の考えが理解できない御坂妹は、必死に二人を止めようとする。
「ミサカは必要な機材と薬品があればボタン一つでいくらでも自動生産できるんです、とミサカは説明します。作り物の体に、借り物の心。単価にして十八万円、在庫にして九九六八も余りあるモノのために、『実験』全体を中断するなど―――」
結奈は、これが全ての『ミサカ』の共通の考えであるのだろうと気づいた。
だから、結奈は同じように思っているのであろうミサカに、痛みを堪えて途切れ途切れに言う。
「惜しい……なぁ。体が動いてたら、妹ちゃんを……思いっきり、ひっぱたいてあげたのに……」
その言葉の意味が分からず、ミサカは呆けた表情で問い返す。
「な、何を……」
「そのままの……意味だよ。言って分からない子には、それぐらい、しないとね……」
すぐに教えてくれるよ、という結奈の言葉に重なるように、上条が呟く。
「……うるせぇよ」
その上条の声に宿るのは、確かな怒り。
「うるせぇんだよ、お前は。そんなもん、関係ねぇんだよ。作り物の体とか、借り物の心とか。必要な機材と薬品があればボタン一つでいくらでも自動生産できるとか、単価一八万円とか。そんなもん、知った事じゃねぇ! そんな言葉はどうだって良いんだよ!」
その怒りをすべて乗せて、上条は夜空に向かって吼えるように叫んだ。
「俺は、お前を助けるためにここに立ってんだよ! 他の誰でもない、お前を助けるために戦うって言ってんだ! だから作り物の体とか借り物の心とか必要な機材と薬品があればとかボタン一つでいくらでも自動生産できるとか単価一八万円とか、そんな小っせぇ事情なんかどうでも良い!」
たった一つ、大切な想いを届けるために。
「お前は、世界でたった一人しかいねぇだろうが! 何だってそんな簡単な事も分っかんねぇんだよ!」
それこそが、上条が、結奈が、伝えたかった事だった。
「勝手に死ぬんじゃねぇぞ。お前にはまだまだ文句が山ほど残ってんだ」
上条は一方通行に向かって歩く。
「今からお前を助けてやる。お前は黙ってそこで見てろ」
ただ、そう言い放って。
(ホントに、カッコつけすぎだよ)
痛みに歪む結奈の顔に、わずかに笑みが浮かんだ。
一方通行と対峙する上条を見つめながら、結奈はミサカに言う。
「妹、ちゃん。お願い、聞いて貰っても……いいかな?」
「それは構いませんが、とミサカは答えます」
ミサカの了承の返事に、結奈は言葉を続ける。
「私を……そこの、コンテナの陰に……連れて行って欲しいの」
それを聞き、ミサカが訝しげな表情を浮かべた。
「一体何をするつもりですか、とミサカは困惑しながら問い返します」
結奈はゆっくりと答える。
「私を見たら……上条くんが、驚いちゃうかも、しれないからね。出来れば、足を怪我してる妹ちゃんには……頼みたくはないんだけど。自分じゃ、動けないから……」
途切れ途切れに言う結奈の言葉に、ミサカが頷く。
「わかりました、とミサカは要望に応えます」
結奈を引きずるようにしてゆっくりと歩き始めるミサカ。
コンテナの影まで来た時には、二人とも息を切らしていた。
「ありがとう、妹ちゃん」
結奈はそう言って、再び上条に視線を戻す。
闘いは、すでに始まっていた。
一直線に駈け出した上条に対し、一方通行はその場を動かない。
ただ、笑みを浮かべて足元の砂利を踏む。
その瞬間、その無数の砂利が弾丸のように飛び出し、上条を襲った。
それに気づいた上条がとっさに両腕で顔を庇うが、砂利は上条の全身に襲い掛かり、その体を吹き飛ばす。
「全っ然、足りてねェ。オマエ、そんな速度じゃ一〇〇年遅ェっつってンだよォ!」
そう言いながら、一方通行が再び地面を踏みつけた。
それによって一方通行の足元にあった鋼鉄のレールが持ち上がる。
そして、軽く当てた手に反応して、そのレールが上条に向かって砲弾のような勢いで飛んでいった。
地面を転がることでレールを避けた上条だったが、舞い上がった砂利が体に叩きつけられる。
さらに、追い打ちをかけるように一方通行は次々とレールを飛ばしていった。
