蒼白い光に包まれた石造りの部屋。『里』で最も巨大な建造物の地下奥深くに存在する場所。
『里』に住まう者がどれほど使用しても底を付くことなどないであろう程の膨大な量の清潔な地下水が絶え間なく流れ込んでくる空間。
地下奥深くということを忘れてしまいそうな程に光と『力』に満ちた世界。
巨大な……そう、世界そのものが発する無尽蔵のエーギルにこの部屋は満たされているのだ。
ここは玉座の間。
里を統べる者が座する玉座が存在する神秘的な部屋。
そして部屋の奥には真っ赤な最上級の布と大量の金で装飾を施された煌びやかな玉座があった。
そして、つい数日前まで空席であったその椅子には一人の人物が座っていた。いや、正確には“人の姿をした者”が。
金色の無造作に切り分けた髪、手入れもあまりしていないのに、無駄に輝かしく、艶やかな髪だ。
この女性みたいな髪をあまりその人物は好きではなかった。
一回姉に「肩まで伸ばしたらどう? きっとかわいいよ」と提案されて泣く泣く伸ばした結果、色違いのイドゥンになったという事があったのだ。
だが、今となってはもう……彼の姉は傍に居ない。かつて彼女が居た場所にはぽっかりと穴が空いている。
その人物は特徴的な眼を持っていた。紅と蒼という眼だ。彼は交互で眼の色が違った。そしてその眼の下には深い隈が浮かんでいる。
この眼は人間のそれよりも遥かに優秀な視力を持っており、集中すれば遥か彼方の物体の輪郭はおろか、色までもはっきりと認識できる。
動体視力も恐ろしいほどに優秀で、飛んでくる矢の形や色、それに施された装飾さえも見えるかもしれないほどだ。
まぁ、話し合いと誤解の解けたおかげでハノンに矢を撃たれなくてすんだ事もあったが。
椅子に座る者の名前はイデア。この『里』唯一の神竜である。まだまだ幼い少年の姿をした『竜』だ。
この少年の姿はイデアのもう1つの姿であり、彼がこの世界に産まれてから最も長い時間を過ごしている姿ではあるが、本当の姿は違う。
彼は『竜』なのだ。比喩でもなんでもなく。本当の意味で。四枚の翼と小山程度の大きさの体躯を持った『竜』である。
まだ幼く歴代の神竜の中ではナーガはおろか、大戦時の神竜にも負ける程度の力しか持ってないが、それでもその力は凄まじい。
イデアは子供である。人間で例えるならば、ようやく文字や常識を覚え、確固たる自我をもち、自分が何たるかを理解し始めた程度の年齢。
時々癇癪を起こしたり、または信頼する者に甘えたり、ふざけて笑ったりする、そんな少年の竜がイデアだ。
今はその『信頼する者』は誰も彼の傍には居ないが。イドゥンもエイナールも、誰も。
そして、かつて『信頼していた者』が座っていたであろう椅子にイデアは座っている。
もっとも、イデアは絶対にかつてここに座っていた者を信頼していたなどと認めなどしないだろうが。
ペラリとイデアが手に持った羊皮紙の分厚い束を捲る。
薄い茶色をし、手触りなども余りいいとは言えないソレらの束は現在の『里』の状況や住人達の要望や提案などが纏められた物である。
子供達を一堂に集めて、全員に勉学をさせる場所を作ってはどうか? などの提案がそこには書かれていた。
他には『里』の食料やら日常生活品などの生産具合なども書かれている。
一つ一つに眼を通し終えた後、イデアは傍らに立つ人影に話しかける。
まだ自分は経験が浅い。自分の一存で判断を下すのはマズイと知っているからこそ、経験も知恵も知識もある年長者に意見を求める。
イデアは自分が弱く、全くの無知である事を自覚していた。そして同時に、組織の強さも前の世界の経験として知っている。
故に今の長としてのイデアは恐ろしいまでに臆病的で、慎重である。一つ一つ、提示された情報を噛み砕いて、そして誰かの意見を聞き、
ソレラを統合した上で彼は思考を回転させる。少なくとも眼の前に提示された情報を鵜呑みにはしたくない。
