イデアは非常に上機嫌であった。
足取りは自然と軽くなり、その口元は緩み、今にも鼻歌を歌いながらスキップをしてしまいそうだ。
少しだけ足早につい先程までは何千と言う亡霊兵士が満たしていた大回廊を進んでいく。
道端に無造作に転がるのは何千と言う武具や鎧、魔道書の数々。
持ち主は全て始祖の混沌に食われ、今頃はこの世界に産まれてきたことを後悔するほどの眼にあっているか、存在そのものが闇に溶かされている頃だろう。
ざまぁみろ。いい気味だ。
イデアはこの墓石の様にそこら中に散乱し、未だ亡霊兵士らの匂いと気配が少しだけする装備の数々を見てそう思った。
勝手に人の家に押し込んで、散々壊して回って、挙句帰ってきたこの殿の主に牙を剥くからそうなる。
もっと数が少なければ【ゲスペンスト】に飲み込ませずに、直接一人一人の首を『力』を使って物を浮かばせる要領で締め上げてやったものを。
首を『力』で捻じ切るのは至って容易いだろう。
一度標的を知覚範囲の中で認識してしまえば、たとえ街の裏側にいようが『力』を使って窒息させたり首をへし折るのは簡単なことだ。
そして何より自分がイドゥンと会うのを妨害したことが許せない。こいつらが居なければ半刻は早くイドゥンと会えた。
アンナの報告が来るまでたっぷりイドゥンにもっと話しかけられた。そんな時間をこいつらは削らせたのだ。
コレはイデアにとってどうしても許せない事だ。あんな、あんな獣よりも劣る存在に姉との逢瀬の時間を削られたのは誠に腹ただしい。
無法で野蛮で、何より理性も無く、ただ自分が“竜”というだけで襲ってきたこの亡霊どもに一切の情けを掛けてやるつもりもない。
が、そんなことはもうどうでもいい。問題はイドゥンだ。
いつまでも混沌の濁流に飲み込まれた死に損ない達について考えてやる時間を与えるのさえもったいない。
あの水晶の様な牢獄は一体何なのだろうか?
今の自分の力では揺るがすことさえ出来ないあの氷の壁は。
“場”そのものを固定するように侵食しているあの氷は勿論見た目どおりの存在ではない。
そんなことは魔道士でもあるイデアからすれば、一目瞭然。空間そのもに皹が入るほどの力を使っても割れない氷などあってたまるか。
しかし問題はアレをどうやって破るか、だ。
あの封印……まぁ、あの水晶は封印だろう。色々な御伽噺で邪悪な魔王やら神を封印するという話はよく聞く。
封印……封印という事は姉さんは生きているということ。事実、あの水晶からほんの少しだけイドゥンのエーギルと存在を感じることが出来る。
人間達はどうやら賢明な判断をしたらしい。封印は恐らくはかなりの時間が掛かるだろうが、決して破れないわけではない。
そして何よりイドゥンは生きている。彼女は死んではいないのだ。
もしも彼女を殺したとすれば、その報復にこのエレブを消してやろうと考えていたが、どうやら自分は魔王や邪神、狂った竜にならなくて済みそうだ。
イデアが壮絶な笑みと共に覇者の剣の柄を撫でる。面白いほどに手に馴染む愛用の剣を。
この剣はこの殿の中だけでも既に数十人も切り殺しているが、その刃には傷一つ汚れ一つ無い。
亡霊らが身につけていた鎧や盾を塗れた紙を破るかの如く容易さで切り刻んだこの剣は本当に使いやすい。
単純に壊れず、何人切っても劣化しない素晴らしい切れ味、それと同時に様々な応用も使えるこの覇者の剣をイデアは随分と気に入っていた。
ナーガが使っていたという点だけは気に入らないが、それ以外の不満などあるわけもない。
「~~♪ ~~~~♪」
やはり内心から湧き上がってくる歓喜を誤魔化すことなどできず、イデアは素直に欲求に身を任せて鼻歌を歌い始める。