上条はギリギリでレールを回避していくが、飛び散る砂利は防ぎきれない。
「アッハァ! ほら、遅ェ、遅ェ、全然遅ェ! 狩人を楽しませるならキツネになれよ、食われるためのブタで止まってんじゃねェぞ三下ァ!!」
そう言いながら一方通行は足元の砂利を爆発させ、一瞬で上条との距離を詰める。
そのまま一方通行が地面を踏むと、跳ね上がったレールが上条の顎を突き上げた。
「がっ、ご……ッ!」
下から勢いよく突き上げられ、空中に浮いた上条に向って一方通行が右手を伸ばす。
上条はそれを右手で払い落とした。
一方通行は自分の右手を払い落とした上条に一瞬だけ驚愕の表情を向け、しかしすぐに表情を戻すと、地面に踏みつけた。
一方通行の足元から巻き上げられた砂利が、空中にいる上条の全身に叩きこまれる。
吹き飛ばされた上条の体は、結奈のいる場所とは反対側にあるコンテナの山にぶつかって動きを止めた。
そのコンテナに気を取られた上条に、一方通行が襲いかかる。
「おら、余所見たァ余裕だなオイ! ンなに死にたきゃギネスに載っちまうぐれェ愉快な死体(オブジェ)に変えちまおうかァ!!」
そう叫びながら放たれた一方通行の飛び蹴りを、上条は紙一重でかわす。
一方通行の勢いは止まらず、そのままコンテナの壁に突っ込み、甲高い金属音とともに積み上げられたコンテナの山が崩れ落ちた。
それに気づいた上条はその場から離れようとするが、一方通行は逃がすまいと上条へと飛びかかる。
それを見て、上条はとっさに足元の砂利を一方通行に向かって蹴り飛ばした。
その砂利は一方通行の体に触れたとたん反転して加速し、両手を交差することでそれを防御した上条を大きく後ろへと吹き飛ばす。
次の瞬間、先ほどまで上条がいた場所に、コンテナの雨が降り注いだ。
コンテナには小麦粉か何かが入っていたらしく、白い粉末が周囲に巻き上げられる。
粉のカーテンが二人を包みこみ、結奈からは全く様子が分からなくなってしまった。
(頑張って、上条くん)
結奈がそう考えた直後、二人のいた場所から爆音が響き渡った。
その爆発によって吹き飛ばされたらしい上条が、地面へと叩きつけられる。
すでにその体はボロボロで、動けるのが不思議なほどの傷を負っていた。
それでも立ち上がった上条に、爆発によって生まれた炎の中を平然と歩きながら一方通行が向かっていく。
一方通行が笑いながら何かを言っているようだったが、距離が遠すぎてその言葉は結奈には届かない。
そして、一方通行はパチパチと拍手をした後、砲弾のように上条へと襲いかかった。
両手を合わせて接近する一方通行。それに反射的に上条は右手を突き出し、それは、初めて一方通行を捉えた。
上条の右手は一方通行の顔面を殴り飛ばし、その体は吹っ飛んで砂利へと倒れる。
上条は、それを呆然と眺めていた。
そして、何かに気づいたように上条の表情が変わる。
追い詰められた獲物の目から、追い詰める狩人の目へと。
そこから、これまでの攻防が信じられないくらいに一気に形勢が逆転した。
一方通行が繰り出す攻撃はことごとくかわされ、逆に上条の攻撃はその全てが一方通行を捉えていく。
結奈も、ミサカも、呆然とそれを見つめている。
上条が一体何に気づいたのか、それは結奈には分からない。
それでも、今の状況を見れば、もう大丈夫だろうと思えた。
(よかった、これなら……)
結奈の視線の先には、上条の前で地面に尻をつき、手だけを使ってずるずると後ろへ逃げようとする一方通行の姿。
「妹ちゃん。これで……」
もう大丈夫、そう言おうとした結奈の言葉は、突如響き渡った大声に遮られた。
「くかきけこかかきくけききこかかきくここくけけけこきくかくけけこかくけきかこけききくくくききかきくこくくけくかきくこけくけくきくきこきかかか―――ッ!!」
追い詰められた一方通行が突然奇声を張り上げ、頭上へと手を伸ばす。
次の瞬間、一方通行を中心にすさまじい暴風が吹き荒れた。
上条の体はその暴風に容易く吹き飛ばされ、背後にあった風力発電のプロペラに激突する。
(上条くん!!)