「どう思う? 許可を出すべきかな? お前の意見を聞きたいんだけど……」
それに答えたのは傍らに立つ老人。紅いローブでその全身を覆っている“老人の姿をした者”だ。
僅かに残った紅い髪に、硬質でクシャクシャな肌と頭皮、そして真っ赤な眼を持った老竜。
しかし背筋は衰えを感じず、しっかりと真っ直ぐだし、彼の炎を凝縮したような紅い眼は新しい主である幼い神竜に頼られているという事実から来る喜びでぎらついていた。
老人とは思えない程の生命力に溢れている彼の名前は『フレイ』先代の長であるナーガに万年単位で仕えてきた竜である。
そして彼はナーガの命令ではなく、彼の『頼み』を聞き、イデアを補佐していた。そう、命令ではなく『頼み』によってだ。
彼は新しい主の質問に答えた。出来るだけ判りやすく、出来るだけ丁寧に、詳しく。
千年、万年単位で使い続け、既に枯れた喉の奥底から声を絞り出す。一度聞いたら耳に暫くは残りそうな声。
『中々にいい案かと。童らは将来の貴重な人材になりますからね、今の内に勉学に興味を持たせるのはよいことです。
最低でも文字の読み書きや単純な計算などは覚えさせたい。紙の代わりに砂や岩に文字を書かせ、筆の代わりに石などを使えばあるいは……。
場所は建物の空いている部屋などを使えば間に合いますね』
いい加減、この声にも慣れたいな、イデアはそう思った。何というか……正直とても聞きずづらい。
フレイの滑舌がとてもいいから言葉の意味は判るが、でも、やっぱり聞きづらいのだ。
玉座に深く座り込み、肘掛に肘を付き、頬杖しながらイデアがフレイの言葉を一言一句逃さず集中して聴く。
『紙の製造も早めなければなりませんね。余った藁や木、そしてケナフなどからの製造を急がせています。メディアン殿が広大な森林地帯とケナフの栽培所を創造してくれたお陰で
予定よりも多く作れそうです。それと、筆の配備も進めたいところです』
紙というのも案外色々な物から作れる。
木綿や葉や木の幹、更には泥や魚の皮や動物の皮からも作れるのだ。
ちなみにケナフというのは一年草であり(稀に多年草)成長がとても早く、大体120日前後で成長しきる草だ。
この草は紙の原材料として優秀な草として前々から竜族に使われている草だ。但し、茎にトゲがあるのと、生命力が強すぎるのが問題点として上がっていた。
しかし、今のケナフは竜族のエーギル技術によって改造されており、成長の早さはそのままに、茎のトゲや、暴走しがちな繁殖能力は大分そぎ落とされている。
外見のイメージとしては、『緑色の長くて太い野菜の棒』と言ったところか。
しかしやっぱり紙というのは耐久力に問題があるため、人には想像することしか出来ない程の永い時を生きる竜族は製造した紙に魔術的な保護を掛けて使用している。
こうして使用することで竜は本などの資料を気の遠くなるほどの年月の間保管できるのだ。もちろん定期的に魔術は掛け直しているようだが。
どうも竜族は紙という物に対して特別なこだわりがあるようだ。食事などは娯楽の一つでしかないようだが、製紙技術はかなりのものがある。
イデアはこの玉座に座ってまだ数日しか経っていないが、そう思えて仕方なかった。
そして何より竜族の技術全体にイデアは感嘆を抱いてもいた。
あのベルンの山脈そのものを王都と成す『殿』や何処とも知れない場所との空間のつなぎ目である『門』を作り上げた建造技術
更にはこの製紙技術や、戦闘こそ出来ないものの、単調な作業なら行える竜造の人口生命体『モルフ』の生産。
生命力そのものであり、全ての生き物の魂とも言えるエーギル操作による植物の制御とそのあり方の人口的な変質。
まるで遺伝子操作だ。イデアは前の世界の単語でこの技術をそう表した。恐ろしいまでに便利な技術。何かしらのリスクはあるのだろうか?