足早に、ステップを刻みながら誰も居なくなった殿の大回廊を進んで征く。やはり掃除はしておいてよかった。
と、何かを思い出したのかピタリと停止。ざっとあたりを見渡し、周囲に散らばった武具の数々を見渡し一言。
イデアの口元が薄く裂け、亀裂のような笑顔を浮かべた。口内に生え揃った竜の肉食動物の牙と歯をむき出しにして笑いながら彼は言う。
深く、深く、とても少年が出しているとは思えない程に艶やかな声で。
「そうだそうだ、もって帰るつもりだったんだ。忘れてたよ」
喉の奥で笑い、無造作に、退屈そうに、片腕を上げて親指と人差し指、中指の三本で筆を掴むような動作をする。
三本の細い指。大の男が少しでも力を入れれば呆気なく折れてしまいそうな程に繊細で、白く、女のモノと見間違えてしまいそうな指。
が、ソレはただの見た目だ。
実際、イデアの両手の指はやろうと思えばエーギルの手助けを借りて鋼の鎧だろうが銀の鎧だろうが素手で飴細工の様に引き千切る事が可能だろうと考えている。
その力を試さずに全ての亡霊をゲスペンストに飲み込ませてしまったのは、少々もったいなかったかもしれない。
あの身の程知らずどもをあんなに呆気なく踏み潰したのは、やはり芸がなかったか?
もっと眼に見える形で苦しませてやればよかった。人の家を滅茶苦茶にしたのだ、それだけの事をされても文句は言えまい。
グッとほんの僅かだけイデアが指に力を込める。“持ち上げる”という意思を伴って。
結果は直ぐに眼に見える形で現れた。
ガチャガチャという金属同士が擦れあう、いやに耳に残る音が最初は少し、人間一人が歩いている程度のモノが次第に大きく、そして“多く”なっていく。
路上に石ころの様に転がっていた無数の剣、槍、斧、大剣、魔道書、鎧、兜、旗、その全てが不可視の力に支配され、野原の蝶の如く宙を舞っていた。
もう少し『力』を多く入れればこれらには金色の光が纏わり付くのだが、そんなことしなくてもこの程度のモノならばイデアが思うだけで移動させられる。
もっと言うなれば、今のイデアならば赤子の手を捻るように今“持ち上げている”全てを砕くことも出来うるのだ。
コレも数ヶ月前では出来なかったこと。だが、今ならば出来る。強くなった今ならば。
幾つも浮かばせた武具の内、特に一際眼に付いた剣……刀身が鋸のような鋭角な形状をしている長剣を眼前まで持って来る。
悠然と歩を進めながらもその剣を見定めるようにしげしげと観察し、隅々まで詳しく検査。
案の定、刀身から柄に至るまで
ありとあらゆる場所に魔術的要素を含んだ文字がビッシリと刻まれており、コレはあの“竜”にとってはそれなりの効果をあげることだろう。
あの“竜”には、だ。この剣に名前を付けるとしたら、差し詰め『ドラゴンキラー』とでも言ったところか。
不愉快だ。それと同時に滑稽だ。
こんな遊戯板の駒にも劣る幼稚な玩具で本当の竜を、姉さんを殺そうなどと考えていた者がいるだけで、イデアは嘲笑で笑い転げそうになる。
こんなお粗末なものは、神竜と魔竜に対する侮辱だ。
彼はその華奢な少年の手でドラゴンキラーの未だ傷一つ無い磨き上げられた黒曜石の様な色の刀身を握りこみ、こぶしを作った。
パキンという甲高く、虚しい音と共にドラゴンキラーが握りつぶされ、その刀身がバラバラに砕け散る。
砂を握りこんだ時と同じような、ザラザラとした感触を掌に感じながらイデアがこぶしを解き、手を広げる。
砂粒の様な金属の欠片が僅かな光を反射し、輝きながらイデアの手から零れ落ちていく。
イデアがたった今抜き身の刀身を握りこんだ掌を見る。傷一つ無い。当然、痛みも無い。
神竜が肩を竦めた。少々遊びすぎたかな? と、彼は思った。