そう思う間も無く、結奈とミサカの体が空中へと舞い上がった。
二人の体は木の葉のように暴風の中を舞い、上条のすぐそばの地面に叩きつけられる。
「ぐ……」
その衝撃に、視界が暗転していく。
「結奈さん!?」
その時、誰かの声が聞こえた気がして、
(ダメ……)
そのまま、結奈は意識を失った。
視界に強い光を感じ、結奈の意識は闇から浮上した。
ぼんやりとする頭で、もう朝なのかと考えながら目を開いた結奈は、目の前の光景に絶句する。
結奈から少し離れた場所に立つ一方通行の頭上、一〇〇メートルほどの位置に、純白の光の塊が浮かんでいた。
「な、に……あれ」
思わずつぶやいた一言に、すぐそばから答えが返ってくる。
「一方通行の能力はあらゆる力のベクトル操作です、とミサカは説明します。恐らく、風の向きを操る事で空気を圧縮し、高電離体(プラズマ)を作り出したのでしょう、とミサカは自分の考えを述べます」
少しだけ視線を巡らせると、結奈のすぐ隣にミサカが倒れていた。
その姿は結奈同様ボロボロで、喋るだけで痛みに顔を歪めている。
「妹、ちゃん? 私、どれくらい……意識を、失ってたの?」
あれからどれだけ経ったのか、振り絞るように声を出し結奈はミサカに尋ねる。
「あなたが意識を失っていたのは一分ほどです、とミサカは答えます」
どうやら暴風に吹き飛ばされてからほとんど時間は経っていないらしい。
(上条くんは!?)
結奈が同じように風に吹き飛ばされた上条の姿を探そうとした時、ふいに声が聞こえた。
「お願い、起きて。無理を言ってるのは分かってる、自分がどれだけひどい事を言ってるのかも分かってる。だけど、一度で良いから起きて!」
結奈が声の方向を見ると、美琴が倒れたままの御坂妹に向かって叫んでいる。
(美琴ちゃん!?)