他にもあげればキリがない。かつてナーガは魔導の本質は知識を追い求めること、と言った理由が何となくわかるものだ。
表面を知れば知るほど、より奥底にある魔道の奥底にある便利な力が見えてくる。
『力』というのは、知識を手に入れてから付いてくるものと言った彼の言葉には悔しいが納得せざるを得ない。
「判った、この子供の教育場所は空いている建物の1室を使って行わせよう。名前は『学校』とし、最初は10名前後の子供を試しに入れて様子を見たい。
そして紙と食料についてはお前に任せるよ、後々詳しく報告してほしい。これでいいかな?」
イデアが恐る恐ると言った様子でフレイに確認を取る。
正直な話、胃に穴が空いてしまいそうだった。自分の決断に自信が持てないのだ。
何か自分は間違ったことをいってないだろうか? 何か間違ってはいないだろうか?
恐々とイデアは返答を待つ。返事は直ぐに返ってきた。
『大丈夫ですよ。特に問題はありません、【学校】を作る際の、子らに勉学を教える者の選定もこちらでしておきます。
それとイデア様、もっと自信を持ってください。貴方はもっと堂々とすべきですよ』
食料や製紙の報告は後々、と言い、フレイがイデアに臣下の礼を深々として玉座の間から退室していく。
蒼い水に満たされた孤島の様な部屋にイデアだけが残された。
机の上をイデアが見る。先ほどまでそこに大量にあった紙の束は全て消えていた。
今日の仕事はとりあえず終了だ。これからはイデアの自由時間となる。
「ふー……」
玉座の上でぐっと背伸び。数時間の執務から開放された喜びを噛み締める。その拍子にカチャリと腰に差した『覇者の剣』が金属的な音を鳴らした。
かつてナーガが持っていたこの剣は今はイデアが所有していた。ナーガが残したこの剣の正当な後継者はイドゥンとイデアだからだ。
何故この剣を倉庫に放り込んでしまわなかったのか、それはこの剣が欲しいと思ったイデアにも判らない。
ただ、無性に欲しかったのだ。このナーガが持っていた覇者の剣が。
「はぁ………」
陰鬱な溜め息を一つ吐く。何となく剣の柄に手をやって、滑らかなソレを撫でる。
長という仕事は……予想はしていたが、疲れる。何人もの人間や竜の上に立ち、その生活や安全を守るというのは、予想はしていたが大変だ。
しかし、それでも彼は『長』をやると決めた。ただ部屋で篭もって、泣いているのはもうウンザリなのだ。そんな行動は第三者から見れば道化師でしかない。
イドゥンを迎えに行きたいと心の奥底では思っているが、ソレをぐっと押し込め、今は自分のやるべき事をやる。
それに冷静になったイデアは本当は判っていた。今の自分は外では何も出来ないだろうという事が。
中途半端な力しかもっていない現在の自分は外の戦争に介入したとしても、大して何も出来ないという事が。
戦争の中、多数の敵対する竜が居る『殿』に行き、そこに居るであろうイドゥンを助け出す?
それは一言で言ってしまえば『不可能』だ。幾らイデアが神竜であろうと、彼はまだ幼い。
今の『殿』にはナーガほど絶対的な力こそ待ってはいないが、それでもイデアよりも強い竜は小数ながらも存在している。
意識をかく乱させるための魔術などはおろか、転移の術さえも使えないイデアにそんな事出来るわけない。
姿を隠す術や技術さえも持っていないのに。
そう、今のイデアに足りないものは『力』だった。『力』があれば、イドゥンを助けることが出来るのに、弱いからそんな単純な事が出来ない。
弱いのだ。イデアは弱い。そしてその事実を自覚している。自分は無知で弱いと。
だからこそ悔しい。助けにいっても無駄だと知っていて、今の自分が何を信じて、何をやるべきかも知っている。
だからイデアは『長』をやっている。
そしてその根本にはイドゥンへの想いと、ナーガへの意地があった。
意地だ。単なる意地。ナーガに長が出来て、自分に出来ないはずがない。
そんな意地が『長』としてのイデアを支えていた。そしてイドゥンが生きていてくれているという願いが彼の今の精神の土台だ。
おもむろに玉座から立ち上がり、イデアの履いているブーツが蒼く光る石で作られた床と接して軽快な足音を鳴らす。
本当に面白い石だ。蒼く輝く石の床や天井、そして壁は、本来は暗闇が支配しているであろうこの玉座の間を夜だろうが昼だろうが変わらず眩く照らしている。
部屋の全体から発せられた多量の光を大量の水が更に幾重にも反射させ、美しく煌かせるこの玉座の間は一つの完成された芸術品と言っても過言ではないだろう。