ちょっと急ごう。こうやって遊んでいる間に、生存者が死んでしまったら間抜けなどという次元ではなくなる。
後方に何千と言う武具を浮かばせ、騎士団の行進の様な華やかさをもってイデアは帰ってきた。
亡霊兵士の邪魔を受けなくなり、イデアは行きの時よりも遥かに短い時間で最初に亡霊共に襲われた広間に戻ってくることが出来た。
相変わらず散乱した死体が発する腐敗臭が酷かったが、既にイデアにとってそんなものは問題ではなかった。
アンナはイデアの感じたとおり、部屋の中央部に居るのが現在地イデアの立っている場所からでも見える。
見ると、彼女の足元に紅いローブを着込んだ、恐らくは人の姿を取っているのだろう竜族が倒れてるようだ。
遠目からでも判るがっちりとした体形からすると、多分男だろう。
感じるエーギルの波動の種類はアンナと同じく全てを焼き尽くす『炎』
種族は火竜、それもそこそこの力を持った個体。身に纏う真紅のローブがそれを象徴しているようにも見える。
イデアの竜族としての素晴らしい視力は男の肩から腰に掛けて斜めに、何かとても鋭利な刃物で切り裂かれたような傷が深々と刻まれているのを捉えた。
しかもただの肉体的な損傷ではなく、もっと存在そのものを抉るような傷……。
つい先ほど握りつぶしてしまったが、あのドラゴンキラーでもこんな傷は付けられまい。
もっと力のある武器の仕業か? メディアンが言っていた“力”の件、もっと調べるべきか……。
が、コレは中々にいい状況だ。もしも地竜などであったら、万が一の時に“対処”する際に苦労することになる。
その点、瀕死の火竜など抵抗されようが片手でその首を締め上げられる。
イデアは自信と余裕、この二つの感情を顔に涼やかに浮かべており、まるで散歩でもするかのような軽い足取りでアンナに近づいて声を掛けた。
「その男が生存者?」
自分の声がほんの少しだけ揺れていることにイデアが気が付き、素直にその事実に驚いた。
コレは恐怖?
いいや違う。純粋な期待感から彼の体は震え、歯は不規則に揺れ、息が少しだけ荒くなる。
貴重な戦争の情報が手に入ると思うと、イデアの心は歓喜で満たされるのだ。
魔竜やあの封印を含んだイドゥンについて、人間について、他様々な情報がこの倒れている男から手に入れる。
いや、例え言うのを拒んだとしてもこの男は知ることになるだろう。自分にそんな権利などないことを。
「はい。一応はライヴなどで応急手当は施しましたが、この傷だけはどうしても治らないのですわ」
アンナが男の胴体を斜めに切り裂いている鋭利な傷跡を示す。
真っ赤な傷口、まるで焼ききられた様に焦げ付き、そして何より薄く紅く発光している傷口。
じっくりと、興味深いモノを見るようにイデアがその傷を観察。
まばたきもせずに凝視し、その本質を探っていく。
まるで重度の火傷をしているかのような傷だ。切り口の周囲は焼け爛れ、炭化している場所も見受けられる。
しかもこの傷はよく見てみると、自らの意思を持っているかのように時間の経過と共に更に深さを増し、この竜に致命的とも言えるダメージを与え続けている。
直感的にイデアがこの傷から感じたイメージは“烈火”……雄雄しく、轟々と燃え続ける魂の焔。
どうも人間たちは面白い武器を作ったらしい。なるほど、あんなドラゴンキラーだけではないというわけか。
メディアンも確か“烈火”のイメージをそういえば言っていた。
が、治せるかどうかと問われれば、答えは可能だ。
出来る、不可能ではない。その程度できなくて、イドゥンをあの封印から救えるものか。
片手を振り、アンナに少し下がっているように指示を出す。
火竜が火傷とは中々に洒落が聞いていると思いながら期待と共に傷口に軽く手を置く。
