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No.6434の一覧
[0] とある竜のお話 改正版 FEオリ主転生 独自解釈 独自設定あり [マスク](2017/08/15 11:51)
[1] とある竜のお話 第一章 前編[マスク](2009/07/29 01:06)
[2] とある竜のお話 第一章 中篇[マスク](2009/03/12 23:30)
[3] とある竜のお話 第一章 後編[マスク](2009/03/12 23:36)
[4] とある竜のお話 第二章 前編[マスク](2009/03/27 07:51)
[5] とある竜のお話 第二章 中篇[マスク](2009/03/12 23:42)
[6] とある竜のお話 第二章 後編[マスク](2009/03/27 07:50)
[7] とある竜のお話 第三章 前編[マスク](2009/03/27 07:50)
[8] とある竜のお話 第三章 中編[マスク](2009/04/14 21:37)
[9] とある竜のお話 第三章 後編[マスク](2009/04/26 22:59)
[10] とある竜のお話 第四章 前編[マスク](2009/05/06 14:49)
[11] とある竜のお話 第四章 中篇[マスク](2009/05/16 23:15)
[12] とある竜のお話 第四章 後編[マスク](2009/05/26 23:39)
[13] とある竜のお話 第五章 前編[マスク](2009/07/05 01:37)
[14] とある竜のお話 第五章 中篇[マスク](2009/07/20 01:34)
[15] とある竜のお話 第五章 後編[マスク](2009/07/29 05:10)
[16] とある竜のお話 幕間 【門にて】[マスク](2009/09/09 19:01)
[17] とある竜のお話 幕間 【湖にて】[マスク](2009/10/13 23:02)
[18] とある竜のお話 第六章 1[マスク](2009/11/11 23:15)
[19] とある竜のお話 第六章 2[マスク](2009/12/30 20:57)
[20] とある竜のお話 第六章 3[マスク](2010/01/09 12:27)
[21] とある竜のお話 第七章 1[マスク](2010/03/18 18:34)
[22] とある竜のお話 第七章 2[マスク](2010/03/18 18:33)
[23] とある竜のお話 第七章 3[マスク](2010/03/27 10:40)
[24] とある竜のお話 第七章 4[マスク](2010/03/27 10:41)
[25] とある竜のお話 第八章 1[マスク](2010/05/05 00:13)
[26] とある竜のお話 第八章 2[マスク](2010/05/05 00:13)
[27] とある竜のお話 第八章 3 (第一部 完)[マスク](2010/05/21 00:29)
[28] とある竜のお話 第二部 一章 1 (実質9章)[マスク](2010/08/18 21:57)
[29] とある竜のお話 第二部 一章 2 (実質9章)[マスク](2010/08/21 19:09)
[30] とある竜のお話 第二部 一章 3 (実質9章)[マスク](2010/09/06 20:07)
[31] とある竜のお話 第二部 二章 1 (実質10章)[マスク](2010/10/04 21:11)
[32] とある竜のお話 第二部 二章 2 (実質10章)[マスク](2010/10/14 23:58)
[33] とある竜のお話 第二部 二章 3 (実質10章)[マスク](2010/11/06 23:30)
[34] とある竜のお話 第二部 三章 1 (実質11章)[マスク](2010/12/09 23:20)
[35] とある竜のお話 第二部 三章 2 (実質11章)[マスク](2010/12/18 21:12)
[36] とある竜のお話 第二部 三章 3 (実質11章)[マスク](2011/01/07 00:05)
[37] とある竜のお話 第二部 四章 1 (実質12章)[マスク](2011/02/13 23:09)
[38] とある竜のお話 第二部 四章 2 (実質12章)[マスク](2011/04/24 00:06)
[39] とある竜のお話 第二部 四章 3 (実質12章)[マスク](2011/06/21 22:51)
[40] とある竜のお話 第二部 五章 1 (実質13章)[マスク](2011/10/30 23:42)
[41] とある竜のお話 第二部 五章 2 (実質13章)[マスク](2011/12/12 21:53)
[42] とある竜のお話 第二部 五章 3 (実質13章)[マスク](2012/03/08 23:08)
[43] とある竜のお話 第二部 五章 4 (実質13章)[マスク](2012/09/03 23:54)
[44] とある竜のお話 第二部 五章 5 (実質13章)[マスク](2012/04/05 23:55)
[45] とある竜のお話 第二部 六章 1(実質14章)[マスク](2012/07/07 19:27)
[46] とある竜のお話 第二部 六章 2(実質14章)[マスク](2012/09/03 23:53)
[47] とある竜のお話 第二部 六章 3 (実質14章)[マスク](2012/11/02 23:23)
[48] とある竜のお話 第二部 六章 4 (実質14章)[マスク](2013/03/02 00:49)
[49] とある竜のお話 第二部 幕間 【草原の少女】[マスク](2013/05/27 01:06)
[50] とある竜のお話 第二部 幕 【とある少年のお話】[マスク](2013/05/27 01:51)
[51] とある竜のお話 異界 【IF 異伝その1】[マスク](2013/08/11 23:12)
[55] とある竜のお話 異界【IF 異伝その2】[マスク](2013/08/13 03:58)
[56] とある竜のお話 前日譚 一章 1 (実質15章)[マスク](2013/11/02 23:24)
[57] とある竜のお話 前日譚 一章 2 (実質15章)[マスク](2013/11/02 23:23)
[58] とある竜のお話 前日譚 一章 3 (実質15章)[マスク](2013/12/23 20:38)
[59] とある竜のお話 前日譚 二章 1 (実質16章)[マスク](2014/02/05 22:16)
[60] とある竜のお話 前日譚 二章 2 (実質16章)[マスク](2014/05/14 00:56)
[61] とある竜のお話 前日譚 二章 3 (実質16章)[マスク](2014/05/14 00:59)
[62] とある竜のお話 前日譚 三章 1 (実質17章)[マスク](2014/08/29 00:24)
[63] とある竜のお話 前日譚 三章 2 (実質17章)[マスク](2014/08/29 00:23)
[64] とある竜のお話 前日譚 三章 3 (実質17章)[マスク](2015/01/06 21:41)
[65] とある竜のお話 前日譚 三章 4 (実質17章)[マスク](2015/01/06 21:40)
[66] とある竜のお話 前日譚 三章 5 (実質17章)[マスク](2015/08/19 19:33)
[67] とある竜のお話 前日譚 三章 6 (実質17章)[マスク](2015/08/21 01:16)
[68] とある竜のお話 前日譚 三章 7 (実質17章)[マスク](2015/12/10 00:58)
[69] とある竜のお話 【幕間】 悠久の黄砂[マスク](2017/02/02 00:24)
[70] エレブ963[マスク](2017/02/11 22:07)
[71] エレブ963 その2[マスク](2017/03/10 21:08)
[72] エレブ963 その3[マスク](2017/08/15 11:50)
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[6434] とある竜のお話 第二部 六章 1(実質14章)
Name: マスク◆e89a293b ID:1ed00630 前を表示する / 次を表示する
Date: 2012/07/07 19:27







ソルト、たった一人の息子である彼を拾った時のことを、時々、何となく思い出すことがある。
冬の冷たい季節、朝露に覆われた世界はリキアという比較的温暖な地域でも時折雪が降り積もり、世界を白銀に染め上げることがある。
比較的、自分が統治する領域の人間は裕福であったから恐らく口減らしだったとしてもかなり遠くから持って来られたのだろうとメディアンは考えている。



もしくは旅人が旅の最中に捨てて言ったか、または人身売買という線もあるかもしれない。



少なくとも、自分の統治する土地では、子捨てが横行するような飢餓など起こさせたことなどない。
道端に塵の様に子供の飢えに飢えた、その身を襲った飢餓感とは裏腹に、おぞましく腹だけが膨らんだ死体が転がっている光景など絶対に見たくはないのだ。





丁寧に藁で編みこまれた籠に入れられた赤子。
布切れと毛布でグルグル巻きにされた彼は、まるで神に捧げる生贄を思わせる程丁重にメディアンの住まう殿の入り口に置いてあった。
あたしが人間でも食べていると思ったのかと、思わずメディアンは一瞬抗議の声をあげそうになったが、すぐに冷静になると彼女は次いで赤子を観察した。




やろうと思えば食べられないこともないが、もっと美味しいものなど探せば星の数ほどあるし、自分でそれを産み出せるから人を食ったりはしないが。





身に纏っている衣や籠の中に布かれた布は一目でそこまで高価なモノには見えず
近づいてみてみるとどちらかといえばそこいらにありそうな、ツギハギだらけの使い古しの布が小奇麗に纏められているだけという事実に彼女は気が付く。
何となくだ。最初は本当に今だから言えるが、どうでもよかったのだ。