そしてそんな玉座の間の支配者が自分であると言うのは、どうもしっくりこない。イデアはそう思った。
まぁいい、これから自分はやることがあるのだ。時間と言うのは有意義に使わなければならない。
間違っても部屋で過去を振り返りつつ泣き喚くなどしていてはいけないのだ。ただの時間の無駄である。
カツカツと軽快でリズムのいい足音を殊更大きく響かせて、大股で歩きながらイデアが玉座の間を後にする。
しかし本当に、よくこんなモノを作ったものだ。
神殿、いや、もう1つの竜殿と言える里の真ん中に存在する建物の廊下で立ち止まり、窓からみえる『里』の場景を見ながら感心した。
魔術で幾重にも強化を施された岩を、大量に組み上げ作られ、作られた建物が規則正しく並んでいるのがここからならばはっきりと見える。
見ていて何処か安心する光景だ。壮大な景色というのはいつ見てもいいものだ。地平線の彼方に沈んでいく太陽がまた美しい。
見れば住人達は皆足早に自分の住まう家に帰っていっている。そしてパタンと窓をしっかり閉め、家の中から灯りを灯す。
もう夜だ。ナバタに極寒の地獄がやってくる時間が来たのだ。
この新しい竜殿も凄い。イデアが自分が立っている足元、正確には自分の体重を預けている石の床を見た。
それにもやはり魔術による強化が施されていた。壁、天井、床、窓の枠、そして外壁、その全てに強化が施されている。
砂漠の日差しや、昼と夜の寒暖の差に耐えるためにされたのだろう。
この景色を見たイデアは改めて一瞬だけ思う。本当に自分が『長』でいいのか? と。
だが、そんな些細な問題は今の彼にはあまり重要ではない。この馬鹿馬鹿しい想いは直ぐに思考の濁流に飲み込まれて消えていく。
今の彼に最も必要なのはイドゥンという全てが解決できる存在を除外すれば
『力』が必要だ。もっと強く、賢くならねばならない。想いだけでは人は助けることなど出来ない。力と知恵と知識が必要だ、それと……少々の勇気が。
残念ながらイデアはこの全てを何一つ持ってはいない。
だから手に入れるのだ。
イデアが足を上げて、窓枠に足を掛ける。もちろん死ぬために身を投げるためなどではない。むしろその逆だ。
目的の場所に向かうための時間は少しでも短縮したかった。歩いていくよりも、飛んだ方が何倍も早いし楽しい。
転移の術を使うのが理想的だが、あれはまだ使えない。
イデアの背に2対4枚の黄金の翼が現れる。天馬の翼よりも壮麗で、飛竜の翼よりも巨大な、力強い黄金の輝きを放つ神竜の翼が。
迷わずイデアが窓から飛び出した。だが彼の身体は遥か下の地面に落下することなく、それどころか目的の場所に向かって弓から放たれた矢の様な速度で飛翔を始めた。
石畳で作られた地面にゆっくりとイデアが降り立つ。快適な空のたびは少々名残惜しいが、これにて終了だ。
イデアは空を飛ぶのは好きだった。少なくとも飛んでいる時は風が心地よいし、頭の中を空っぽに出来、あれこれ余計なことを考えずに済むからだ。
最初飛ぶ時はあれほど落下や高所に恐怖を感じていたのに。
だが、病的なまでに眠るのを拒んでいる今のイデアには安息と言える時間だ。
そう、彼は『長』になってから一度も眠ってない。本来は睡眠に使うはずの夜の時間を全てとある事に費やしている。
お陰で眼の下には隈が出来、イデアの紅と蒼の色違いの眼球に禍々しく、狂気的な装飾を施していた。
それに眠ると、夢に見るのだ。彼の不安に思っている光景を。
彼が最も、神竜イデアがこのエレブで一番恐怖と感じている最悪の光景が。
イドゥンが死ぬ光景を。
苦痛と絶望しか感じない夢を稀に見るのだ。
だから眠るのが怖いというのもある。
それに眠っている間は完全に無防備だと考えると、どうしても眠る気にはなれなかった。
「さて……」
翼を折りたたみ、そして舞い散る光と共にソレを消したイデアが首をコキッと鳴らす。
これからまた一晩掛けた長い本との戦いが始まる。力を手に入れるために。
今、イデアが居るのは巨大な石造りの円筒の形をした建造物の入り口だ。
天高く聳える塔の様な建物は見上げるだけでも首が痛くなる。この空に向かって『里』の中でも一際大きな存在感を放っている建造物の名前は【図書館】という。
またの名を【知識の溜まり場】ともいう。
ベルンに在る『殿』に存在していた超巨大な図書館だ。竜族の全てが収められていると言っても過言ではない場所。
『殿』に居た時、イドゥンとイデアもよくここから資料を借りていた。
何故これがここに?