2対4枚の翼を展開し、更にもう少しだけ神竜としてのエーギルを開放。
黄金色の薄霧……エーギルが男の傷口、肌、口、ありとあらゆる場所から侵入し、この男の隅々まで行き渡っていく。
殿の壁が淡く発光、イデアの力を更に増幅し、その力でこの傷ついた火竜を癒す。
瞬間、イデアはこの男の全てを完全に掌握し、これ以上ないほどの一体感を感じた。
男の手、足、顔、そして竜としての力、その全てを完全に理解することが出来た。
この火竜は、この瞬間だけイデアの一部であった。
火花を上げる雄雄しい黄金色の滝がイデアより溢れ出し、男を完全に飲み込みその屈強な全身を母の子宮の様な繭で覆い尽くした。
イデアのエーギルは水の様に器によってその形と性質を変えて、純粋な生命力となり男の全身に注がれていく。
広間全体が黄金に照らされ、満天の星空の様に輝く様は誰がこの場の支配者なのかを雄弁に物語っていた。
力。
イデアは不意に気が付いた。この火竜の身体を“復元”している最中、彼はふと気が付いたのだ。
今、自分はこの男を好きに出来る状況にあると。
彼にはこの男の存在そのものを如何にでも出来る力がある。エレブ中のこの男を。
例えば、この男の弱弱しく鼓動を続ける心臓を今すぐにでも握りつぶすことも出来るし、この男の頭蓋骨の中身をシェイクすることだって簡単だ。
赤子の首を折るのと同じぐらいに容易くイデアはこの男の命を奪うことが出来る。
それに気が付いたイデアが、今度は別の種類の感情によって震えた。
男に翳していた手とは反対の手、左手が震えていた。イデアはそれを身体の後ろに隠した。
眩く輝く黄金色の繭、自らが作り出したこの繭をイデアは一種の満足感と共に見やる。
「あの男について、お前は何か知っているか?」
今でも少しだけ震える手の指を握ったり開いたりしながらイデアが問う。
指の関節が動かされるたびにパキパキと枯れ枝を折るような音を立て、寒気が覚える程にスムーズに動く。
「何度か会った事がありますわ。余り言葉こそ交わしませんでしたけど……」
「名前は? 知っているか?」
アンナは落ち着いて答えた。イデアが感じた内心の焦りを欠片も表に出すことなく。
「名前はヤアン。火竜族の成竜で、先代の長……ナーガ様と意を違えた者らの一体です」
「そうか、で、こいつはどんな奴なんだ? 何度か会って、お前はこいつにどんなイメージを抱いた?」
このヤアンという火竜の性格などを全く知らないイデアにとって、どんな些細な情報でもありがたい。
幸い、このアンナは何度か言葉を交わす機会があり、小さな時間ながらも共に居たらしい。
アンナは小さく眼を細め、考え込む様に視線をあちこちに飛ばした後、イデアを真正面から見据えた。
「……思慮深いというのは確かです。少なくとも無駄に騒ぎ立てることを嫌う性格でした……しかし」
「しかし?」
暫し間をおいて、アンナが再び語り始めた。
「徹底的に人間と竜は違うと主張し、人間が準備出来ない内に戦端を開くべきだと言っていたのもこの男ですわ。
竜人が産まれた時もそんな紛い物は殺害すべきだと述べていたのを私は覚えています」
「なるほど」
イデアが頷いた。
今の説明で何となくヤアンという火竜の人となりを理解したイデアが何処か遠くを見るような目線で繭を見る。
傲慢なナーガか。イデアの感想はこの一言に尽きる。
あのナーガにとてつもなく肥大化した竜族のプライドと偏見を混ぜ合わせればヤアンになるのだろう。
参ったな。やれやれとイデアが内心肩を竦めた。
そんなナーガは、絶対に見たくない。そもそもの話、もう一度彼に会える訳もないのだが。
もしも会ってしまったら、勝てない事を承知で殺しに掛かってしまいそうだ。