赤子の一人や二人ぐらい適当に育てて、ある程度の大きさに育てたら後は何処かの孤児院に送るつもりだった。




結果から言えば、メディアンは子育てというモノを最初期は舐めていたのだろう。
長い年月を生きて、多くの子供や人間の家庭、竜の家庭などを見てきた彼女は絶対に自分なら楽にその程度は出来ると思ったのだ。
何せ人間と違って自分の体力は無尽蔵にあるし、経験だって普通の人間の数百倍は積んでいる、故に子供の一人や二人ぐらい育てるのは容易いと考えた。




それが間違いだと知るのにそう時間は掛からなかった。
身をもってメディアンは子育てというのがどれほどの苦難の連続なのかを知ることになる。






夜は絶対に数刻に一度は夜鳴きするし、しかも何を言っているのかが全くわからない。
何を要求されているかさえ理解できず、絶大な力を持った地竜がたった一人の赤子の前でおろおろする光景など、誰が想像できるだろうか。
母乳など出ない彼女が赤子に丁度いい栄養の乳を手に入れるために自分の領土とでも言うべき場所を駆け巡ってソレを手に入れるのに四苦八苦したり
首が据わっていない状態で湯浴みに連れて行った結果、少々困った状況に陥ったり、苦難をあげればキリがない。





たった10何年か前の出来事だ。全てが懐かしい。
何時の間にか時間は過ぎ、彼は赤子から少年へと変わり、そして青年となっていた。




今、かつての自分が存在していた土地にふと、精霊を通して朧気に“眼”をやると、そこには既に見知った顔も、住み慣れた神殿も何もかもが存在していない。
集落は潰され、荒廃し、神殿は基礎の部分を残して完全に消えてなくなっている。
この事実が何を意味しているか、理解できないほど彼女は幼くない。




竜の力を使い“眼”を用いり、その“場”の過去で何があったかを見て……彼女は思いっきり顔を顰めた。
心の奥で燃え上がる怒りを何とか沈静させ、大きく息を吐く。
馬鹿だ。馬鹿だよ。さっさと竜への信仰など捨てればよかったものを。あたしはそんなもの求めていなかったというのに。





手元に置いてあった分厚いエリミーヌ教典を殴りつけるような気配と共に閉じて、しまう。




唯一、息子だけがあそこに自分が居たという証明になるような気がした。





光。柔らかく、心地よい冷たさを持った青い光。
自室の椅子に腰掛けて一人で夜の暇な時間帯を物思いで潰していたメディアンの眼に、一筋の光が差し込み、その眩さに彼女は眼を細める。
真紅の眼光だけが煌々と輝き、ふと鏡に眼を移せば猫の様にそこだけが異常にはっきりと暗闇の中で存在感を発しているのが見えた。





冷たい風が開け放した窓から侵入してきて、頬を撫でていく。ほんの少しだけ砂が混じったソレは砂漠特有のモノ。
眠気などとうの昔に超越した彼女であるが、それでも暇つぶしや娯楽の一種として睡眠をとる事そのものは可能故に、もうそろそろ寝ようか、と椅子から立ち上がる。
最後に、四肢を動かすのと同じ要領で竜族の“眼”を使って隣の部屋で眠っている息子を感知。





確かにそこにいて、生きているのを確認してから彼女は自分のベッドに横になった。



























「じゃあ、あたしはちょっと長に呼ばれてるから行ってくる。子供たちの方は任せたよ」





翌朝、とりあえず荷物をまとめた皮袋を肩から下げて、出立の用意を済ませたメディアンは
入り口の扉を開けて、部屋の中で幾つもの本を皮袋に詰め込んでいる息子に向けて声をかけた。
里の子供たちに学問を教えるという任をメディアンは自分から引き受けたのだが、それでも用事などが重なって出られない時は彼女の息子がその代役を行うのだ。



近頃では、学問の他に剣術なども教えているらしく、木の枝をもった子供たちに絡まれて困惑する息子を見るのが、メディアンのささやかな楽しみとなっていた。




時々長であるイデアがひょっこりと顔を覗かせて子供の相手をしていくときもあるのだが
今日は生憎そのイデアに呼ばれており、多数の子供にじゃれ付かれて慌てる神竜を見ることは出来ないことは確定している。





「夕方には帰ってくるんだよね?」




何処から取り出したのか、金属性の鍋を手で弄くったり、頭に被ったりしながらソルトが問う。
よく判らないが、どうも彼はあのアルマーズの洞窟から帰還してから妙に頭に何かを被りたがるようになった。
宝箱が手足を生やして走ってきたとか、案外ああいう格好も悪くないとか、よく思い出してみると
結構可愛かったとか訳の判らないことを漏らす様になった息子に彼女は一抹の不安を覚えたが、まぁ、そこまで問題ではないだろうと水に流すことにした。





さすがに頭に木箱だけ被って踊り始めるようなことになったら、全力で道を踏み外し掛けた息子を止めるだろうが。





「早ければ夕方どころか昼には戻れるね。それぐらいの時間に戻れたら、また鍛錬でもするかい?」






「いいね、でもその前に一緒にお昼食べようよ。僕が作るからさ」




眼を嬉しそうに細めて笑う姿は、少年から一人の男性の、そして戦士への成長を感じさせるほどに逞しい気配を放っている。




だけど鍋を掴んだままそんなこと言われても説得力がなぁとメディアンが溜め息を吐き、息子が笑顔で「いってらっしゃい」と送り出しの言葉を放つ。
悪くないモノだとつくづく竜は思った。家を出る時と帰る時に一言掛けてもらうだけで、大分違うのだ。
胸が喜悦で高鳴るのを心地よく受け入れつつ、メディアンは息子に一声返事をしてから家を出た。





















転移の術は使わずに早歩きで里の中央に位置する竜殿の中に入り、
玉座の間についたメディアンをイデアは玉座に座り悠々とした態度で出迎えた。
アルマーズを入手する戦いで負った傷はまだ癒えておらず
頭の半分を薬品と医療術によって加工されたターバンでグルグル巻きにした姿は何処か奇抜でそれでいて妙な禍々しさを感じる。





どうにも気配が変わったことをメディアンは感じ取っていた。イデアは、この神竜はあのアルマーズの入手から戻ってきて、何かがまた変異したと。
性格でもなく、態度でもない。言葉ではうまく言い表せない何かが変わった。深く、深く、深淵のそこで何かが蠢き、その姿を変えたような錯覚を彼女は覚えたのだ。





「待ってた」






メディアンの姿を認めると、イデアが玉座から立ち上がる。
彼の隣には何時もの様に老火竜が控え、イデアとメディアンに小さく一礼してから、玉座の脇に設けられたもう一つの椅子に腰掛けて、黙々と書類に眼を通し始めた。
これは変わらないなとメディアンは小さく喉で笑いを転がす。この老竜と若竜のコンビによってこの里が動いていると思うと、どうも微笑ましい気持ちになるのだ。




少なくともイデアの治世は飛びぬけて優れているという訳ではないが、下劣というわけでもない。
評価は完全な平行線。中の中から上の間を横一文字にずっと飛翔し続けるような、そんな統治だ。
衣食住と少々の娯楽には不便しない生活というのは刺激を求める者には物足りないだろうが、メディアンは現状に十二分に満足している。



イデアは衣食住の大切さを深く理解しているのか、絶対に食糧難だけにはならないように様々な策をメディアンと共にやっていたりするのだが、それは今は関係ない。



「ちょっとお前に見せたいものがあってね。ついて来てくれ」




はい、とメディアンが頷くとイデアが足早に彼女の脇を通り抜け一度振り返りついてこいと視線で訴え、小さな体を翻して進んでいく。
大体、向う先は予測がついている。知識の溜まり場の近くに彼が作ったイデアの研究部屋だろう。
殿の中で使われてない部屋を一つ自分専用のモノに改造し、研究するための空間に変えた場所。




普段は幾つもの術式で防御されたその部屋の中でイデアはいつも何かの実験を行ったり、研究をしたりしていることを彼女は知っていた。
実際、そこに入るのは始めてだが、何があるのかは想像に難しくない。
アルマーズ。それを手に入れるためにイデアはここから海さえ隔てた何千キロも離れた地へ赴き、そしてソレを入手したという情報ぐらいならメディアンも小耳に挟んでいる。





何せ、その戦いに参加した一人は彼女の息子なのだから。詳しくは語らなかったし、聞かなかったが、それでもそれぐらいならば判っていた。
アルマーズを巡る戦いでイデアが顔の半分に大火傷を負ってしまい、その回復に時間を掛けていることも、だ。





「長……その、傷の具合はどうなんですか?」





「ん? あぁ、これね」





何気なく発した問いの言葉にイデアが軽い動作で振り返る。巻きつけられたターバンを指で軽く撫でて、その下にある傷を指した。
既に痛みはないのか、ふにふにと布の上から何度も傷口を触り、硬化した肌の感触を楽しむ。