どうしてここに、という結奈の疑問は、美琴の言葉によって氷解する。
「アンタにやって欲しい事があるの。ううん、アンタにしか出来ない事があるの!」
それだけで結奈にも分かった。それは、美琴の心からの叫び。
「たった一つで良い、私の願いを聞いて! 私にはきっと、みんなを守れない。どれだけもがいてもどれだけあがいても、絶対に守れない! だから、お願いだから!」
誰一人欠ける事無く、みんなで幸せになりたいという少女の願い。
「お願いだから、アンタの力でアイツの夢を守ってあげて!」
その言葉は、自分には価値がないと信じ続けていた『ミサカ』達の心に、確かに届いた。
ゆっくりと、ミサカ達が立ち上がる。傷だらけの体に鞭を打ち、ふらつく体を支えながら。
そして、二人のミサカは同時に何かを呟く。
結奈には、その言葉がはっきりと聞こえた。
「その言葉の意味は分りかねますが……何故だか、その言葉はとても響きました、とミサカは率直な感想を述べます」
その声が届くと同時、一方通行の頭上に輝く純白の光が霧散した。
突然光が消えた事で、一方通行の顔に焦りが現れた。
そして次の瞬間、事態を理解したように御坂妹とミサカを交互に見つめる。
その一方通行の赤い瞳に、殺意が浮かんだ。
まずは御坂妹からだとでも言うように一歩体を進めた一方通行の前に、美琴が立ち塞がる。
「……させると思う?」
そう呟く美琴に、一方通行は嘲笑を浮かべて言う。
「ハッ、図に乗ってンじゃねェぞ格下が。オマエじゃ俺に届きゃしねェよ、足止めすら出来やしねェ。視力検査ってなァ、二・〇までしか測れねェだろ? それと一緒さ、学園都市にゃ最高位のレベルが5までしかねェから、仕方なく俺はここに甘ンじてるだけなンだっつの」
それを聞きながら、結奈は思う。
(妹ちゃんも、美琴ちゃんも、みんな頑張ってるのに、どうして私は何も出来ないの!)
しかし、どれだけ力を込めようとも、立ち上がる事すら出来ない。
結奈に出来るのは、ただ大切な人達が足掻く姿を見ている事だけだった。
その間にも、無言で立ちはだかる美琴に一方通行が近づいていく。
美琴まであと数歩まで迫ったその時、一方通行の背後、結奈のすぐそばで、がさりと何かが動く音が聞こえた。
結奈が音の方向に視線を向ける。そこでは、血塗れの上条がゆっくりと立ち上がっていた。
がくがくと足は震え、両腕はぶらりと垂れ下り、体のあちこちから血が噴き出している。
そんな状況で、それでも上条は一方通行へと歩みだす。
その姿を見た一方通行が、恐怖の表情を浮かべながら叫ぶ。
「面白ェよ、オマエ……最っ高に面白ェぞ、オマエ!」
絶叫と同時に、一方通行の体が砲弾のような速度で上条に迫った。
それを見た上条が右手を握り、視線を上げる。
その目が真っ直ぐに捉えるのは、両手を握って襲いかかる一方通行の姿。
顔面に迫り来る一方通行の右手を、上条は身を低くする事でかわす。
その上条に、一方通行が左手で追い打ちをかけた。
上条はそれを右手で払いのけようとするが、一瞬体がふらつき、目測を見誤る。
一方通行の左手が、上条の右手をすり抜けるようにして顔面に向かう。
その光景を、結奈はただ見ている事しか出来ない。
結奈に残されたのは、祈ることだけ。
だから、結奈はただ一つだけの事を祈る。
(お願い! 私に、幸運なんて力があるのなら……今だけで良い、あの人を守って!!)
そう祈り続ける結奈が、ふと不思議な気配を感じた。
それが何なのか、今の結奈には分からない。
ただ、上条を救うためにどうすれば良いかは、直感的に理解できた。
その感覚に従い、結奈は気配を動かす。
それが最善だと信じて。
一方通行の左手が、上条の顔面へと触れた。
勝利を確信して笑みを浮かべた一方通行の表情が、その直後に驚愕へと変化する。
触れただけで獲物を仕留める、絶対のはずの一方通行の左手は、上条の顔に触れた瞬間、まるで反射されるように弾き飛ばされた。
理解を超えた事態に、一方通行の動きが止まる。
その一方通行に、上条が言う。獣のように獰猛な笑みを浮かべて。
「歯を食いしばれよ、最強(さいじゃく)……俺の最弱(さいきょう)は、ちっとばっか響くぞ」
瞬間、上条の右手の拳が一方通行の顔面へと突き刺さる。
一方通行の体は勢いよく吹き飛んで地面に叩きつけられ、そのまま立ち上がることは無かった。
(よかった……)
それだけを思いながら、結奈の意識は闇に飲み込まれていった。