「イデア様……その、一つよろしいでしょうか?」
「何?」
イデアの後方に待機している無数の武器の列と、山の様に部屋に積まれた様々な道具の数々を見つめつつ言う。
左手の人差し指で武器を指差し、何かを確かめるかのように。
「もしかして、アレを全部転移させるおつもりで?」
イデアの返答はさっぱりとしたものであった。
無邪気な顔で、さも不思議そうに彼は答える。
紅と蒼の眼に純粋な疑問を浮かべ、小首を少し傾げる様は「そっち系」の趣味を持つ者の心を大いに奮わせる事だろう。
「もちろん。俺も力を貸すよ……それとも、無理?」
アンナは思わず、ほんの小さな溜め息を吐いていた。
里に戻ってきたイデアは少しだけ眠りに付き、消費した力を回復させると、次に考え事に没頭していた。
お題は当然イドゥンの事だ。あの封印の破り方。
そしてあの封印を成したモノ。彼の知っている神話などで出てくる強大な力を持った武器か、それともイデアの知らない怪しげな術か。
イデアの保有する知識はナーガに比べれば子供騙しと断言してもよいぐらいに少ない。
それでも以前に比べれば遥かに知識の絶対量を増やした今のイデアにとって、あの封印はとてつもない強敵だ。
……ナーガならば、どうしただろうか?
ナーガなら、あの大図書館を丸ごと頭の中に写生していそうなあの男ならば
ブレスの一撃で大陸はおろか、世界さえも微塵に砕いてしまいそうな力を持っているナーガならば
あの飛竜の群れを想像を絶する威力の魔法で消滅させたナーガならば
彼ならば、イドゥンのあの封印を解けるのでは?
……馬鹿馬鹿しい。
もうエレブには存在しない者の事を考えても仕方ない。
大きく憂鬱気に溜め息を吐き、イデアは力を抜いて、遊びつかれた小動物の様にベッドの上にごろりと横になった。
かつて殿に住んでいた時に使っていたベッドに比べれば大分小さいが、ただ眠るだけならばコレで十分だ。
ふと見れば、窓の外が明るくなってきている。そろそろ太陽が昇り、また恐ろしく熱い一日が始まるのだろう。
月が丁度天の真上に昇る前にこの里を出て殿に向ったことを考えると、案外思っていたよりも時間の経過は短いらしい。
とてもつもなく濃い時間であった。漠然とした頭でイデアはそう思う。
生存者探索という名目で行った今回の殿への偵察は思っていたよりも多くの情報と事実をイデアに突きつけた。
だが、イドゥンの封印、九つの力、今の所イデアが詳しく知りたいことはコレだけだ。
これ以外の情報も手に入るならば欲しいが、今のイデアにとって余り価値は無い。
もちろん、里の運営なども色々あり、これからは恐らくもっと忙しくなるだろう。
あの殿の歪みの空間はあえてそのまま放置してあり、イデアが開けたあの空間の『穴』の部分も念入りに『力』を使って補強し隠しておいた。
これであの空間に戻れる権利を持つのはイデアだけだ。
神竜の力だけがイドゥンの居る場所にまで繋がる道であり鍵、それ以外は何人たりともあの場を汚すことなど出来ない。
これからは定期的にあそこへ訪れよう。そのためにも早めに転移の術を習得せねば……。
イデアの頭が回転して、これからの自身が取るべき行動を打ち出していく。
新しく出来た、はっきりとした目標は『イドゥンをあの封印から救い出す』こと。
そしてそれに付随して出来た目標は『強くなる』こと。イデアという個体としても、そして里という組織としても。
これからはやるべきことが多い。まだまだ経験不足な自分ではかなりの苦労をするだろう。
だが、それがどうした。そんなもの“ただの苦労”だ。大したことではない。
自分は、望むもの全てを手に入れる。どんな邪魔を排除しても、どんな犠牲を払っても、ソレを掴もうと決意する。