「後一週ほどすればターバンを取っても大丈夫みたい。それにしても……正直な話、アレは痛かった」





今思い出すと自分はあの戦いで随分と無茶をしたものだとつくづく思う。
全身にアルマーズから漏れ出た魔力の雷……【トロン】に近い性質の雷槍を全身に突き刺された挙句
テュルバンの狂った竜殺しの力をまともに顔面に浴びせられた痛苦は未だに記憶に焼き付けられ、忘れることは出来ない。






──その後に自分が溺れ掛けた絶対の力、それの齎す甘美な衝動も。全てを木っ端微塵にするあの愉悦の味。






勝てば正義なのだ。
どんな手を使っても、どれだけ卑劣なことをしようが、どれだけ犠牲を出そうが勝利さえすれば、何をやっても許される。
それがどれだけ残忍で、無情なのかをテュルバンはその身をもってイデアに示してくれた。





腰に収まる覇者の剣に一度だけ視線を移し、胸から下げられた小さな鱗の存在を確認してからイデアは小さく自虐するように内心でほくそ笑んだ。
アレでよかった。神祖の力は無敵で絶対だが……それほどのご都合主義な力を使うのに当然何も代償がない訳がない。
あの力は……酔ってしまいそうな程に魅力的過ぎる。酒を辞められない者の気持ちをイデアは理解したような気がした。





「あたしの息子はどうでした? お役にたてましたか?」





小さな言葉。ソレは滴る水滴の様にささやかで、儚い。
おおよそメディアンの性格からは余り想像出来ないほどに繊細な感情が篭もった言霊を浴びせられ、イデアが硬直する。
だが、直ぐに彼は口を開いた。これだけは彼女に伝えなければならない。






「アイツは強いよ。本当に助けられた、連れて行ってよかったと心から思ってる」






「……それは大げさじゃないかい?」





本当に? 眼と気配で訴えかけてくる彼女にイデアは今度こそ苦笑いを表に出しつつ肩を竦めた。





「貴女が鍛えたんでしょ? その貴女がそんなこといってどうするのさ」





貴女ほど彼を信じている者なんて居ないだろう。
そう訴えかけると地竜は照れたようにぷいっとそっぽを向いてしまった。





イデアが首を小さく傾げる。
何だろう、どうも彼女が変わったような気がする。
始めて出会った時はもっとこう、大胆で男らしさが目立つ性格をしていたと思ったが。



丸くなった、というべきか、もしくは──。



どうも居た堪れなくなったのか、メディアンがわざとらしく咳払いをすると、これまたわざとらしく全く違った話題を持ち出した。




「しかし、長が怪我をしたって話を聞いて、正直焦ったんだよ?」





「死んだり死なせたりしてなければ安い代価さ」





腕が片方もげたけどね、と口の中で継ぎ足すと、イデアは自分の腕をもう一度体の中に戻した時の感覚を思い出し溜め息を吐く。
あれは不味かったと。大分興奮していたとはいえ、まさか自分で自分の腕を食う日が来るとは。
絶対に人間の肉は食いたくない。やろうと思えば竜の姿ならば人を食うことも出来るだろうが。







「そりゃ、そうだけどさ……何度も言うけど、あたしはこんな無茶は本当に今回だけにして欲しいって思いますよ……待っている方も待っている方で、色々と辛いモノがあるんだからさ」





「…………」





貴女は息子を待っていたんでしょう? そう口から飛び出しそうになるのを何とかイデアは堪えた。
表向きの、ご尤もな装飾で飾られた言葉ではない。心からの“長ではないイデアを心配する言葉”いや、彼女の場合は自分よりも息子の方を心配しているのか。
どう答えを返せばよいか判らずイデアが沈黙し、何気なく周囲を見渡すともう間もなく目的地である自分の部屋にかなり近づいている事に気がついた。




少々の時間の沈黙の後、二人は目的地にたどり着き、イデアが小さく背伸びをする。
殿の上層階の部屋を一つ貰い受けて使用するココはイデアの研究室。
その扉の前にイデアとメディアンは立っていた。





ドアにイデアが軽く触れて、そこに掛けていた幾つかの侵入者対策の術を解除すると、木造の頑丈な扉が音もなく滑らかに開いた。





「さ、入って」




部屋の主が、最初に自室に足を踏み入れ、指を一閃させると、カーテンが開けられ、次いで木窓が勢いよく開放される。
外から差し込まれる、ナバタの日差しが部屋の中を照らすとその全貌が明らかになった。




「ありゃ……?」




メディアンが何処か拍子抜けしたような、間抜けにも聞こえる声を思わず漏らす。
彼女の予想では、もっとこう、研究室というのは資料や書類などが散乱していて、混沌とした空間だと思っていたのだが
現実に眼の前にあるイデアのソレは、普通の部屋。壁には幾つか本棚があり、床には何も落ちていない。




ただ部屋の奥に配置された机の上には数冊の本と、何かを書き込んでいる最中の紙が何枚かあるだけだ。
他にあるモノといえば、部屋の中央には座り心地の良さそうな来客用の4つの椅子と、窓際に何故か置いてある複数の果物ぐらいか。




「もっと本とかがいっぱいあると思った?」




意外とこういうのは片付けないと落ち着かなくてねと呟くように告げると、彼は動く。



少しばかり恥ずかしそうな笑みを浮かべつつ、イデアが部屋の真ん中まで歩を進めた。
座ってくれと、椅子を一つ“力”を使って動かし、メディアンの前に置いた。
ゆらゆらと覇者の剣の柄を撫でながらイデアが部屋の置くに向って進んでいく。





「ちょっと待ってて。取ってくるから」




それだけを言うとイデアは入ってきたのに使ったのとは違う扉……物置に繋がる扉に神経質なまでに何十にも仕掛けられた強力な術と呪を解除して、その中に入っていく。
たった一枚の扉にどれだけ強力な術を掛けたのさと地竜は少しばかり呆れると、気を取り直して椅子に座り、部屋の中を見回す。



生活感が無い部屋だ。そう彼女は思った。
まぁ、ここはあくまでも魔道士としてのイデアが使用している部屋であって、個人としての彼の部屋は別にちゃんとあるからそこらへんは仕方ないのだろう。
椅子に深く腰掛けて、部屋の中を適当に“眼”を走らせると、そこらに漂う熱とエーギルの残照から、イデアが何処で何をしていたかまで、ある程度判る。




例えば、あの机の上に置かれている羊皮紙からは神竜のエーギルの残り香がするし
それを辿って更に奥深くまで“解析”し理解していくと……そこから導き出されるのは、恐らくはモルフ関連の術式だろうとメディアンは予想をつけた。
頑張ってるねぇと、メディアンは一人ごちると、刹那、動きを止めた。



彼女の“眼”に映ったのは、とある一節の文字。






人間ベースモルフ。






“眼”を使用するまでも無い。それの中身は彼女自身、かつては学んだことがあるからだ。
だが、学んだだけ。一度も彼女はこの術を使ったことが無い。人間を、モルフに変えたことなどない。
肌が粟立つような感覚に襲われた。何故だか判らないが、これ以上は、見たくなかった。
胸の奥底でちりちりと小さな種火が灯り、焦らすように心を内側から焼いていく。炎の中に見えたのは……顔だ。





逃げるように視界を動かし、次は先ほどから奇妙な存在感を放つ、並んだ果実たちに眼をやる。
普通の紅いリンゴと、血色の悪い青いリンゴ、焦げた色彩の黒いリンゴに……何やら普通のリンゴの倍以上のサイズの金粉を塗りたくった様に、眩く黄金色に光るリンゴ。
他にも似たような特異なリンゴが何個も無造作に置かれている。






「…………」





気になる。何なのだろう、あれは。
こう、全力で自分の注意をひきつけてやるといわんばかりの存在感を持ったソレ。
しかもよく注視すれば、何やらエーギルを纏っている……違う、あのリンゴは普通の果物ではなく、人工的に作られたモノだという事まで判った。




と、ここで朝から昼へと時間帯が変わっていくに連れて太陽の位置が変わり、それによって光が部屋にさっきより多く差し込む。
窓際に置かれていた摩訶不思議なリンゴに光が当たり、照り返しによって美しく輝くが…………。






グ・・・ギギェ・・・・・・。




篭もった声の様な、音。
声帯を酷く痛めた老婆が、何とか絶叫を出そうと喉を絞っている姿を想像できてしまいそうな声。
一番左に置かれていたリンゴの真ん中にすぅっと横線が入る。さながらナイフで真っ二つに切ったが如く。




え? 何なの? 何なのさ、これは?



