結奈が目を覚ますと、白い天井が見えた。周りを確認したところ、どうやらここは病室らしいことが分かる。
「私、なんでこんな所に……?」
どうして自分が病院にいるのかを思い出そうとするが、全く心当たりが無い。
(確か、インデックスを探して北棟を昇って行って、最上階で上条くんを見つけて……それからどうしたんだっけ?)
そのあとの記憶が曖昧になっている事に結奈は気づく。必死に思い出そうとするが、記憶は戻ってこなかった。
(ただ……なにか不思議な気配を感じたような気がする。ずっと昔、あの事故の時に感じた気配を……)
結奈が何かを思い出しかけた時、病室のドアが開かれ上条とインデックスが入って来た。
その後ろには赤髪の魔術師がついてきている。
「よっす。元気か新城」
「ゆいな! 起きたんだね!」
上条とインデックスがベットに近づきながら言う。
一瞬嬉しそうに笑ったインデックスだったが、次に瞬間にはどこか怒ったような表情で言葉を続けた。
「なんであんな所にいたのゆいなは! 今回は無事だったから良かったけど、戦場に迷い込むなんて死んじゃってたかもしれないんだよ!!」
「それは俺も気になってたんだけど、新城はなんであそこにいたんだ?」
顔を真っ赤にして怒るインデックスを「無事だったんなら別にいいだろ?」となだめていた上条も会話に加わってくる。
「え? 私は真剣な表情で走ってくインデックスを見かけたから追いかけたんだけど……」
結奈のその言葉に、インデックスの表情が変わる。
「あ、ゆいな。さっき売店にマスクメロン味のポテチが売ってたんだよ」
「オイ。結局お前が原因じゃねーか」
自分に不利だと悟ったインデックスが話題を変えようとするが、横で聞いていた上条の指摘によりみごとに失敗する。
「そ、そんなことないよ! そもそもあれはとうまが私を置いていったのが悪いんだよ!」
慌てるインデックス。その胸元から、突然三毛の子猫が飛び出してくる。
「みー」
三毛猫はのんびりと床を歩き、ぴょんと結奈のベッドに飛び乗った。
シーツの感触が気に入ったのか、そのまま丸まって昼寝を始めてしまう。
その姿を見た結奈が小さく呟く。
「かわいい……」
「あ、その子はスフィンクスっていうんだよ。今日からうちで飼う事になったの」
話題を変えるならこのタイミングしかないと思ったのか、ここぞとばかりにインデックスが食いついてくる。
「えっと、スフィンクス?」
聞きなれない名前に戸惑う結奈に上条が答える。
「その猫の名前らしい。見つけて十数秒でついてたな」
突っ込まないでくれ、と目で語りながら答える上条に苦笑を浮かべる結奈。
話題転換に成功して満足そうなインデックスだったが、何かを思い出したように言う。
「それでね、あそこにいたひめがみあいさなんだけど、行くところが無いらしいの」
そう話すインデックスだが、結奈には『ひめがみあいさ』というのが誰なのか分からない。
「それって、誰?」
きょとんとした顔でそう言った結奈に上条が答える。
「いや、おまえが校長室に入って来た時にもう一人いただろ? そいつのことだよ」
しかし、最上階に行ってからの記憶があやふやな結奈には分からない。
「私、北棟の最上階で上条くんを見つけた後の記憶が曖昧なの。だからちょっと分かんないんだけど……」
結奈のその言葉に、なぜか上条がほっとしたような顔をした。
「ま、覚えてないんじゃしょうがねーか。この病院にいるから後で紹介する。それで、その姫神なんだけど、学生寮を追い出されそうなんだ」
上条の説明によると、姫神秋沙は吸血鬼をおびき寄せて殺す『吸血殺し(ディープブラッド)』という能力を持っているらしい。
その能力を快く思わない姫神本人のために『歩く教会』という結界魔術で能力を封印する事になったのだが、そうすると彼女が通う霧ヶ丘女学院から退学させられる可能性が高いのだそうだ。
そこで、結奈に何か当てはないかと聞きたかったらしい。