彼女を取り返す。
ゆっくりと瞼を瞑り、暗闇の中に彼女の姿を思い浮かべる。
再度眼を開いたイデアの眼の中が燃えていた。溶けた溶岩の様な色合いの焔が爆発するように燃え盛っていた。
と、自分の中で何かが繋がる感触と共に、ほんの僅かな砂嵐が頭を駆け巡った。
念話の最初の時に発生する、対象と言葉が繋がる時によく感じる感覚だ。
──長、聞こえますか? 長。
「聞こえるよ」
突如として脳内に語りかけてくる罅割れただみ声にイデアが期待感に満ち足りた
欲しいものがようやく手に入り、喜ぶ子供の様な声で返事をする。
───生存者の件で……。
どうやって動いたのか判らぬうちに、いや、動こうとも思わないうちにイデアは行動していた。
ベッドから弾かれたように飛び降り、脊髄反射の如く言葉を叩きつけるように返す。
「今行く。少し待っていろ!」
期待通りの言葉を受け、真っ白なマントを羽織り、念話を途中で切断し、窓に足を掛け翼を背に開放する。
そしてそこから身を躍らせる。心地よいな風を受けながらそのまま里の空に飛翔を開始。
フレイの言葉を最後まで聞かぬまま、だ。
文字通りイデアは飛ぶように彼が眠っている場所に向かう。
あぁ、これでようやく多くの疑問に解が得られる。
救助されたヤアンの部屋の扉を突き破る様に開けて部屋に侵入したイデアを待っていたのは
見慣れた老人であるフレイと、ベッドの上に横たわり、突然の乱入者である自分を驚きもせずにじぃっと眺めてくるヤアンであった。
どうも無機質な視線だ。何も篭もっていない目というのはこうも気味がわるいものなのか。
イデアが眼と口元を三日月の様に歪めヤアンを観察する。同時に少しだけ力を送り、隅々まで調べていく。
白い薄いバスローブの様な衣服を纏ったその身は恐ろしく鍛えられているのか、歴戦の戦士の様に引き締まった筋肉で覆われている。
胸元に大きく描かれている紋章が取り分けイデアの眼をひいた。大分回復したのか、胸元に深く掘り込まれていた裂傷は既に跡形もなく消えていた。
この男の傷を治し、生かしてやったのはこの俺だ。やろうと思えば、殺すことも出来た。
そう思うとイデアは自身の中に熱く燃え滾る征服感と満足を感じた。
ドロドロに熔けたソレを勤めて表に出さないように気をつけながら、イデアがフレイに眼を向け、視線で問う。
この枯れた大木を思わせる外観を持った火竜は軽く礼をし、そしてから口を開き、淡々と情報をブレスの様に吐き出す。
『見ての通りこの者の傷は完治し、命には全く別状はありません』
「それは何より」
イデアが全く温かみの篭もらない声と微笑を浮かべ、形式上の言葉を吐いた。
哀れな獲物に向かい飛び出した矢を思わせる鋭い眼だけは全く笑ってはいないが。
早く情報という食物を摂取したい獣、それが今のイデアだ。
もしもこの男が自分に協力するのを拒めば地獄を見せてやるつもりさえある。
フレイが一瞬だけベッドの上に横になっているヤアンを哀れみの篭もった目で見やる。
そして。彼は上級魔術並の破壊力のある言葉をさも何でもないかのように言い放った。
『まぁ、問題は彼がほとんどの記憶を失っている事なのですがね』
「───────は?」
たった一言で、イデアは完全に凍りつき、彼の中にあったガラス細工のような期待は粉々に砕けた。
自らの儚い希望が砕ける音を、イデアは確かに聞いた。
世界はそんなに都合よく出来てはいないのだ。
あとがき
少しばかり遅れましたが、あけましておめでとうございます。
2011年もよろしくお願いします。
いつかイデアとイドゥンの立場交換のIF短編でも書いてみようかなぁ、とか思っている今日この頃ですw
それでは皆様、次回の更新にてお会いしましょう。