何千年生きてきた中でも、見たことのない光景にメディアンは眼を白黒させながら、何が起こるのかとリンゴから眼を離さない。
何故だか判らないが、眼を離したら絶対に駄目な気がしたのだ。




パカッと、間抜けな音が聞こえたような気がした。それは、リンゴが完全に上下に真っ二つに分かれた音。




オヒルデス オヒルデス オヒルデス




甲高い、九官鳥を想起させる声音が部屋に響く。




「──っっっ──!!?」





絶叫をかみ殺したのは、さすがといえよう。それほどにおぞましくも、衝撃的な光景だったのだ。




ソレはリンゴの中に閉じ込められた小人だった。人間の胴体……ミイラのように萎びたソレを持ち、同じように枯れ枝を思わせる腕と足を持った小人。
頭は無い、首まではあるのだが、肝心の頭部はリンゴの中に埋もれているのか、はたまたリンゴの上半分がこれの頭部なのか。
両足も頭部と同じように太ももまではあるのだが、膝からその先は全てリンゴの下部に埋もれている。



口など、何処にもないのに確かにソレは声を発していた。




アナタアナタアナタアナタアナタアナタアナタアナタアナタアナタアナタ




コノケダモノ! コノケダモノ! 




……ユダンサセトイテ バカメ! シネ!!



ヒトゴロシー!




ウム ヨクノボッテキタナ!




次々とリンゴが綺麗に割れて、中から先日イデアが目撃したミミックに近い存在が現れ、壊れたように腰を左右に振り回し、何かの呪術を思わせる不気味な舞を披露。
延々と眺めていたら、例え竜であろうと精神をすり減らすこと間違いなしの光景が展開され、地竜の頬を冷や汗が伝う。





「………長……あの……これ、は?」





引き攣った笑顔、いつでも全速力で部屋から脱出できるように
少しばかり腰を浮かした姿勢で彼女は隣の部屋のイデアに声を飛ばす。




「モルフ創りに難航しててさ、少し息抜きで創ってみたんだ。よく見ると可愛いだろ? よかったら目覚ましに一つもっていく?」





「…………」






声だけで返してくるイデアの言葉は、子供が自身の工作物を誰かに誇っているような喜悦に満ちている。
言われて、何とか心を落ち着けながらメディアンが奇妙なダンスを刻む、イデア曰く目覚ましを直視し……やはり耐え切れず眼を逸らした。
本当に、アルマーズを手に入れる過程で何があったんだ。そう叫びたくなる衝動を堪えつつ言葉を紡ぐ。






「いやいや、あたしは遠慮しとくよ……正直な話、寝起きにコレを見たら……怖いし」





ぐっすりと寝ているところをこんな名伏しがたいモノにたたき起こされたら、腰を抜かしてしまうかもしれない。





「残念……非常食としても使えるのに」




「…………え?」




突っ込みたい思いを鋼の意思でねじ伏せる。一体あの奇妙な踊りは何なのか、というか、アレ食べれるの? やら




モルフは活動を停止すると、その全身に編みこまれたエーギルが霧散し、ボロボロと砂とも錆ともつかない粉になり、崩れてしまう。
故に、食べることなど不可能のはずなのだが……。
イデアが隣の部屋から布に包まれた何かを手に出てくると、彼女の前の席に座る。




造物主が指を一振りして、意思を送ると小人たちは瞬時に大人しくなり、すごすごとリンゴへの擬態形態に戻っていく。





「アレは食料問題対策の研究の一つでもあるんだけど……何故かコレが人間型モルフの研究より進んでしまって困る」




野菜やら果物、稲作はお前が何とかしてくれるけど、肉類とかの供給をね、とイデアは笑顔で続けた。
いや、そもそも食べられるモルフをモルフといっていいのかとメディアンは思ったが、それは今すべき話題ではないと思考を切り替え
ここに自分が来た理由を単刀直入で切り出す。





「それよりさ、速く目的の物を見せてくださいな。正直、あたしも気になるんだ」





「判ってる、話が逸れそうになってた」





布の包みを解き、中から取り出すのは黒焦げた、かつては黄金に輝いていたであろう金属の断片。
煤けた表面にはビッシリと何らかの魔術的な文字が刻まれてこそいるが、既にコレは亡骸。
かつてはその身に宿していた何千と言う殺意も悪意も無い、残骸、燃えカスだ。



子供が見れば、うっかり焼き菓子の一部だとか思ってしまってもおかしくはない塵。




メディアンの背筋に冷たいモノが走る。
だがそれは、かつて神将器と呼ばれていたコレに対してではなく、むしろコレをここまで砕いた存在に対して。
彼女はアルマーズではなく、神竜の、正確には彼が行使した力へ恐怖を抱いた。





一体、どんな圧を掛けたらここまでこの存在を粉砕できる?
どれほどの敵意と殺意をぶつけたら、こんな破壊痕が残るのか。
彼女の竜としての“眼”は、この残骸に未だに残留する凄まじいまでの害意を、見ること可能だ。




まず最初に感じたのは底無しの憎悪。噴火し、ドロドロと溢れてくる溶岩の如く赤黒い感情。





死ね、死ね、死ね、砕けろ。誰が存在することを許した。俺が死ねといっているのだから、さっさと消えて無くなれ。




凶念と狂念が深すぎる憎悪と共にまだこの残骸に宿っている。
それはかつてこの武具に存在した全ての力と意思を踏みにじり、今なお残骸を犯し続けていた。
神竜の力、のようにも見えるが、これは全く対極の性質。いや、神竜の力でもあるが、そうでもないという、無茶苦茶な何か。




イデアは、気が付いてはいないようだ。
自分の髪の毛の先端まで意識できるモノなど居ないのと同じ理屈なのか、彼はここにこびり付いた残影を全く感知していない。



正直な話、竜殺しの神将器よりも、この深淵の底を覗き込まされるような、名伏し難い力のほうが恐ろしい。
訳が判らない。だからこそ、彼女は一旦それについては考えるのをやめて、神将器の解析へと力と思考を振り分ける。





宿る凶念を掻き払い、奥へ、纏わり付く竜の力ではなく、神将器を解析するために深く潜る。
金属、元を辿れば大地から産まれてきた存在である以上、大地を統べる地竜の観察眼から逃れることなど不可能に等しい。



瞬時に彼女は理解する。地竜であり、魔道士である彼女は直ぐに判ったのだ。




コレがどういう存在なのかを。
神聖という言葉の対極に位置する、吐き気を催す存在は確かにこの世にあることを。






「……長、コレはやっぱり使わない方がいいみたい。あたしの勘は当たってたよ」





納得。今まで判りづらかった事が急に理解出来たような口調。
淡々と彼女は解析結果と、自らの感想を言葉に乗せていく。




「コレはね、言ってしまえば一種の生き物だったんだね。
 元はただの金属の塊に過ぎない斧に、命を吹き込んで、血と肉とエーギルを与えて成長させていったのが、この神将器の正体。
 宿る竜殺しの力の根源は、大方内包した存在の竜に対する圧倒的な敵意による、エーギル、魂への直接攻撃と吸収能力の応用、かな?」




余りにも膨らみすぎた悪意と狂気が、空間さえ侵食する領域へと到達した結果、あの西方三島で創世された地獄にして魔境を生み出していたのだ。
ゆっくりと、地竜が焦げた金属片を指で撫でてから、トンっと叩いた。




「生き物なんだよ、コイツは。しかもとびっきりに大食いの。
 多分、コイツはテュルバンもそうだけど、使用者の精神を無意識の内に操作して
 使い手を死地に追いやるんだろうね。使って、斧に魅入られたら最後、持ち主は絶対にベッドの上じゃ死ねないだろうよ」




テュルバンが神将の一人を襲うなどという凶行に走った原因の一つかもしれないと地竜は朗々と続ける。




忌々しいとメディアンは内心で吐き捨てた。こんなモノまで生み出して竜を殺したかったのかと。
だが同時にコレが砕けててよかったと心底安堵する。万全な状態でコレをここに持ち込んだら、まず間違いなく災禍の原因になるのが予想できるからだ。






「今じゃそんな呪いも、それがどうしたって砕かれて、正真正銘コレはただの死骸さね。研究しても
 手に入るのは……狂った男の妄執と狂った術者のイカレタ術式だけさ。まぁ、貴重ではあるんだろうけど」






「なるほど」




言葉の続きが胸の中で木霊する。


彼女をあの水晶から解放する役には立ちそうもないか。
いや、やろうと思えば今すぐにでも彼女を開放は出来るだろう手はある。




だが……ソレをやってしまえば、もう後戻りは出来ない気がする。
相変わらず腰にある覇者の剣は一切の言葉も、主張もせず、ただそこにあり、何も変わらない。




思わず深い溜め息が出そうになるが、堪える。神将器の一つ、残骸とはいえそれがこの手にあるのだ。





「ありがとう。色々と参考になったよ。それで、次、なんだが……」




既にイデアの興味はアルマーズには欠片も注がれていない。
神将器と封印の剣、ファイアーエムブレムは何か類似点はあるだろうと思ってこそいたが、それが無いと断言されてしまえば、彼がこの狂った武器に意識を裂くはずなど無い。



「なんだい?」





一瞬、メディアンが再度アルマーズの欠片に“眼”をやると、既にそこに宿っていたあの狂おしいまでの狂念と憎悪は、綺麗さっぱりなくなっている。
まるで、最初からそこには何もなかったかのように。主が憎悪ではなく完全な無関心へと移行したからか、この存在には既に憎悪さえ抱く価値がなくなったからか。