イデアの素朴な疑問にあの老火竜は淡々と答えた。
さも何でもない事を言うかのように「転移の術で持ってきました」と言われた時に覚えたあのショックをイデアは未だに忘れられない。
中規模の城並みの大きさを持ち、その中に何十、何百万と言う数の資料を内包しているこの図書館をナーガは丸ごと持ってきたというのだ。
とんでもない。正にその一言に尽きる。だが同時にイデアはナーガなら出来るだろうとも思っていた。
それに何もコレは悪いことではない。むしろイデアにとっては好都合とさえ言えた。いや、最高と言える。
何だか全てナーガの掌の上で踊らされているような気もするが、この際そんなことはどうでもいいことだ。
重要なのはこの大きすぎる図書館の中には素晴らしい力が眠っているということだ。
何万という途方も無い年月に渡って蓄えられた偉大なる知識の数々はイデアを夢中にさせるだけの価値と魅力がある。
かつてナーガはこの図書館の存在を人間が知れば、押し寄せてくるといったが、正にその通りだ。
ここにはそれだけの力がある。
里を守るために作られた【エレシュキガル】や【ルーチェ】を始めとした、あの恐ろしい威力を持った魔導書の数々の製造方法やモルフの製造方法。
建設や薬学、それに算術の演算式の数々、子育て──他にもありとあらゆる分野の秘密や発見の積み重ねが【知識の溜まり場】には在る。
イデアはフレイにここの存在の説明を受けた時から、一日も欠かさず『長』としての仕事が終わってからは通い続けている。
まぁ、まだ『長』になって数日しか経ってないわけだが、これからも通い続けるだろう。それこそ千年でも一万年でも。
無言でイデアが歩を進め、片手を振って、重々しい金属質の扉を『力』で無造作に掴み、動かす。
何十キロもするであろう鋼の扉が音も無く軽快に開いた。ぶわっと部屋の中から暖かい空気が噴出し、イデアの髪を揺らす。
さぁ、今晩も勉強会の始まりだ。
かつてナーガは言った。初めて魔導についての概要を双子に説明するときに彼は言ったのだ。
その時の言葉がふと、唐突にイデアの頭に蘇る。
「大切な何かと引き換えにしてでも知識を取り込み、力が欲しいという愚者は後をたたない。
中には自分が力を求めていた理由さえも忘れて、力を求めるというどうしようもない馬鹿もいる」と。
イデアが肩を竦めた。そして呆れたと言わんばかりに溜め息を吐き、記憶の中の彼をせせら笑った。
自分がイドゥン、真名ならば――ィ―――ど――ゥ ン―――――の事を忘れるなどありえない。逆にどうやれば忘れられるというのだろうか?
どんな術を使われようと、どんな力を手に入れようが、それだけは絶対にありえない。
まぁ、忠告は胸に留め置いてやるよ。そうイデアは想い、『力』を手に入れるために図書館に足を踏み入れた。
胸の中に知識を取り込むことによって得られる『力』に対しての興奮と期待を抱きながら。
あとがき
皆様お久しぶりです。
このごろ本当に忙しく、更新が遅れてしまい申し訳ありません。
来週が過ぎれば、もう少し更新速度があがると思います。
では、次回の更新にてお会いしましょう。