少し考え込んでいた結奈だったが、何か思いついたように手を叩いた。
「それなら小萌先生のところに連れて行けばいいと思うよ。この前新しい同居人が欲しいって言ってたから」
それを聞いて上条も小萌先生のライフワークを思い出したのか、納得した表情になる。
「言われてみればその手があった」
「こもえの所なら安心かも」
インデックスも特に反対意見は無いようで、姫神が退院したら小萌先生の所へ行くという事で話はまとまった。
そこまで話したところで、今まで黙っていた赤髪の魔術師が口を開いた。
「ふう。僕は次の仕事が詰まっているし、そろそろ帰らせてもらうよ」
どこか満足げな表情でそう言い、病室から出て行こうとする魔術師を、結奈が呼び止める。
「あ、ちょっと待って。名前、聞いてなかったよね?」
前の事件の際に残した手紙も名前を見る前に燃えてしまったので、結奈はいまだにこの魔術師の名前を知らなかった。
「私は新城結奈。結奈って呼んでくれていいよ。あなたは?」
少しだけ驚いたような顔をして、魔術師は答える。
「ステイル=マグヌスだ」
それだけを言い、病室を出て行くステイル。しかし、ステイルが病室のドアをくぐろうとしたところで、もう一度呼び止める声が聞こえた。
「あの、」
そのインデックスの声にステイルは振り返る。
「一応言っとく。ありがとうね。どうせあのビルの中があんな状態だって分かればとうまは一人だって突撃するに決まってるもん。だったらあなたがいて良かったと思う。だから―――って、どうしたの?」
その言葉に一瞬驚きの表情を見せたステイル。しかし、何でもないよ、と言って笑い、そのまま病室を出て行った。
インデックスが売店へ行き、二人きりになったところで結奈が尋ねる。
「それで、あれってどういう事件だったの?」
その疑問に上条が詳しい事情を話し始める。
あの男、『アウレオルス=イザード』は三年前のインデックスのパートナーであり、彼女を救う方法を求めて吸血鬼を呼び寄せる姫神秋沙に接触したこと。
そのために三沢塾を乗っ取り、生徒たちを使って黄金練成(アルス=マグナ)という世界を自在に操る魔術を完成させたこと。
インデックスが上条に救われていたことを知り、暴走したこと。
「その人はこれからどうなるの?」
上条は少し複雑そうな顔で、
「整形した後、記憶を消して完全に別人として生きて行くことになるらしい。このままだと世界中から命を狙われるからって言ってた」
と答えた。
「そうなんだ」
校長室でアウレオルスと向かい合った時とは全く違う、花のような笑顔で言った。
結奈は知らない。アウレオルスは必要悪の教会(ネセサリウス)によって記憶を消されたのではなく、竜王の顎(ドラゴンストライク)の一撃によって記憶を奪われたことを。
上条も、そのことを教えはしなかった。覚えていないのならそれでいいと考えたのだろう。
「結局、すれ違っちまっただけなんだよ。記憶がないから分かんねーけど、俺だってもう少しであいつと同じになってたかもしれないんだしな」
そう言った上条の言葉を、結奈がきっぱりと否定する。
「それは、無いよ」
確信に満ちた声でそう呟いた。
「たとえ同じ状況になったとしても、上条くんは暴走したりしない。きっと、インデックスが救われたことを誰よりも喜ぶよ」
結奈は、昔聞いた言葉を思い出しながら言う。
『無事だったんなら、誰が助けたかなんてどうでもいい事だろ』
いつだっただろうか、不良に襲われていた女生徒を助け、気絶していた少女を結奈に預けていった時のこと。
結奈に助けられたと少女が勘違いしていた事を伝えられた時、上条が言った言葉だった。
(今だって、同じ事を言うだろうけどね)
結奈は笑いながらそう考える。
監禁されていると聞いたからといって、見ず知らずの他人を助けに行く人なんて普通はいないのだから。
結奈はその答えに照れる上条を見つめる。
病室へと近づいてくるインデックスの声を聞きながら、穏やかに時間は流れて行った。