「ソルトの事なんだが……あの戦いから何週かしたけど、夜眠れないとか、傷が痛むとか……後遺症とか、ない?」





じっくりと、言葉が胸と頭に染み込んでいく。
意味を理解してから、彼女は笑った。
何処か誇らし気に、頬を高揚で少しだけ紅くさせながら母親は、語る。







「アイツが強いって言ったのは貴方じゃないか。大丈夫さ、今まで通りだよ、行く前と何も変わってない、むしろ何処か調子づいてる程だよ」










無言、はにかむ笑顔でイデアが頷く。





「じゃ、話も終わったことだし、あたしは失礼してもいいかな?」




「意見を聞けてよかった。やっぱりお土産に、一つもってく?」





ほら、とイデアが指を向けるのは先ほど踊り狂っていたリンゴたち。
どうやら自信作らしく、否が応でもメディアンに一つ渡すつもりなのだろう。





「い、いいです……気持ちだけありがたく受け取って…………」





断りの言葉。
だが、自分を見つめるイデアの眼がどうにも痛ましく、贈り物を受け取ってくれない事を少しばかり嘆いているような光が見える。
例えるならば、自分の作品を母親に自慢しているのに、母は全く興味を持ってくれない……そんな子供が浮かべる落胆の感情が宿った瞳。



息子と重なる。始めて自分で料理を作って失敗してしまい、申し訳なさそうにしているあの顔と。
そうして遂にメディアンは折れた。




「あ、、ありがとうございます。大事に使わせてもらいます……」




輝かんばかりの笑顔でイデアが手渡ししてくる果実型モルフもどき……よりにもよって一番巨大でド派手な黄金のソレを彼女は引き攣った笑顔で受け取った。
ヨロシクヨロシクと内部からくぐもった声が聞こえてくるのを呆然と認識し、地竜は手に握ったソレを見て少しだけ、そう、ほんの僅かばかり思う。




最初は驚いたが、接してみれば、意外と可愛いじゃないか、と。
思えば、コレは息子へいいお土産になるのではないか、地竜の頭に浮かぶのは母親がもってきた贈り物を喜んで受け取る息子の姿。
想像するだけで気分が高揚するその顔を楽しみに、彼女は一礼して部屋から去っていく。






これは余談だが、彼女と入れ違いに部屋に入室したとある火竜の男は
もしかしたら記憶を取り戻す切欠になるかもしれないと見せられたアルマーズの欠片を何か新作の菓子と勘違いし、食べようとした所を慌ててイデアに止められることになる。






























地竜は上機嫌で里の中を歩いていた。
手に持った黄金リンゴは食べる気はしないが、よくよく考えれば、中々に珍しい存在を手に入れたとほくそ笑みながら歩く。
里の中の活気はいつも通り。自分の畑を耕すために出歩くものや、遊びまわる子供たち、ただ散歩をするもの、色々な者が様々な生活の中で活動している。





その中に幾人か見かけるのはかつて、まだ里が始まった頃に自分が教えていた子供達。
ソルトよりも少しだけ年上の彼らは今や立派な青年、及び女性として自分たちの人生を謳歌している。
メディアンに気がつくと彼、もしくは彼女達が満面の笑顔で一礼し、去っていく。




恐らくだが、一組の寄り添うように歩いている青年と女性は……そういう関係なのだろう。
何も珍しくなど無い。エレブの結婚適齢年齢を考えれば、至極普通の光景といえる。
輝くように生きている後姿、そんな人間達を眼を細めながらメディアンが見送り、次は恐らく息子が待っているであろう自宅へと顔を向けた。





恐らく子供たちへの講義の時間は昼前に終わっているはず。
先ほどより少しだけ足取りを速めて、彼女は自宅へと向う。






ここで唐突にメディアンの中に一つの考えが浮かんだ。
自分も息子を送り出す日がいつか来るのだろうか。相手はどんな女性になるのか。
頭の片隅に雨粒のようにポツンと振って沸いた疑問に、少しだけ地竜の機嫌が悪くなる。






















「それで結局、これからどうしよっか」




帰宅し、予想通りに子供たちへの授業を終えた息子が家で作っていた昼食を食べ終えて一段落した後、ソルトはメディアンにこう切り出した。
満腹感をゆったりと堪能し、だらだらとした様子で椅子に腰掛けて、机に突っ伏す二人の姿は何とも平和的な印象を見る者に与える。





「正直な話、腹ごなしの運動に鍛錬は…………嫌だねぇ」





息子と同じく机に突っ伏す地竜は、自身の豊満な胸部を机に押し付けつつ、うとうとした思考の中で言葉を返す。
既に太陽は高く昇っており、外の気温は言うまでもなく猛暑だ。
対して自宅の中はメディアンが少しばかり“場”を弄っているため、熱が篭もるなどはせず、常に「人」が生きるのに快適な温度と湿度を提供している。





出たくない。外に出てもどうせ汗をかくだけだと判っているからこそ、外に出たくないのだ。






「でも、少し外を歩いてみたいなぁ」






うーんと唸りながらソルトが母が持ってきた土産……テーブルの上の黄金リンゴを指でトントンつつく。

押された衝撃でコロコロと転がるが、それは芯を軸としてグルッと転がるだけで、決して倒れたりはしない。
内部からなにやらくぐもった悲鳴が聞こえるが、それは無視した。





「…………」





メディアンが外を“見る”と、何体か、恐らくはまだ子供の竜族が竜の姿に戻ってヨチヨチと歩いている。
その近くに感じる大きなエーギルの波動は、恐らくはその子供の親なのだろう。
地竜が息子を横目で見やり、小さく息を吐く。









「一ついいかい」




「なに?」





一泊。地竜は、眼を白黒させながら言葉を搾り出した。
何でもないように見せかけた声を。





「やっぱり何でもないよ」





息子が首を傾げて変な母さんって呟くのを見やりながら、彼女は立ち上がった。
うっ背伸びをして、肩に掛かっていた自らの長髪をもう一度しっかりと後ろで結わえる。




「このまま此処でうだうだやってたら一日があっという間に終わっちゃいそうだからね。少しついて来ておくれ」





それだけを伝えると、彼女は足早に玄関へと向ってしまい、ソルトが慌ててその後を追う。
声を大きく飛ばし、今にも家から出て行ってしまいそうな母親に彼は訪ねた。




「木刀とかもっていく? 鍛錬するの?」





それに関しての母親の返答は柔らかく、それでいて一切の有無を言わさせない程に強い意思が篭もったもの。
溜め息を吐くような、撫でるが如く息遣いと声音でメディアンは言う。
流されるように動かされた視線に、思わず息子はビクッと肩を浮かせてしまった。




真紅の眼。そこに収められている縦に裂けた瞳孔が息子を映し返し、鈍く光っている。





「いや、それは必要ないよ。ちょっと散歩するだけだからさ」





だから、速くついておいで。確かにソルトは、母親のその声を聞いたような気がした。
これまで母の頼みを断ったことはない。故に彼は当然の行為としてメディアンの後を手ぶらで追うことにした。
しっかりとローブを着込み、全身を布で覆うことを忘れない。母と違って彼はそこまで砂漠の熱に耐性があるわけではないのだから。






里の大通りを抜け、周囲に広がる広大なオアシスを出て、里の活気が遥か遠くに聞こえる砂丘の上までメディアンは歩いていく。
砂漠地帯に出ると同時にソルトは眼に皮製の眼を守るゴーグルをしっかり装着し、全身を竜の加護を受けた布でグルグル巻きにし、その後を追いかける。



しかし、徐々に距離は開く。それは竜と人の絶対の差。砂に足を取られ、それなりの傾斜を持つ砂丘に足を取られて悪戦苦闘するソルトと、人の姿であろうと悠々と砂丘を闊歩する地竜の差。





「ちょっと待って!」





人間が声を上げる。
地竜が後ろを振り返り、砂に足を取られてもがく様に歩いている息子の姿を認めて、指を小さく横に一閃。





たったそれだけの行為。しかし地竜の力は緩やかに世界を変質させた。





流れるように力を拡散させ、踏むことさえ困難なこがね色の砂が四角い箱の形、例えるならば家などを構築する石の様な形状と硬度にかたまり、それがいくつも敷き詰められる。
膨大な量の砂が海水の如く流動しその性質を変異させ、たった一人の人間の為に動き回っているのだ。
ソルトが思わずたたらを踏む。足場そのものが動き回る感覚は、常人には形容できない程に異質な感覚として彼の三半規管を揺らす。





しかし、それも一瞬。直ぐに全ては完成。
あっという間に砂漠の中にソルトの為だけに一つの道が形成され、それは彼の母であるメディアンへと通じていた。




たった今作られた新たな“道”はその硬度を何度か調整され、最終的には若草が敷き詰められた道を想起させるほどに柔らかく、それでいて踏み応えがあるモノとなる。
人はおろか、馬車さえも揺らさずに走らせることが出来るほどに理想的な大地。





「歩きやすくなったかい?」





手を差し出し、小山並に積もった砂丘を何とか登ってくる息子を引っ張りあげてからメディアンは笑った。
後ろを振り返れば大分遠くまで来たことが判るほどに里の全景が小さく見える。
遠くから見える里の全景はまるで小さな箱庭の様に四角い。
里の中央に存在する竜殿は此処からでもはっきりと見えるほどに大きかった。







「何処まで行くの?」




その言葉にメディアンは少しだけ考えるような間をおいた後、口を開いた。
彼女は里のある場所とは逆方向を向いて、そこに延々と果てなく広がる熱砂を見つめる。
余りの熱量によって大気中の光が屈折し、ぐにゃぐにゃに歪んだ光景はこのミスル半島でしか見られないものだ。



彼女の竜としての“眼”はその先にあるこの里と外界を隔離している結界の範囲や、その構造さえも容易く見通す。
そうして彼女は内心頷いた。ここなら、問題ないと。





「……この辺なら、丁度いいか」







周囲の大きさを確認するように視線を走らせ、呟く。
そうしてから、彼女は息子に真正面から向き合う。






「アルマーズ探索の時……長の竜化した姿を見たって言った、それは間違いない?」





朗々と発せられる言葉には一切の感情が篭もっていない。ただ、事実を確認するだけの無機質な声。
返答として無言で頷く息子に地竜が小さく息を漏らした。






「怖かったかい?」






一切の装飾を廃し、彼女は直接的に問う。誤魔化しなど許さないと。眼に見えない確かな圧を込めて。
それを前にして彼は……息子は大きく息を吸って……吐いた。
瞼の裏側に思い起こすのは神祖竜の絶対という言葉を顕現させたかのようなあの姿。
捻れた双角、全身に走る真紅の光線。既に生物と言う範疇を超えて、別次元へと上り詰めた……“次元が違う何か”





やろうと思えば、溜め息一つ、指の一本、いやさ、意識などせずに自分を殺せる存在。
指の一本程度の力で神将と神将器を容易く踏みにじり、数言で隔離異界を吹き飛ばす術を行使する存在。





あの時は戦いがあって、自分の精神状態も多少は高揚していたのも向き合えた理由の一つかもしれない。







「……何となくだけど、何で戦争が起こったか、判ったような気がした」






自分は神祖竜をイデアだと判っていたし、イデアという男がどんな性格や思考をしているかも知っていたから神祖竜の前に立てた。
だが、そんなことを知る由もない者達は……見た目とソレがもっている力しか見えない。
そしてその者達にあの姿がどう映るかは想像するに容易い。






そうか、と胸中で呟く地竜の声をソルトは聞いた気がした。




「だけどさ」





「?」







思いがけない続きの言葉に頭と耳を傾ける母を真っ向からソルトは見据えて、少しばかり恥ずかしそうにその続きを発する。





「僕はこの里に竜族の知り合いだっているし、今でも普通に遊んだりする。近くで見ると意外と竜と人間って中身は変わらないと思うなぁ。竜って、絶対に外見で損してるよ。
 人になる術を作った竜は、きっとそこらへんを凄く判ってたんだろうね」





最も、この考えは相手が自分を一つの存在として対等に近い関係で見てくれなければ成り立たないけど。




そう人間は最後に付け足した。
彼は当然の事ながら全ての竜が母と同じようだとは思っていない。




“普通の”……外の世界の人間が普通竜を想像する場合、まず始めに竜という存在は人間など眼中にもないと考えるだろう。
無限の寿命と超大な力、そして人を超えた叡智を持つ存在が地べたを這いずり回る人間などにそもそも関心を持つことさえない、と。





これは半分正解で、半分間違いでもある。答えは簡単。
“竜それぞれ”としか言い表せない。




ソルトの中での人に近い竜の代表は言うまでもなく、母親である地竜や、この里の唯一の神竜であるイデアなどだ。
普通に笑ったり泣いたり、怒ったりもするその様子はやはり人と対して変わらないように見えた。





対して、大勢の人間が抱く竜というイメージ通りの存在の彼の中での代表は、火竜ヤアンである。
人形の様に動かない顔の筋肉に、抑揚のない声、いい意味でも悪い意味でも人の心、というのを考えていない振る舞い。
いや、アレは考えていないのではない。興味などないのだ。だから、彼は悪意もなくそれでいて躊躇いなく言葉と言う刃を突き刺してくる。




自分の言葉がどんな影響を相手に与えるか考えないというのは、こう、きっといけない事だろう、そうソルトは考えていた。
そういった人間と竜の思考のズレも、あの戦役発生の一端を担ったのではないか。
もしくは、余り気分がよいモノではないが……イデアが持ち帰ったエリミーヌ教典の中にある人間賛歌と銘をうった人間至上主義なども影響があったのだろう。



あの教典を見て、呆然とソルトはこの宗教は何百年かしたら、きっと歯車がずれるんだろうなぁと感想を抱いたものだ。




「…………」






脱力したように地竜が気楽な雰囲気をまとって、息子を見つめる。
先ほどまで張り詰めていた何かは既に霧散し、いつもの様な温和で、親しみ溢れる空気に戻る。







「それで、今日はどうしてこんな所に? 周りには何もないよ」





「なに、大した用事じゃないさ。ちょっと見せておきたいものがあるんだ」





懐、袖の袖の内側より地竜が取り出すのは成人男性の握りこぶし程度の大きさがある角ばった宝石。
純度の高い高級蜂蜜を塗り固めたような色彩を放つ、巨大なガーネット。
しかし、眼を凝らしてみればその内部には火山の内部を切り取ったような、激烈な炎と力の演舞が宿っているのが見える。





地竜メディアンの、竜石だった。
幼い頃から、現在まで通しても、数える程度、それも遠目や一瞬しか見ることの叶わなかった石。




遊ぶように悪戯染みた笑顔を張付けた地竜が屈みこみ、砂漠の砂を片手で掬い取る。
指の間から流れ落ちていく熱砂を一度握りこみ、開くと……そこには色とりどりの宝石があった。
湯水の如く砂粒程度の大きさの宝石が次から次へと生み出され、零れ落ちていく。





サファイア、ルビー、金、銀、エメラルド、オパール、ダイア、アメシスト、
大よそこの価値あるものとして人に認識されたありとあらゆる希少鉱石がメディアン手の平から零れ、光を反射して虹を作る。
遊び、そう、遊びだ。彼女の手に掛かれば、何気ない砂粒から金銀や宝石、鉱石の類を延々と作り出すなど、大地の化身たる地竜には造作も無いこと。
イデアが以前王都にもっていった紅い宝玉も彼女が作ったのだ。






しかし彼女自身はあまりこういった宝石や財宝の練成を好まない。以前、財宝の奪い合いで人間達が殺し合いにまで発展したことがあるからだ。
宝石など、見方を変えればただの石ころなのに、地竜はそう思わざるを得ない。





「昔、人間達に宝石を作ってあげてたこともあるのさ。今もエトルリアの王都にでも行けば、あたしの作った宝石が結構見られるだろうね……何か欲しいものでもあるかい?」





今なら何でも作ってあげるよ。竜が試すように微笑み、粘土でも捏ねるように手を動かす。
掌から落下し、砂の上にぶちまけられた宝石達が全て見えない手で持ち上げられ地竜の拳の中に握りこまれていく。
パンッと大きく手をたたき合わせると、そこには先ほどまであった宝石の数々は既になく、ただの砂だけが指の間から音もなく流れ落ちていく。






「じゃあ、僕はそれが欲しい」






ソルトが指差したのは彼女が作った宝石ではなく、メディアンの竜石。
その輝きと、吸い込まれるような存在感に比べれば、ただの宝石など石くれにも満たない、そういう風にソルトの眼には映ったのだ。
一瞬メディアンの眼が丸くなり、そうしてから彼女は此処に来て始めて余裕のあった笑みを崩す。
何処か焦った様な声と仕草で竜石を庇うように体を捻ってから、親が子を叱る声音で答えた。





「コレは駄目だよ。それに……人間じゃ石の力は引き出せないさ」





人間、という部分を殊更強調するような声。しかし人間はそんなことを気にせずに続ける。





「見せたいものって、それだけ?」





そろそろ熱砂の中で立ち竦むのに飽きてきたのか、もったいぶるなと言外に込めて発せられた声。
真昼の砂漠の中、里からも離れた地でただ立っているというのは人の身には辛いのだ。





「……いや、違う。ここからが本番だよ」






一泊。地竜は全身に力を溜めるように体を強張らせて、声帯から声を絞り出す。
自分は今、息子を試そうとしている。脳裏をよぎるそんな声を無視。






「竜の姿、お前はまだあたしのを見たことがないだろう」






淡々と、努めて冷静を装いながら彼女は声を発し続ける。しかし胸の内側が不愉快に熱くてたまらなかった。
きょとんとした息子の顔がやけにはっきりと映る。たった10年かそこいらで、幼子から少年、そして青年の段階へと足を踏み込んだ顔。
竜の“眼”には、彼のエーギル、命の波動は紫色の小さな炎の様に見える。それが少しだけ揺れている。








「何年も一緒に居て、一番身近なお前があたしの本来の姿を知らないっていうのは、何というか……嫌でね」






不公平だ。心の中で反芻し繰り返される言葉はそういう意味をもっている。
長と息子の仲が良いのは知っているが、イデアの本来の姿を知っていて、家族である自分の竜の姿を知らないのは、不公平だ、と。





今の人の姿は神話の時代に作り出された竜族の術によって得たもの。
好奇心旺盛な竜達が人間と言う種に興味を持ち、人と同じ目線で世界を見たいがためにこの術を作った。




それに、意外と人の姿というのは便利なのだ。
竜の姿では腕を何気なく振るうだけで地形が変わってしまう事もあるが、人の身ではそういった気遣いは不要だし
外の世界の情勢や新たに構築された“秩序”の中では人の姿のほうが活動しやすそうだ。





あくまでもこの姿は仮初のモノ。真の姿は竜のソレであるからして……つまりソルトは一度も母の本来の姿を見たことがないのだ。
故に彼女はその一歩を、今日ここで踏み出そうと思った。







見て欲しかった。本来の自分の姿を。そして、その上でこの子がどのような反応をするか見たいのだ。








足に軽く力を込めて後方へと跳躍、風に流されるように上空へと舞い上がり、自分を見上げる息子の姿がどんどん小さくなっていく。
念のため、更に周囲一体に隠蔽と遮断の結界を念入りに張り巡らしながら彼女は意識を深く、竜石へと落とす。




一定の高さまで飛翔した後、重力に引かれて落下を始める中、彼女は眼を閉じていた。
何十、何百と緻密に張り巡らされる気配遮断の結界の中、久しく地竜は自分の本来の力を味わっていた。





まず感じたのは灼熱。神竜が胸の内側に宿す“太陽”とは別種の熱。
これは、例えるならば溶岩だ。神竜のソレが光という触れられない熱だとするなら、これは粘性を帯びて流動する液体がもつ熱。
森羅万象が始祖の絶望と神竜の光に別れた後、概念より物質が形作られた時に齎され、その時から決して冷めたことの無い世界の体温。





熱、砂漠の熱砂などそよ風に感じられるほどの熱が全身を満たす。
体が膨らむ。火竜の力よりも濃厚で、心臓から鼓動する度に体を駆け巡るエーギルと熱量が乗数的に跳ね上がっていく。
人としての肉体が術の解除と同時に熔けた。さながら、星空を舞う蛍の如く無数の光りの粒子となって砕けたのだ。







そして、再構築。

















「────。」

















息が、口の間から漏れた。それほどまでに、ちっぽけな人間の前に顕現した存在は……途轍もなかった。





彼女がどうしてここまで里から距離を取ったのか、その理由が判った。
もしも里の内部などでこの姿を開放すれば、竜が大地に足を付けるだけで里の半分以上は崩壊するからだろう。
頭を限界まで持ち上げて、更には腰を後方に反らしても視界に収まりきれない、竜。




しかしながらその姿はソルトが今までに見た火竜等とは全く違う。





基本の姿は同じだ。4本の足、一対の翼、全身を隈なく覆い囲むのは竜の強靭な外殻と岩を熔解させ、癒着させた様な重量感を感じる煉黒の鎧。





まず最初に眼に付くのは地竜の赤黒い体の色。それはまるで熱が失せて、冷え固まった溶岩を連想させる色合いをした無骨な構造。
何百、何千年という途方も無い年月の間、地殻の底で活動し、遂には地上を侵食したマグマが様々な物質と混ざり合い、そして固形となった色彩だ。
しかし、まだ火山は死んでいない。地竜の全身を不気味に光らせるのは表皮のすぐ真下を流れ続ける莫大な量のエーギルと、迸る溶岩。
血肉の変わりに地竜はその肢体にマグマを巡らせている。それも、膨大な量のエーギルを含んだ、原初の活力を宿したソレを。





ただ、その場にあるだけで周囲の温度が何段階か上昇する。砂漠の照りつける熱など生易しく感じさせるほどに。
全身に光りを巡らせる竜、ソルトの脳裏を過ぎるのは神祖竜へと変貌したイデアの姿。







火竜が薪を糧に激しく燃え盛る炎としたら、この存在はその完全なる上位存在。
余りにも凄まじい炎が凝縮し、物質とまでなってしまった存在。薪などなくとも、永劫に燃え続ける事が可能な規格外。





恐怖はなかった。元より彼にとっては“そんなつまらないこと”に時間を費やす余裕などないのだから。
何故ならば知っていたのだから。最初から己の目指す存在は最強、最高の存在の一つだということを。
人間である自分が、彼女の隣にあることを目標とする男にとって、姿形など大した問題ではない。





二本足で地竜が立ち上がると、ソルトが今までに見てきたどんな山の頂上よりもその頭は高い所に行ってしまう。
純粋な大きさならば、地竜メディアンの巨体は神祖と化したイデアさえも上回るかもしれない。
恐らくだが、一度か二度、足を跨ぐだけでこの竜は里を軽々と横断するだろう。





人間で言う所の胸の中心部、心臓が収まる位置に見えたのは赤を通り越して白亜となった球体。
全身を駆け巡る灼熱の体液の循環道は全てそこに繋がっており、この球体が全身へ膨大な量の液体を供給しているのを見る限り、差し詰め、地竜の心臓というべきか。
人の心臓でさえ何十年という年月の間、一瞬たりとも休むことなく血液を全身に送り続ける作業を行えるだけの力があるのだ
竜族の中でも上位種の彼女が誇る心臓は、正に活動を停止することなど永劫にありえない、不死の心臓と評すべき力が宿っているに違いない。





肩より伸びる翼は既に飛行能力を失って退化……否、これは進化だ。地竜に飛行など必要ないと新たな段階へと上り詰めた証。
一対の竜翼は双子の山の如く同じ形状をし、翼膜などは存在しない。その頂点には活火山の山頂の様にぽっかりと穴が空き、その奥では粘つくマグマが渦を巻いている。




火山が二つ肩から生えている、ソルトは最初それを見てそう思った。
事実、この重翼は既に飛行能力を失った変わりに、新たな攻撃の手段として体内を巡る力の発射口としての役目を持っている。
彼女がもしもこの姿でやる気になったら、文字通りこの一対の重翼は動く火山となって大陸中に火山灰と、それに伴う様々な災禍を撒き散らせるだろう。








竜が、見下ろす。眼下に佇む小さな小さな人間を見るために。二つの眼と“眼”は砂粒程度の大きさの人間でさえはっきりと捉えた。
その仕草、心臓の鼓動、瞬き、胸の上下に……いつも通りの顔に、少しだけ熱っぽさを含んだ視線を送ってくる眼までも。







「…………」






無言、全くの無言で息子が寄ってくるのを認識したメディアンは彼を潰さない様に細心の注意を払いながらゆっくりと動いて、頭を降ろす。
大地に四本の手足を使って這い蹲り、出来るだけ衝撃を出さないように心がけながら。





ペタリ、そんな音が竜の鋭敏な感覚によって聞こえた気がした。
ソルトが竜の顎の下辺りに恐る恐る触れて、その感触を確かめるように何度か平手を押し付ける。
人肌程度の温もりが掌から伝わってくるのを感じながら彼の顔はほくそ笑む。




地竜の全身の熱、溶岩のような体液、彼女が纏う煉火、その全ては彼女の一部であるが故に彼女の意思一つで他者への効力を変えることが可能なのだ。
敵対する存在ならば、根源的なエーギルさえも飲み込むだろう竜の煉火の溶岩は、家族である息子の前ではただのぬるま湯に等しくなる。






興味津々と言った顔で灼熱の花びらと化した地竜の重殻にある彫りを指でなぞったり
頬を押し付けてその奥の鼓動を感じ取ったり、ソルトは親にじゃれ付く子供の様に竜の体に接する。
実際、彼にとってこの竜の姿は非常に興味深い。今まで見たこともない竜の姿は、彼の好奇心を刺激し、その行為を助長。




表層から止めどなくあふれ出る熔けた液を手で掬い、その温度を確かめたり、黒曜石の如く切り立った竜の外殻をコンコンと叩いてみたり、様々な事を試す。
古今東西、これほどまでに地竜の体に触れた人間はまず居ないだろう。






「母さん、声、聞こえてる?」





緩慢な動きで頭が持ち上げられ、ソルトの眼前に人で言う所の鼻が突きつけられ、ソルトはようやく真正面から竜の、母の顔を見ることが出来た。
縦に裂けた瞳孔を宿す凶眼は本来ならば敵対するもの全てを深い後悔の底へと誘うだろうが、今は凶悪な輝きはそこにはなく、ただ、春風の様な柔らかな輝きだけがある。







“聞こえているよ”






声帯から発せられる音ではなく、直接頭の中に送りつけられる言葉を用いて地竜は返事を返す。
正確に言うならば、これは言葉でさえない。伝えたい事柄の本質を他者へと伝える術だ。






「頭とか、背中に登ってもいい?」






眼と“眼”で見た息子の顔は、意気軒昂な様子で頬などが赤くなっている。
恐怖など微塵も存在しない顔を見て、地竜は何かを確かめるように眼を緩やかに窄めた。
手を、小さな砦なら乗せることが可能な程に広い掌をそっと息子の前に置く。





ひょいっと手の上に人間が乗ったのを確認した竜は暫くの間、身じろぎもせずに手を眺め続ける。
今ここで例えばの話だが、もしもこの手で拳を作ったら、それだけでこの人間の命は潰れてなくなる。
ハエや蚊の様に呆気なく、その生命を終わらせることが出来るのだ。





無論、メディアンはそんなことを絶対を幾つ重ねても足りないほどに、やりはしないが。
しかし掌の上で羽毛の如き軽さで存在を主張する人間の、どれほど儚いことか。
持ち上げてそっと頭の上に降ろしてると、彼はタンポポの種のような身軽さで頭部へと足を下ろす。
頭部を人間に足蹴にされた竜というのは、世界の開闢から歴史を見ても恐らく自分だけだろうなと思い至り、地竜は内心微笑する。





頭の上を這いずりながら動き、首を辿り、そのまま背に息子が到達したのを“眼”で確認すると
彼女はまた一つ力を使用した。
背中辺りの空間を弄り、上下、地面と言う概念を操作。絶対に自分の背中から取り落とさないように、地竜の背こそが大地であると定義。
これでどの様な動きを、仮に空中で逆さまになろうとも息子が落下するという危険はなくなった。



ついでに砂漠の熱を思い、彼が居る場所だけは春の如き適度な温度へ調整。





“よくもまぁ、竜の頭に乗せてとか言えるものだねぇ。 あたしがもしもやろうと思えば、羽虫の様に潰せるんだよ?”







笑い混じりに送り込まれた言霊。
座り心地のいい場所を探し、丁度椅子にも似た甲殻の凹凸を探し当てたソルトはそこに腰を降ろした。
ふぅと小さく息を吐き、周りに見える光景に感嘆しながら彼は答える。



ここからは世界が本当に広く見える。地平線の果て、丸みを帯びた大地……。




「僕を潰したいの?」





あんまりと言えばあんまりな言葉に地竜は一瞬だけ呆気に取られる様に言葉をなくし、次いで慌てるように思念を送った。






“あくまでも例えさ。本気にしないでおくれ。……一応、あたしは外の世界じゃとんでもない悪魔ってことになってるらしいからね、悪魔は人ぐらい簡単に潰すものだろうからさ”





最後に放たれた言葉には様々な感情が渦を巻いて篭もっていた。
背中に乗る息子が少しばかりの異変に気がつき、その気を引き締めるほどに。





怒り、悲嘆、そして諦観。それは自分の半生を否定された人間が漏らす感情にも似ていた。





悪魔、そう悪魔だ。エリミーヌの教えの中で、彼女はリキアを不毛の地へと変えた悪魔呼ばわりされている。
あの戦役の終盤で起きた秩序の崩壊、ローランによって立ちなおされたあの地を苦しめた魔王、それが地竜への最終的な人の評価だ。
エリミーヌ教は今や大陸中に布教され、それを信じる者の数は数えるのも馬鹿らしくなるほどに多く、大陸に生きる人間達に絶対の救済を約束している。





しかし物事には表と裏があるものだ。エリミーヌの教えの広まり具合は確かに凄まじいが……一つの思想の元、自分たちが正義だと信じて群れた人間は途端に恐ろしい存在となる。






そういった者達が竜への信仰を捨てなかった人々に何をしたかは想像するに難しくない。
異端を裁くと言う行為をエリミーヌ自身が認めなかったとしても、既に巨大な組織となった教団は止まらないのだから。
末端の者など、結局は自分の都合の言いように噛み砕いて、行動しているのが顕著である。






“まぁ、人が勝った時点でこうなるのは判ってたんだけどねェ”





人が勝つにせよ、竜が勝つにせよ、今までの楽しかった生活が送れないのは判っていたこと故に
楽しかった幻想だけを抱いてエレブから消えるという選択肢も確かにあったと竜は内心で思い
この地から離れなかった大きな理由である背中の存在に再度意識を送り、観察する。






“それで、だ。あたしのこの姿を見て、お前はどう思う?”





この問いへの答えは刹那の後に帰って来た。いつも通り、まるでこれが日常的に行われている親子の会話の様に軽い調子で。





「なぁんにも変わんないよ。そもそもの話、僕が今まで育ててくれた存在を怖がるとでも思ったの? 今更、しかもこの里の中に住んでいる僕が、人と竜とか、そんな事を気にするとでも?」





貴女を目標に生きている僕が、たかが竜の姿如きで今まで20年近くも抱いていた感情を捨てるとでも?




はぁっと大きく息を吐いた息子は、今まで竜が見てきた中で最も……呆れているように見えた。
背中の外殻を優しく撫でながら彼は言葉を飛ばす。






「母さんが母さんじゃなくて、見ず知らずの竜で、僕が竜って存在を知らなかったとしたら怖がるかもしれないけどさ」





それに、と彼は胸の中で言葉を自嘲混じりに続ける。




仮に怖がったりなんかしたら、意地でも認めたくない言葉を認めるのと同じだ。
基本的に人の好き嫌いは余りしない彼でも苦手な……深く述べるなら嫌い、に近い感情を抱いている相手がいる。
そいつが言った耳障りながらも、一種の心理を射抜いた言葉は、今でも覚えている。






背中で横になり、ソルトは耳を竜の鱗へと押し付ける。敏感な感覚を持つ耳が捉えるのは力強い鼓動と、溶岩が体内を流れる重低音。
こうして聞くだけで判る、絶大な力の波動。母の命の脈動を意識にたたきつけられながら、眼を瞑る。
自分が目指す存在は、憧れる存在は、こんなにも強い、と。






竜、かぁ……。大きいなあ。子守唄の様に耳に伝わる鼓動を思いながら、考え事をしていると、眠気が思考に侵入してくる。
それさえも心地よく思いながら、彼は更に脳を動かして思いを紡ぐ。





竜、人。僕は人。母さんは竜。
人の寿命は精々長くても50か60年、奇跡的に長寿を実現出来たとしても100に届けばそれは人という種の限界であり、その先に進みたいなら、人間を捨てる必要がある。
それは仕方ないし、変えようとも思わないが……。





では、母さんは僕が死んだらどうなるんだろ? 
本来ならば親が子に思うはずであろう疑問を彼は抱いた。




その先を考えようとして……やめた。まだだ。まだ、コレについて考えるのは早いと眼を逸らす。
あの気に入らない言葉の内、2つまでは克服したし、堂々と自信をもって否定できるが……最後の一つが毒矢として突き刺さり、その毒が心を犯す。
ただし、この矢が刺さっているのは自分ではない。




未来が見える能力がなくとも、その先がどうなるかは判っている。
“もしも”など通じない、絶対の未来の先は……。





眠い。竜の背で横になって眠気を感じている人間など世界広しと言えど自分だけだと優越感に浸りながら瞼を瞑る。
ここは……究極的に安心できるのだ。何処よりも快適で、安心できて、そして……愛しい。
幼い頃は見えていなかった不安や、恐怖も忘れて眠る事が出来る。




ほんの少しだけ、一刻の4分の1にも満たない時間だけなら、休息しても許されるだろう。




そうして眠りに付こうとする息子を“見て”地竜は小さく、不安を覚えた。
眼を瞑って、腹部に両手を重ねて眠るその姿が重なってしまったのだ。







“どうしようもない。仕方ない”







家族に先立たれて涙を流す人間は多く見てきた。




ならば自分は、どうなるのか? ただの人間とは違い、力がある自分は。





人に近づき過ぎた、今の竜にはその答えは終ぞ見つからなかった。






あとがき





覚醒をプレイしました。面白いです。BGMは個人的に歴代で最高だと思います。
アーマーナイトのグラとDLCの内容には少々おや、と思うところもありますが、ソレを差し引いても素晴らしい出来でした。
ギムレーのデザインが本当に好みで、たまりません。



そして今回の章は恐らくはかなりの難産になりそうです、また更新がかなり滞ることになることが予想されますが
更新停止だけはありえませんのでご安心を。








それでは、次回更新にてお会いしましょう。





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